追憶の彼方へ


どれほど大切に運んできたか…
どれほど大事に暖めてきたか…


硝子細工のような絆
硝子細工のような心


壊れることを恐れて
真実を求めない


あまりにも愛しくて
愛しくて


失うことを恐れる
迷子の心

存在しなければ…と想うことありますか?
己の、貴方の存在とは何であろう?
運命の歯車とは何であろう?
〜97.5.11 Lost my lost(Louis)より〜

「お前達の従妹にあたるエリザベート・ルイーズだよ。妹だと思って仲良くしてやってくれ」
 恐れ多くも国王陛下は子供達の目線に合わせ屈んでそう言った。
「エドガーです、よろしく」
 7歳になるフィガロの王子、エドガーは既に王位継承者としての品格を持っていた。
「エリザベートです」
 栗毛の豊かな髪を持つエドガーより1つ年下の少女は小さな膝を屈して貴婦人らしく挨拶をした。
 その小さな貴婦人がもう一人の王子に挨拶を述べようとすると、その王子は素早くエドガーの後ろへと退く。
「これこれ、マッシュ、レディの前だぞ、挨拶をなさい」と陛下。
 もう一人の王子、マッシュはエドガーの小さな腕を掴んで兄の背中越しに蒼い瞳で、栗毛の少女の様子を伺った。
「双子の弟のマッシュです」とエドガーが代弁する。


「いやですわ、マッシュ様、「はじめまして」だなんて…」
 深い緑色の瞳をしたその少女は15歳とは思えぬほどの大人びた表情をしていた。
 マッシュが怪訝そうな顔でその少女とエドガーを交互に見る。
 エドガーは微笑して「マッシュ、私達の従妹のエリザベート・ルイーズだよ」と。
 マッシュの蒼い瞳は遠い日の記憶を呼び戻したようである。
「ククッ」とエリザベートは鈴のような声で笑った。
「いやぁー…その節はすまなかった」とマッシュは肩までの金色の髪の毛を掻き上げた。
「父上のご命令により、花嫁修行としまして、フィガロ城にご作法等を学びに参りました。しばらく、お世話になります、よろしくお願いします」
 エリザベートは物怖じすることなく二人の王子に挨拶をした。
「エドガー様、フィガロ城には夥しい量の書庫があると父から聞きましたが、案内して頂けます?」
「うん、そうだな、まずはそこへご案内しようか、姫君」
 エドガーとエリザベートが歩き出すのに後れを取ったマッシュは慌ててその後を追った。
「機械の本がたくさんあると父上から聞きましたが」
「そうだね、だがエリザベートみたいなレディには他にもたくさん、興味の沸くような本はあるよ」
「ふふ、私もフィガロの血を引くものとして、お嫁に行くまでに、フィガロの知識をたくさん詰めていきたいと思いますの。エドガー様、時間の許す限り、いろんな事を教えて下さいませ」
「そうだね」
 エリザベートは話し出すとその好奇心旺盛な表情は年相応の少女へと戻った。人見知りをすることもなく、小さな口元は絶えず動いている。
 エドガーはそんな少女の喜ぶような言葉をスラスラと発していたが、マッシュは時々話しかけられてもろくな返事ができなかった。
「エドガー様、あれは何ですの?」と一番上の段の本を指すエリザベート。
「………」
「エドガー様?」エリザベートは衣擦れの音のする入り口、エドガーと同じ視線へと緑色の瞳を動かす。
 その入り口に立つ貴婦人は藤色のドレスに身を纏っていた。貴婦人は両手でドレスを掴み、膝を折って深くお辞儀をした。肩の上で揺れる金色の豊かな巻き毛と端正で小作りな顔にエリザベートの気を引いた。
「ごきげんよう、グウィネヴィア」エドガーはその夫人に形式的に挨拶すると早々に図書館を後にした。


