粟 鹿 山   (962.3m)       山東町・青垣町                25000図=「矢名瀬」

雪に眠る粟鹿山

粟鹿山(山東町迫間より) 粟鹿山南尾根より山頂を望む

 何日も続いた冬型の気圧配置がくずれ、列島が広く高気圧におおわれた。真冬にはめずらしく、山陰も穏やかな晴天になった。雪の山を歩きたくて、粟鹿山に出かけた。
 粟鹿山は、但馬と丹波の国境に位置する。標高962.3m、丹波の最高峰でもある。仕事でのスキー宿泊実習の帰り、国道9号線を和田山に向かうと、いつも粟鹿山はバスの正面に高くそびえていた。寝不足で疲れた私に、白く雪を頂いた山頂から北へ直線的な稜線を引くその姿は、清冽に映った。

冬の滝(登山口上)
 与布土コースの登山口まで、アスファルトの車道が延びているが、積もった雪と雪解け水が凍った氷が車の進行を阻んだ。川上の集落の少し先の堰堤横に車を置いて、渓谷(奥山渓谷)の道の凍った轍(わだち)の上を、アイゼンで上っていった。
 歩き出して45分で、トイレや休憩所の建つ登山口に着いた。積雪は、ここで30cm程度。登山口から左へ橋を渡ると、林道が渓に沿って上っていた。真白い雪に、人の足跡が一すじ、雪に埋もれてかすかに残っている。アイゼンをスノーシューにはき替えた。
 深い渓谷にまだ日は射してこないが、スギの木立の上には朝霧が消えたあとの青空が広がっていた。水の流れる音だけが聞こえる山中に、雪を踏みしめる音が静かに響く。足音に気づいたキジが一羽、尾をひいて飛び立った。

スギ木立の道
 丸く切り開かれた平坦地が林道の終点であった。そこからは、植林されたスギの木々の間を細い道が縫っている。時折、スギの枝に乗った雪の一部が、ハラハラと落ちてくる。かすかに残っていた人の足跡はいつの間にか完全に消えていた。ときどき、シカの足跡やウサギかキツネの足跡が横切っていた。
 渓にかかる橋を渡ると、傾斜が急になってきた。道は急な斜面をつづらになって上っていた。その傾斜は、登るほどに角度を増していった。スノーシューをはいていても、膝まで雪に潜る。斜面で何度か足を雪にとられた。
 上っては休み、上っては休みを繰り返して、ようやく稜線に着いた。スギの植林は、アカマツとアセビの林に変わり、やがてコナラ林に変わった。尾根のコナラの幹や枝には雪が張りつき、その雪が陽光に白く輝いていた。
 コナラは、ほんの少しでも芽吹きはじめていたのだろうか。それを確かめる余裕が私にはなかった。そのコナラの木々を透かして、ようやく電波塔の林立する粟鹿山の山頂が見えた。
 尾根も深い雪におおわれていた。一歩一歩上っていくが、山頂は容易に近づかなかった。やっとの思いでNTT専用道路に出て、その先の電波塔に挟まれた山頂に立った。

山頂から望む床尾山系
(左から西床尾山、東床尾山、鉄鈷山)
 三角点は雪に埋まっていた。三角点の位置を示す白い標柱の上半分が、雪の上に顔を出していた。上面のコンクリートがはがれかかった六角形の方位盤らしきものが、ちょうどよい腰掛けになった。スノーシューとスパッツをはずし、ここで休んだ。雪の表面は、日差しに一度融けて再び結晶したのか、方解石の劈開が光る大理石のように見えた。
 山頂からは、但馬、丹波、播磨の山々が広く見渡せる。近くに、青倉山、朝来山が見下ろせる。妙見山・蘇武岳・三川山と続く但馬の中央稜。その先に、氷ノ山・鉢伏山が白く輝いている。北には、白い雪と青い山襞の床尾山系が、鮮やかな陰影で迫っていた。

 山頂でしばらく休んでいると、南からの微風に体が少し冷えてきた。空には、ぼやけた巻雲が少しずつ広がってきている。天気は、もうゆっくりと崩れかかっていた。

山行日:2002年2月16日

山 歩 き の 記 録

  行き:山東町与布土川上〜(奥山渓谷)〜与布土コース登山口〜滝〜林道終点〜橋〜南尾根(標高850m付近)〜NTT専用道〜粟鹿山山頂
  帰り:行きと同じ

 粟鹿山へはいくつかの登山コースがある。その中で、現在山東町粟鹿の「山東少年自然の家」からのコースは、林道工事による落石のため立入禁止になっている(平成13年4月1日〜平成16年3月31日)。今回は、山東町与布土からのコースで山頂をめざした。
 国道312号線竹田駅前の交差点を、東に折れ和田山町から山東町へ入る。与布土川にかかる橋の手前の交差点に「粟鹿山登山口まで5km」の標識が立っている。この交差点を南に折れ与布土、郡谷、川上の集落を抜ける。道が凍っているため、川上のすぐ先の堰堤横に車を止めた。
 ここから、与布土コースの登山口まで約3kmである。与布土川の流れる「奥山渓谷」をアイゼンをつけて上っていった。地形図の372m標高点の二股が、与布土コースの登山口である。ここには、広い駐車場とコンクリートのトイレや休憩所が建っている。
 登山口には、「山頂まで約3km、約2時間」の表示プレートが掛かっていた。登山コースは、東からここへ流れ込む渓流に沿った林道を途中まで利用している。深さ30cm程度の雪を踏んで歩くと、すぐ落差20m程度の滝があった。上段で2筋に分かれた水が、黒い岩盤を流れ落ちていた。
 標高530mあたりの浅い谷の出合が林道の終点である。そこから、右の渓に沿った斜面に登山道がついている。杉林を縫った細い道には、随所に赤いビニールテープが枝に巻かれていて、迷うことはなかった。この渓に架かる小いさな橋を渡り、山の斜面を東へ上っていく。少しずつ傾斜を増し、雪も深くなって苦しい上りとなった。
 標高850mあたりで、山東町と青垣町の境界尾根に出た。ここから尾根を北へ上り、南東尾根と合流して、やや方向を西寄りに変えると、NTT専用道に出た。電波塔と電波塔に挟まれた高みが、粟鹿山の山頂であった
 行きと同じコースで帰る。気温が上がったので、斜面の雪は行きよりかなりしまっている。スノーシューは大股で、ぐんぐん下りていった。
   ■山頂の岩石■ 雪の下

頁岩の地層
 山頂付近は、雪におおわれていて、露頭は観察できなかった。資料によると、生野層群最下部累層が分布していることになっている。
 川上から登山口までの奥山林道には、好露頭があった。その露頭の多くは、緑灰色の頁岩〜粘板岩である。頁岩は、ラミナ(葉理)の発達している部分が多く、灰黒色の薄層と緑灰色の薄層が細かく互層している。強い変形を示す褶曲が普通に見られ、剪断を受けている部分もあった。塊状の部分の頁岩は、細粒緻密で珪質で硬い。これらの地層は、ペルム紀後期に付加した超丹波帯の大飯層の相当層とされている。


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