夜想花 「レネー……レ…ネ……」 fin あとがき
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痛みと熱に魘されたエドガーは、何度もマッシュの名を口にしていた。
侍医頭は成す術もなく、時折エドガーの体の痛みを和らげるための薬を煎じては飲ませていた。
大臣は信頼できる側近を集めて、
フランセスカはエドガーの傍らを離れず、彼の手を握り締めている。
「お父上もお母上もまだ貴方様を天にお召しにはなられません、きっとマッシュ様がお助けに!!」
と祈るばかりである、マッシュを信じて。
夜が明け、日が昇り、また沈み。
マッシュは眠ることなく鍛錬した。
そして橙色に輝く朝日の中で自身の分身達が真紅の炎をまとい、陽光の中を舞い上がるのを見た。
「師匠!!!」
「うむ。よくやった、マッシュ!!」
「師匠……」
マッシュの蒼い瞳は煌々と耀いた。
「油断はならぬぞ。かなり体力も消耗しきっているようだ。だが、時間もない。マッシュくれぐれも集中力だけは失うのではないぞ。まだ技を繰り出すのに安定はしておらぬからの」
ダンカンは微かに懸念の表情を見せたが、すぐにいつもと変わらぬ厳しい瞳をマッシュに向けた。
「マッシュや…。これを持っておいき……」
小屋から出てきたダンカンの妻は、マッシュに包みを手渡した。
「お腹が空いては何もできませんよ。育ち盛りのあなたには少ないかもしれませんがね」
「奥様!!」
「わしは、ここでお前の帰りを待つ。マッシュ……必ず帰ってくるのだぞ……。8年前は、まだ夜想花の咲く湖を探し当てていなかった。惜しくも、お前のお父上を救うことができなんだ」
「師匠!」
マッシュは自身より背丈の低いダンカンの両肩に手を乗せた。
「もしも私が帰って来れなかったら、兄貴も助ける事ができません。そうなったら……そうなったら…親父やお袋に合わせる顔もありません。必ず帰ってきます!!!」
ダンカンは頷き、肩にあるマッシュの手に自身の手を重ねた。
「今から山へ登れば、ちょうど月が天空に昇った頃に夜想花の咲く湖に着くであろう」
洞窟へ辿り着いた頃には日は沈み、夜の帳が下りていた。天空には黄金色の月。その王者のような耀きで宝石のような星々さえも控え目に光りを放っているようである。
コルツ山を登るのに雑作はなかった。だが、横ばいになってマッシュの肩が辛うじて通れる程の狭く暗闇の洞窟は想像よりも遥かに困難な道のりである。
時折現れるモンスターに手投げの小さな武器で退治した。見えない敵の爪や牙が何度か体に突き刺さった痛みが走ったが、幸いかすり傷程度であった。
数時間暗闇の洞窟を匍匐前進で突き進んだマッシュは、体力と精神の限界が近かった。しかし漸く彼の視界に出口らしい蒼い光りが見えた。
マッシュはその光りのさす出口へと一心不乱に突き進んだ。
だが、徐にその光りが遮られて行く。不審に思いつつも先を急いだマッシュは出口を塞いだどす黒い獰猛なモンスターに恐れおののいた。
息を潜め習得したばかりの技、鳳凰の舞を繰り出そうとしたその時、首や手足、胴体に蔦のようなものが巻きついてきた。
「うぅ……!」
その蔦は次第にマッシュの呼吸気道を狭めて行く。ゆっくりとまるで弄ぶかのように締め上げてくる蔦。手足の自由も利かず呼吸困難に陥った。
薄れる意識の中、異形の花の絵が浮かび上がる。斬新な動きで描かれる異形の花の絵。その絵筆を持った人が眩しいほどに美しくやさしく微笑みかける。
自分と同じ透き通る青いオアシスの瞳。耀く黄金色の軟らかく長い髪は春の風に靡いていた。
「……ロニ……」
――レネー……
「あ……に……」
マッシュは自分の名を呼ぶ声に反応した。ぐいぐいと自身を絞め付け、体に食込んで来る蔦。最早、痛みは感じられなかった。
――レネ……
感覚のない体。だが朦朧とする意識の中、幻聴なのか何度も自分の名を呼んでいる兄の声が木霊している。
マッシュは息も絶え絶えに必死で兄の名を叫んだ。
「………ニ……」
――ロ……ニ……
声にならぬ声で何度も繰り返す。
――ロ…ニ……!! ロ……
「ロ…ニ……ロニーーー!!!」
叫ぶ声、そして激しく風が舞い上がる奇妙な音の協奏曲が聞こえてきた。
