夜想花



 マッシュは半年に一度、1月と8月に修行を休んでサウスフィガロの町に出向いていた。
 8月は一年の中で一番街が賑わう月である。何故なら16日は、フィガロ国王の生誕の日である。その日は国民に城内の広大な庭園を開放し葡萄酒や瑞々しい果実等で身分問わず国民をもてなすのがフィガロの古くからの仕来りであった。
 また現国王は類無い美しい容姿の持ち主だとの噂が異国にまで広まったが故に、その若き国王の姿を一目見ようと遠路はるばるやってくる者達もいた。
 城を出て8年。幼少の頃病弱だったマッシュは、強くなりたい、兄を守れるくらいになりたい、ただひたすらそれだけを願い、ダンカン師匠の元で休むことなく修行を続けてきた。
 そのマッシュは毎年8月16日の早朝に下山し、サウスフィガロの喧騒の片隅で双子の兄の誕生を、そして同じ日に生まれた自身へ慎ましやかに祝いを述べた。
 サウスフィガロからフィガロ城へは目と鼻の先である。帰ろうと思えばいつでも帰れたが、一人前になるまで城へは戻らぬ、兄の前に姿を現さぬと強い決心をして城を出たマッシュは、この街より先に行く事はなかった。


 午前10時前だというのに町は驚くほどの人達で賑わいはじめていた。観光客をもてなす為の露店なども開かれている。中には城へは行かず、この街でそういった露店を見歩く庶民達も多数いた。マッシュもその一人である。
 時折豪華な車がチョコボ先導に街中を走り去る。招待された他国の貴族達が11時から始まる城内での儀式に参賀するために城へと車を走らせていた。


「やや遅れたが気にする事は無い、手筈通りだ」
 ぶらりと歩いていたマッシュはすぐ横を足早に通りすぎた三人の庶民の声を小耳に挟んだ。真中の長い金の髪が眩しい女が一番に視界に入った。その両脇にいかつい体躯の男二人。三人とも茶褐色の綿素材などの目立たぬ質素な衣装を身にまとっている。
 しかしマッシュが瞬時に不審に思ったのは先ほど小耳に挟んだ声、真中の髪の長い女の声は明らかに身なりに相応する女子、、、、、、)の口調ではなかった。
 次の瞬間マッシュは彼らの後を付けていた。
「国王がバルコニーに立たれるのは14時…」
 ややあって腰まである金の長い髪を持つ女が言った。
 一本道の突き当たり、三人が向かうのは簡素な造りのホテルであった。そのホテルの道を挟んでの隣には異国の貴族達が滞在する高級ホテルが並んでいるのも不思議な光景ではあった。
 マッシュは急ぎ細い路地があったところまで戻ると、足早にそこから屋根伝いに大きく飛び越え、あっという間に彼らが向かう先のホテル玄関脇にある叢に身を隠した。
 女の顔を見たマッシュは、はっと息を呑んだ。眉目良い顔立ちだが、先ほどの凛とした声とは想像つかぬほどの年若い少女であった。
 ホテルの玄関に姿を消す少女を見送りながら、ふとマッシュの胸に不安が過った。帝國の新鋭将軍。魔導の力を持つ女将軍の噂は耳にしていた。
――まさか、あの少女が……。
 マッシュの脳裏に先ほどちらっと見た少女の顔が映し出される。まだあどけなさの残る美しい顔立ちだったが、雲一つ無い青い空色に似た瞳は一際目立ち、ただの少女ではない印象を与える。


――国王がバルコニーに立たれるのは14時―――


 国王暗殺
 開きかけた口を閉じたマッシュにその四文字が浮かび上がった。
 しかし本日のフィガロ城は正門以外の全ての門、裏口等には錠が下ろされた上に厳重な警備が張られ鼠一匹たりとも正門以外からは侵入できない。
 城を訪れた国民達は大勢の兵士達に一人一人ボディチェックをされる。招かれた身分の高い者達でさえもチョコボ舎にて車から降りた後、形式的にチェックをされる。
 だが、彼らは刺客なのだ。計画は綿密にたててあるだろう。
 マッシュは小さく舌打ちをした。自分一人で何ができると言うのだ! ましてや城を出た身。まだ一人前として修行を終えてない自分に何ができるというのだろう? しかし兄は今、危険に晒されている。
 選択は一つだ。
 意を決したマッシュが立ち上がろうとした時、先ほどの男二人がホテルから出てきた。女はいない。
 女を捜すべきか男達を追うべきか思案の余地もなく、人ごみに埋もれ見失いそうになった男二人を追いかけるべくマッシュはホテルを離れた。




