ホームタウンの優しいビースト <2/2>
かつては神羅の要人の宿舎として使われていた屋敷に、土地の者は近寄らない。そこは静かな村だった。 The End
神羅が何故その場所を選んだのか、そんなことさえ自分は知らない。
最初は、今どこにいるのかもわからなかった。
ヴィンセントの記憶は宝条に詰め寄った時点で途切れていた。自分の体に何かが起こったことだけは感じとれたが、高熱を出したときのように頭が回らず、あれから幾日たったのか見当もつかなかった。
変化は宝条に与えられ、また、宝条によって思い知らされた。
宝条はその日、まるで世間話のように言った。
「子供は無事だよ」
子供?
「帝王切開で取り出した。母子共にかなりの負担がかかっていたからね」
子供…誰の?
「子供はカプセルに直行だが、手術直後だというのにルクレツィアの行方がしれない。厳重に見張るように言ったのに、警備の連中もお粗末なもんだ。せめてきみのようなタークスを割り当てておくべきだったね」
誰だって? ルクレツィア?
「内部の反対派に持って行かれたのではないか、という意見もでているよ。馬鹿馬鹿しい。私だったら子供の方を狙うがな」
ヴィンセントが目を開く。
「普通なら身が持たないが、ジェノバの影響下にあるならいずれ…」
その言葉も終わらないうちに。
宝条の体は壁に叩き付けられていた。
倦んだような仕草を一瞬で振り払い、ヴィンセントが跳躍する。
瞳を鮮やかな血の色に染めて、獲物の喉を掴んで締め上げる。
「ぐ…っ…」
ゆっくりと力をかける。
あと、少し。
不意に足元でぱきりと固い音がした。
宝条の体が床に沈む。
薄暗い部屋に、激しく咳き込む音と押し殺した低い呻き声が響いた。
フレームの折れた眼鏡が転がっている。
ヴィンセントの両腕は、ヒトのものではあり得ない形状をしていた。
逃げずにこの場所に留まっていたのは、自分がいつ化け物に変わるかわからない、ただそれだけの理由だった。
ルクレツィアの行方を追うことを考えなかったわけではない。
ヴィンセントを押しとどめていたのは恐怖だった。
変化は一定しなかった。
身を切り刻まれるような痛み。
細胞の一つ一つが何かに浸食されてゆく。
左胸から指先にかけて大型獣のものに変わることもあったし、全身がどの生き物とも判別がつかない姿に変わることもあった。
それは決してヴィンセントの意のままにならず、体の奥深くから皮膚を食い破るようにして現れる。
指や腕がなかなか元の形に戻らないとき、ヴィンセントはその部分を屋敷にあった布で覆った。せめて自分の視界から遠ざけたかった。
気がついたら覚えのない場所で立ちつくしていることもあった。
空高く月がかかり、足元には何かの生き物の死骸が転がっていた。地面も手も体も生臭い血で濡れていた。
どうやってこの部屋に戻ってきたのかもわからない。
宝条はヴィンセントの姿がどう変わろうと驚く様子も見せなかった。
どんな姿であろうと同じように体表面を調べ、正体のわからない液体を注入した。ときには組織を少し削り取っては持ち帰っていた。
その生活はおよそ常人の生活からは程遠いものだった。食事さえしていない。宝条が点滴を入れることもあったが、全く空腹を覚えなかった。一日じゅう部屋の真ん中で座っているだけだ。
生きているのか死んでいるのかわからないような状態で、それゆえにヴィンセントはヒトの形を保っていた。
「面白い話を聞いたよ」
アンプルを折りながら宝条が言った。
「夜になると、この辺りには怪物が出るそうだ」
片眉だけ上げてヴィンセントを伺い見る。
「不気味な声を上げてこの辺一帯を徘徊し、家畜を端から喰い殺す。案外きみのことじゃないのか?」
答えはない。
宝条は肩をすくめると、注射器を片手にヴィンセントの腕を取った。
