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藤無山A(1139.2m) 養父市・宍粟市 25000図=「戸倉峠」 深雪のラッセル、山頂を目前にして撤退
冬型の気圧配置がゆるんだ休日、但馬と播磨の国境に立つ藤無山に出かけた。山陰に記録的な豪雪をもたらした雪雲は、ここにも多くの雪を降らせていた。
ここに、「ふじなし山登山道」の小さな板の看板が立っていた。その先に、10年前にはなかった林道が伸びていた。さあ、ここからはトレースのない新雪の上だ。 雪は、ガードレールの上まで積もっていた。ふわふわの雪は軽く、ふくらはぎまで雪に埋まった。スキーは、雪面に小さく光る雪の結晶を舞い上げた。息を整えるために立ち止まると、雪面を冷たい風が吹きぬけた。 標高825mぐらいで、林道は尾根を外れた。尾根から雪まくれが転がり落ちて、斜面にリズミカルな模様を描いていた。林道がどこに向かっているのか知らなかったので、Uターンして尾根まで戻り、夏道に入った。
ヒノキ林と雑木林の間に、細い尾根道がついていた。ビンディングのテールを立て、急な坂を登った。一歩一歩スキー板を雪面に強く押し付けないと登れない。息がすぐに切れた。 標高900mぐらいまで登ると、傾斜がさらに急になってもうスキーでは登れなかった。スキーをはずし、スノーシューに切り替えた。スノーシューは、スキーよりさらに深く雪に沈んだ。 ひざまで雪に埋まり、踏み抜くと腰まで雪に没した。スキーを肩にかついだため、ストックも自由に使えず何度も雪の中で倒れた。 20分間雪と格闘し、ようやくこの急斜面を抜けることができた。
夏道は、標高930mあたりで尾根を離れ、谷をトラバースして国境尾根を目指していた。この道が、雪に埋もれて分からなかった。見当をつけて、スギ林の中へ入り込んだ。 ときどき、スギの枝に積もった雪がドサッと重く落ちた。昼が近く、腹が減ったので、上から雪の落ちる心配のないところを探して、立ったままおにぎりを食べた。 谷を渡り切ってたどり着いた国境尾根を少し下ると、890mコルに出た。コルには雪原が広がり、北側のすぐ近くに始めの林道が伸びてきていた。林道をそのまま進んでいると、もっと早くここへ来ることができた……。 コルからの上りが、また急傾斜だった。ターンを繰り返してジグザグに登ろうとしたが、深雪の急斜面は思うようにスキーが操作できなかった。それでも何とかその傾斜を登り切って960mピークに立った。 960mピークから、雪をかぶったヒノキの木立の向こうに藤無山が見えた。12時半……山頂はまだ遥かに遠い。
982mピークを越えて、先に進んだ。平坦なところは順調に進めたが、上りのラッセルでずいぶん時間がかかった。急な下りは、それ以上時間がかかった。 1076mピークにたどり着いたのが、13時33分。もう山頂はすぐ近くに見えるのだが、ここからの往復で1時間はかかるだろう。雪は朝ほど沈まなくなったが、その分重くなってスキーがなかなか進まない。体も、へとへとに疲れている。ここで撤退することに決めた。 あたりを見回すと、ミズナラやウリハダカエデに雪がまとわり着いて、まるで白い花が咲いているようだった。空の青は朝より濃くなって、周囲のぼけた積雲が流れていた。北に、真白い鉢伏山が座り、そこから東へ瀞川山、蘇武岳、妙見山が雪をまとって並んでいた。 スノーシューにはき替え、スキー板をザックにくくりつけた。最後にもう一度、目の前の藤無山山頂を眺め、このピークを後にした。
山行日:2011年1月8日
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| 行き:若杉高原大屋スキー場〜3号リフト上〜1号リフト上〜(林道)〜(標高855mから尾根の夏道へ)〜982mピーク〜1076mピーク(ここで撤退) 帰り:1076mピーク〜982mピーク〜(890mコルから林道へ)〜若杉高原大屋スキー場 |
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| 若杉高原大屋スキー場から林道が藤無山方向に伸びている。今回は、855mでこの林道を離れて尾根の夏道を進んだが、但馬播磨国境の890mコルまで、この林道を利用することができる。ただし、この林道は破砕帯を切っているため、その部分が崩れて雪と共に林道をふさいでいた。そこを回り込んで進むことができたが、注意が必要である。 | ||||||||||||||
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