フィガロ王国より南西に所在するジドールの町はいわゆる貴族達の町であったフィガロ王国のように何代にも渡って続く伝統ある国家とは違った独特の雰囲気を持つ町である。
各国の貴族、王族とは名門や血筋と言う名ばかりを残し、財産というものを殆ど所有していないのが常であるのに対し、この町の貴族達は各国の数多(あまた)の貴族とは、比較し難いほどの財産を所有しているのである。それは、名門、血筋に拘らず、自身の腕一本で成り上がって来た人種であった。
町の人々は彼らをよそ者とし口も聞いてくれぬ状態であった。唯一エドガーだけは異国の貴族と見なし、辛うじて情報を提供してはくれたが南の大陸へ飛ぶ方法を掴めていない彼らであった。
「まいったな」
さすがのエドガーも途方に暮れる。
「兄貴からそんな言葉は聞きたくないぜ!」
「いくらなんでもフィガロ城は海底にまでは潜れないしなぁ」
「兄貴、開発してくれよ!」
「マリア?」
「!?」
セリスはふいに壮年の見知らぬ男に肩を掴まれる。
「セリス!」咄嗟に男の手をとるロック。
「すまん、人違いだった。あんたが、私の劇団の女優にあまりにも似ていたから…あー、困った…」
そう言ってセリスの肩から弱々しく手を離した壮年はうな垂れたまま去って行った。
「!」
怪訝なセリス。
「おっ、兄貴! 何だこれ?」
足元の手紙に気付くマッシュ。
「さっきの人が落として行ったものだな。他人の手紙を盗み読みするのは、趣味ではないが、セリスの事をマリアだとか言う女優に似ていると言っていた事が気にかかる。マッシュ見てくれ」
「“おたくのマリア……ヨメさんにするから、さらいに行くぜ。さすらいのギャンブラー”」
「誰なんだ? そのさすらいの何とかとは……」
ロックがマッシュの手からその手紙を取り上げようとするよりも早く、別の手がそれを取り上げた。
「仕方ないなぁ…ダンチョー酔っ払って落としていったんだな…」
手紙を取り上げた主…痩せ型の神経質そうな男である。
「ダンチョー? 劇団の?」
セリスがその男に問う。
「その手紙を落としていった方は何やら相当困っていた様子ですね。セリスを劇団の女優と間違うほどに…よっぽどの深い理由がおありかと」
エドガーは自身達が他人の助力を必要としている時ですら、困っている人を放っておけないのである。
「ダンチョーは、人気女優のマリアが攫われたら劇団が台無しだと…」
「で、その『さすらいの…なんたら…』ってヤツは誰なんだよ」
ロックは気になるらしい。
「世界に1台しかない飛空艇を持っているセッツァーさ。知らないのかい? 何でもその飛空艇とやらには、ギャンブル場もあって、根っからのギャンブル好きで派手好きな男らしいとは聞いているが」
「飛空艇か…それがあれば、空から帝国へ乗り込めるな」
セリスは真剣であった。
「じゃ、会いに行こうか…セッツァーに」
「そのダンチョーに会って、お互いに協力し合えるかもしれないな」
エドガーは手際良く痩せ型の男からダンチョーやセッツァーの情報を聞き出し、この町より更に南にあるオペラ座を目指す事にした
ジドールの町の南に位置するオペラ劇場は、ジドールの貴族達による娯楽の場であった。当然よそ者である彼らに入場の権利はなかったが、ダンチョーに面識があったのが快く受け入れてくれたのである。
「ダンチョーさんよ、手紙読んだぜ! セッツァーが攫いに来るそうだな」
ロックの言葉に心底うな垂れる団長。
「そう、落ち込むなって! 俺にいい考えがあるんだぜ!」
「何だよ、ロック!」
マッシュはその純粋な蒼い瞳を輝かす。それと同じくダンチョーもダークブラウンの瞳を輝かせた。
「そのマリアって言う女優と、セリスは似てるんだろ?」
「???」
怪訝な表情のマッシュとダンチョーであったが、ロックの企みを察したセリスとエドガーは二人のようにはいかなかった。
「つまり、セリスをマリアの変わりに囮にするんだな」
「当ったり! さすがはフィガロ国王! 察しが早いねー!」
妙にノリのいいロックである。
「あぁ! 神様! お願いします、本当に人助けだと思って」
セリスの請うように抱きつくダンチョー。
「そ、そんな! 私はこれでも元帝国将軍だ。そんなチャラチャラとした真似など!」
「セリスが決めればいいんじゃないか?」とマッシュ。
セリスはロック、エドガー、マッシュの顔を交互に、そして、足元に泣きついているダンチョーに視線を泳がす。
「わ、わかった。元将軍、覚悟を決める時は決める!」
セリスは駆け足で楽屋へと消えて行った。
♪あー あー ラララー、うん、 あぁー、マァーリーアー
楽屋の方から聞こえる美声。
エドガー、ロック、マッシュは怪訝な表情になったが、この3人が次に吹き出していたのは言うまでもない。