 朝の光を受けて見事な輝きを見せるエドガーの長い金の髪に慣れた手つきで櫛を入れる女官。鏡越しに何気ないいつもの日常会話が交わされ女官は手際良く国王の髪を整える。
 だがこの日、いつもと違うのは髪を束ねるリボンだ。
「おはようございます、エドガー様」
 髪に少し白いものが混じった老婦人の神官長が黒塗りの小さな箱を手にし、部屋へ静かに入ってきた。
「おはよう、ばあや。今日は一段と艶やかに美しいね」
 エドガーは年齢に関係なく女性への挨拶は何かしら歯の浮くような言葉が自然と出る。
 神官長はそっと優しく微笑んでその挨拶に答えるのも束の間、次の瞬間にはいつもの厳格な表情に戻る。
「今日で8回目です。これをお持ちするのは……」
 と言った神官長は手にしていた小さな箱の蓋を開けてエドガーの前に差し出した。開かれた黒塗りの箱には二本の蒼い絹のリボンが丁寧にたたまれて納まっていた。
 エドガーは手前の方のリボンを手に取った。先端の裏を返して見ると少し濃い色の糸“Roni”と刺繍がしてある。それを女官に渡すと彼女は恭しく受け取り、エドガーの髪を束ねた。
 そしてもう一つのリボン。エドガーはそっとその絹を人差し指で触れた後、先端を裏返した。“Rene”と刺繍されている。それを感慨深く見入っていたエドガーに声を掛けようとした神官長だったが、それよりも先にエドガーが口を開いた。
「あれから8年か……」
 そのリボンの記憶がエドガーの脳裏に断片的に浮かぶ。
 金の長い髪を蒼いリボンで二箇所束ねるのは今は亡きエドガーの父、フィガロ国王の正装でもあった。
 エドガーは幼い頃、父から“Roni”と刺繍された蒼い絹のリボンを頂いた。同じくエドガーの双子の弟も、“Rene”と刺繍されたリボンを父から頂いていた。
 それ以来二人は年に一度の誕生日にだけ、そのリボンで髪を束ね、フィガロ家に生まれた喜びを共に祝っていたのである。
 だが8年前父王が逝き、まだ大人になりきれてなかったフィガロの王子二人は、歩むべき道の選択に迫られた。
 だが二人はエドガーによるいかさま、、、、)のコイントスによってそれぞれの道を決めた。兄は父の跡を継いでフィガロ国王となる。弟は城を出て自由と夢を掴むと。
 マッシュが城を出ていってからエドガーは年に一度の誕生日に自分のリボンと、弟が城を去った時に置いて行った彼のリボンで髪を束ねた。
 再び……共に生まれた日の喜びを祝う日を待ちながら。


 今年こそは――
 神官長はそっとエドガーの肩に手を置き、鏡越しに主の蒼い瞳に投げかけた。
 病弱だったマッシュを手塩に掛けて育てたばあや、即ち神官長も彼の帰りを待ち望んでいるのであった。




