飛翔
Chapter 3 <escape from reality>
言葉は途切れた。
近くにある椅子が風に揺られて微弱にも鳴り響いている。
「こんなものが…あったんですね…どうして言ってくれなかったのですか?」
「言えないんだよ。俺にしか分からなかったから…俺にしか教えてくれなかったから」
明刻の時は近づく…全てが始まる。
二、三時間まともにも取らずに仮眠を取っているマッシュ。
やはり今、自分のしていることにも気づくはずがない。
シーツは球状になり、それをまた伸ばすように引っ張り上げている。
人形遊びの手本行動と同じだ。
「…?」
漸くシーツが引き伸ばされたが、皺が幾つもできた。
時計の針は静かに刻みつづけている。昨日までの靄は嘘のように消えていた。
額に手を動かそうとすれば、
「動かない…」
状態を起こそうとすれば、
「動かない…はは…まさか…金縛り?」
思いたくも無い…自分が犯した傷口が開いている。
手短に動かせそうな箇所をしきりに探っていたが、十分も経たずに状態を起こせるようになった。
目を凝らしながら仕方なく書類に目を配る。
視界にあるグラスに水を入れて、紅液を垂らして書類につける。
書類は瞬く間に赤く染まり、原型どころではなくなってしまった。
犯そうとした罪を、自分の手で赤く染めるのは快楽だと考えたのだろう。
「殿下!ロック=コール様が謁見の間でお待ちですよ」
そう告げられたのは紅液の塊が溶けた頃だった
書類だけが溜まっていく毎日の生活。
変わらない靄の中を駆け回っている自分。
『喜び』の文字を受け付けない身体。
眼前にある鏡が嘘の姿だったら、良いものだとマッシュは思う。
脳の中にはたった一文しかこめられていなかった。
「よう!久しぶりだな。お前ちょっとやせたか?」
「多少はな。国王生活も楽じゃないってのが今になって分かる気がするぜ」
戦友ロック=コールは、相変わらず宝を求めるトレジャー生活である。
左手につけている指輪は、原石そのままであった。
「明日空いてるか?」
「明日?」
「ああ、明日サウスフィガロのバーにセッツアーが来るんだとさ。
たまには執務作業から放れて、ギャンブルでもどうだ?
もちろん賭け有りで…」
ロックは手書きの地図をマッシュに握らせた。マッシュにはまだ理解不能な範囲である。
場所は路地奥隠れた店の『Jade』。
示された太丸は、うってつけの場所だと思わざるを得ない。
国王自身が動くことは、調査されていると思われているからだろう。
「よく分からないが、とりあえずココにいるんだろ?しかしとんでもない場所だな」
「目立ちたくないんだろ?時間は昼10:00」
マッシュは首を縦に振る。
「大当たりだ。従うぜ」
時間序に掛け金事を頼んでおく。
戦友とは言えどもフィガロに属している身であり、未だにパイプ役としては外せないのである。
お互いに賭け事を頼まれた時刻は秒針60秒の間であった。
サウスフィガロ郊外は未だ復興が続いていたが、
繁華街へ来ると人口密度は年々増加するほどだ。
今、中心域で鐘がなる時刻になる。
密告も何も受けていない状態のロックとマッシュは、
路地裏の最も壁にぶつかるあたりの店に入る。
前日予告した『Jade』の店内では、ギャンブル製品があちこちに散らばっていた。
「ここなのか?セッツアーはいないみたいだけど…」
『ここに自分の名前を明記するようになっている』と解釈するが、そこにセッツアーの名は無かった。
「まだ来てないみたいだな。その辺りの店員に聞いてみるか?」
「ロック…それは拙いんじゃないか?ロックはともかく俺は知られたら場が悪いし」
「このまま立ち往生ってのも可笑しいだろ…まずは俺が聞いてくる。
…ここにセッツアー=ギャッビアー二はいます?」
バーの入り口付近に棒立ちしている女性に声をかける。
「セッツアー様ですか?チェック項目には入っておりませんが…」
女性は一覧名簿表の項目冊子をロックに渡す。ギャンブラーの名が好積順に載せられていた。
「で…結局まだいないってことか…立ち往生だな…ん?」
別の入り口付近でセッツアーがチェックインしている。
それをついて同じ入り口から群集が20〜30人ほど団子状態で押し寄せてきた。
腰につけている袋の中身は、鉄の匂いのするチップで埋まっている。
「セッツアー!お前ココからきたのかよ?」
「お!待たせたな。ファルコンの微調整で遅れちまった…奥の部屋へ行こうぜ」
入り口でチェックインを済ませると、早足でドアを蹴飛ばした。どうやら常連客らしい。
用意された個室では、セッツアーお手並みのスロットマシンやルーレット台等の数々のギャンブル特注品が揃っている。
「で、俺がここに来るというわけでマッシュも連れてきたのか?視察じゃなかったのか?」
「ああ、俺は先週終えたところだから暫くは大丈夫だ。まあつい最近に神官長にはこっぴどく叱られたけど…」
セッツアーが用意したのは白球とチップを置く土台だ。
「マッシュ、ルーレットはやったことあるか?」
「多少は…カードゲームよりは経験ないけどな。ところでロックが見当たらないんだけど」
「多分俺とのポーカーの特訓でもしてるんだろ?この間賭け金取られちゃったからな」
(セッツアーが負けるなんて珍しいな…)
ロックとの死闘は、群集に囲まれながらの戦いであった。
二時間が経過し、未だにスリーカードも出ていない。
逆に小刻みに地団駄する癖が出始める。
手馴れたカードではあるが、あくまでも運試し程度にしか遊ぶ事はなかった。
「マッシュ…お前強いな。フルハウスかよ!」
「そういうロックは?」
「当たりも何にもない…今日はついてねえな」
ロックの手持ちカードは、ものの見事に数字もマークもバラバラだ。
辛うじてダイアのマークが二枚組み合わせといったところだが、
マッシュの手持ちカードとは比べられないほどだ。
「まあギャンブルってのはこれだから面白いんだよ!
