権現山(253.2m)高巖山(278.1m)       相生市     25000図=「二木」

磐座神社から

巨岩をいだく権現山・高巖山へ
権現山と天狗岩 高巖山北峰

  相生市北部の矢野町に、巨岩をいだいた山塊がある。この山塊の南にあって、山頂下に切り立った大きな三角形の岩壁をもつのが権現山(ごんげんやま)。その北にあって、岩壁と岩塔が二つの角をつくっているのが高巖山(たかいわやま)である。ホームページ『とんび岩通信』「高巖山と権現山に登る」を見て、かねてより訪れたいと思っていた山だった。

 権現山の南西麓に、権現山を神体山とする磐座(いわくら)神社がある。この神社の歴史は古く、万葉集の「妻ごもる 矢野の神山露霜に にほいそめたり 散らまく惜しくも」の歌は、柿本人麿が磐座神社境内の紅葉を見て詠んだと言われている。(「矢野の神山」が権現山ということになる。しかし、「矢野の神山」の比定地は他にもあり、実際のところはどこか分かっていない。)

 磐座神社の左脇から、神社裏を斜めに上っていく小道がついている。スギの下には、シキミや赤い実をつけたマンリョウ、分布が西播磨に局在するコヤスノキの幼樹がところどころに生えている。急な斜面を上ると、尾根に出た。尾根を進んでいくと、小さな高みに大きな岩が立っていた。この岩の立つ小ピークを龍王山という。岩の高さは7、8m。上部は丸く、下部は斜めに切れている。その巨岩を、下でいくつかの岩が支えている。巨岩の下の空いた空間には、磐座神社奥の院と龍王社の二つの小さな祠が納められていた。あたりには、瓦の破片が散在し、周りに並べられた直方体の石も朽ちかけている。これらは、かつてここにあった円応寺の名残なのかもしれない。

磐座神社 龍王山の巨岩

 龍王山から雑木の尾根を上っていく。ヤマモモ、ソヨゴ、アラカシの常緑広葉樹にアカマツやネズミサシの針葉樹、葉をすっかし落としたアベマキ、コナラの落葉広葉樹が混じる。傾斜が急になり、地表に飛び出した岩を縫うようにして上っていくと、権現山の山頂に達した。
 山頂のすぐ下に、大きな三角形の露岩「天狗岩」があるのだが、山頂からは見ることができない。山頂に重なった岩石は、風化の激しい凝灰岩でできている。割れ目が不規則に走り、表面からはがれ落ちやくなっている。そんな岩に、アカマツがねじれながらはりついていた。南西から強い風が吹いてくる。ビュービューと木々の枝葉が鳴る山頂を後にして、北に向かった。

高巖山北峰(左)と南峰(右)
権現山の北より

 高巖山への尾根道は、コシダの中に消え入りそうだった。左右からの枝を払いながら進んでいった。ときどき、大きなヤマモモの木が立っていた。
 権現山の頂上から、30分程度で四等三角点のある高巖山南峰に着いた。山頂の西は、スパッと切れ落ちた大きな岩壁で、その下にゆるくS字状に曲がった播磨テクノライン(県道44号線)が見える。振り返れば、権現山の鋭鋒の右に、テクノラインをはさんで感状山の城跡が指呼に見える。感状山から、目で稜線をずっと北にたどっていくと、底の乱れた暗い雲の下に三濃山のなだらかな山体があった。

 風が強く、雲の動きが速い。日が射したかと思うと、あっという間にかき曇って雪が真横から舞い飛んでくる。雪があられになったかと思うと、また晴れ間がでるといった具合であった。

権現山(左)と感状山(右)
高巖山南峰より
雪の権現山

 南峰を下って、岩稜を北峰へ。北峰手前の横になった大きな岩を、風であおられないように這いながら越した。南峰はにょっきり突き出た岩峰でできている。高さは、ゆうに10mを越えている。淡く紫がかった風化の激しい凝灰岩である。

高巖山北峰

 岩の右から反対側に回り込みながら上ると、この岩峰の上部に出ることができる。しかし、最後の3mほどは岩の凸部をホールドしながら攀じらなければならない。高いところは苦手だし、この風では……。新年早々であろうとなかろうと、こんなところから落ちるわけにはいかない。とんび岩さんのように、岩の上に立って帽子を振るなんてことはとうていできない。あきらめて降りようとしたときに、風がおさまった。意を決して、這い上った。たしかに一番高いところに手を置いた?……。

 ジェットコースターから降りたときのようなホッとした気持ちで山を下った。里の木々には、ホオジロが遊んでいた。

山行日:2003年1月4日

山 歩 き の 記 録

光専寺(矢野町森)〜盤座神社〜龍王山〜権現山(253.2m)〜高巖山南峰(271.8m)〜高巖山北峰(Ca.280m)〜八幡神社(矢野町能下)〜(県道44号線)〜光専寺

 播磨テクノライン(県道44号線)を車で北上。相生市矢野町森の光専寺(地形図卍記号)の駐車場に車を止める。テクノラインと小さな橋を渡って、北に少し進むと磐座神社がある(地形図鳥居記号)。神社の境内には、「コヤスノキ叢林」や「神社由緒」の解説板、「矢野神山万葉歌碑」が立っている。また、社殿の左には御神体のひとつ「座光石」が祀られている。
 磐座神社の左脇から、スギの植林の斜面を南東へ小道がついている。尾根に出てから方向を北に変えて進み、達した小ピークが巨岩の立つ龍王山である。さらに主尾根を、権現山、高巖山南峰、北峰と辿っていった。
 高巖山北峰からは、北へ明瞭な尾根道がついていた。榊と能下を結ぶ峠道(破線路)に出て、能下に下り、テクノラインを通って光専寺に戻った。

   ■山頂の岩石■ 白亜紀  相生層群鶴亀累層  流紋岩質溶結凝灰岩

権現山山頂の岩石
 権現山の天狗岩を下から見ると、紫がかった褐色の岩肌に細かい割れ目が発達している。この割れ目は、岩の中央上部から左右に広がりながら下へ走り、この割れ目に沿って岩がはがれ落ちることによって天狗岩の岩壁ができている。
 この山域には、白亜紀の相生層群鶴亀累層の流紋岩質溶結凝灰岩が分布している。
 磐座神社の「座光石」は、上から落ちてきた転石と思われるが、チャートや流紋岩などの岩石片を多量に含んでいる。龍王山の巨岩は、岩石片が少なく、石英の斑状結晶を多く含んでいる。
 権現山や高巖山の山頂付近の岩石は、岩石片をほとんど含まない流紋岩質凝灰岩である。多くの石英と長石の斑状結晶を含んでいる。風化が著しく、岩体の表面からはがれ落ちやすくなっている。
 また、溶結凝灰岩中には、流紋岩溶岩がはさまれている。権現山の手前の流紋岩溶岩には、自破砕構造が観察された。


※ 相生・赤穂・上郡地区の鶴亀累層は、姫路地区の夢前累層に対比されている。

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