真紅の炎を纏った自分によく似た妖精達が目前で華麗にダンスを繰り広げている。瞬く間に拘束されていた体は解放され、首にも巻きついていた蔦は所在無さげにぱらぱらと砕け散った。
目前の視界に光りが走った。マッシュは躊躇なく、月の光へと導かれるようにして先へと進んだ。
あまりにも美しい湖がマッシュの前に広がっていた。漣立つ湖面に円に近い形をした蒼月が風の流れにまかせて浮かんでいる。
真っ青な湖底。
マッシュは湖に足を踏み入れた。ゆっくりと湖底へと沈んで行く、まるで引き寄せられるかのように。
だがそれほど深くない湖底に足を着いたマッシュは驚嘆の吐息を漏らした。
そこは一面、蒼く毛足の長いベルベットの絨毯が敷き詰めてあるようであった。その毛並みはとても繊細でふわふわと所在無いように漣に揺れている。そして絹糸のようなその蒼い糸に所々散りばめられた黄金色の小さな珠。
これまでに見た事のない美しい彩を放ち優雅に揺れている夜想花。だがその妖艶に揺れる異形の花は不気味な生き物のようにも見えた。
蒼い絹糸がゆらめき、金の粉は舞い上がり、きらきらと満月の光りが降り注ぐ。マッシュは蒼いベルベットの絨毯の上でまどろんだ。
最早息もできない。だがその苦痛さえも感じられない。マッシュは蒼いベルベットの絨毯に包まれるようにして横たわった。
とても穏やかになった。疲れきった体が癒されるように、その花の絨毯に包まれた。
「陛下?!」
神官長フランセスカは握り締めていた意識のない主の手に異変を感じた。弱々しく握り返す主の手。
「陛下!」
数日開くことのなかったエドガーの瞼がぴくりと動いた。そしてゆっくりと小さく開いた瞼の奥に蒼く揺れたガラスのような瞳が見えた。
「陛下!!」
主が意識を取り戻したことに神官長は涙する。額の汗でエドガーの端正な顔を包むように流れる金糸もしっとりと濡れ、耀きを増したかのように思われた。
「……レ……」
微かに動いた唇。瞼の開ききってない蒼のオアシスは揺れながら天蓋に向けられている。
「陛下?!」
フランセスカは立ちあがり、天蓋を仰いでいるエドガーを覗きこんだ。だが、その瞬間愕然とする。漸く意識を取り戻した主の瞳に
「……ネ……」
エドガーは白に近い桜色の唇を微かに動かす。
「エドガー様?」
フランセスカは、それでも僅かな希望を捨てずに、エドガーの口許に耳を近付けた。エドガーが何かを言おうとしているその言葉に。
「……ネ……レ……ネ……」
「レネ……。マッシュ様? マッシュ様がどうなさったのですか?!」
「レ…ネ……。レネー……レネー!」
エドガーの虚ろな瞳は何も映さず、儚げな桜色の唇からはもう何年も会っていない最愛の弟の名が繰り返された。
「エドガー様!! しっかり! しっかり!!」
フランセスカは千切れんばかりにエドガーの手を握りしめた。
「レネー! レネーー! レネ――――!!」
狂乱したかのように弟の名を叫び続けるエドガー。
「陛下!!!」
慌てて王の眠るベッドのカーテンを払い除け入ってきた侍医頭は涙ながらの瞳をフランセスカに向けた。
「……発作です……」
「どういうことです?! このとおり、陛下はやっと意識を取り戻されたのです!」
「いえ、徐々に体を蝕む毒とそれを阻止しようとする高熱に魘され……」
侍医はうっすらと濡れた瞳をフランセスカの視線から逸らした。奮える肩をしっかり押さえながら、エドガーに苦痛を和らげる為の薬湯を与え発作を鎮めた。
だが浅い眠りに就いたエドガーは何度も弟の名をうわ言のように呼んでいた。
――レネー
――レネー……
マッシュの頬に軟らかい手が触れた。
長い眠りから目が覚めたように起き上がったマッシュ。
――ダメだよ、そんな所で寝たら、また熱が出て、ばあやにお叱りをうけちゃうよ。熱がでちゃったら、またレネーは寝室から出れなくなっちゃうんだ……
――ロ……ニ?
――うん。僕だよ、レネー
――ロニ! ロニいたんだ。僕ロニがいなくなっちゃう夢を見て泣いちゃったんだ
――僕はどこへもいかないよ。ずっとレネーと一緒だよ
――ほんと?
――あぁ、ほんとだよ、どこへも行かないよ
――約束する?
――約束する……
――良かったぁ……ロニがずっと側にいてくれたら僕はもう泣かない、強くなるんだ! きっと
――うん……さぁ、おいで。そんな所で寝ちゃったらいけないよ。レネーにいいものを見せたいんだ
――いいもの? なぁに?