「…まるで医者だな」
「おやおや。口をきけなくなったのかと思ったよ」
からかうような口調にも、ヴィンセントが腹を立てることはなかった。
感情が揺れるとき、異形のものが自分の体の奥で騒ぎ出す。
意識して抑えているうちに、本当に何も感じなくなってしまえばいい。
「必要なことは何でもやる。これが私のモットーでね」
必要なことなら何でも。
タークスも同じだと思いながら、ヴィンセントは壁を見つめていた。
ルクレツィアが微笑んでいる。
風に吹かれて、吊り橋にゆられて待っている。
天も地も、青い青い光に満ちあふれている。
柔らかな声がヴィンセントを呼んでいる。
しなやかな身体に獣の爪が食い込んだ。
青い光の中でルクレツィアの姿は黒く染まる。
頭からつま先まで黒く染まってゆく。
突然に青い光が消えた。
ぞっとするほど鮮やかな赤一色に染まった何かが散らばっていた。
彼女の残骸が。
これは夢なのだと、夢の中の自分は知っている…。
扉の開く音で目が覚めた。
瞼の裏にまだ赤い色が残っているような気がして、頭を軽く振った。
同じ夢を何度も見た。
夢の中の自分を、同じ自分がどこか高いところから見下ろしている。
地を這いまわる異形の姿。他の誰でもない自分が彼女を引き裂くのをただ眺めているだけの夢。
宝条は背中を向けて、診察の準備をしていた。
いつもより早いなと、ふと不思議に思う。
前回来たときからいくらもたっていない。
宝条は、前置きもなく話し始めた。
「モンスターの組織を移植したところで、モンスターに変わるわけがない」
引きずるように身を起こし、耳を傾ける。
「その気もないのに優秀な社員をはずみで殺してしまっては、さすがに私も夢見が悪い。だから、培養中のジェノバ細胞を使った」
机の上のライトが切れかかっていた。
頭が痛い…。
「ジェノバ細胞は生命力が強い。焼いても酸に浸しても死なない。接ぎ木の代わりにするにはもってこいの素材だ」
「何が言いたい?」
「予想通りにジェノバは宿主を守った。いや、予想以上の効果だった」
ひどく疲れた気分で、ヴィンセントは宝条に目を向けた。
会話などしても無駄だ。わかっているのに、意思に反して口は動いた。
「…ジェノバは、心までは守ってくれない」
一瞬の沈黙のあと、宝条は笑いだした。
「心! こーこーろ!」
身を二つに折って笑っている。
「ははは、これはいい、きみからそんな言葉を聞くとはね!」
宝条は手を伸ばすと、いきなりヴィンセントの髪を鷲掴みにした。
「心! 心がどれほどのものだというんだ? 電極を挿してやろうか? 薬がいいか? 楽しい気分にしてやるぞ! 思い出に浸りたいか? 悲しい方がいいのか? リクエストしてみろ、遠慮するな!」
笑いながら、掴んだ頭を力任せに振り回す。
痛みよりその行動に驚いて、ヴィンセントはその手をふりほどいた。
何の抵抗もなく、宝条の手が離れた。
哄笑の名残など欠片もない目がヴィンセントを見ていた。
「この数週間、きみの体細胞を調べていた。何度調べても同じだ」
低い静かな声。
「きみは…。いや、きみの体は…死なないかもしれない」
ジェノバが、あれが福音であるはずがない…。
自分はいつも気づくのが遅すぎるのだと、ヴィンセントは思った。
夜半から雨が降り出していた。
ヴィンセントは深い眠りに落ちてゆく。
闇の奥深くにその身を沈めてゆく。
生命のない人形のように。
土に還ることができない死人のように。
宝条はヴィンセントを止めようとはしなかった。単に興味が失せたのか、それとも他に理由があるのか、確かめる機会はついになかった。
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