第二章 失われた歴史 シュンという機械音と共に扉が開いた。 “シグ……” 帝国都市が一望できるバルコニー。 無機質で冷たい部屋。白い壁に囲まれた窓のない小さな部屋。あるのはシンプルなテーブルと椅子が数個。 「やはり奴の行方はわからぬ…か……」 アヴェ北東、キスレブ国境付近にて、ヒュウガ率いるアヴェ軍はガングラーズを待ちうけていた。
−1−
−2−
「閣下!」
シグルド直属特殊部隊の若きリーダ、ドミニアはモニターから目を離さない上官に敬意を払う。
「副司令官が戻りましたが……」
女性でありながら、軍人らしい口調のドミニアが最後を濁すのは稀な事である。
既にカールの手は止まっていたが未だ部下へと向き直る気配はない。
暫時流れる。
ドミニアはもう一度沈黙の上官へ声をかけようとしたが、開きかけた口を閉じた颯爽と立ちあがったカールは助手に「暫く席を離れる」と言い、部屋を後にする。慌ててドミニアもその後を追う。
カールは背後のドミニアを気にも止めずに先へと進む。ドミニアが先導しなくとも上官はまるで副司令官の居場所を知っていたかのごとく廊下進み、突き当たりのドアを開けた。
蛇口から出る激しい流水の音。無機質な洗面台に上半身を預けている大柄な男の背後では、彼の背を擦るドミニアの妹、ケルビナの姿が見えた。
カールは中へ入ると、部下へと目で合図を送る。姉妹二人が去ると、カールは壁に背を預け、シグルドの
カールはシグルドのこんな姿を時折見かけることがあり、大して驚く様子もないが、あまり見たくない姿でもあった。
暫くして蛇口を閉め、顔をあげた鏡に映るシグルドと背後のカールは目が合う。眼帯を着けていないシグルドの右眼は何度見ても慣れない。帰還したばかりのシグルドが何故に眼帯を着けていないのかはあえて問わないカールである。
「気分はどうだ?」
「…最悪だ……」
鏡の中のシグルドは額にかかった銀の髪を払い除けてそう言った。
「詳しい話は後で聞こう。とにかく休め」
「……怒らないのか?」
シグルドのその言葉にカールは口をついて出てくる言葉とは別の思考が脳裏を走る。
「……勝手な行動をしたことか? まぁ、それについての理由は後で聞くとして……。今の俺が怒っているとしたら……だ。『乱用』……。副作用で何度も嘔吐しているではないか!」
「……」
鏡越しに合わせていた視線をシグルドは離れる。
「とにかく少し休め」
苛立ちを含むカールの口調に違和を感じるシグルドではあったが、ここは大人しく下がるのが懸命だろうと疲れきった脳がそう判断する。
「すまない…」
シグルドが去るとカールは鏡の中の自分を一瞥した。眉間に皺を寄せ少し気難しそうな表情を映している鏡。陶器のように白い肌、猫目石のような金の瞳。紛れもない自身の顔に問いかける。
この焦心は一体何なのか?
カールが廊下へ出ると、果たしてミァンが立っていた。
いつもに増してこの上なく残忍に映る彼女の美しい紫の瞳と小作りの唇に、カールの怒りは頂点に達していたが、彼は口を開かず変わりに冷たい視線を送った。
「カール……貴方の怒った時の瞳って綺麗ね。瞳孔が小さくなって周りの金色がとても綺麗な色だわ……」
「……何が言いたい……?」
「あら? 貴方が
ミァンは美しい顔に笑みを浮かべた。またしてもすっかりミァンのペースに嵌っているのを自覚するカールであったが、かえってそれが怒りを鎮まらせた。
「ふん……。相変わらずの高みの見物ってところか……。まぁいい…。私の質問は君がよく知っているだろう」
「……シグルドが自ら欲しいと望んだのよ。彼、悪夢に悩まされているようね?」
カールは微かに眉を吊り上げた。
「だからと言って……何故、副作用が出るほどの量を与えるのだ!?」
ミァンは口端を更に上げ、冷笑する。だがカールを見つめる瞳は笑ってはいなかった。
「ドライブを与えるのは……我が帝国の為でもあるのよ……。せいぜいシグルドがここを去らないように、監視しておくことね、カール」
カールはミァンから放たれたプレッシャーに開きかけた口が閉ざされる。
(どういう意味だ!?)
