竹野浜の路地裏歩きと青井石 竹野浜路地裏マップ(たけの観光協会HP) 1.竹野の町の青井石 「北前館」で、北前船の模型や竹野海岸ジオサイトの展示を見てから出発です。まずは、「なごみてぇ」で食事。もうここは、マップにある巨大迷路区域の真ん中です。 竹野の町は、細い道が迷路のようについていて地元の人でも迷うことがあるそうです。「路地裏マップ」の@番から順に歩くことにしました。 始めは「北前船船主邸」。竹野は、北に突き出た賀島山(猫崎半島)が西風を防ぐ絶好の地であり、江戸時代から明治時代にかけて、北前船の寄港地として繁栄しました。幕末頃には、竹野は但馬一の廻船の数を誇りました。竹野の廻船は、木材や青井石を運んで、他の地域より遅く明治30年代まで運航したといいます。 船主邸の板塀が長く延びた路地の先には、青い海と空が広がっていました。
ときどき道に迷いながらも、マップの道順をたどっていきました。マップの裏に描かれた各ポイントのスケッチと目の前の風景を見比べながら進んでいきます。 「鷹野神社」は町の中心にあります。この神社には鳥居が3つありますが、その中の二つが青井石でできていました。黄褐色の火山礫凝灰岩です。 鳥居の青井石の岩肌を観察すると、大きさ1cmほどの岩石片(火山礫)が多くふくまれています。岩石片の種類は、黒色の安山岩、黒色の頁岩、緑色凝灰岩、橙色の砂岩、軽石などと多様です。岩石片が抜け落ちた穴もたくさん空いています。
灯篭も多くが青井石でできています。表面を観察すると、軽石や他の種類の岩石片が抜けた穴が多く空いています。 ほとんどの岩石片は、力を受けて変形した形跡がありません。しかし、それらの形がやや扁平で、同じ方向に並んでいるところも見られました。部分的に弱く溶結しているのかもしれません。 灯篭は一部が修理されていて、花崗岩や緑色凝灰岩で補われているものがありました。
9月になったというのに、蒸し暑く、風もほとんどない一日でした。日差しも射しこんで、路地裏歩きもなかなか大変です。コースの周辺部は省略して、中心部だけを歩くことにしました。 民家の壁は、焼き杉板がたくさん使われています。路地の向こうに、日本海や竹野川の見えるところがあります。 「路地裏マップ」のE番は「トトロの世界!」。どこがトトロなのかと二人で考えました。 青井石は、町のいろいろなところで見られました。家の基礎や段差などに使われていて、竹野の町に古く落ち着いた趣きをつくっています。
「御用地館」は、300年以上の歴史を持つ庄屋「住吉屋」を改修した歴史資料館。ここで、土間や囲炉裏のある家のつくり、北前船で使われていた海図や道具の展示を見て、竹野橋へ向かいました。 竹野橋からは竹野川の両岸に竹野の町並みが見えます。護岸に沿って、漁協や焼き杉板の民家が並んでいます。小さな船もいくつかつながれています。左岸の向こうには、猫崎半島の3つの小山が並んでいます。 川面は空を写して青く、橋の上にはほんの少しだけ海からの風が吹いていました。
橋の向こうにも路地裏歩きのコースが続いていますが、暑いので今日はここでおしまい。川沿いの道や路地を通って帰りました。 2.青井石 後日、青井石の産地を訪れました。竹野浜の東にある小さなが入江が青井浜です。その青井浜に面した山すそに採石場跡があります。 青井石はもう採石されていませんが、現在もここを管理されている「東石材店」の許可を得て中に入らせてもらいました。
採石跡の切り立った崖の下に、大きな岩がいくつも重なっていました。 表面が地衣類におおわれているので、外からはどんな岩石なのかわかりません。 その中のひとつを割ってみると、黄褐色の青井石が現れました。そこからわずか50cmほど離れたところは緑灰色です。 東石材店のご主人に、本来の青井石は緑灰石の方だと教えていただきました。緑灰色の青井石が風化すると、微細な水酸化鉄鉱物や酸化鉄鉱物ができて黄褐色になると考えられます。 採集した標本を観察しました。青井石は、デイサイト質の火山礫凝灰岩です。 大きさ1cm以下の岩石片(火山礫)に富んでいるのが最大の特徴です。岩石片の種類は多様で、安山岩〜流紋岩の火山岩、泥岩(頁岩)や砂岩などの堆積岩、凝灰岩や軽石などです。軽石は風化によって完全に変質していますが、繊維状の構造が残されています。 基質は火山灰などの細粒物質からなっていますが、ほとんど粘土鉱物などに変質しています。基質の中に、1mm程度の斜長石の結晶がふくまれています。
この地域には、北但層群が分布しています。北但層群は、新第三紀中新世、日本海が開いて日本列島ができる過程で生まれた地層です。そのとき、このあたりでは大規模な火山活動が起こり、火山から噴出した火山灰や火山礫が堆積しました。 青井石を生み出した地層は、北但層群の中の豊岡(累)層とされていました。しかし、北但層群の層序の見直しが進み、八鹿層上部の今子デイサイト部層と考えられるようになりました(安野敏勝・松岡敬二 2007:安野敏勝・三木武行 2022 など)。 安野敏勝・松岡敬二(2007)兵庫県豊岡市竹野海岸からの前期中新世淡水貝類および淡水海綿化石.豊橋市自然史博物館研報,No.17,13-17 安野敏勝・三木武行(2022)中新統北但層群の層序の再検討.福井市自然史博物館研究報告,69,11-20 ■岩石地質■ 新第三紀中新世 北但層群 |