 月が出ぬ夜の砂漠はまるで黒海のようである。
 バルコニーに立ち、風の音に耳を澄ましているフィガロの若き王子達は大広間で繰り広げられている社交の場をあまり好いてはいなかった。形式的に臨席はするものの、二人は時をみはからってバルコニーで夜の砂漠を眺めているのが常である。
 兄弟の沈黙を破ったのは華のような笑顔の持ち主、エリザベートであった。
「エドガー様、ダンスはなさらないの?」
 山吹色のドレスがエリザベートの碧色の瞳を一層際立てている。
「私達はここにいるのが落ち着くのだよ、好きに踊っておいで」
 エリザベートの顔から一瞬にして笑顔が消える。
「……でも、エドガー様は……いえ、何でもありません、失礼します」
 レースの裾を翻して立ち去る彼女を呆然と見送る二人であった。
「レネー、お前もダンスくらい覚えろよ、レディを怒らせただろう?」
「僕はダンスって柄じゃないからなぁ…それに、エリザベートはロニとダンスしたがってたようだよ」
 まだ15歳の少女はその愛くるしい笑顔で社交界の人々を魅了した。王弟フランシス・ラバーン・ド・ローラン枢機卿の自慢の一人娘である。


 16歳になったエドガーは父、国王の職務の補佐に付くことが多くなっていた。
 一方弟のマッシュは未だ病弱が抜けきれず、床に臥せていることが多い。温室育ちのマッシュは周りの者が彼のその体を甘やかし、軟弱さに拍車をかけていると自身も気づき始めてはいたのだが。
 マッシュは二人で話をしたいというエリザベートの断っての願いにおされ、彼女を特別に寝室に招き入れた。
「マッシュ様、お体の具合は?」
「もう、熱も下がったし、良くなったよ。ありがとう心配してくれて…。兄上は近頃忙しく、貴方の相手をしてあげられなくて、すまないね」
「仕方がないですわ、お忙しい方ですから。それよりマッシュ様、以前図書館の方でお見かけした御夫人はどなたですの?」
「…夫人はたくさんいるが…」といつになく気の利かない返事のマッシュである。
「藤色のドレスを召していられて、とても気品のある方でしたわ」
「……グウィネヴィアの事かなぁ…」
「グウィネヴィア様?」
「私達の父上の従妹で、ヴェルダスク公爵夫人だよ」
「ヴェルダスク公爵夫人!?」
 エリザベートはアーモンド型の大きな目をさらに大きく開いた。
「グウィネヴィアがどうかしたの?」
「いつもはダンスをなさらないエドガー様が、唯一ダンスのお相手をなさった方と、社交界で噂をしていましたわ」
 エリザベートは自分の感情に素直であった。グウィネヴィアがどういった人なのかなど、次から次へとマッシュに質問を浴びせる。休むことなく口を動かすエリザベートに答えるだけのマッシュ。気が付くと普段は女性と話すのが苦手であったマッシュは、エリザベートとの会話をすんなりとこなしていた。