……ふふっ…
カールの耳にミァンの声が風のように届いた刹那、美しき悪魔は目の前を去っていった。
眼球を失った周りのどす黒い筋肉が乾ききって、中心は漆黒の闇を造型している。その深淵の闇はバルトロメイをすっかり覆ってしまった。
バルトロメイは左眼の激痛に眠りから覚まされる。
(シグルド……)
「若……」
右眼に映ったソフィアの哀絶な瞳にバルトロメイは咄嗟に左に手を宛がう。掌に感じた清潔な包帯。
日中は眼帯に覆われ殆ど光を見る事がなかった左眼は、僅かな時間眼帯を外した時に映した月の光でさえ、永遠に見ることが出来なくなったのである。
右眼に映ったソフィアとラカンの表情がそれを憐れんでいる。
ソフィアの背後にいるビリーは妻がバルトロメイの心配をするのに気に入らないようだ。
「そんな顔すんなって…」
完全に意識を取り戻したバルトロメイは二人に向って言った。
「まぁ、痛かったけど、ずっと眼帯で隠されていた眼に未練はないぜ。これで碧玉はこの世に二つとない。だから悪用されなくて済むぜ! それに俺はもう狙われねぇかもしれないしな」
バルトロメイの言葉にソフィアは安堵する。ソフィアの後ろにいる司教ビリーは無表情でバルトロメイを見ていた。
「ソフィ…俺の心配より、お前の夫の心配したほうがいいぜ」
「どう言う事? 若」
「どうして僕が狙われるのです?」
相変わらずビリーは表情を崩さない。
「俺にもわかんねぇ。だがシグルドにお前の親父の名前を問われたんだ」
バルトロメイはビリーを直視する。
微かにビリーの表情が動いた。
「なぁ、お前の親父さんって誰なんだ?」
「……」
ビリーは答える変わりに蒼い瞳に嫌悪感を出し、口を閉ざした。
「ビリー」
バルトロメイは声を大にして名を呼んだがビリーは視線を反らす。
「ビリー……」
いつもそうしているように、ソフィアは優しい声で夫の名を呼んだ。
「……僕には父親はいません」
「ビリー。お前狙われてるんだぞ。隠すなよ」
「陛下……。孤児院で育った僕には父親はいません」
ビリーの口調が強まる。
「それに、申し訳御座いませんが、アヴェへお帰り下さい。貴方がこちらへ来ると何かとトラブルが起きるようです。平穏なニサンを荒らさないで下さい」
「ビリー!」
驚くソフィアだが、夫を責める事無くそっと彼の肩に手を置いた。
「ごめんなさい…若…」
「いや、俺の方こそ…すまない…ビリーの言う通りだ。俺が何かとニサンを荒らしているよな。ビリーが狙われるのも俺のせいだ。だがビリー……くれぐれも気をつけてくれ」
バルトロメイの瞳は傷ついていた。
「ラカン、アヴェへ戻ろう」
−3−
“シグ……”
俺を呼ぶ声。俺の後を追いかける影。
誰なんだ……?
“シグ……”
どこか懐かしく温かい声。
故国ノルンでの幼い記憶なのか?