セッツァーの登場も気になっていたが、セリスの舞台に立つ姿も気になる3人であった。
ロックはとにかくいてもたってもいられない様子のようだ。公演中に席を立つというマナーに反する行動をとった。
「俺、心配だから、ちょっと控え室の方をみてくるよ」
「あぁ、そうだな…」
ロックはエドガーの相槌に何度も頷いて急ぎ足で席を後にした。
「セリス? 大丈夫?」
ロックはドア越しに中の様子を伺う。
「なんとか……入ってもいいぞ」
ロックがドアを開けると、鏡の前には白に金糸の文様を模ったデコルテ調のドレスを身に纏った女性が座っている。
「!!」
その女性は金の長い髪の毛に慣れない手つきで青いリボンを結びあげようとしていた。
「……セリス……綺麗だな……」
羞恥を隠しながら呟くロックにそっと横目で流すセリス。
「……からかってるのか?!」
動揺を悟られまいと、いつもの調子で返すセリスである。
「お? 何で、皆歌ってるんだ?」
マッシュは常に無邪気に兄、エドガーに問うのであった。
「……レネー……城内では、たまにオペラを上演しただろう? それに父上が亡くなる前は一緒に観たじゃないかぁ…憶えてないのか?」
「…俺は寝てたかも……」
「天の父上が聞いたら泣くぞ……」
腕を組んで小さく溜息をつくマッシュ。
「…そういえば、オペラはあの時以来だ。あの頃はいろいろと辛い事ばかりあったな…11年前……」
エドガーは遠い記憶の中へ戻っていった。
「11年前か……。辛かった、これで終わって欲しいと思っていた悪夢の最後には父上をあんなかたちで亡くしてしまうとはな……俺は悔しいぜ、兄貴!!」
エドガーはそれには答えず微かに首を落とした。
そろそろ第一幕が佳境に入ってきた頃である。弦楽器の和音が重なり合い、打楽器も激しく打ち出す。
「……ロニ……」
マッシュは双子の兄であるエドガーには常に『兄貴』という呼び名が愛称であったが、そのエドガーのミドルネームである『ロニ』を呼ぶときは、よっぽどの事であった。
それを知っているエドガーは静かに舞台から外した視線でマッシュの蒼い瞳を捉える。
「?…」
「…まだ、あの女(ひと)のことを忘れてないのか?」
「……何故だ?」
「いや……ロニの…その、セリスに対する……」
マッシュが言葉を遮るのにエドガーもその気持ちを察していた。
10年間離れ離れになっていた双子だが、幼少の頃から何も変わらぬ二人である。
他人の前では取り繕えるエドガーでも、弟のマッシュの前でだけは常に自身を曝していたようだ。まるで、鏡のよう…二人はお互いの心を映し合っている。
「……セッツァーにさらわれる前に、セリスに話しておかなければならない事がある…俺もちょっと行ってくるよ」
エドガーは第一幕が終わり幕が閉じるのを見計らって席を立った。
エドガーはセリス、いや、マリアの楽屋のドアを開けようとノブに手をかけたが、その手はドアの向こうから聞こえる声に止まらせられた。
「ロック、何故…あの時…私を助けてくれたのだ?」
「………好きになった女に何もしてやれずに失ってしまうのは…もうゴメンなだけさ」
ドアの向こうのロックはそう言って素早くこちらへ向かおうとする気配。
エドガーは瞬時にその場から離れる態勢でになった。
しかしエドガーのその行動よりも早く中から聞こえてきたセリスの言葉にロックも止まざるを得なかった。
「私は…あの人のかわりなのか? ロック」
エドガーは手にしていた金のコインを弄んだ。ドア越しに感じる沈黙の空気…。コインを手にしてない左手は自然と…そしてあたかも今、ここを訪れたかのようにドアをノックしていた。
「エドガーだが…入ってもいいかな?」
エドガーの声を聞いたセリスは無言で台本へと目を落とし、「どうぞ」と答えた。
エドガーがドアを開けると最初に視界に入ったのはロックである。今にも楽屋を立ち去ろうとしていた真意が伺える。
セリスはドレッサーの前に腰をおろしたまま台本を眺めていた。
エドガーの瞳に映ったセリスに、彼はさっきの弟の言葉を思い出していた。
『まだ…あの女(ひと)のことを忘れてないのか?』
格調高い青のリボン。
砂漠の国フィガロでは、“水”を象徴する青は神聖な色とされ、王族の者しかその色を使うことがなく、それが自然と代々に渡って浸透していた。
その青いリボンで金の長い髪を高く結い上げ、穏やかな光沢のシルク地に金糸の刺繍を散りばめ、七部袖と大きく開いた胸元の豪華なレースが施された白いデコルテ調のドレスを纏っているセリスは、まるで貴婦人のようである。
“あの女(ひと)”もそうであったな、とエドガーは思った。
普段はセリスのように男勝りな衣装で一緒に狩りをしていたが、ある日の舞踏会でみたその人は、瞳と同じ色の青いドレスが白い肌によく映えた貴婦人であった。
(“似ている…”か…俺もロックと同じなのか………?)