 その日以来、エリザベートはマッシュと二人で過ごす時間が多くなっていた。話題の中心は常にエドガーの事である。
「エリザベートはすっかり、レネーが気に入ったようだね」
 エドガーは何かの本を探している様子で、一番上の本棚から目を離さずに言った。
「でもロニの話ばっかりだよ」と言いながらマッシュはエドガーの後ろを歩いていた。
「僕の事?」エドガーは不思議そうな顔をする。
「そう、ロニの事。ロニはどんな人か、とか、どんな本を読むのかとか、どんな女性が好みなのかとか……とにかく次から次へと…」とマッシュは苦笑した。
「ま、まさか全て話したんじゃないだろうな?」
「まさか!? 僕とロニしか知らない事は他人には言わないさ。父上にだって言った事がないのに。まぁ、障りのない程度には話したけれど。ただ、グウィネヴィアの事を聞かれるのは僕としても…」
 目当ての本を取ろうとしたエドガーのその手が止まる。
 グウィネヴィアという名前が出るとエドガーの顔は曇った。唯一マッシュの前でだけはその素直な心や表情を隠さぬエドガーである。
「とにかく、それだけロニの事が気になるってことさ。しかし、エリザベートは本当に自分の心に素直な人だ。僕はあんなに素直に自分の思った事をさらけ出せる人は初めてみたよ。僕達の周りにはそんな人はいないからね」
「いつぞやの僕に似ているね」エドガーは微笑したが、マッシュは怪訝そうな顔をする。
「えっ?」
「隠すなよ、レネーが僕の事、何も言わなくてもわかるように、僕もレネーの事は手に取るようにわかってるよ」
 マッシュはいつものように頭を掻いた。マッシュの癖である、照れ隠しの。
「レネーはエリザベートのことが好きなんだよ」
 エドガーの歯に衣を着せぬ言葉に驚いたマッシュは言葉をなくした。
「今は気付かないだけ…。最初は意外と気付かないものさ、僕みたいにね」
と苦笑するエドガーにマッシュも同じく笑った。
「そういうものなのかなぁ」
「うん。僕の場合は相手が悪かった、気付いた時には僕は既に……」エドガーは言いかけて言葉を切った。
 マッシュにもわかっていた。エドガーが未だにグウィネヴィアへの想いを引きずっていることを。
 エドガーは王位継承者としての人格に相応しいほどに成長しているが、本当のところはマッシュと全く変わらない素直な少年である。
 ただ、それを表に出せない、いや出そうとしないからエドガーは周りの者から立派な大人として認められていた。そしてそんな周りの目がエドガーに余計に負担をかけていたのであろう。いつの頃からかエドガーはマッシュの前でしか、素直な表情を出せなくなっていた。
「レネー、噂をすれば、レディがお出ましになったよ」
 マッシュが入り口の方へ目線を向けると、いつになく清楚でその血筋に似合った気品を漂わせているエリザベートが立っていた。
 エリザベートはエドガーの姿を見ると、華のような笑顔で二人の元へと足を向ける。
「僕は父上に呼ばれているから、行くよ、レネー。後はよろしく」とエドガーはマッシュに耳元で囁いた。
「あ、ロニ!!」と動揺するマッシュ。
「まぁ、エドガー様も今日はいらっしゃるなんて珍しいことですわ!」
 そう言うエリザベートの声のトーンは一段と高かった。
「すまないね、僕はこれから父上の元へ行かなければならないんだ。エリザベート悪いが今日はこれで、失礼させてもらうよ」
 エドガーは悪戯な笑顔をマッシュにだけ見せて図書館を後にした。


「叔父上はそれで良いのですか? エリザベートは人質に行くようなものです」
 先ほどまで口を閉ざしていたエドガーの発言に周りの者は驚きを隠せないようである。上座に座っている国王陛下はその胸のうちを眉間の皺に表せていた。
「私の娘もいずれ嫁に出す事は産声を聞いた時から覚悟はできていたよ。私とてこのフィガロの血を引く者、この国を守るためなら当たり前のことであろう? ガストラ皇帝の嫡子の元へ我が娘、エリザベートを嫁がせる事で帝国軍と同盟を組めばこの国も安泰だ」
 王弟のド・ローラン枢機卿はもっともらしくエドガーに答えた。
「すまない、フランシス。……私も姪を帝国へやるのは心苦しいのだよ、エドガー」
「父上…」
 国王は身内のことよりもまず、国の事を第一に考えなければならない義務があると、父、国王からいつも聞かされていたエドガーは、そんな父の心苦しさを理解せず、己の感情を露にし国王の決断に非難したことを恥じた。
「そう、気になさるな兄上。あれでも、私の娘は気丈だ。それに、世界を牛耳っているガストラ帝国の後継ぎに輿入れするということは、時期皇帝の妃、世界のファーストレディを約束されているも同然だ。
 フィガロの王族に生まれて、自分より身分の低い貴族へと嫁ぐよりも我が娘にとっては、最高の地位ではないか…」
 国王は瞼を静かに閉じてそれには答えなかった。
 幼少の頃、国王の弟フランシス・ラバーンは今のマッシュのように病弱であった。二人の父、先代王は兄のスチュアートを溺愛し、フランシスは何かと日陰の身であった。同じ王の子でありながら、スチュアートは王太子として愛され、一方病弱で皮肉な少年であったフランシスは何かと両親にさえも疎まれてきたのである。いつの頃から弟のフランシスの憎悪は兄のスチュアートへと向けられていた。
 しかしスチュアートは即位してから、そんな哀れな弟を今度は両親の変わりに愛情を注いでいた。
 しかし、エドガーは違っていた。父が弟を哀れに思っている気持ちは痛いほどわかっている。だからこそ、父は双子の兄弟に同じだけ愛情を注ぎ、二人を大切に育てたのである。
 しかしその父のおかげで、兄弟で憎しみ合うことは考えられなかったが、甥であるエドガーから見た父の弟、ド・ローラン枢機卿は今でも兄を憎んでいるとエドガーは思っていた。
 何かと国王の失脚を企んでいるという噂を耳にしていたのである。もちろんの事、国王もその噂を耳にはしていたが、実弟への疑いは頑なに拒んでいた。
 今度のガストラ皇帝の後継者へ自分の娘を嫁がせるのも、表向きは同盟を組むとし、裏ではガストラ皇帝とド・ローラン枢機卿が手を組んでいるのではないかとまで、エドガーは睨んでいた。しかし根拠のない説を今のエドガーには言う由もなかった。