“シグ……ひとりぼっちにしないで……”
「!」
シグルドは目を見開く。見慣れた白い天井。
「……また…あの夢か……」
自室の扉を開いた時、憔悴しきった身体は倒れるようにベッドへと預けた。
そして同時に意識を手放した。
再び意識を取り戻したシグルドは額の汗を拭うと即座に起き上がり、サイドテーブルの鏡に自身を映した。
義眼の入っていない右眼は恐ろしく自身にも不快を与えるものである。
美しい碧玉から溢れ出た血飛沫。そして、自分と同じく眼球のない醜い深淵。
自身の短剣によって失われたバルトロメイの碧玉が脳裏に過ぎった。シグルドはそれを遮るように頭を垂れた。
「……」
シグルドは心に空洞ができたような感覚が押し寄せる。怒りや悲しみ、そして哀れみといった言葉で表せるものではない。いろんな感情がぶつかり合った結果、虚空をつくっているのかもしれない。いつの頃からかそんな感覚が彼を時折包み込むことがあったのだ。
シグルドはおもむろに小さな引出しを開く。真新しいアイパッチが綺麗に並べられている。手前のものを手に取り、着ける。
背中一杯に広がる見事なプラチナの髪に手櫛を入れ、ベッドに脱ぎ捨ててあったコートを着て部屋を出た。
カールは相変わらずコンピューターの並ぶ小さな研究室に閉じ篭りきりであった。
彼の背後で扉が開く音が耳に入ると、次にシグルドの匂いを感じ取る。
「ミァンから話は聞いた」
カールは手を止め振り返らずに言った。
沈黙のシグルドはその場から動く気配がない。
カールは降り返り、扉前に突っ立っているシグルドを眺める。他の誰が見ても解らぬ程の変化。だがカールには見えていた。シグルドの混沌とした瞳の色が。
「すまない、カール。俺の失態で、ニサンに更なる警戒体制を取らせてしまったようだ」
「ドミニアとケルビナを向わせた」
カールはシグルドが踵を返すよりも速く続けた。
「今日は…休め!」
いつになくカールの口調はシグルドに対しての言葉ではなく、上官としての言葉であった。
「カール! バルトロメイは俺の想像を遥かに超える力をつけていた。今のドミニアとケルビナでは彼の方が勝っている!」
シグルドの隻眼は怒りの混じった焦燥が現われた。
「しかしバルトロメイは痛手を負っているから彼女等の相手ではないだろう…」
「……」
シグルドは返す言葉がない。カールの言う通りである。
「シグルド……。お前は…何故あの少年王に拘る?」
「俺の故郷を滅ぼしたファテイマの血が流れているからだッ!」
「……それだけか…?」
カールは自分でも奇妙な質問をしたと思ったが、それが自然と口をついて出てきたのであった。
シグルドは溜息混じりの吐息を洩らした。
「少し外の空気を吸わないか?」
「いててて……。痛ぇって……。綺麗なお姉さん…もっと優しくしてくれよな」
沈鬱な寝室に響く軽快なバルトロメイの声。
彼は女医に傷口への消毒と、鎮痛剤を打たれていた。
「若……。ビリーが……」
その様子をベッド脇に控えて見ていたソフィは打ちひしがれていた。年若いニサンの大教母。歳相応の振る舞いができないソフィのまだ幼さを残している顔が一層切ない。
「あぁ……だからそんな顔すんなって言てんだろう? ビリーの事は気にすんなって。それに俺も早急にアヴェに戻んなきゃいけねぇし…。ここでゆっくりもしてられないからさ」
周りの者に安堵をを与えるバルトロメイの明朗な性格に、ソフィアもいつも救われていた。
「ありがとう……」
ソフィアは笑顔をつくるが、アメジスト色の瞳には一抹の不安があらわれていた。ビリーは元々他人に対して距離を置いたり、冷たい態度はごく当たり前ではあるが、今日の彼はいつになく乱れていた。
「ビリーが心配だからお見送りはできないけど…。気をつけて帰ってください」
「ああ、ありがとよ」
ソフィは軽く会釈して部屋を後にしようとしたが、続けて話すバルトロメイに返そうとした踵が止まる。
「ソフィ…。ほんの少しでいいからシスターに会わせてくれないか?」
シスターは先代教母に信頼も厚かったソフィアの乳母でもある。