エドガーは自嘲した。
「馬子にも衣装だな…」
「エドガー、お前も私をからかいにきたのか?」
「“青”は…フィガロでは王家の血を引く者しか身に纏わない色でね……セリスも、そのリボン似合っているよ」
「別に…私はやりたくて、こんな格好をしているわけではないからな!」
セリスは誉められるのが苦手なようである。軍人として、男として育て上げられてきた彼女なゆえに当然であろう。
「そろそろ出番じゃないか? 台本をチェックしなくていいのか?」
ロックは心成しか邪魔が入り苛立ちを感じているようだ。
「セリス、これを持っていくといい」
と言ってエドガーは握り締めていたコインをセリスに渡す。
セリスはエドガーに手渡されたコインを眺める。何の変哲もないコインだ。不思議そうに裏を返してみた。
「!!」
「珍しいコインだろう? 父上の形見でね、表裏一体のコインだ。そう、セッツァーはギャンブラーと聞いた。もしもの時はそれで賭けをすれば良いと思ってな。役立つようだったら使ってくれ、邪魔したな」
エドガーは颯爽と踵を返して楽屋をあとにした。
「心配するな、俺達がついてるからさ! もしもの時は俺がちゃんと守ってやるぜ!」
ロックもそう言って楽屋をあとにする。
「エドガー、ロック……」
計画通りセリスをセッツァーに攫わせ、エドガー達は守備良く飛空艇に侵入できた。
「何とかうまくいったようだ…セリスのおかげだぜ! な、兄貴」
「でもこれからが本番だな」
「立派な女優ぶりだったぜ、第二幕も頼むぜ、セリス」
「ロック、ひやかさないで! ……しっ、セッツァーがくるわ、隠れて!」
彼らが隠れる隙もなくセッツァーが部屋に入って来た。
銀色の絹糸のような髪は無造作に腰まで伸びている。
派で目ではあるが、なかなか趣味の良い装飾品を耳や腕、首につけている。端正な顔立ちに残る傷跡が自称ギャンブラーである彼が人生そのものを賭けて生きてきた事が伺えた。
「き、貴様ら!! 何者だ…! ん? お、お前はマリアじゃねぇな!!」
早、作戦は失敗か? セッツァーを怒らせてしまったようである。
「すまない、セッツァー! でも私達はどうしてもベクタに行かねばならない。だから貴方の協力を得たくて」
突如セッツァーの前に踊り出るセリス。
「マリアじゃなきゃ、用はない。さっさと消えてくれ!」
呆れたセッツァーは踵を返す。
「待って! あなたの船が世界一と聞いた」
尚も諦めぬセリスである。
「世界一のギャンブラーとも」
セリスに続くロック。
「突然、失礼な事をしたと思う。私はエドガー・フィガロだ」
エドガーもセッツァーに近寄り彼を見下ろす。
ほんの少し自身の目線よりも上にある蒼い瞳をセッツァーの紫がかった瞳が捉える。
「フィガロだって?! 国王か…国王自らこんなこそ泥のような真似をするとはな…何か深い事情でもありそうだな…話だけは聞いてやるぜ」
「ありがとう、セッツァー!」
「カン違いするな。マリアのニセモノ! 俺はまだ手を貸すとは言ってない、来な!」
セッツァーは艦のギャンブル場へと案内してくれた。
艦のギャンブル場だけに小規模ではあったが、主と同様、趣味の良い装飾品で所々小綺麗にまとめあげられていた。
「この通り、俺の自慢のギャンブル場も帝国のおかげで、商売があがったりさ。で、お前達は何をしに帝国へ行くのだ?」
「貴方だけじゃない。たくさんの街や村が帝国によって支配されているばかりか、いくつかの国は滅ぼされた。私達はリターナー。傲った帝国を阻止するのが目的だ!」
「セリス……」
常に何事にも情熱的なセリスを知っているだけにエドガーは最早セリスを疑う事はない。
