山(953.7m)   宍粟市・養父市  25000図=「大屋市場」「戸倉峠」


赤金鉱山跡から銅山へ

銅山山頂

 ウツギの花が白く垂れ下がる道を、倉床川に沿って溯った。めざす銅山は、播但国境をつくる稜線上のひとつのピークで、藤無山の東に位置している。

 冨土野の集落を過ぎて荒れた林道を進み、幾つ目かの橋を渡ったところが二股となっていた。そこに立つ「平成元年ふるさと100年の森林」の標石の手前に車を停め、倉床川に沿った道を歩き始めた。
 倉床川は、揖保川の源流部にあたる。流れる水は澄み、川床の黒いスレートの小石もきれいに磨かれていた。
 道は、川に沿って左右に曲がりながら伸びていた。岸には、カエデが葉を広げ、オオバアサガラが花をつけていた。川の向こうは、ケヤキの人工林。2匹のミスジチョウが道の上に止まった。
 次の二股を右に取り、北へ向かった。しばらく歩くと、右岸に台地状の地形が見えた。川を渡って、その台地に近づいてみると、そこにはたくさんのカラミが転がっている。この台地全体が、カラミがうず高く積み上げられてできていた。
 ここには、かつて赤金(あかがね)鉱山があった。文献を調べてみると、赤金鉱山は「昭和10年頃から休山状態にある」とある(広川ほか(1954))。昭和10年というと、もう75年も前のことだ。
  一つひとつが、まるで黒曜石のようなカラミであった。ガラス質で、貝殻状に割れた表面がつややかに光っている。色は、黒〜赤褐色、緑色のものもある。カラミの斜面を登ると、ずり落ちたカラミがカラカラと乾いた音を立てた。

赤金鉱山のカラミ ガラス質のカラミ

 カラミの台地の上流側には、石垣が組まれて平坦地がつくられていた。上の方は石を組んで壁がつくられ、その壁の下に四角い穴が4つ並んでいた。ここで、精錬が行われていたのだろう。
 そこから下りて先に進むと、谷は広がり、人工的な平坦地がつくられていた。鉱山で生活した人たちの集落の跡である。石垣で囲まれた敷地の中で、エゴノキが純白の花を垂らしていた。
 さらに進むと、山脚にズリと坑口跡があった。表面に銅の青色が浮き出たズリ石を割ってみた。そんな石には、金色に光る黄銅鉱がよく入っていた。黄銅鉱に伴って、方鉛鉱や閃亜鉛鉱、それに斑銅鉱も含まれている。石の表面や割れ目には、孔雀石・水亜鉛銅鉱・水亜鉛土などの二次鉱物が見られた。持ち帰った水亜鉛土をミネラライトで照らすと、青い蛍光を放った。 

黄銅鉱(金色の部分)と
方鉛鉱(鉛色の部分)
孔雀石(緑色の部分)と
水亜鉛銅鉱(緑白色の部分)

 舞鶴帯のきれいなスレートに感激してサンプリングしたり、鉱山跡で鉱物をさがしたりしている間に、ずいぶん時間が経ってしまった。林道の途中に立てられた「銅山登山口」の標柱にたどり着いたときは、もう午後1時になっていた。
 この季節、まだまだ昼は長い。木の下にひっそりと咲くオカタツナミソウの前に座って弁当を広げ、気持ちを山登りモードに切り変えた。

林道から山道へ(銅山登山口) 銅山登山口に咲くオカタツナミソウ

 沢を渡って、スギ林の中に薄くつけられた踏み跡を進んだ。ところどころの木の幹にピンクのテープが巻かれ、それが銅山への道を教えてくれた。始めは、2つの小さな谷にはさまれた尾根を登っていった。稜線への支尾根は複雑に折れ曲がっていたが、踏み跡はその支尾根にほぼ忠実についていた。ときどき、アカマツの古く大きな木が立っていた。

 標高750mの小さなピークを越えると、スギやヒノキにコナラやトチノキなどの広葉樹が混じってきた。どこからかクロツグミの声がした。ギンリョウソウに木漏れ日がスポットライトのように当たってた。
 道の傾斜は緩急を繰り返していたが、標高800mを越えたあたりから、もうずっと急になった。石の詰まった背中のザックが重くなってきた。急な坂がようやく緩くなり、播但国境の稜線に達した。

 稜線の北側には、自然林が広がっていた。鮮やかな緑の中、タニウツギの花が暖かいピンク色であたりの風景を彩っていた。
 稜線を東へ進んだ。もう傾斜は緩い。リョウブ・ミズナラ・コナラ・アベマキ・クリなど広葉樹の林が広がっていた。それらの木の幹は、どれも根元が下側に曲がっていた。雪に埋もれ、その重みにじっと耐える季節がここにはあるのだ。

尾根に咲くタニウツギ 尾根の雑木林
 
 3時前に、銅山の山頂に達した。三等三角点の傍らに、「宍粟50名山」の新しい標柱が立っていた。

 山頂から、東へ下った。大路越までの稜線には、豊かな自然林が広がっていた。林の中には木漏れ日が射しこみ、イカルやアカゲラの声が長く聞こえていた。

山行日:2009年6月7日
「平成元年ふるさと100年の森林」標石(標高450m)〜赤金鉱山跡〜「銅山登山口」標柱(標高550m)〜Ca.750mピーク〜播但国境稜線(標高940m)〜銅山(953.7m)〜857mピーク〜大路越〜大路廃村〜「平成元年ふるさと100年の森林」標石
 「宍粟50名山(2009)」に紹介されたコースである。林道以外の登山道は、踏跡程度に薄くついている。木の幹に巻かれたピンクのテープが、このコースを示している。一部、分かりにくいところがあるので、マップと地形図で進路を確認することが必要。
山頂の岩石 貫入岩体 安山岩
 銅山には、舞鶴帯の地層が分布している。標高の低い林道沿いでは、主にスレート(粘板岩)が見られた。スレートは、一部に砂岩をはさんでいる。これらは、舞鶴層群の地層である。
 登山道では、主に花崗岩が見られた。花崗岩は、変形していることが多く、尾根上のものは風化が進んでいる。この花崗岩は、夜久野岩類に属している。
 銅山の山頂付近には、安山岩が分布していた。斜長石や角閃石の斑晶を含む、灰色の緻密な岩石である。分布から考えて、この安山岩は舞鶴層群に貫入した岩脈であると考えられる。


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