KREUTZER 「ねぇ! 皆見て!」
〜Neunzehn〜
リルムが西の空を指差した。
ファルコンが進む空は厚い雲に覆われ夜明けの空は墨色である。だが、西の方の空だけが赤錆色に染まっていた。
エドガーの蒼い瞳が、これまでにないほど不安に揺れたのをセッツァーは見逃さない。
「スピードを上げるぞ! 振り落とされねぇよう、しっかりつかまっておけよ!」
ファルコンは赤黒い雲と黒煙の中を抜けて、大地へと降り立った。
砂漠の国の小さな町、サウスフィガロ。機械文化が発達している国故に豊かな町である。
そこに住む人々は穏やかで、世界中からの旅人達を快く受け入れていた。
それが今、空から舞い降りた赤黒い雪で大地が真紅に染まっている。
いくつかの建物が燃え落ち、炎の壁が高く聳え立つ街路では、叫び逃げ惑う人々の姿があった。
親を探し泣きじゃくる幼い子。黒焦げの塊を抱き錯乱する母親。
赤黒い空を見上げたエドガーの蒼い瞳が血色に染まった。
「エドガー様!」
「ダンカン殿」
生存している者達を北にあるクラン伯爵の屋敷に運ぶよう指示していたダンカンは慄いていた。
「ケフカがやりおった! ケフカと…。ケ…マ…」
普段は厳格で堅苦しいほどに冷静なダンカンが取り乱している。エドガーは彼の手を取り落ち着くよう宥めた。
「助けて! ママ…ママが空から落ちてきた炎に焼かれちゃったよ」
左の頬と肩にひどい火傷を負った幼い女の子の手がセリスのマントを掴んだ。
セリスは蒼い瞳に大粒の雫を浮かべ女の子を抱きしめた。
一瞬にして祖国をケフカに滅ぼされたカイエンは歯を食いしばり、拳を握り締めた。
誰もが言葉を無くす。
エドガーの見開いた瞳が翳る。透き通るような白い肌が色をなくした。
「ダンカン殿、皆、ここを頼む」
「一人で行くのか?」
セッツァーは何とか自我を保っているエドガーの心が折れてしまうのではないかと懸念した。
「城へは私一人で充分だ」
エドガーはチョコボ屋へ急ぎ向かった。
チョコボ屋もほぼ全焼していた。生き残ったチョコボも僅かである。その一羽を借りて、エドガーは町を出た。
洞窟前に辿りついたエドガーはチョコボの頭を撫でた。
「悪かったね、こんなに近いのに寒い思いをさせてしまった。迷子にならないよう戻るんだよ」
クェー! 元気の良い声で返したチョコボは赤黒い雪の中を走り去っていった。
凍っていたはずの洞窟の入り口は炎で溶けていた。しかし中は冷たい。エドガーの剣を持つ手が寒さで痛む。先を急ぐ彼の前にモンスターが立ちはだかった。
エドガーは憔悴していた。難なく倒せるはずのモンスター相手に苦戦する。先を急ぐあまりに焦燥に駆らた。
洞窟を抜けるとフィガロ城の上空に焔を纏ったケフカの姿を見た。
エドガーは剣を構える。
その下に鳳凰の舞で焔を纏ったマッシュの姿があった。笑って立っているマッシュの手が血に染まっている。紅い血。フランセスカの首を持つマッシュの手。
「マッシュ。それは…」
「なあ、兄貴。キレイだろう。俺、血でこの世界を染めるんだ」
大臣は砂に沈んだ城の前に跪いていた。
「じいや、城の者は無事なのか!」
「大佐が……何とか何とか潜伏させました」
「じいや!!」
平伏した大臣の肩と背中が小刻みに揺れていた。
エドガーの手から剣が落ちる。
「レネー。もうよせ!」
マッシュはフランセスカの首を大臣の前に投げつける。白銀の髪は血に染まり見開かれた瞳は血の涙で滲んでいた。
「もう、よせ。やめるんだ!!」
