風の追う処 − 延々と続く地下への回廊。いや、海底下の回廊か… TO BE CONTINUED Next
長いエレベーターは、より気分を鬱蒼とさせる。俺は、自分で歩くのが好きだ。勝手に運ばれるのは好みじゃない。
「わーい、ナナメのエレベーター! ドコに行くのかなぁ? わくわくっ」
ち。さっきまで暗いのはイヤだとか駄々をこねてたクセに…。
こういう時は、コイツの脳天気さが少しだけ…ほんの、ほんのすこ〜〜〜しだけ、羨ましく思えてくる。日頃はイライラカリカリさせられるのだが。ま、憎めないパートナーではある。
「もう少し大人しくしなさい。遊びに行くのではないのですよ」
……何度目だ、コイツ。ちらっとだけ振り向いて、偉そうな口を利きやがる。
俺達の前にいるこの胡散臭そうな細い目をしたおっさんも、気分を滅入らす理由の一つだ。陰険で根暗で慇懃無礼。おまけに思い込みが激しく、噂ではストーカー気味らしい……最悪だ。上司にしたくないタイプbPだ。
「ぶ〜〜。」
相棒が元から赤い頬を更に更に紅張させて、ぶーたれた。俺は、文句たれるのさえ嫌な気分だ。基本的に、嫌いなヤツとは会話したくない。大体、こんなヤツが嘗てあの方と同じゲブラー総司令官の座を狙ってたというだけで、怖気が走る。
ん…気分が滅入る理由の一つといったが、よくよく考えてみると、コイツが理由の全部かもしれない。そもそも、あの方の命令であれば、どこへ行こうと俺は…俺達は、嬉々としていたハズだ。
あの方…閣下は、俺の全て。
圧迫感。常にそれを感じずにはいられない世界。
それが、空の無い世界、ソラリス第三市民層だった。
ソラリスの首都・エテメンアンキは、空中に浮かぶ都市。その最上部に第三市民層はある。
尤も、半重力が働いていて、地上側に空を拝するエテメンアンキにとっては、最上部=最下層であり、空を見ることの無い地下世界である。
空中都市のシンボルたる『空』を得ることが許されているのは、第二級市民までだった。
第三級市民は、その閉塞した空間の中で、終る事の無い労働を延々と繰り返す…通称「働きバチ」。
厳しい身分制の布かれたソラリスにとって、そこから脱する可能性は殆ど皆無。
だが、ゼロは無かった。彼の目に留まるだけの‘力’さえ有していれば。
第三市民層に蔓延する無力感、無意思。そこは自我の薄い世界。
そこに突然、強力な思念が一つ、飛び込んできた。
凡そ其処の住人には似つかわしくない、軍服ながら豪奢な衣装。確固たる意志と誇りを体現した、彫り深く険しい顔立ち。
ゲブラー総司令官・カーラン=ラムサス。今現在、ソラリス軍部において最も躍進している人物である。
その傍らには、彼とは対照的に優しさに満ちた微笑みを湛えた女性が付き従う。
「いつになく、厳しい顔をしてるわね。」
その女性…彼の補佐官で、恋人でもあるミァン=ハッワーがラムサスに話し掛けた。
ラムサスはそれに応えず、ただ歩くのみだ。
「……プレッシャー、かしら。ゲブラー総司令就任の…」
ミァンは微笑みを絶やさずに続けた。今やソラリスにその人ありと謳われるラムサスに、こんなことが言えるのは彼女くらいであろう。
ラムサスは漸く立ち止まって、振り返る。
「まさか。意気込みと言って貰いたいな。」
「フフ…それでこんな場所に来たってわけ?」
トパーズブルーの瞳が、神秘的な輝きを帯びた。ラムサスは、ミァンのその目に見つめられると、心内を見透かされたような気分になる。それがそれ程不快でないのは、ミァンの人柄によろう。
「まあ…な。ゲブラー最高位に就いたものの、それは司令官候補のジェサイアが出奔したから回ってきたようなものだ。同時に、エレメンツも立ち消えてしまった。」
ミァンには、ラムサスの表情の険しさの真の理由が、シグルド、ジェサイアの相次ぐソラリス離脱によるものだと解っていた。
「俺には、力が必要だ。新たに俺の力となる人材を発掘するために、此処にきた。」
結局のところ、ラムサスは先の二人の身代わりを求めていたのだ。それも、自身にも無意識の内に。裏切られ、人間不信になりながら、尚、求めずにはいられない…
「……可愛い“坊や”。」
「ん? なんだ?」
その呟きは、ラムサスには届かなかった。
「なんでもないわ。」
ミァンはニッコリと微笑みかけると、先のブロックに目を移す。
「…あら? なんだか騒がしいみたいだけど?」
「む?」
確かに、何やら叫び声のようなものが聞える。ラムサスがそちらを向くと、誰かが走ってくるのが見えた。
「なんだ?…子供?」
「追われてるみたいね。」
先頭を行く銀髪の子供と、その後ろの数人の大人。ミァンの言うとおり、追いかけられているようだ。
「泥棒ォ!!」
「待てぇ、クソガキィ!!」
しかしその子供は大人たちを凌駕するスピードでどんどん差をつけていく。
「へへんッ、待てって言われて待つ馬鹿がいるか!……うわっ?」
振り返りながら走っていた為、前方不覚で誰かにぶつかってしまった。
「わわっ……え?」
そのまま後ろに倒れそうになるが、力強い手にグッと腕を掴まれ、救われた。その手の主は、ぶつかった相手…ラムサス。
「…女?」
それは少女だった。歳の頃は12,3だろうか?
