ホームタウンの優しいビースト <1/2>
『あのお屋敷に近づいちゃいけない、お化けが出るよ』
「子供の頃に聞いた話さ。あんまりよく覚えていないんだ」
夏の日差しが降り注ぐコスタ・デル・ソルのビーチで、クラウドが言った。
「そんな格好で暑くない?」
陽のあたる場所へ、クラウド、きみが連れ出してくれた。
「あんたと俺、ご近所さん同士だったんだな…」
金色の髪が光を弾いて、とても眩しい。
きっかけは、ジェノバだった。
ガスト博士が二千年前の地層から発見した生命体。
二千年もの時を生き続けていたものに、神羅は「ジェノバ」と命名した。
ヴィンセントは神羅の調査活動を受け持つタークスの一員だった。
他の社員と同様、必要なときに必要なことをしていただけの話だった。
ジェノバが地の底から現れるまでは。
ヴィンセントは一人の女性の姿を脳裏に描く。
ルクレツィア。
最初に会ったのは、神羅本社ビルのブリーフィングルームだった。
すっと背を伸ばした睡蓮の花のようだった。
常に影として控える立場の自分には、関わりのない人間だと思っていた。
彼女が話しかけてこなければ、実際関わることなく通り過ぎたのだろう。
「あなたは、ボディガードさん?」
自販機のコーヒーを片手に彼女が立っていた。
面倒だとも、煩わしいとも感じなかった。
「…何故?」
反射的に聞き返していた。
「だって、空いてる席があるのに迂回するから…扉に背中を向けたくないのかと思って。それに上着のボタンをかけてないし、腕を下ろすとこう…」
彼女の腕が宙に弧を描く。
「体の側面に腕がつかないの」
ヴィンセントは苦笑した。身に付いた癖は見る者が見ればわかってしまう。
彼女はヴィンセントが脇に下げている銃に気づいているのだ。
それと知っていて、ためらうことなく話しかけてくる。
名前も訊かなかったが、忘れられなくなると思った。
その後彼女とは、ミッドガルを遠く離れた山間部にある研究所で再会した。
彼女の名前と、研究者だということをそのときはじめて知った。
研究所に来るたびに彼女の姿を探した。
目が合うと笑いかけてくれた。ヴィンセントの名前を呼んでくれた。
優しい声だった。
愛していると思っていた。
彼女が自分ではなく宝条という男を選んだときも、彼女が幸せならそれでもかまわなかったのに。
ルクレツィア自身が望み、ジェノバは彼女の胎内に宿った。
危険な実験だとしか思えなかった。
それだけで十分だった。彼女を止めるべきだった。
「私、研究者なのよ」
そう言われてしまうと、彼女を止めることに罪悪感を感じた。
生まれてくる命にジェノバ細胞を与える。
どうなるのか想像もつかなかった。
ヴィンセントは任務の都合で各地に赴くことが多かった。
彼女のことが気にかかっていたが、近くにいることはできなかった。
久しぶりに研究所に立ち寄ったときも、彼女に会いにきたわけではなく、ガスト博士の率いる調査団の護衛という任務をかかえてのことだった。
ごく単調な任務はこの地に全員を送り届ければ終わるはずだった。
ゲートチェックを通過して中に入ると、そこは奇妙な緊張感に満ちていた。
白衣の男が早足で近づいてくる。
「ガスト博士…こちらへ」
ヴィンセントが一歩前に出る。引継ぎをするまでは護衛の義務があった。
ガスト博士が右手を振ってそれを制した。
「きみ、ご苦労様でした。ゆっくり休んでください」
用が済んだら部外者は早く帰れということか。
そのままガスト博士を目だけで見送る。
別室への扉が閉まる直前、確かに「ジェノバ」という言葉が聞こえた。
残された者が低い声で早口の会話を交わす。
聞こえてくるのは専門用語ばかりでヴィンセントには意味を成さない。
踵を返して、入ってきたばかりのドアを開けた。
頭の中で警鐘が鳴り出している。
曲がり角で所員を一人つかまえた。抱えたファイルが床に落ちる。
「ルクレツィアはどこです?」
「なんだあんたは」
「本社の者です。ガスト博士の指示でして…」
胸のパスを見せると、男が体の力を抜いたのがわかった。
「…抜け出した。遠くには行ってないだろうが…。ちょっとした騒ぎさ」
「ご協力、感謝します」
落ちたファイルを拾って男に差し出した。
