アポイ岳(810.2m)        北海道様似町


マントルの岩石と高山植物、北海道アポイ岳


登路より望むアポイ岳山頂

 北海道の中央南部を150kmにわたって連なる日高山脈。アポイ岳は、その南端部に連なってそびえている。

 アポイ岳の岩石は、上部マントルを起源とする「かんらん岩」。今から約1300万年前(新第三紀中新世)、プレートの衝突による日高山脈の形成とともに地表にもたらされた。
 アポイ岳周辺のかんらん岩は新鮮なものが多く、地球深部の構造やプレートの動きを探るうえで貴重である。
 岩石の性質は、そこに生育する植物に影響を与える。かんらん岩は、ニッケルやマグネシウムの多い土壌をつくる。これに加えて、夏の海霧による寒冷な気候と冬の少ない積雪が特殊な条件をつくり、アポイ岳は低山であっても数多くの高山植物が咲き、ヒダカソウをはじめとする固有種も多い。
 このような貴重な自然を有するアポイ岳は、2008年「日本ジオパーク」に認定された。

 あこがれの地、アポイ岳・・・。2016年の初秋、初めて訪れた。

 ビジターセンターから、ポンサヌシベツ川に沿って広い道が伸びていた。北海道・・・。白樺の白い林に涼しい風が吹き抜ける。
 道の案内板には、「これから日本一厳しい保護区に足を踏み入れます」、「先のとがったストックは花や登山道をいためます」の文字が並ぶ。
 登山口の入林届出所には、「熊出没注意」の張り紙。最近では、「今年の8月2日12時頃に、8合目付近登山道脇」に出ている。

 橋を渡り東へ進むと、1合目。小さな沢を渡る地点で、外来植物の侵入を防ぐための靴洗場となっている。

登山口の入林届出所 靴洗場 ブラシが吊り下げられている

 登山道は樹林の中にゆるく上っていた。トドマツやアカエゾマツなどの針葉樹に、ミズナラやホオノキなどの広葉樹が混じっている。
 ミズナラの木に「熊除け用鐘」が掛かっていた。鐘を鳴らす手に力が入る。かん高い音が森に大きく響いた。
 「今から入るでぇー。くまさん、出てこんとってよぉ〜」

 木の根道をゆるく登っていくと、第2休憩所。ベンチと説明板が設置されている。
 道は再び水平に近くなった。まだ、序章といったところ。混交林の森の中に、アオハダの葉が光を鮮やかに透かせていた。
 「アポイ岳 みんなが登る きれいな花道」 地元の小学生がつくった標語が、道のところどころに立っている。

 少し下った小さな沢のそばに第3休憩所があった。説明板の「地下深いマントルの石・かんらん岩」は、アポイ岳の岩石の貴重性を知らせていた。

 板橋を渡って先へ進む。道は斜面をトラバースするように伸びていた。林の中に、キタゴヨウが多くなってきた。
 右手の谷底から聞こえる水の音が、しだいに大きくなってきた。道がその流れと同じ高さになったところが第4休憩所。
 水のそばに、コガネギクとカワラボウフウが咲いている。鮮やかな青紫色の花は、ヒダカトリカブト。

カワラボウフウ ヒダカトリカブト

 ここから道は急になった。3合目にも熊除け用鐘。
 大きなミズナラが立っていた。ミズナラは、地面のはるか上で幹が四方に分かれ、空に向かって大きくその枝葉を広げていた。
 道にかんらん岩の露頭が表れはじめた。表面が褐色に変化している。
 転石も、かんらん岩。それにはんれい岩や蛇紋岩が混じる。どれも手に取ってみると、ずっしりと重く感じた。

3合目 「熊除け用鐘」

 道が小さな谷に沿ったところに、第5休憩所があった。説明板は、「かんらん岩がつくる固有の植物」。アポイ岳には約80種の高山植物が生育し、亜種・変種・品種を含む固有種は20種近くに及ぶという。
 ここから道は山の斜面を急登していた。道のそばに「再生実験地」がつくられていた。ここでは、増え続けるハイマツを取り除き、笹刈りや地はぎを行って高山植物の再生をはかっている。
 下から熊除けの鐘が響いてきた。
 さらに登っていくと、樹林の先が明るく開け、そこにレンガづくり風の5合目山小屋が建っていた。

 そこは標高382m地点、尾根に張り出した岩場である。山小屋を回り込むと太平洋が見えた。低い雲が水平線と平行に広がり、その雲を透かした光が海の青に濃淡の帯をつくっていた。
 岩は、かんらん岩の一種、斜長石レルゾライト。ハンマーが使えないので、岩の表面しか観察できない。斜長石の多いところが風化に強く、細い縞模様をつくっていた。