目映い銀色のストレートヘアを無雑作に首の後ろで束ねている。透明感溢れる青い瞳は、ラムサスに、此処には無い『空』を想わせた。
「何するんだ、放せよ!」
空色の目の少女は、抗ってラムサスの手から離れた。拍子に、少女の懐から缶詰めがニ、三転がり落ちる。
「あ、しまった!」
少女がそれを拾おうと屈んだその時、地面を見る彼女の視界に、軍靴が幾つも入ってくる。
「!?」
と、同時に少女は自分の身体が浮び上がる感覚に襲われた。追ってきた男達…ソラリス衛兵に掴み上げられたのだ。
「とうとう捕まえたぞ、このクソガキめ!」
「くそっ」
少女は暴れて逃げ出そうとするが、流石に4人もの衛兵に拿捕されては、叶わぬことだった。
「くくく、たっぷりとお仕置きしてやるぞ、このラムズ上がりめ。」
衛兵の一人が下卑た笑いを浮かべると、他の男達もニタニタと笑い出す。それはラムサスの癇に障った。
「おい兵卒。その少女が何をしたというのだ?」
「何? どこの誰だ、軍人様に向かって偉そうな口を…」
言いかけて衛兵は、口を開けたまま凍りつく。他の兵士たちも異変に気付いた。
「そ、その制服は…ゲブラーの……」
「下がりなさい貴方達。こちらにいらっしゃるのは帝室特設外務庁・総司令官、カーラン=ラムサス閣下よ。」
間髪入れないミァンの言葉によって、男達は慌てて一歩下がり、その場で整列、敬礼する。
放された少女の方も逃げるのを忘れてキョトンとしている。
「お、恐れながら、閣下のような方が何故このような場所に…?」
「聞いているのはこっちだ。何故この少女を追う?」
その言葉に兵士達も少女も状況を思い出した。急いで逃げようとする少女を慌て捕らえる。
「くそ、放せよッ!!」
「放すか、この食料泥棒め! そう何度も盗まれて黙ってられるか!」
「食料泥棒?」
ラムサスが怪訝な顔つきで兵士と少女の顔を見比べる。
「ええ、コイツ盗みの常習犯なんです。毎回、我々の営倉に忍び込んでは、缶詰めやらなんやら、軍用の食料を盗み出して…」
「お、おいバカッ…」
少女のことを説明する兵士を、隣の兵士が横から小突いた。小突かれた兵士も自分のミスに気が付く。
たかが子供に何度も軍の施設を荒らされる…軍人にとってこれほど不名誉なことはない。
それを馬鹿正直に、上官に報告してしまったのだ。喋った兵士は、みるみるうちに青ざめていく。
「も、申し訳ありません!………?」
だが、ラムサスは何も言わない。というより、彼の方を見ていない。
既にラムサスの興味は、この銀髪の少女の方にのみ、向けられていた。
ラムサスの視線が、空色の瞳を捉える。一瞬呆けたように見つめあった少女だったが、慌てて目を逸らした。自分に注目されることに、慣れていないのだろう。
「この娘を離してやれ。」
暫し少女を見ていたラムサスが、急に視線を戻して兵士に言った。
「は? …しかし、こいつは…」
「少々この娘に聞きたいことがある。後の責任は私が取ろう。さあ、その娘を離して、自分達に管轄に戻れ。」
下層軍人たちは、自分が上官に逆らう事の愚かさを知っている。理由など、それ以上聞く必要もない。反論など、持っての外だ。
兵士達は少女をその場に離すと、再び最敬礼して元来た道へと戻っていった。
残された少女は、この「ラムサス」という見知らぬ軍人の意図が掴めず、怯えと興味の入り混じったような眼でラムサスを見上げた。
それに気付いたラムサスが口を開く。
「さて、娘よ、お前に聞きたいのだが…」
「む、娘じゃない、トロネだ!」
少女――トロネは自分を鼓舞するかのように、勝ち気な声をあげた。
「そうか、すまない。ではトロネ、ちょっと聞きたいことがあるんだがね。」
苦笑しながらラムサスは、多少柔らかい感じで言い直した。後ろでミァンが、さも面白そうに笑っている。