 マッシュは男達を追ってフィガロ城に辿り着いた。ボディチェックを待つ長蛇の列の中に一般市民として混じる。
 思えば殆ど城外へ出た事のなかったマッシュは、今徒歩でこの門を潜るのは初めてであった。
 城門の遥か向こうに聳え立つ古めかしい城。幼少の頃、病弱で寝室から殆ど出たことのなかったマッシュは、窓から見えた視界しか記憶になかった。青い空と黄金の砂漠。城門より遥かに先の大地しか思い浮かばない。その記憶を辿りながら自分は常に、この城を出でて羽ばたきたいと願っていたのだと思い出した。
 ボディチェックは数人の兵士達によって手際よく行われ、マッシュが追ってきた屈強な男二人も、彼自身も難なく門を通る事ができた。
 大庭園では既に大勢の人達が惜しみなく与えられる葡萄酒を片手に今日の祝いの日を楽しんでいた。貴族も平民もわけ隔てなく語り合う光景が、幼少の頃の記憶と重なり合う。
 マッシュは修行で他国へも赴いたことはあるが、その殆どの国が身分や階級に拘っていた。貴族や僧侶、軍人の高官などはまず平民とは口を聞くこともなく平民は常に身分の高い者達に虐げられていた。
 城を出るまでのマッシュは他国を知ることもなくフィガロでの仕来りが当たり前だと思っていたのが、城をでて外の世界を知るとあまりにも違っていた衝撃的な事実に驚いたのであった。そして改めて亡き父王の偉大さを知った。
 城を出て8年。父王が生きていた頃と何も変わらぬ光景に、マッシュは胸が詰まる思いで笑みを漏らした。噂には聞いていたが兄が立派に父の意志を継いで国を統べているのだ。
 そんな思いを巡らせながらマッシュは、後を付けていた男二人を目で追っていた。不穏な動きは見せぬ。
 だが暫くして、民衆と同じく今日の宴を楽しんでいるようにみえた男二人の前に一人の男が立ちはだかった。マッシュと同じくらいの体躯の良い背格好をした鋭い目の男だ。
 三人は言葉少なく何やら交わした後、二人の男は鷹のように鋭い瞳を持った男と共に人ごみの中へと消えて行った。
 二人を連行した男が特別な兵士である事をマッシュは知っていた。国王の命を守る為に影で活躍している者達の一人である。
 彼らは特殊な訓練を積み優れた能力を持つ。マッシュが怪しげな男達を追うまでもなくエドガーの命を預かる兵士達はそつなく任務をこなしていたのであった。
 フィガロ国王の命を守るボディーガードともいうべく、その彼らに一歩でも近付くために納得のゆく修行を終え、率先して国王の身辺を守る任務に就つくのがマッシュの目標でもあった。
 訝しい行動をとっていた男二人は国王の忠実な家臣によって捕らわれたようだが、マッシュは安堵できなかった。
――あの女の消息は……?




 灼熱の太陽、午後の日差しは広場に詰め掛けた大勢の者たちに優しく降り注いでいる。
 様々な衣装を身にまとった大勢の人達は身分相応に全く関係なく、互いに歩み寄り会話を愉しんでいた。
 14時。定刻通り国王が広場のバルコニーに姿を現すと民衆からの歓声が城内を埋め尽くした。
 純白の衣装に鮮やかな空色のマントを身につけた国王エドガーは颯爽とバルコニーに立つ。髪に降り注ぐ陽の光が長い髪を黄金色に輝かせ、蒼い瞳は砂漠の民には珍しい透き通る白い肌に一段と美しく映えていた。
「兄貴……」
 マッシュは群集の歓声の中、声にならない声でそう呟いた。8年振りに見た兄エドガー。その姿は雄々しく美しく立派な若き王の姿であった。
 兄貴、会いたかった!――
 マッシュはそう叫んでエドガーの元に姿を現せたいと逸る気持ちをぐっと堪えて、目頭が熱く迸るのを抑えるのに天を仰いだ。
 ぎらぎらと輝く真夏の太陽と雲一つない真っ青な空。が、しかし視界に入った眩しい白にマッシュは目を止めた。
 不審に思ったマッシュは人ごみを掻き分け躊躇なく城内へ侵入、西の塔を目指した。途中何度も兵士達に行く手を阻まれるが振り切って塔の最上階へと向かった。
 最上階の扉を開けてマッシュが目にした光景は不安と的中していた。白いドレスの女が今正にバルコニーに立つ国王に矢を放とうと照準をあわせていた。
「そこで何をしている!」
 女は背後のマッシュに気を止めたが、弓を引いた手を下ろしはしなかった。マッシュが後ろから取り押さえようと進み出るよりも僅かに早い動作で女は矢を放った。
 その矢は真っ直ぐにエドガーの左胸を刺した。
 女はそれを確かめるや否や「くっ! 逸れたか」と言いながら背後のマッシュを睨みつけた。
 振り返ったその女は街のホテルから姿を見失っていた少女であった。何と長い金の髪を結い上げ白いドレスを身にまとい異国の貴族を装って城内へと侵入していたのだと、マッシュは瞬時に気付き迂闊だったと悔やむ。
 マッシュは本館のバルコニーへ視線を向けると、エドガーは刺さった矢を自ら抜いた。傷口から溢れ出た鮮血で純白の衣装は見る見るうちに紅色に染まる。だがエドガーは騒然たる広場のざわめきを鎮めるが如く、急所は外れ命に別状はない事を告げた。
「こんな事もあろうかと予め矢には毒を仕込んでおいた」
 貴婦人を装った少女はマッシュの動きを止めるほど驚くべき冷酷にそう言い放った。
「き、貴様!!」
 マッシュが少女に詰め寄ろうとしたその時だ。少女は素早い動作で後ずさりながら小振りな唇をかすかに動かせて何やら囁いていた。そして次の瞬間、少女はマッシュの目の前から跡形もなく消え去っていた。
 何が起こったのか解せぬマッシュはその場に立ち尽くすしかなかった。貴婦人を装った刺客、美しい少女は瞬時に目前から消えたのだ。
「いたぞ!!」
「そいつだ! 捕らえろ!!」
 何が起こったのか理解に苦しんだマッシュは身動きもとれず、我に返った時には既に遅し、ここへ来る前に振り払ってきた兵士数十名に取り押さえられてしまったのだ。