ソフィは何の疑いもなく頷き、「はい。では呼んで参ります」と言って、今度こそ部屋を後にした。
シスターが部屋に訪れるまでバルトロメイは包帯の上にアイパッチを着け、ラカンに背中に垂れている金の髪を編んでもらい黙々と支度をしていた。
肉体的にも精神的にも傷ついたであろう主は、自身の責任の重さにあまりにも気丈である。改めてラカンは幼馴染でもある主の強さを認識させられる。
シスターが訪れた時には既に支度が整い、椅子に座っていたバルトロメイ。シスターもこれには驚嘆する。大きな傷を負った怪我人は、まるで一夜にして回復したかのような姿であった。
呆然とドア前に立ち尽くすシスターにバルトロメイは声をかける。
「あぁ、昨夜負った傷に関してしての気遣いの言葉は無用だぜ…。 それより、一つ確認しておきたいことがある」
「あ……はい」
髪に白いもが少し混じったシスターはまだ面食らっていた。
「司教……ビリーは確か、孤児院で育ち…後にニサン教修道士となったのだったな…」
「はい。司教様は若年ながら、ご利発で稀にみない程の優秀な修道士でございました」
バルトロメイは頷き、彼女に先を続けるよう促す。
「陛下もご存知の通り、大教母様の夫君になられる御方を選ぶのは、各地ニサン教会の中でも最も優れた修道士と代々決っております……それは身分や出生に関わらず」
「うん、それは聞いている…。それにビリーがあの若さで突出した才能の持ち主なのも頷ける。だが俺が気に掛かるのは、ソフィもビリーも結婚するには、まだ若すぎたんじゃねぇか?」
バルトロメイは彼等の婚姻が、例に見ないほどの速さで整ったのを訝しげに思い始めた。
「どうして…そう思われるのです?」
シスターは明らかに表情を曇らせた。
「遥か昔には、もっとも近しい縁戚であったと思われるニサーナ家とファティマ家。しかし近年、ニサンとアヴェは殆ど国交が途絶えつつあったのを、ソフィア様を通して、取り戻そうと願ったのは先代でございました」
「そうだったな…。早くに家族を亡くした俺だったが…ソフィがファティマ城に来てからは、まるで兄妹のように遊んだりもしたな……」
バルトロメイは両親を失い深い哀しみの幼少時代、彼にとっては唯一の遠い親戚、ソフィアが心の支えでもあった。
「けれど…ソフィア様にとっては、後にお辛い思いにもなるのでございました」
バルトロメイは訝しげに眉を微かにあげた。
「陛下も…ご存知かとは思われますが…ソフィア様は陛下の事をお慕いしておられました。しかし古い掟にて、両家の跡継ぎ同士の婚姻は決して許されぬ事……」
バルトロメイもソフィアの気持ちを知らないではなかったが、例え二人が愛し合ったとしても、決して結ばれぬ運命を受け入れていた。バルトロメイは両親を失った時から、幼いながらも自然と自身に降りかかる運命や使命を静かに受け止めていたのであった。
「確かに結婚は早かったかもしれません。それに司教様もお若い…。ですが、司教様がいらした教会からの推薦に私が快く受け入れたのは、そういった理由が先立ちました。我が子のように愛するソフィア様に辛い思いをさせてくないのは当然でございましょう?」
シスターの想いや忠誠をバルトロメイは痛いほどわかった。血の繋がりこそないが、これほどまでに親身に思ってくれる人が側にいるということは、ソフィアにとって幸せなのだ。
「……すまない…」
バルトロメイは考えるよりも先に、この言葉が先に口をついて出てきた。
シスターはバルトロメイのほんの少し傷ついた瞳を見て、自身の気持ちをありのままに述べたことに後悔した。
バルトロメイは常に周囲の人々を惹き付ける程の明るい輝きを持った若き王であったが、同時にとても清らかで傷つきやすい心をも持っている少年でもあった。
「君がそれほどまでに、ソフィの事を大切にしているのを知って改めて安心したよ。ビリーとの結婚を早めた理由は解った。だが、教会の推薦…それが気に掛かる」
「はい。確かに司教様を決めるのは、私達本部による調査が主でございます。ですが、司教様のいらした教会からの推薦とは稀であったのは私も不思議に思っておりました」