さっきルーレットやってきたけど、俺は全然当たらなかったな」
隣の席でブランデーを口に含んでいたセッツアーが、ギャンブルの経緯を口々に話す。
「ギャンブルには上手、下手はないからな…。そいつの運命で決まる…ん?何だ?」
セッツアーは口を無理矢理止める。
それも入り口で待機している賊らしきものが周囲を凝視しながら、誰かを囲っているようだ。
「嬢ちゃん、こんなところへ何しに来たんだよ?」
「…」
「ココは少女(ガキ)の入る場所じゃねえんだ!とっとと出ていきな!」
ガタッと椅子の転がり落ちる音と共に、セッツアーとロックは止めにかかっていた。
紳士道というわけではない、邪魔をされたくないのだとマッシュは悟る。
「これで勘弁してやれよ。大したもんじゃないが…」
セッツアーがチップを何枚か与えてやると、賊達は逆に度胸を添える。
「あちゃ…逆鱗に触れたか?拙いムードだ」
マッシュはすかさず『嬢ちゃん』と呼ばれているらしき少女を抱えると、
「セッツアー!ロック!とりあえず落ち着いたらまた来る!」
そう言い残して路地裏へ出る。
事は昼間なので、まだ人通りが多いようだ。
雑踏の中を急いで駆け抜けると、
(とりあえず落ち着く場所…探そうかな)
中央域広場でひとまず抱えたままの少女を降ろす。
「君、あそこで何してたの?」
「…」
少女は答えない。
憂いを帯びていて今にも泣きそうな表情(かお)でマッシュを疑う。
「名前…教えてくれないか?」
一瞬子供は引こうとしたが、耳元で囁いているとはっきり解った。
「私…ステイア」
「君は何をしていたんだい?隠すほどでもないだろ?」
「買い物…してて…。人多くて…物落とした…」
「君の家はこの近く?」
「…うん」
微弱ながらも、精一杯出している姿が痛々しい。
店に戻れば同じ事が起きるのは明白だと思ったマッシュは、
「とりあえず…家に帰ったほうが良い…ちょっと家まで案内してくれないか?
それとも、まだ探す?」
「…」
少女はまだマッシュを疑っているようだが、どことなく小さな笑みを出すまでになった。
執着心からかけ離れていく。
「うん。わかった…家、案内する」
案内された場は、簡素な住宅街のちょうど中央に位置していた。
サウスフィガロの裏側にあたる所だが、比較的居心地がよい場として知られている。
先々に見える山岳地帯が、自然の脅威をそのままに表していた。
「ここ…私の家」
指差したその先に確かに家はあったが、案内された土地はどうやら農園付きらしい。
見事に熟している果実、その奥には狭領ながらも畑が見える。
「自家栽培か…見事なもんだな」
「お母さん…」
家の中に案内されると、外側から一切見えない着飾りやインテリアに請った部分に惹かれる。
「ステイア…この方は……」
木扉の奥から、小柄な女性がステイアを見下ろす。
神秘的な白衣装を纏っているが、左手には常備なのか洗濯ハンガーを握り締めていた。
「ステイア…ちょっと上で遊んでいなさい。この方とお話したいから」
「…うん」
ステイアはあっという間にお気入りの人形を握り締めて手足を動かす動作に入っていた。
「…すいませんでした。あの子がバーに入ってきたもので家まで見送ろうかと…」
「あの子、直にあちこちいろんな所へ行くものですから…」
女性は椅子の一つに手を添えてマッシュを座らせようとしていた。
「あ…私、ルドヴィカと申します。…マシアス陛下でございましょう?」
「??どうして分かるんだ?」
「…やはり…前王エドガー様によく似ておられますね。一度お会いした事がありますので」
ルドヴィカは、ティーカップにジャスミンの紅茶をゆっくりと注ぐ。
特有の香りが何とも好ましいものだとマッシュは思う。懐かしいような香り…。
「一つ…質問して良いかな?