エドガーはマッシュの前で跪き頭を垂れた。
「お願いだ! レネー!!」
マッシュはエドガーの髪を掴んだ。マッシュの顔を見上げたエドガーの砂漠の泉から雫が溢れる。
「その目! その目だよ! 俺と同じ砂漠の泉、蒼い瞳!」
「そうだ、お前と同じだ、レネー」
「その目で、その目で! 何故兄貴はアイツだけを見ている! いつも、いつも、アイツだけを!!」
マッシュの泣き叫ぶような声が揺らぐ。
エドガーの左目にマッシュの親指と人差し指が刺さった。
「ッ!」
白磁のよう滑らかなエドガーの頬に深紅の糸が流れた。
マッシュは取り出したエドガーの瞳を掌で握りつぶし、声にならない嬌声を喉で食い止め、息を吐き微かに哂った。
「こっちもつぶしてやろうか?」
「レネー…それでお前の気が済むのなら」
「殺してやる! お前もアイツも!!」
エドガーの首に手を掛けたマッシュの腕にカードが刺さった。
「貴様ァーーーー!」
セッツァーの剣がマッシュの右肩を貫く。
「なにっ!」
「マッシュ。そろそろ行くよ。もう充分遊んだだろ」
天空のケフカは微笑み、白く細い手をマッシュに差し伸べた。
「ケフカ!」
「僕ちゃん、ちと疲れた。退屈凌ぎになったよ。さあ行こうマッシュ」
ケフカは甲高い笑い声を風邪に乗せ、マッシュを連れて黒い空に消えた。
エドガーは振るえる手で剣を拾った。
「私は。私は!!」
エドガーは左手で髪を掴んだ。
「エドガー! 何をするんだ、やめろ!!」
背中に流れる金の髪が銀の刃で切り落とされる。金糸とそれを束ねていた蒼い絹が焼け焦げた砂の地に散った。
「これは…こんなことは…」
エドガーは狂ったように言葉にならない声をだし激しく首を左右に振った。
「こんなことは! 嘘だろ! 嘘だろーーーーレネー!!」
何故だ? 何故!!」
エドガーは崩れ落ち、切り落とされて大地に散在した自身の金糸に顔を埋めた。
キューイ大佐は、エドガーを抱きかかえ、王の寝室に向かった。
「アラン。そこへは行きたくない!」
エドガーはキューイの右手を強く握った。
「エドガー様」
「私は父上に会わす顔がない。私は…。私は…国を守れなかった」
キューイは頷き、エドガーが王子だった頃の寝室へと向かった。
「大佐! これは使えるか?」
セッツァーはキューイに魔石を手渡す。
「これを使って、ケアルがをかけ続けてくれ! 俺が戻るまで」
「ギャッビアーニ様?」
「セッツ目が熱い。何故だ? 私は泣いているの? 涙とは、こんなにも紅い色?」
左目の空洞から血が流れ続ける。その血でエドガーの象牙色の頬が真紅に染まった。
「待っていろ、エドガー。すぐに戻る」
サウスフィガロの町は、ようやく鎮火していたが焼け跡の焦げた臭いが広がっていた。
裏街道と呼ばれる居住区の小さな家をセッツァーは訪ねた。
「久しいな。セッツァー」
「ドクター」
ドクターと呼ばれた老人はセッツァーを見上げた。
「頼む。俺の目を」
セッツーアは老人の肩を掴んだ。
「お前さん……目を誰かにくれてやるのか?」
セッツァーは頷く。
「一個あれば十分だ」
セッツァーのアメジストの瞳は微かな光と、少しの雫で揺れる。ドクターは、その瞳を食い入るように見つめた。
「よほど大切な人なんだな。で、そいつはどこに?」
「城にいる、頼む!」
「ほう。だが、わしは闇の医者だぞ? いいのか」
「あんたにしか、できねーだろ」
「鎮静剤を施しました。陛下は休んでおられます。私には、ここまでしかできません」
エドガーの医師はキューイ大佐に敬礼した。