「そうか…解った。忙しいところをすまなかったな。俺のせいで、ここも危険な目に遭わせてしまっているが、くれぐれも二人を宜しく頼む」
シスターは声に出さずに頷き、バルトロメイに敬意を払った。
バルトロメイが立ちあがり、ドアを開けようとしたよりも速く、廊下側からドアが開かれる。その向こうにバルトロメイの近衛兵が控えているのが見えた。
「陛下! ガングラーズが再び法皇区に!!」
「くそッ! こんなにも早くに!!」
「周りが止めるのを降りきって司教様が出向われました」
「何だって!?」
バルトロメイは複雑な思いで拳を握る。
「行くぞ、ラカン」
−4−
上層階級の者にしか入れない塔のバルコニーにシグルドとカールは立っていた。優しい風がシグルドの背中で波打つ銀の髪と、陶器のように白い顔にかかるカールの象牙色の髪を静かに揺らしていた。
「ファティマの血が流れているという理由だけで、お前はあの少年王に只ならぬ感情を抱いているようだが……。シグルド…お前らしくもないな」
カールは前方に視線を落としたまま穏やかに言った。
シグルドは即座に応えない。風が二人の間を流れるように暫時沈黙が流れた。
シグルドの脳裏に砂漠のオアシス故国ノルンの情景が浮かんだ。それと同時にまたあの感覚…心に空洞が出来、冷たい風が吹きぬける。全ての感情が虚空となる。
「確かに俺が恨んでいるのは、バルトロメイの父、先代ファティマ王だ」
シグルドは淡々と語り出した。
「父の妹は先代ファティマ王にに強く望まれて后となったらしい。だがそれも、ノルンを欲しいが為に…。そしてそれが手に入らなかった先代は、伯母上を亡き者としたばかりか、その遺体を父の元へと送りつけてきたらしい」
黙々と語るシグルドにカールは静かに耳を傾けている。それはまるで風の音を聞いているかのようでもあった。
「伯母上は、無残にも腹を切り刻まれた姿で故郷に帰ってきたのだ! 新しく宿っていたらしい小さな命は……跡形もなく失われいた……」
ようやくシグルドは前方からの視線をつま先へと向けることとなった。
「だから失われた儚い命の事などまるで知らない、バルトロメイを恨むのか?」
カールは小さな溜息をつく。
「シグルド…それでも俺にはお前の…彼に対する
シグルドはカールの使った
「やはり、お前らしくない……」
カールは哀れな隣人を見るような表情が一瞬ちらついた。
シグルドはそんなカールを一瞥して「そうだな…」と呟く。
「ドライブは…
「お前は記憶の欠片……パズルをうまく並べきっていない…ようだな……」
シグルドはおもむろにカールへと顔を向けた。
カールのキャッツアイは一層蠱惑さを増して耀いた。
シグルドは図星を付かれたように蒼い瞳が傷つく。しかしそんな瞳を見せるのは唯一カールの前でだけであった。
「カール。それは…」
「あぁ、俺もお前と同じ…。失われた記憶…何かが足りない…それは常に俺を脅迫する…。俺の始まりの記憶は…気付けばミァンに助けられていた。お前と同じだ」
「涙も枯れ果てた幼い俺を助けたのは……灼熱の陽に照らされた象牙色の髪を持つ美しい成年だった……の…それと同じか……」
シグルドはようやく完全に自身を取り戻していた。この言葉はカールに対する敬意とそして彼なりのほんの少しのジョークが混じった賛辞でもあった。
だが、実際はシグルドのそれよりカールの失われた記憶の方が数倍も彼を悩ませているのは事実なのかもしれないとシグルドは思う。
カールは
「シグルド……。俺はガングラーズ総司令官としてではなく、俺個人として…どうしてもその答えをみつけなければならん…そして…お前もだ。だからこそ、碧玉の秘密を追わなければいけない。全ての真実は…そこにある…」
シグルドは頷いたが、カールの威風堂々たる態度を前に自身を恥じた。
一体自分は何の為に戦っているのか?
ガングラーズ副司令官として碧玉の秘密を追っているのか?
復讐の為に戦っているのは認めざるを得ない。
だが、碧玉は……?