――こっちへおいで
『ロ……ニ……』
マッシュは朧げに目を開けると蒼く美しくそして不気味な異形の花がキャンバスに描かれているのが見えた。
ぼんやりとした意識が次第に戻ってきたマッシュの脳裏に幼い頃の記憶が映し出された。ダンカン師匠から幻の花の話を聞いて、帰ってすぐに兄エドガーにその話をした。
兄エドガーは数日後、いいものを見せたいと病み上がりのマッシュの部屋を訪れてきた。
半ば強引に手を掴まれ、エドガーの部屋に連れてこられたマッシュは言葉なく息を呑んだ。
目の前にあるキャンバスに描かれた何とも妖艶で不気味な花。それはとても美しいようで不気味な異形の花の絵であった。
『レネーから聞いたイメージで花を描いてみたんだけど……やはり僕は絵の才能ないよね』
そういった兄エドガーは、滅多に見せた事のない、照れの含んだ優しい笑顔を見せた。
何事にも長けていたエドガー。機械の設計図は芸術的な図面を描く兄なのに、
マッシュは蒼の絨毯から起き上がった。
「危うくこのまま、この不気味な花の上で永遠に眠りそうになったぜ……。兄貴が描いた“異形の花”……とても不気味だったなぁ……できるなら、この咲き乱れる妖艶な蒼の絨毯、本物の夜想花をみせたいぜ!」
意識を取り戻したマッシュはなよなよとした夜想花を何本も手折り、その湖底の水と共に大事にプラスチックの容器に収めた。
「もう少し辛抱してくれよ、兄貴! もう少しだからな!!」
マッシュは急ぎ洞窟へと引き返した。
東の空がほんのりと白み始めた朝靄の中、マッシュは無我夢中で下山した。漸く麓に辿り着いた時には東の空は薄紫と橙色の混じった雲が彩っていた。
「師匠!! 師匠、戻りました!!」
マッシュは小屋の扉をけたたましく叩いた。
ややあって、静かに扉が開かれた。
「やれやれ、この古い小屋の扉を壊さないでおくれよ」
「……すみません……」
「まぁいい。扉など壊れてもすぐに元通りになるさ。それより……マッシュ……」
ダンカン師匠は目を見開いてマッシュの透き通る蒼いオアシスを見上げた。
「よくぞ、無事帰ってきてくれた」
ダンカンは、しっかりとマッシュの手を握り締め、やがてマッシュの温かい手が重なり合った。
マッシュは何も言わず深く頷いた。
ダンカンは早速、マッシュの持ち帰った夜想花を、解毒薬となるよう調合しはじめた。その横でマッシュは1輪の花を手に取った。
世界でただ一つ、あの湖底に満月の夜にしか咲かない花。朝日が昇れば儚く散ってしまう異形の花。
砂漠へと向かう洞窟を抜け出でた頃には、果てしなく続く広大な砂の海を朝日が黄金色に耀かせていた。
マッシュは急ぎフィガロ城を目指した。
漸く辿り着いた正門はやはり厳重な警護で固められていた。マッシュはいくつかの裏門へと回る。
「…お前は……!」
裏門の警護にあたっていた一人がマッシュの顔を覚えていた。
マッシュは咄嗟に顔を隠した。まさか自分を知っている者はいないと思いつつも、
「神官長様の使いの者だな」
濡れ衣をきせられ、地下牢に閉じ込められたマッシュを自分の手下の者と言い、裏門から出してくれたフランセスカ。その時いた衛兵なのであろう、マッシュの顔を覚えていた。
「そうだ。火急の用だ。神官長様に至急お取次ぎ願いたい」
暫くしてマッシュを神官長待つ部屋へ赴くようにと言われる。しかし、マッシュは頑なにそれを断り、この場所へ神官長にきてもらえるよう懇願した。国王の側近、神官長のような高官の者を裏門に出向いてもらえるには多少の困難もあるとは承知の上でマッシュは衛兵に頼み込んだ。
そして思ったよりも早く現れた神官長フランセスカは裏門の外に立っているマッシュを確かめると、衛兵達を後ろへと下がらせた。
「まぁ、マッシュ様!! よくぞご無事で!!」
「ばあや! 約束しただろ。俺が兄貴を助けるってさ!」
「マッシュ様……」
フランセスカはうっすらと涙を浮かべマッシュを見上げた。
「これを侍医達に早急に渡してくれ。これを飲めば兄貴は助かる!!」
そう言ってマッシュはフランセスカに小瓶と薄紙に包まれた小さな冊子のようなものを手渡した。
「じゃ、ばあや、元気でな!」
「マッシュ様?! 帰ってきたのではないのですか? 陛下のお側に……」
フランセスカは小さな肩を微かに振るわせた。
「ばあや、すまない。もう少しだ。もう少しだけ行かせてくれ! きっと立派になって胸を張って帰ってくるよ。兄貴の前に堂々と帰って来れる日がきたら!」