 今日のエリザベートはいつもとは打って変わって酷く沈みがちであった。本を探すのにも殆ど口を開かず、ただ本棚の周りを歩いているように見える。
 マッシュは黙ってその後ろを歩いてはいたが彼女の沈黙には耐え難かった。暫くして珍しく口を開いたのはマッシュの方である。
「ねぇ、エリザベート、もっぱら君の美しさに宮廷の貴族は愚か、異国の王子なども噂を聞きつけて、君への求婚が殺到しているようだね」
とマッシュはエリザベートに微笑みながら言ったが、彼女は振りかえってほんの少し眉間の皺を寄せ余計に不快な気持ちを表した。
 マッシュはエリザベートを元気付けようと言ったことが返って裏目に出、自分の気の利かなさに、またしても落胆する。
 マッシュとエリザベートは絡み合った目線を暫く反らす事ができなかった。
「結婚なんてしたくありません!」張詰めた糸を切ったのはエリザベートであった。
「結婚なんてまだ、……まだしたくないです!」と言って彼女はマッシュに背を向けた。
 マッシュが口を閉ざしていると、エリザベートの小さな肩は小刻みに震えていた。
 慰めたくともその言葉が見つからないマッシュである。途方に暮れただ、彼女の背中を見詰めることしかできなかった。
 マッシュはそれでも適切な言葉を探そうとしていると、突然エリザベートは深碧緑の瞳を濡らしたまま振り返り、マッシュの胸をめがけて駆け寄ってきた。
「だって、だって、私はエドガー様が好きなのです。ええ、わかっていますわ。いくら私がエドガー様をお慕いしても、結婚なんてできない事を。でも、……でも、こんな気持ちを持ったまま知らないお方の所へなんて嫁ぎたくありません!」
そう言いながらマッシュの胸で泣くエリザベート。
 一方マッシュは自分の両方の手のやり場に困った様子である。
 軟らかくか細い彼女の腕がマッシュの腰に絡み付いている。涙に濡れたピンクの頬に高鳴る胸の鼓動が響いているのではないかと懸念する。
 その宙ぶらりんな手をそっとエリザベートの栗毛に降ろそうとしたが、一瞬の躊躇を経てその両手を自分の背後に組んだ。
 きっと兄ならその絹のような栗毛をそっと撫でてやるのだろうと思いながら。
 どれほどの間こうしていたのであろう?  いやそれほど長い間でもなかったはずだがマッシュには永遠の時のようにも思えたのである。
 やがてエリザベートは胸に埋めていた顔をそっとあげ、
「……マッシュ様の胸って温かいのね」と濡れた睫毛を伏せながらそう呟いた。
「ご、ごめんなさい…私、つい……」
 エリザベートは急いでマッシュの腰から手を離し、背中を向けたかと思った瞬間、足早にその場を去った。
 静寂な図書館に響き渡る衣擦れの音を聞きながら、一歩も踏み出せずに立ち尽くすマッシュは不自然に佇む石造のようであった。