カールの言うように失った何かを埋め合わせるキーワードとなり得るのか…。
「任務を無事終えて戻ってくるドミニア達を待とう」
カールはシグルドの肩に手をやった。
だが碧玉の謎に得体の知れない畏怖がシグルドの心を塗り替え始めた。その色をカールは愚か、自身でも明確に知ることはできないのだが。
バルトロメイとラカンが法皇府に辿り着いた時、既にビリーはドミニアとケルビナの手の内にあった。
「ビリー!!」
バルトロメイは腰に下げてあった鞭を手に取るのと同時にドミニアも剣を手に取った。
「貴様、そんな身体で戦おうとは無謀なヤツだな」
ドミニアの嘲弄の声。
屈辱のバルトロメイが口を開くよりも早く「そうです、陛下」とビリーの静かな声に遮られる。
「?!」
バルトロメイの開いた口が塞がらない。
「陛下…この平和なニサンの町中で、またその野蛮な鞭を振りまわすのはおやめ下さい。昨夜ここでの彼女達の上官と貴方の戦い、更に今また、貴方達はこの清らかなニサンの民を恐怖に陥れようとしているのです!」
ビリーのその声は穏やかだが、壁画に描かれた天使像のような彼の顔に浮かんだ憤怒にバルトロメイは言葉を亡くす。
「ものわかりの良い司教殿ですね。では参りましょうか?」
ケルビナのその声はとても穏やかである。三人はバルトロメイに背を向け歩み出した。
「おい! 待てよッ!!」
バルトロメイは黙って連れられるビリーにようやく声をかける。
「妻を頼みます」
振り返らずに言うビリー。バルトロメイは面食らう。
「僕は」
ビリーは声を大にして続ける。
「僕は何も知らないんだ!! ただ、この人達は僕の父のことを聞きたがっている。その父の事を聞きたいのなら、僕の知っている限りを教えてあげれる。それでこの人達の気が済むのなら…。このニサンを戦火の渦に巻き込まれないで済むのなら」
バルトロメイはこんなに激しいビリーを見たのは初めてであった。彼のニサンに対する真摯な想いに自身を恥じた。昨夜ここで争いを起こした自分に。例えそれが仕掛けられたものであったとしてもだ。
「僕にとっての父は…何の価値もありません。この人達が父を血眼になって探している事にも興味がありません。僕が知っている僅かな父についての情報を与えれば、ニサンを荒らされる事はない…。僕は……僕の所為でニサンに危険が及ぶのが堪えられないのです」
ビリーの背に強い意志を感じたバルトロメイは最早返す言葉が見つからなかった。
「バルト!!」
ラカンに肩を揺さぶられるまで、バルトロメイはビリーが連れて行かれるのを呆然と佇んで見ていた。ようやく小さくなってゆく三人の後姿が視界に入ったが、バルトロメイはその場から動けなかった。
ラカンは石造のように動かない主を見やる。
右頬に微かに流れた透明な雫。そしてアイパッチの下の白い包帯は淡い紅色に染まっていた。
−5−
ビリーは一人壁際の椅子に座っている。
二人の女軍人に連れられ、彼がこれまでに見たこともない巨大な艦に乗り込んだまでの記憶はある。だが再び彼が記憶を取り戻した時には既にこの部屋にいた。
−シュン−
バルトロメイ所有の潜砂艦ユグドラシル内で聞いた事のある、それに似た音がビリーの背後でなった。
褐色の肌に背中で波打つプラチナ色の髪が一際目立つ隻眼の軍人が、ビリーをここへ連れてきた女性二人を従えて彼の前へと物静かに座った。
(シグルド……)
ビリーは初めて会った、今は敵である筈の彼に不思議と敵意を抱いていないのに驚いた。
「同じ年頃だとは聞きましたが、アヴェの王とは違って、貴方はとても物分かりの良い御方のようですね、司教殿」
穏やかな声で話すシグルドをビリーはとても紳士的だと思ったのも意外であった。
だが同時に冷たい。その冷たさが一層ビリーを落ち着かせているのも認めざるを得ない。
「私はただ、あのニサンで、あなた方やアヴェ国王との野蛮な争いをして欲しくないだけなのです」
ビリーの澄み渡ったスカイブルーの瞳は真っ直ぐにシグルドへと向けられる。そして更に凛とした態度で続ける少年。
「あなた方が、今欲している情報は私の父のことですね? 私の知っている事を話せば、ニサンでの争いを起さないと誓って下さいますか」
雲ひとつない透き通った空色の瞳を持つ少年は、まっすぐにシグルドを射抜いた。
訝しげに少年の瞳を見ていたシグルドは、やがて理由も無くこの少年の真摯の訴えを受け止める。
シグルドは深く頷いて「解かった。私の名に於いて今後二度とニサンでの争いは避けると誓う」と言った。