キューイはエドガーの失った左目にケアルガをかけ続けていた。
「ケアルガの効果だな。神経が壊れていなくて、間に合った」
セッツァーが連れてきた老いた医師はエドガーの左目を覗き込んだ。
数時間後、セッツァーは目を覚ました。
「ドクター。悪ぃな、報酬はまたでいいか」
「いつもの事だ」
老医師は舌打ちした。
「3日ほど鍛錬すれば、片目でも感覚は元に戻りそうだ」
セッツァーは左目の包帯の上に黒い眼帯をつけた。
「ギャッビーアーニ様」
キューイ大佐は言葉も見つからず、ただ頭を下げた。
「あんたも同じことしようとしただろ。だがな、それは困る。あんたの翠の瞳より、俺のアメジストの方があいつには似合う」
セッツァーは鼻で哂った。
それから数日間、エドガーは眠り続けた。意識を取り戻した時、右目にはセッツァーが映った。
「セッツ。それは海賊という遊びかい?」
エドガーはセッツァーに嘲るような言葉を放った。そしてその姿から目を背けるように起きあがり、左目の包帯を解いて鏡を見た。
「髪の色が……。目の色が……」
エドガーは変わり果てた自身の姿に嘲笑した。
「それでも、お前はお前だ」
エドガーは鏡に映る自身を暫く眺めていた。アッシュブロンドの肩までの髪。左目は菫色。
「セッツ」
エドガーは手鏡を投げた。
「こんな…こんな私などに、何故…目を……」
微かに震える両手でエドガーは顔を覆い項垂れた。
「エドガー」
セッツァーはエドガーの背中を抱きしめ、涙で白い夜着を濡らした。
「独りにしてくれ。アランも下がって良い」
エドガーはセッツァーの腕を払いのけ冷たく言い放った。
エドガーの蒼白い肌が、ぼんやりと鏡に映る。
燭台に灯された橙色の炎がエドガーの髪を微かに金に染めた。
「何故私は、ここにいる」
エドガーは変わり果てた自身の姿を映す鏡に額を擦り付けた。
――お前が死ねば全てが終わるぞ。だが、それじゃ面白くないからな――
「私が、死ねば…」
エドガーの白い首筋に銀の切っ先が立った。その刃は縦に細長い紅糸を描いた。
「うっ…」
微かな呻き声を上げたエドガーは開いた傷口を両手で押さえた。その細くしなやかな指の間から鮮血が流れ落ちる。
――おっと、まずいな、まだ死なれては困る――
「エドガー様」
エドガーの首には白い包帯が巻かれている。
右の蒼と左の菫の瞳に光を無くしたエドガーはキューイに背を向けた。
「私を軽蔑するだろう。アラン」
「ご自分の意思で傷つけたとは思いませんが」
「下がっていろと言ったのに」
エドガーの騎士キューイは微かに肩を震わせた。
「あの声…。愚かな。気がつけば私は護身用の短剣を手にしていた」
エドガーは囁くような声でそういった。
中庭の向こう側の部屋に白いピアノのがあり、そこはエドガーのプライベートルームの一つであった。その向かいにサロンがある。
「ねぇ疵おとこー」
リルムはセッツァーの黒い衣服を掴んだ。
「色男は髪切ったの?」
向こうの部屋ではピアノを弾くでもなく、その前に座り、ぼんやりと中庭を眺めているエドガーがいた。肩までの髪は、見事であった金色を失い、灰白色だ。
「あまりも、ショックな出来事があると、一夜にして、髪の色が変わってしまうというのを聞いたことがある」
ロックは向こう側にいるエドガーの姿から目を背けた。
セリスはリルムの肩にそっと手を置く。
「セッツァー。ケフカはどうするの?」
「どうもこうもねーだろ」
「私達で倒しにいきましょうよ!」
セリスの言葉に、その場にいた者たちは頷いた。