「驚かせて申し訳ない。この通り私は大丈夫だ。そして、この矢を放った者達も全員捕らえたそうだ」
 不安と恐怖、そして悲哀の色を隠せない広場の国民達に向かってエドガーは落ちついてそう告げた。
 ややあって、広場は囁きからざわめきに変わっていった。国王の左肩付近に刺さった矢は純白の衣装を真紅に染めたものの、本人は取り乱す事もなく凛とした姿でバルコニーに立っていた。
 広場の国民達は国王のその言葉と姿に些か安堵したようである。
 エドガーはかすり傷、、、、)の手当ての為、離席させてもらうが、年に一度の宴、このまま夜まで楽しんでいってくれるようにと国民達に告げた後、側近達とバルコニーを後にした。
「エドガー様!!」
 部屋に控えていた神官長のフランセスカは驚倒しそうであった。
「ばあや、心配はいらぬ。急所ははずれたし、傷口も深くなさそうだ」
 エドガーは神官長を安堵させるほどのとても穏やかな声でそう言った。
 侍医達は長椅子にエドガーを横たえると手際良く応急処置として止血した。
「陛下を御寝室へ」
 大臣のその言葉に近衛兵達が丁重に国王をお運びしようと側に控えた。
「自分の足で歩いていける」
 エドガーは苦笑しながら長椅子から立ちあがって歩き出した。大臣と神官長、侍医達は驚いたが慌てて国王の後に続いた。
「早くも主犯格を捕らえたそうだね」
 廊下にでたエドガーは大臣に尋ねた。
「はっ。主犯格と他二名を地下牢に」
「帝国からの刺客だな。傷の手当てが終えたら会ってみよう」
 小声でそう呟いたエドガーは、あっけに取られ立ち止まった大臣を待つことなく、まるで傷を負ったとは思えない普段と変わらぬ足取りで寝室へ続く階段へと向かった。
 だが大臣は中二階を登り終えた時、先を行く主の異変に気付いた。エドガーは手摺に片手を置いたまま蹲る様にして身を屈めていた。
「陛下! どうなさいましたか!」
 エドガーの俯いた顔を覗きながら只ならぬ大臣の張り上げた声を聞きつけた侍医が駆け寄った。
「……か…、から…だ…が…し……痺れ……」
 崩れ折れるエドガーを抱きかかえた大臣に駆け付けた侍医頭の顔は瞬時に蒼白した。
 エドガーの父、先代王から仕えていた侍医頭を震撼させたのは数年前を思い起こされたからである。
「毒……」 

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