マッシュは、ばあやの小さな肩に大きな手をそっと置いた。
「マッシュ様!! どうぞご無事で……」
「あぁ、俺は大丈夫だ。兄貴を頼んだぞ!! あ、それと、その薬の出所は決して他言してはいけないよ!」
「心得ました。いってらしゃいませ、マッシュ様」
マッシュは太陽のように明るい笑顔でフランセスカに別れを告げ、砂の海へと去っていった。
神官長が国王の寝室の扉を開けるとバルコニーからの乾いた微風が彼女の後れ毛を揺らす。国王の寝室では1週間ぶりに光が差していた。フランセスカは晴れやかな気分で奥へ進んだ。
ベッドのカーテンは開けられており、エドガーは起き上がっていた。陽を浴びて燦然と耀く金の髪は肩から腰へと豊かに波打っている。ほんの少し痩せたようだが、顔色も良くなり病み上がりとは思えないほどいつもと変わらぬ美しさである。
「ばあや、心配かけたね」
「エドガー様!」
フランセスカはうっすらと涙ぐんだ。
「着替えをして執務にかかりたいんだけど、もう1日の静養と言われてね……」
エドガーは肩を竦めた。
「まぁ、珍しいですね」
フランセスカはエドガーが描いている絵を覗きこんだ。
「夜想花というそうだ。名前は美しいが、奇妙な花だ」
「いやはや……言い伝えでは聞いておりましたが、まさかこのような幻の花があったとは夢のようでございます」
侍医頭はそう言って何度も感嘆していた。
「夢を見たんだ。幼い頃、マッシュに聞いた幻の花。あいつは、本物の花にあえたのかな……」
エドガーはそう言って、押し花にされていた夜想花をフランセスカに見せた。思えばマッシュはこよなく花を愛でていた。か弱き少年があんなにも立派に成長したのを目の当たりにしていたフランセスカはエドガーに知らせたくて仕方がない衝動をぐっと堪えた。
「旦那様、お城からこれが届きました」
「有り難いのぉ。毎月、忘れずにご援助くださる。我々の修行に先代から継いで、今の陛下までも」
ダンカンは届けられた包みを厳かに開けた。
「こ……・これは!」
吸い込まれそうなほどの蒼い異形の花。その形相は美しくもあり、とても奇妙で妖艶でもあった。
「マッシュや……」
ダンカンはマッシュにその異形の花“夜想花”の描かれた絵を渡した。
その絵画を見るなり、マッシュはくすっと笑った。
「学問も音楽も何でも秀でている兄貴、ましてや機械の図面を描いたら右に出る者いないほどに長けているのに、ほんと、
「遅かりし誕生日プレゼントかね? マッシュや。双子とは不思議なものよのう。遠く離れていても、まるで心が通じ合っているようじゃ」
「師匠……!」
「修練の小屋にでも飾っておくがいい。この度は、よう頑張った。お前もあと少しで一人前じゃの」
ダンカンはそうい言って深く刻み込まれた皺を強調するかのように大きく微笑んだ。
「師匠……」
マッシュはダンカンの元に万感の思いを込めて跪き
ダンカンは短く切られた師弟マッシュの金の髪を優しく撫でて、そっと去った。
――ロニ!! あと少しで俺、立派になって帰るからな! そんときは、俺が今度こそは兄貴を守ってやるぜ!! それが俺のずっと子供の頃からの夢さ!
――レネー。ありがとう。ありがとう!! いつか、逞しく立派になった、お前に会える日を心待ちにして私も頑張るよ!
長い年月離れ離れの双子は、夜想花を通してお互い同じ日に生まれた喜びを分ち合った。離れていても通じ合う心、絆は強く結ばれていた。
エドガーが本格的にリターナのメンバーとして動き出し、コルツ山で必然的ともいえる、弟マッシュとの再会を果たすまで、あと約1年と少しである。
このお話は昨年のフィガロ兄弟お誕生日記念にと
書いていたものでしたが……
途中でずっと放置しておりました(^-^;
ふと思い立って完成させたものの…
前作「knot
だらだらと長くなってしまいました。
たいしたこと書いてないのに(爆)
ところで、余談ですが、陛下って
絵だけは苦手そうなんですよねぇ。。。
なんてそれは私の“勝手なmy設定”なんですけどw
あと、“鳳凰の舞”の習得時期に関しての
突っ込みはご遠慮ください(苦笑)
これ仕上げる随分前(今年始めに)、
夜想花のイメージ絵描いたのですけど、
ヘタクソ加減が陛下の何百倍でもあります(苦笑)
とにかく“奇妙な”(ヘンなともいう(^-^;)
花のイメージを描いて見ました。→『夜想花』
2003.5.11 Louis
Wallpaper:Cosmic shower様