「私の国も11年間、表向きは帝国派とし、国民にも辛い日々を送らせた…だが、これまでだ。私達が行動できる時がやってきたのだ」
「帝国の言いなりなんて、俺は絶対にごめんだね!」
今まで口を閉ざしていたマッシュは、城を出てからの10年間、フィガロ王国が例え表向きでも帝国の犬になっているのには堪え難かった。
「帝国……か」
セッツァーは水晶のような深い紫の瞳でセリスを品定めしていた。
「帝国を憎むことは、私達と同じだな……頼む、セッツァー協力してくれないか!!」
セリスはその蒼い瞳でセッツァーの視線を捉えた。
「そうだな…よく見ればあんた、マリアよりも、いい女だな」
「な、なんだ!?」一歩足を引くセリス。
「そうだな…あんたが、俺の女になったら協力してやってもいいぜ」
「な、なんだと! そんな勝手なことを!」
ロックは怒りを露にした。
「…君なら…もう少しセンスのある言葉を聞けると思ったのに、がっかりだよ。レディに対する言い方ではないな…」
エドガーは呆れる。
セリスはオペラ座の楽屋でエドガーから預かったコインを手に持つ。
「わかった。だが、条件がある」
「おいっ! セリス!!」
既にロックは冷静さを失っているようだ。
「条件?」
「このコインで勝負しよう。もし表が出たら私達に協力する。裏が出たら……貴方の女になる。どうだ? やらないか? ギャンブラー殿?」
「ほほう、いいだろう。受けてたとう!」
やはりエドガーの思惑通りである。セッツァーは賭け事を挑まれると断れない性質であるらしい。
「いくぞ」
セリスは金のコインを爪で弾き飛ばす。木製のギャンブル台にコトンと鈍い音をたててそれは落ちた。
「私の勝ちだな。約束通り手を貸してもらおうか」
セッツァーはテーブルの上のコインを手にとり裏表を翳してみる。
「ほう、古い貴重なコインだなぁ。表も裏も国王か…フィガロの国王さんよ、あんたのものかい? こんなコインは初めて見たぜ」
「兄貴! そのコインは!!」
マッシュは驚きを隠せない。そのコインはエドガーが父上の形見だと言って大切にしているものである。
10年前フィガロ国王が崩御した時、権力や陰謀の渦巻く城にうんざりしていたマッシュ。そんなマッシュにエドガーはそのコインで賭けをしようと言った。勝った方が好きな道、自由を選ぶかフィガロを継ぐかを決めようと。そしてマッシュは自由を選んで城を出たのである。
「いかさまもギャンブルのうちだろう? ギャンブラーさん? 俺自身も、自分で選んだのさ、マッシュ…。最終的に選ぶのは自身じゃないか? 負けた者にも選択の余地はあるんだ」
「………兄貴!!」
これには、エドガーとその弟のマッシュにしか理解しえない領域である。だがセッツァーは胸元で組んでいた腕を外し、エドガーの前に立つ。
「いかさまを使うとはな! いい根性だぜ、お前さん達よ! そうだな、国王さん、俺も一つ選んでみるか」
「“国王”って呼び方はやめてくれ…エドガーだ」
エドガーの差しのべる手にセッツァーの手が重なった。
「帝国相手に死のギャンブルなんて久々にワクワクするぜ」
掌のコインをエドガーに投げるセッツァー。
「俺の命そっくりチップにしてお前らに賭けるぜ!」
常にキザに決めないと気がすまないようだ。
「おうよっ! そうと決ったら早速ベクタへ突入だな!!」
腕をならす、マッシュ。
「明朝には着くと思う。狭いが部屋はたくさんあるから、各自、自由に使ってくれ」
「ありがとう、セッツァー。心置きなく使わせてもらう。私は少し疲れた…すまないが先に休ませてもらう」
今日の長い一日にさすがのセリスは疲れた様子を見せた。
次の目的地ベクタへ向かうまでの束の間の一時を迎える彼らであった。