騒ぎの元を辿ることは難しくなかった。
研究所の裏手の細い道を辿ると、数人の男が集まっているのが見えた。
その向こうに吊り橋がかかっている。
…ルクレツィア。
「飛び降りる気じゃないだろうな」
「まさか」
男達は口々に言うものの、誰も動こうとしない。
押しのけるようにして前に出た。
それに気づいたのか、彼女が顔を上げた。
「ヴィンセント?」
冷たい風が彼女の髪を乱してゆく。
ゆったりとしたワンピースの生地の下、子供を宿しているはずの腹部にヴィンセントは目を向けることができない。
「…戻ろう、ルクレツィア」
彼女はさしのべられた手をじっと見つめている。
「戻ろう」
同じ言葉を、もう一度繰り返す。
彼女は穏やかな微笑みを浮かべる。
「どうして? もう戻れないのに」
不安が胸の奥からわき上がってくる。
彼女と目を合わせたまま、ゆっくりと足を進める。風雪にさらされた古い橋が、一歩ごとにギシリと鳴った。
「どうしてなの?」
その問いかけにどう答えたらよかったのか。
「…ここは、体によくない」
そんなありきたりな台詞で、彼女の背中にそっと手を添えた。
背骨の感触がはっきりと手に残った。そのまま来た道を戻る。
「こっちへ!」
所員達があわただしく動き出す。
何か黒っぽいものを手にした男達が駆け寄ってきて、周囲を取り囲む。
一人がスタンガンをこちらに振りかざした。
ヴィンセントは息を飲む。
何故そんなものを用意する必要がある?
顔見知りの若い所員が、後ろからヴィンセントの腕を引いた。
「危ないんだ。暴れるんだよ、やりたくてやってるわけじゃないんだ」
半分ぶら下がるように、引き留めようとする。
男が彼女に電子錠をかけようとする。彼女はされるがままになっている。
「やめろ…っ」
「あんた、責任とれるのか!」
恐れているんだ。ここにいる男達は彼女を恐れている。
何が起こっている…?
彼女はヴィンセントを一度だけ見ると、あの穏やかな微笑みを浮かべて首を横に振った。
タークスである自分が、この場所を何度も訪れることになったのは何故だ?
それは神羅にとって、この実験が、ジェノバが。
重要な意味を持っているからではないのか?
ヴィンセントは研究棟へ向かった。
今ならまだタークスのパスでゲートを通過できる。
確かめなければならない。
ルクレツィアの子供の生物学上の父親、ジェノバ細胞を植え付けた男に。
「宝条…どこにいる?!」
宝条は自分の研究室で机に向かっていた。変わったことなどひとつも起きていないような素振りで立ち上がると、ヴィンセントを見て首を傾げた。
「きみは…確かタークスの…?」
「ヴィンセント・ヴァレンタインです。宝条博士」
正面から向かいあうのは、これが初めてだった。
ルクレツィアの選んだ男。
この男が。
「あなたは…何をしたのですか」
宝条は、訝しげに眉を寄せた。
「何の話だ」
「とぼけるな!」
胸ぐらをつかんでやりたい気持ちを押さえた。殴るより先にやることがある。
自分は、あまりにも何も知らなさすぎる。
「ルクレツィアのことか?」
「…そうだ」
この男は知っている。
知っていながら、彼女をあんな目に合わせている…。
「ヴィンセント・ヴァレンタイン。これは実験だ。きみには関係のないことだ」
言葉に詰まった。
関係ない。関係ない。ああ、そうだろうとも。ジェノバなんか知ったことか。
訊きたいのは彼女のことだけだ。
「実験のことなんか訊いていない! ルクレツィアに何をした!」
宝条は身じろぎもしない。その姿に苛立ちが押さえられない。
「仮説を立てる、条件を与える、経過を観察する…」
講義中の教師のような口調。
「望む通りの結果を出したいところだが、神ならぬ身にはままならない」
そのまま背中を向けようとする。
「待て!」
無意識に銃を抜き、そのまま二回続けて撃った。
弾丸は宝条の頭の脇をかすめて飛んだ。
宝条が耳を押さえて怒鳴る。
「室内での発砲は危険だ!」
「おまえは…っ」
風を切る音がしたと思った瞬間、体の真ん中に焼け付くような熱を感じた。
視界が急に暗くなる。
どうしてこんなに暗いのだろう。
「…先に発砲したのは、きみだぞ」
その声がやけに遠く聞こえた。