5合目山小屋へ 5合目山小屋から見える太平洋

 山小屋から、開けた岩場を登っていった。あたりは、背の低いキタゴヨウ。右手にアポイ岳の山頂が両翼を傾けていた。
 丸太階段の道が続いた。ときどき振り返って太平洋を眺めた。岩の間に、ツリガネニンジンによく似たハクサンシャジン。木の上でカケスが鳴いた。
 道の岩は表面が蛇紋岩に変化していた。濃白色や白緑色で、ぬめぬめと光を反射した。
 6合目を過ぎると、明瞭な岩の尾根になった。岩場に、エゾマツムシソウやキンロバイが咲いている。アポイミセバヤは、まだピンクのつぼみだった。

エゾマツムシソウ アポイミセバヤのつぼみ

 登山道の両側の白いロープは、歩いていい範囲を示すもの。急坂であってもつかんではいけない。
 「毒へび きをつけて」の看板。こんなところにもマムシがいるのかと驚いた。
 7合目の手前からハイマツ帯となった。ハイマツに混じって咲くキンロバイが、あちこちで黄色の彩りを添えていた。

岩稜を7合目へ向かう キンロバイ

 ハイマツの中の急坂を、岩を縫って登っていく。ハイマツの上に見えるアポイ岳の山頂が少しずつ近づいてきた。
 やがて、西尾根上の「馬の背」に達した。

ハイマツの斜面とアポイ岳 馬の背から見るアポイ岳山頂

 馬の背一帯はお花畑。初夏なら、たくさんの高山植物が見られただろうが、今はウメバチソウやアポイハハコがわずかに咲いているだけだった。

ウメバチソウ アポイハハコ

 標柱の横に立つと、太平洋からの風が吹き上げてきた。アポイ岳の北に、鋭くとがる吉田山。さらに3つのピークのピンネシリが並んでいた。
 正面に立つアポイ岳を見上げると、ここからまっすぐに伸びる岩稜を登山道が小刻みにふるえるようについていた。

吉田岳(右の鋭鋒)とピンネシリ(中央の3つのピーク)

 馬の背から山頂に向かった。ときどき、稜線に大きな岩が飛び出していた。
 岩は数方向に節理が発達し、平行に割れている。その節理の方向と、斜長石レルゾライトの層状構造の方向が斜交しているのが観察できた。

岩稜のかんらん岩


 「旧幌満お花畑」への分岐を過ぎると8合目。風が強くなってきた。今日は、午後から雨の予想。先を急がなくてはならない。
 大きな岩が連続して現れた。岩の下にエンジ色の花をつけているはミヤマワレモコウ。エゾシオガマも咲いていた。
 季節外れに咲いた、アポイアズマギクの紅紫色の花を見つけたのはうれしかった。

ミヤマワレモコウ アポイアズマギク

 9合目あたりからダケカンバの林に入った。ここは、ハイマツ帯より上である。
 普通、ダケカンバ帯が下にあって、森林限界を超えてたところからハイマツ帯となる。アポイ岳は、これが逆転しているのである。
 このような「植生の逆転現象」は、北アルプスの唐松岳(2695m)でも見られる。唐松岳も、蛇紋岩の山である(山頂部は花こう岩)。
 きわめて珍しい植生のこの現象は、地質との関係が大きいと思われるが、まだ明確に説明されていない。
 ダケカンバは、強い風のせいで曲がりくねりながら上へと伸びていた。その白い樹肌は、樹冠の緑の下で薄日を浴びて白く映えていた。

山頂付近のダケカンバ林

 ダケカンバの中の細い坂道を登り詰めると、山頂に達した。10時25分。歩き始めてからちょうど3時間。
 山頂には三角点が埋まり、小さな祠がひとつ祀られていた。先行の女性が一人、岩の上に座っているだけの静かな山頂。
 風にダケカンバの葉が揺れ、樹上でサワサワと音をたてた。
 木々の間から太平洋が見えた。海岸線をずっと南へたどると、昨日訪れた襟裳岬がかすんだ海に突き出ていた。

アポイ岳山頂

 アポイの名は、アイヌ語の「アペ(火)・オイ(多い)・ヌプリ(山)」が省略されたもの。昔、アイヌの人々がこの山で火を焚き、鹿の豊猟を神に祈ったという伝説に由来している(山頂の説明板より)。

 下りは、旧幌満お花畑を経由するコースを歩いた。雲が一時的に切れ、青い空と青い海が眼下に広がっていた。

下山時に見た太平洋

 アポイ岳の高山植物は、盗掘やハイマツの侵入などによって、50年ほど前の5分の1まで減ってしまった。ヒダカソウなどの貴重な固有種が絶滅の危機に瀕している(「アポイ岳ジオパーク ガイドブック(2013改訂)」より)。
 今アポイ岳では、残された植物を保護し、さらに再生するために、できる限りの対策がとられている。
 今回、アポイ岳に登ってみて、この自然の貴重性やそれを守ることの大切さを山全体が語りかけているように感じた。
山行日:2016年9月8日

アポイ岳の岩石については、これからページを作成します。

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