有子山(321.5m)    豊岡市             25000図=「出石」


出石城跡と有子山城跡

出石城跡と有子山

 谷山川に架かる太鼓橋を渡り、登城門をくぐって石段を登った。下郭、二の丸の石垣が整然と積み上げられている。雲を透かして降りてくる光を、復元された隅櫓の白壁がまぶしくはね返す。
 出石城は、慶長9年(1604)、小出吉英によって有子山城を廃してそのふもとに築かれた。

 広大な御殿があったという二の丸跡を横切り、反対側の坂を登ると本丸跡に出た。サクラやモミジやサルスベリの木が散らばる庭園風の本丸跡には、後にこの地を治めた仙石氏の藩祖を祀る感応殿が建ち、その前に「出石そば発祥の由来」の石碑が新しく設けられていた。
 北を区切る白い塀に開けられた丸や三角や四角の鉄砲狭間が、要害であった往時を偲ばせていた。
 本丸跡から、苔でおおわれた石垣の下を登った。石垣に沿った堀を、水が足早に流れ落ちていた。
 立ち並ぶ朱の鳥居をくぐると、稲荷郭に達した。大きなスギが何本も立つ広場から、眼下に出石の町が一望できた。午前9時の出石の町は観光客もまばらで静かだった。近くの森からイカルの声が渡ってきた。
 
出石城跡

 稲荷郭の東端に、「有子山登山口」の標識が立っていた。そこから、歩きこまれた尾根道が続いていた。スギの植林にはさまれたコナラやホオノキなどの雑木の下を歩く。道の傍らに、小さな石仏が祀られていた。
 しだいに傾斜が増してきた。道端の岩にはコケが生え、木の根がからんでいる。
 株の上から幾本にも分かれたスダジイが、幹をくねらせて立っていた。

 道のところどころに横たえられた丸太が、急坂の崩れるのを防いでいた。鉄の杭で丸太を固定しただけの簡易な階段であるが、道に伸びる木の根と同化して人工を感じさせなかった。
 
登山路

 尾根道はいったん緩くなったが、すぐにいっそう急な坂となった。アカガシやソヨゴ、それにアカシデやシイのどの木の幹にも、蘚苔類が白い斑をつくっていた。
 尾根に曲輪が現れた。そこから、多くの中世の山城で見られるように曲輪が連続した。

 山頂まで標高であと60mという地点で、道は右へ大きく曲がった。しばらく平坦な道を歩くと、今度はヘアピンに左に曲がり、再び山頂をめざして登っていった。
 何段も重なる曲輪の石垣を縫うように進んだ。クリの実が、あちこちに落ちていた。
 山頂の下に、高くて長い石垣が現れた。石垣の下の道は広くて明るく、城下町の中を歩いているような気分になった。
 
有子山城跡の石垣

 ぐるりと回り込んで、北へ登り詰めると有子山の山頂に達した。

 山頂は、有子山城本丸の跡。有子山城は、天正2年(1574)、山名祐豊によって築かれた。山頂の説明板が、戦国時代に揺れ動いたこの城の歴史を伝えていた。

 石垣の上から、北への展望が大きく広がっていた。
 眼下に出石の町並み。緩く蛇行する円山川の川面が曇り空を映して、にぶく光っている。町並みの向こうには水田が広がり、左右からその水田に向かっていくつもの低い山稜が龍がはうように伸びてきていた。
 さらにその奥で空を区切っているのは来日岳。そこから左へ、矢次山、三川山、蘇武岳、妙見山と続き、さらに氷ノ山が白い山影となって浮かんでいた。

 山頂の虫の声に交じって、ふもとから車の音や子供たちの掛け声が上ってきた。
 

有子山城跡からの風景

 山頂から東へ進んだ。空堀を越して登り返すと、千畳敷と呼ばれる曲輪が広がっていた。ここにはもう、木々がうっそうと茂っていた。シロダモの実は、赤く色づき始めていた。
 千畳敷を東端まで歩き、そこからシイやアカガシの幹をつかみながら急な坂を下った。空堀を一つ越えて進むと、広い道に出た。
 この道を東へ進み、256mピーク、鯵山峠を経てふもとへ下った。谷山川に沿って歩くと、ヨメナやゲンノショウコやイヌタデ、それにキツネノマゴやミゾソバやアキノノゲシなどの秋の花が目を楽しませてくれた。

キツネノマゴ ミゾソバ

 石部神社の大けやき、加藤弘之生家、弘道館跡などをのんびり見ながら歩いた。町の中心部は、朝の静けさがうそのように大勢の観光客で賑わっていた。

 我が家には、「私32皿、妻10皿、息子13皿、娘5本 1993.Aug.11」とマジックで書いた「蕎麦通の証」の栓抜きが残っている。それをもらった蕎麦屋に入り、娘が生まれたばかりの頃をなつかしく思いながら、皿そばを一人食べた。

山行日:2012年10月6日

大手前駐車場〜出石城跡〜有子山城跡(321.5m)〜256mピーク〜鯵山峠〜谷山〜石部神社〜大手前駐車場
 「出石家老屋敷」横の大手前駐車場に駐車(有料)。谷山川に架かる「登城橋」を渡ると、出石城跡。梯郭式の城跡を登ると、一番上の稲荷郭の端に有子山登山口がある。登山口から山頂まで明瞭な登山道がついている。
 有子山山頂から尾根を東に進み、地形図実線路に出て鯵山峠を経て谷山の集落へ下った。

山頂の岩石 古第三紀 矢田川層群出石累層 デイサイト質溶結火山礫凝灰岩
 山頂の南の道路脇に露頭が連続しているが、どの部分も風化が進んでいる。岩石は、デイサイト質溶結火山礫凝灰岩で、長石と石英(少量)の結晶片とチャートや黒色頁岩などの岩石片を含んでいる。
 一方、登山口付近では、流紋岩質の溶結火山礫凝灰岩が見られた。大量の石英(最大4mm)と長石(最大3mm)と少量の黒雲母の結晶片を含んでいる。また、チャートや黒色頁岩などの岩石片を含んでいる。溶結構造が明瞭で、長さ最大20mmの軽石が薄く伸ばされたレンズが見られた。

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