 エドガーは誰かと狩りに行くのは半年振りくらいであった。それも珍しいマッシュとである。
「いやぁー、やっぱり、森はいいよー。この香りが最高だね、ロニ!」
「もっと早くにレネーをここへ連れてきたかったよ」
「クェー」と突然、二人のチョコボではないチョコボの声が聞こえてきた。
 驚いてその声のする方へ向くと。
「ごめんなさい…付いてきてしまいました」チョコボの鞍上の人はほんの少し罰の悪そうな声で答えた。
 普段煌びやかなドレスで着飾っている彼女しか見た事のない二人は目を丸くし、顔を見合わせた。
「あ、あの、私もずっとお城にいるのは退屈ですから…。だって私には内緒でお二人がお出掛けになるのですもの」
「内緒でって…」とマッシュは額に手を当てる。
 エドガーも内心呆れてはいたが表情は相変わらず微動だにせず「おてんばで困ったお姫様だ」
と言って高らかに笑って見せた。
 そんな調子のエドガーにエリザベートは救われ、いつもの彼女に戻ったのである。
 三人は湖の側にチョコボを止め、そこに腰をおろした。
 木々の間からの木漏れ日がエメラルド色をした湖面を煌かせていた。エリザベートの深い碧色の瞳のようである。
「何て綺麗なのでしょう! 私、こんなの見るの初めて!」
「君の瞳と同じ色だね、エリザベート」
 エドガーからはさらりとこんな言葉が出てくるが、マッシュは同じように思っていても、そんな洒落た言葉は口をついては出てこない。
「僕も、こんな景色を見るのは久々だよ」とマッシュも歓喜の声を漏らしていた。
 小さな鳥の囀りややわらかな風の音に混じって遠くではモンスターの獰猛な鳴き声がかすかに聞こえてくる。
「すまない、エリザベート。僕は狩りをしに来たのだが、ほんの少しの間、森の奥へ行ってきても構わないかな?」
 エドガーは遠くから聞こえる獣の鳴き声にいても立っても居られない様子ではあったが、あくまでもレディの前ではエレガントである。
「あ、いえ、ごめんなさい、私……どうぞ」
「レディのお言葉に甘えて…。マッシュ、悪いな、僕はすぐに戻ってくるから、エリザベートとここに居てくれないか?」
「わかったよ、兄上。行っておいで。くれぐれも気をつけて」
「ありがとう、マッシュ。すぐに戻ってくるよ。あ、そうだ、くれぐれもこの湖より奥へ来てはいけないよ」
「了解、兄上」
 エドガーはそう言うと、颯爽とチョコボを走らせた。風になびくエドガーの金色の腰までの長い髪が深い森へと消え行くまで二人は見送っていた。