「何故、食料を盗み出そうとした? 第三級市民は、労働さえこなしていれば、住と食は保証されているハズだ。」
その言葉に対して、トロネは黙って俯く。
「答えて貰えなくては、君を釈放できないな。何せ、君は罪人だからな。私にも身柄を預かった責任というものがある。」
ラムサスはそれほど重い調子ではなく、事実としての威圧感のみだけで伝えたが、トロネにはそれで十分だったようだ。この男からは、他の軍人のように簡単には逃げられない…それはトロネの鋭い勘に、既にひしひしと伝わってきていた。
「……ついて来て。」
それだけ言うと、トロネは背を向けて歩き出す。
ラムサスとミァンはお互いの顔を見合わせたが、仕方なく後についていった。
トロネがラムサス達を連れて来たのは、第三市民層の中でも外れに位置する、居住区の端だった。
その蜂の巣のように組まれた六角形の一つの扉を開けて、トロネは中へ入っていく。
続いて、ラムサスも入っていく。普通の第一、ニ級市民なら、汚らわしいと倦厭するところだが、ラムサスには何の躊躇もない。彼にとって、「身分」など下らない区別だった。
六角形の中は、なんの飾りもない、無機質的な部屋だった。
「親は、いないのか?」
「…地上で死んじまった。
その返事を聞いてラムサスは、おや、と思う。地上のことをこんなに明確に記憶しているラムズ上がりは珍しい。兵士に逆らったことからしても、どうやらこの娘には「洗脳」が効いていないようだ。
『洗脳に耐性があるのか…それに、子供ながら一人で軍施設に侵入・脱出できる身体能力…』
「でも、俺は一人じゃないぜ!」
思案顔のラムサスが、自分を心配しているとでも思ったのか、トロネは努めて明るい声を出した。照れ隠しもあったのだろう。
「?」
不思議がるラムサス達を尻目に、トロネは部屋の奥からダンボール箱を取り出し、担いでラムサスの眼前まで運んでくる。
「ホラッ!」
差し出されたダンボール箱の蓋を開けると、中には子猫が四匹、眠っていた。
「これは…」
「俺が拾ってきたんだ。こいつら皆、一人きりだったから、なんだか自分みたいでほっとけなくてさ……」
トロネは愛おしげな視線を猫達に送っている。初めて見せる表情だった。
「……盗んだ缶詰めは、この猫の為か?」
「俺の配給分の食料じゃ、こいつらの分まで賄えなくてさ…悪いとは思ってるよ。でも…こいつら、家族だから。何したって守りたい。……」
それきりトロネは、猫を眺めたまま黙ってしまった。ラムサスは、トロネから離れ、入口付近にいたミァンの所へ歩み寄る。
「……どう思う?」
「内在しているエーテルの雰囲気はあるわ。
ミァンはラムサスの意図していたことを察知し、既に冷静に分析していた。
「そうか。」
「でも、きっと彼女は貴方の為になるわ。」
「何故だ?」
「貴方と似た匂いがするから。だから、貴方は彼女を連れて行かずにはいられない。」
フフッと笑って、ミァンは小首を傾げた。ラムサスはまた、見透かされたような気分になる。
「まあ、エーテルの存在は、俺も感じていたからな…」
ラムサスはそんな気分を隠すように言い訳っぽく呟くと、踵を返してトロネの方へ向かう。
しゃがみ込んで猫を見つめていたトロネは、ラムサスの気配を感じ、顔を上げた。
「トロネ、私と共に来ないか?」
「え?」
突然の誘いに、トロネは驚き、思わず聞き返す。
「私と来ないか、と言っているんだ。少なくとも、食うに困るようなことはないぞ。その家族も含めてな。」
ラムサスは、微笑んだ。トロネは戸惑う。それは、トロネが初めて見るような、優しさと温かさ、そして何処か淋しさを内包した微笑みだった。自らの白い肌が、赤く染まっていくのを感じる。
「さあ、行こうトロネ。」
少女は、ただ恥かしげに頷いて、振り向いたその男の背を追った。