朝 来 山 (756.5m)     朝来市    25000図=「但馬竹田」


川魚漁ガッチンと朝来山

伊由市場から朝来山を見上げる

 国道312号線、伊由市場から朝来山を見上げた。朝来山は、ゆるく流れる円山川の東に、夏の青空を背景として堂々と立っていた。
 ここは、私の母の里。幼い頃、夏休みはいつもここで従兄弟と過ごした。近くに円山川の支流、伊由谷川が流れていた。
 夕方、大きなげんのうを持った祖父が川に入り、私と従兄弟が網かごを持って続いた。祖父が、目星をつけた川の中の石をげんのうでたたく。
 すると、そのショックで気絶したウグイ・オイカワ・カジカなどの魚が水面に浮かんできた(矢口高雄の「釣りキチ三平」には、川魚漁ガッチンという名で取り上げられている。今は、国内ほとんどの河川で禁止されている。)。私と従兄弟がその魚を手でつかみ、かごの中に入れていった。
 懐かしい思い出である。そんな幼い時、私の目に朝来山の姿はどのように映っていたのであろうか。

 朝来山の北斜面の東側は「南但馬自然学校」の敷地となっている。自然学校の本館に登山の許可をもらいに行くと、地図のコピーをいただいた上に、コースの説明までしてもらった。コースには、きつねやくまやうさぎなどの動物の名前がつけられていた。

 きつねコースから登った。丸太階段が整備されていて歩きやすい。途中にあずまやがあって、そこからはやや急になった。

きつねコースの丸太階段

 やがて、コンクリート道のくまコースに出た。露頭をハンマーでたたいていると、ガッチン漁をする祖父の姿が思い出された。
 標高555mの雲海展望台からは、東南東にそびえる粟鹿山の均整のとれた姿が印象的だった。雲海展望台からは、急な丸太階段が斜面を上がっていた。
 標高700mの肩に取り付くと、ようやく傾斜がゆるくなった。鹿の蹄の跡がずっとついていた。肩からなだらかな尾根を西に少し進むと朝来山展望台(719.8m)に達した。
 ここには方位盤があり、周囲の山々の名が記されていた。北西がよく開け、竹田城址・大倉部山・大路山などが見えた。木々の間からは、東に粟鹿山、南東に青倉山も望むことができた。
 ここから頂上まで、かすかな踏み跡を雑木の枝葉を分けながら歩いた。二等三角点のある山頂は、木々に囲まれて、ひとけもなくひっそりとしていた。

 見上げれば、青空に雄大積雲。真夏も近い。

山行日:1999年7月10日

行き:南但馬自然学校本館〜(きつねコース)〜(くまコース)〜雲海展望台(555m)〜(くまコース)〜朝来山展望台(719.8m)〜頂上

帰り:頂上〜朝来山展望台(719.8m)〜(むささびコース)〜立雲峡分岐点〜(しかコース)〜(うさぎコース)〜南但馬自然学校キャンプ場〜南但馬自然学校本館
 南但馬自然学校から登った。コースは、南但馬自然学校の敷地内なので、本館で入山の許可をもらった方がよい。
 きつねコース、くまコースを歩いて山頂へ。
 帰りは、朝来山展望台(719.8m)からむささびコースを下った。急な斜面をつづら折りに下るコースで、かなりきつい。立雲峡との分岐に達すると、そこからはコンクリート道のしかコースとなった。途中でうさぎコースに入り、南但馬自然学校のキャンプ場に達した。

山頂の岩石  石炭紀〜ペルム紀  夜久野岩類(舞鶴帯)  変斑れい岩    
雲海展望台(555m)手前の変斑れい岩の露頭
変斑れい岩の構造
(細粒な部分に粗粒な部分がはさまれている)
山頂の岩石(変斑れい岩)
(底面の長さは、85mm)
 朝来山の山体をつくっているのは、夜久野岩類に属する様々な火成岩である。

 全体的に、黒っぽい「変斑れい岩」が多くを占めている。この岩石は、主として角閃石・輝石・斜長石から成るが、さまざまな程度に変形・変成作用を受けていて、一部で蛇紋岩のように見える部分もあった。
 この変斑れい岩は、含まれる鉱物の種類や割合、あるいは鉱物の大きさに変化が見られる。細粒な部分の中に、粗粒で斜長石の割合が多く白っぽく見える部分が含まれていたり、逆に角閃石が集積して真っ黒に見える部分もある。

 また、変斑れい岩以外に、花こう岩・石英斑岩・アプライトなどが観察された。これらの岩石は、変斑れい岩中に岩脈として貫入している。花こう岩は、変形・破砕されていることが多くマサ化が進み崩れやすくなっている。

 夜久野岩類は、夜久野オフィオライトともいわれている。これらの岩石は、約3億年前の古生代後期にプレートの沈み込み帯の上で形成された海洋地殻が、古生代末期の造山運動によって古生代後期の地層の上に衝上したものと考えられている。

※ 初め、山頂の岩石や雲海展望台(555m)手前の岩石を「超塩基性岩」としていました。それを、金沢大学理学部の石渡明氏より、超苦鉄質岩(超塩基性岩)ではなくて、「変斑れい岩」であるとの指摘をいただきました。
 一見、超苦鉄質岩と見える岩石であっても、標本を持ち帰って薄片を作り、顕微鏡で観察したところ、やや斜長石の少ない「変斑れい岩」ということです(2001年8月14日)。
 その指摘に従い、また改めて当時の観察記録や写真、岩石の標本を観察し、このページの岩石に関する記述を訂正しました(2001年8月16日)。

 有益な指摘をいただいた石渡氏に、ここで感謝致します。

「兵庫の山々 山頂の岩石」 TOP PAGEへ  登山記録へ