「エドガーが、いないと無理よ」
ティナは細い首を左右に振った。
「どういう意味だ?」
ロックはバンダナを縛りなおす。
「蒼い石が」
「石でござるか」
カイエンは軽く目を閉じ、腕を組んだ。
「王笏といったな」
「それがないと、ケフカは葬れないわ」
「それは、アイツにしか使えない石なんだろ」
セッツァーは怒気を含んだ声を発した。
「疵おとこ?」
セッツァーは持っていたワインのグラスを投げた。紅い雫が白い壁を染めた。
「“誰”が、こんな事を! 全ての成り行きはエドガーにか? アイツだけが…。
何故アイツだけが全てを…全てを背負わなければいけないんだ!」
「セッツァー」
セリスは飛び散ったグラスの破片を摘んだ。
「セリス」
その白い指をガラスの破片が裂く。小さな紅い血がまた、白い床を染めた。
ロックがセリスの指に手を重ねる。
「なら、帰ってくるのを待つしかないわね」
「セリス?」
ティナはセリスの薄く透き通る蒼の瞳を見上げた。
「あなたが、エドガーを何とかしなさいよ!」
セリスはセッツァーの胸倉に拳を突きたてた。
「セリス殿」
カイエンは驚く。
「時間の無駄だな。俺はコロシアムに戻る」
シャドウはサロンを去った。
「影の男…」
リルムはストラゴスの小さな赤いマントを掴んだ。
「とにかく、エドガーが正気に戻らねーと何もできないってことだよなティナ」
ロックは長椅子に身体を投げた。
中庭にあった蒼い花は降り積もった雪に覆われていた。
「アイツの首! 一体何があったんだ」
セッツァーはエドガーの騎士の胸倉を掴んだ。
エドガーの騎士キューイは、セッツァーの右腕を掴み、力を入れる。
紫の瞳が翠の瞳を見上げた。その翠は紫の視線を逸らした。
「お前…アイツの騎士なんだろ? 何でも知っているのだろ!」
セッツァーはキューイの手を払う。
大きな体躯のキューイ大佐はセッツァーの前に平伏した。
「ご自身の意思で殺めようとしたわけではございません」
セッツァーは怒りを抑えるように拳を握りしめ舌打ちした。
「わかったよ。あんたが、アイツを助けたんだな」
「エドガー様は、“あの声”と言っておられました。人払いをされましたが、私も声が聞こえて、エドガー様の寝室に向かいました。その声がなければ、手遅れだったかもしれません」
昨夜セッツァーはエドガーの騎士を問い詰めた。
仲間達は成す術も無く今夜も部屋へと帰っていく。
セッツァーは投げたグラスの破片を片付けた。そして中庭を通り抜け開いたままのテラスからエドガーのいる部屋へ向かった。
エドガーの肩には雪が積もり、薄金の髪は、しとどになっていた。
「扉は閉めておけよ。風邪を引くぞ」
セッツァーはエドガーの肩に積もった雪を払い自身の黒いコートを掛けてやった。
「弾いては……くれないか」
凍てついたエドガーの手を、セッツーアは力を込めて握る。少しずつ二人の体温が指先を通して交わる。
誰のものでもないヴァイオリンが白い雪に包まれてピアノの足に横たわっていた。
セッツァーはヴァイオリンに降り積もった雪を払い手に取った。弓を弦に当てて引いてみる。キィーと乾いた音が鳴った。
「ったく、ひでえ音だ」
だがセッツァーは、冷たくなったヴァイオリンを弾き始めた。
kreutzerと名付けられた旋律だけの音が鳴り響いた。その音はエドガーの耳に届いているのだろうか。
蒼と菫の瞳は降り続ける灰色の雪を映しているだけであった。
血は流れ繰り返し
私に受け継がれる
愛も罪も全て