「私、エドガー様のあんなに生き生きとした表情をお見かけしたのは初めてのような気がしますわ」
 マッシュはエリザベートの言葉に驚いた。確かにそうかもしれない。自分といる時には幼少の頃から何の変わりもない兄ではあったが、それ以外の人前での兄は全く別の表情をしていたのだと、改めて気付いたのである。
「君の言うとおりかもしれないね。兄上は狩りをしたり機械に触れているときが一番幸せそうだ」
「マッシュ様はどんな時が楽しいのですか?」
「僕? 僕は…」マッシュはエリザベートに初めて自分のことを聞かれて動揺した。
 エリザベートの深い碧の瞳が真っ直ぐにマッシュの蒼い瞳を捉える。
 見詰められて硬直した瞳を彼女の瞳と同じ色をした湖に必死に向ける努力をしてみた。次の瞬間、マッシュは立ちあがって、湖に正面を向き、二、三回屈伸をしてみせる。
 その自然の色を放つ美しい湖面を眺め深呼吸をすると、落ち着いたようだ。
「知ってのとおり、僕は殆ど寝室だろう? だから、ダンカン師匠のところへ行って修行をしている時が唯一の楽しみかなぁ。城の外へ出られるし。それにね、師匠のところで修行をする度に僕ももっと、もっと強くなれる気がするんだ。そのうち、この病弱な体も克服できそうな気がする。
 いつか世界を駆け巡って、そして逞しくなって、いざと言う時には今度は僕が兄上を守れるくらいになりたいんだ! いつも僕のことを守ってくれていた兄上…。僕にだって…」
 そう語るマッシュの瞳も鮮やかな色を放ち、生き生きとしていた。
「できますわ! きっと…。マッシュ様はお優しい心の持ち主ですもの。お心がお優しいぶん、ずっと強くなれますわ!」
 マッシュはエリザベートに背中を向けたまま、いつもの癖である照れ隠しのために頭を掻いた。
「ね、ねぇ、マッシュ様! 向こうで岸に過(よぎ)ったもの見ました?」
「えっ?」
「ほら、湖の向こう岸、見てましたでしょう?」
「あ、ああ」マッシュはエリザベートの言っている意味を把握しないまま返事をする。
「何か、とても…とても綺麗なものが森の奥へ消えて行きましたわ! ねぇ、私、あちらへ行ってみたいわ」
 エリザベートの顔は高潮し、声のトーンは高くなっていく。
「あ、でも…」
とマッシュが何かを言おうとする前にエリザベートは自分のチョコボに跨ってゆっくりと走らせた。
 マッシュは何が起こったのかも理解せず、慌ててチョコボに乗り、彼女の後を追う。
「エリザベート、待って! ここより先の森の奥へは足を踏み入れては行けないって、兄上が…」
「大丈夫よ、マッシュ様。ほんの少しだけ…すぐに戻りますわ」
 前方に走るエリザベートのチョコボはどんどん速度を速めていた。マッシュは見失わないように追いつくのが精一杯のよう。とてつもない不安を抱えたまま。
 そしてその不安は湖の対岸を越えた所であまりにも早く訪れたようである。
 エリザベートの前方に不気味な緑色をしたモンスターが立ちはだかっていた。一瞬にして如何なるものをも吸い込んでしまいそうな、顔面一杯に広がる口元。その不気味さは表現し難いものであった。
「きゃぁーーーーーーーーーーーーーーー」
 エリザベートは自身も気付かぬほどの悲鳴と共に手にしていたオートボーガンを放った。
 しかし、いくら優れた機械とて、使い慣れていない者の手から放たれたその矢の行方は殆ど的を外ずしていた。そして、その的の外れた矢が不気味な草色をしたモンスターに対して余計な兆発を与えたようである。
 ほんの一瞬だった…瞬きも出来ぬほどの。
 恐怖のあまりに崩れ落ちているエリザベートに噴きかけようと、その大きな口から何か異様なものが放出された。
 マッシュは気が付くと震えて縮こまっているエリザベートを自身の体で覆うようにして抱きかかえていた。
 しかし次の瞬間、マッシュは気が遠くなるほどに血の気が引いてゆくのがわかった。それでも尚、目前のモンスターからエリザベートを守るように体を離さず、迫り来る不気味な物体にありったけの力を振り絞って拳を食らわせたようである。
 モンスターが一瞬の怯(ひる)みをみせたのと同時にマッシュは飛び上がり両手の拳をぶつける。
 エリザベートは顔を覆いながらも背後の様子を覗っていた。すると、マッシュの拳は見事に的中し、そのモンスターは苦悶の叫び声をあげて倒れた。
 息も絶え絶えなエリザベートにマッシュは、安堵の笑顔を見せて立ちあがろうとしたが、遠くで「レネー!」と叫ぶ兄の声を聞いた途端、意識を失っていた。

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