君は…壁の認定書を見たところ帝国出身みたいだけど、どうして此処にいるんだ?」
「…確かに、私は元帝国の研究員の一人でした。今となっては帝国など名もない場所…。
でも『過去を切り捨てることは出来ない』のです。『私がルドヴィカという人間である限りは』。
マシアス様はご存知かと思いますが、帝国には約1000年前に起こった魔大戦を元にデータを集め、
より多くの魔導戦士を必要としてきました。
それが帝国を頂点に置くために必要不可欠なものであったのは他でもないと思います。
私が働いていた場は…魔導を生み出し、注入するために作られた施設の中です…」
「君は…魔導を生み出した研究施設の一員だったのか」
「私にもいつか安定した世界がくることを願って帝国に仕えていたのです。
結局帝国の考えている事は、人を使った人体実験を元に似通った人を作る…
魔導はそのための前例でしかなく、他の目的があったのです…」
マッシュは少し間を空けてティーカップを皿の上に置く。
ジャスミンの紅茶の香りがまだ暖かくも感じたが、同時に冷酷な雰囲気も漂っていた。
「目的?帝国は魔導を使って魔大戦を起こそうとしたんじゃないのか?」
ルドヴィカは何も知らなかったように、入ってきた入り口の方を見やる。
同じくティーカップを皿の上に置いた。
「…あの子です」
「?」
「…ステイアです。私はあの子の本当の母ではなく、引き取った…と言えば良いのでしょうか」
マッシュはドキッとする。意思が揺らいで行く。
「あの子と何が関係あるんだ?」
そう言う前提で、ルドヴィカは台所(冷蔵庫だけが妙に目立つ)から光るものだけを持って来る。
用意された固形のものは明らかに一般の形とは変わっていた。
「銀の…スプーン?…!!??何だこれは!先が曲がってる…」
「これでお分かりかと思いますが…あの子は元々実験体として選ばれた子供です。
私が駆けつけたときは既に…。
でもあの子にはこういう曲げるような力があるだけ…他は普通の子とは何ら変わりはないのです。
私が引き取ったのも、『あの子を一人の人間として認めたい』そういう意思が私の中にあるのです。
自分でしてしまった事に取り戻しはききませんが、あの子が望んでいる事なら何でもしてあげたい!
ただそれだけです」
『望んでいる事に、自分の姿を重ねるだけで私は生きている価値があるんです』
マッシュはただ聞いているだけだったが、黙っているわけにはいかなかった。
こうして向かい合っているだけなのに、
ルドヴィカが必死に訴えようとしているのに罅が入りそうだったからだろう。
腕を組んで暫く黙々としていたが、それは大きな切り口となる。
「君なら…話せる」
「え?」
「君は…前王に会ったことがあると言っていたよな?」
ルドヴィカは確かに…と強く首を縦に振る。
「では…前王はどんな理由で辞退したかは分からないと思うけど…」
「私が聞いた話では…エドガー様の噂は多々あって…」
「だと思う…誰も真実には気づきはしないんだ。住民は皆、噂だけの人物だ!と信じているだろうし…」
ルドヴィカの目が細く、光を放ったように反射する。
「君の前には道がある。でも俺には道がない…この違いは…俺の一つの失態だったのかもしれない。
言うも何も…俺が辞退させたんだ」
「!?何故…?実のお兄様でしたのでしょう?」
そう語られる事は、マッシュには分かっていた。
気がつけば見知らぬ(仮に名前を聞いたとしても、赤の他人であった)人を目の前に、
憚るような話をしているのだ。
「君なら、この真実に気づくかもしれない。それは俺にとっては強敵だが、
仮にも俺と同じ考えを持つ人がいるだけで、俺は君が言った『生きている価値』があるんだ!」
マッシュは手荷物からフィガロの勲章入りの日記を取り出し、ルドヴィカに手渡しする。
「兄貴の書いた日記だ。そこには全てが真実であると共に、行き来された何かがある。
俺は少なくともそう感じている。
俺が真実を見ていられるのは、その日記を読んでいる間だけかもしれない。
こう言っている間でも紛れもなく真実だが、俺には兄貴が傍にいたこの間だけが真実だと見ているんだ」
力なく揺られる意識の中にいるもう一人の自分。
真実から逃げるために用意された言葉と踏み場に、ルドヴィカは納得したかのように日記に手を当てた。
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