暫しビリーは敵方の碧い隻眼を食い入るように見入っていたが、その言葉に嘘がないのを確認すると、束の間安堵の瞳を向けた。
「私の父の名は……」
「ジェサイア・ハーコート?」
若き少年王は身体を預けていたソファーから身を乗り出した。
ファティマ城に戻って来たバルトロメイは、ラカンと共に彼の私室へ直行し、メイソン卿とヒュウガを呼んだ。
「確かそいつは…12年前あいつ等から俺を救ってくれた…有り難てぇ人物だったよな」
「恐らく司教殿は彼の御子息であらせられるかと」とメイソン。
「それを嗅ぎつけたガングラーズは……ビリーに親父の所在を聞き出そうってな訳だな」
バルトロメイは落ち着かぬ様子で立ち、部屋を行きつ戻りつし始めた。
「だがよ、爺。そのジェサイアって奴は一体何者なんだ?」
「ファティマ王家と深い縁戚関係の御方です」
「ニサーナ家よりもか?」
ようやくバルトロメイは、メイソンとヒュウガが礼儀正しく座っているソファーの向いに腰を下ろした。
真っ直ぐに向けられた隻眼。この世で一つとなってしまった碧玉は、文字通り誇り高き瞳であった。
メイソンは主の崇高な視線を直視できずに反らした。
父の意志を継ぎ、ファティマの名に於いて命にかえても護らなければならぬ碧玉。
若き王、バルトロメイは何も知らなかった。ただファティマ家の後継者として、碧玉を護らねばならぬという使命だけ。父王はそれだけしか、幼い我が子に教えなかったのだ。
それは愛する息子の命を護る為に良かれと思って成したことである。だが、メイソンに向けられた一つの碧玉は語っていた。もはや、
「爺…。これまでお前が知っている事を俺に教えなかったのは……父への揺るぎ無い忠誠だったのだと改めて思う。だが、俺はもう子供じゃない。碧玉を護る以上に俺がやらなければいけない何かが始まったんだ。だから爺、お前が知っている事を教えてくれ。きっと何らかの手がかりとなる筈だ」
「陛下……」
顔を上げたメイソンの瞳は今にも溢れそうな雫で輝いていた。
「亡き陛下が今の陛下をご覧になったら、どれほど…」
メイソンは目頭を押さえる。
「爺……。お前やヒュウガのおかげだ。俺がこれまで生きてこれたのは」
「もったいないお言葉……」
バルトロメイはメイソンの手を取り、ぎゅっと握って、何度も頷いた。
「600年前世界が崩壊し、僅かな優れた人間だけが生き残りました。陛下のご先祖、初代ファティマ王もそのお一人でした。しかし、崩壊と共に過去の歴史も失われ、我々が知るこの星の歴史は僅か600年余り」
メイソンが語り出すこれらの事は誰もが知っている。
多くの大陸が失われ、多くの人々が失われた。
しかし人々は僅か600年で力強く生き、彼等の新しい歴史を創造してきたのだ。
「600年前に新たに建国した初代ファティマ王より当主だけに引き継がれてきた碧玉とハーコート家との繋がり。それは更に
「というと?」
バルトロメイは辛抱強く何度も頷く。
「ジェサイア殿は600年前に建国した初代ファティマ王よりも何代か前のファティマ家当主と異母兄弟にあらせられたお方の子孫と存じ上げます」
「つまり、ジェサイアは俺が知らない、俺のご先祖の異母兄弟の子孫って事だな…何だかややこしいな」
「そういう事になりますね、陛下。恐らくはファティマ家に定められた掟や受継がれた碧玉の秘密等は、その異母兄弟から繋がっているのでしょうね」
バルトロメイの祖父の代からファティマ家に仕えている、リクドウ公爵の孫であるヒュウガもこれらの事は知っていたようである。
ファティマ家の掟とは、後継者は只一人。それ以上産出してはならぬ。そしてファティマ家に産まれ出でた後継者は必ずや、片目を取り除く儀式を行う。それは、碧玉をこの世に二つと存在してはいけない理由なのであった。
「親父は……いや、親父の代までは、きっと、碧玉を護る…という以外にもガングラーズ達が知りたがっている秘密を受継いできたんだ」
バルトロメイは自身に語りかけていた。
「そうか……。つまりハーコート家はファティマの碧玉と同様の何らかの秘宝を、互いの主だけが受継いだ秘密を持っていて、同じようにそれを護ってきたんじゃねぇのか!?」
バルトロメイは立ち上がり、額に片手をあて立ち尽くす。その後、他の三人の誰かが口を開こうとしたのを軽く手を振り上げて制した。
「となると……碧玉は……それだけでは、言い伝えられてきた
バルトロメイは広間を忙しなく行きつ戻りつしている。
「つまり碧玉だけでは、ファティマ家が封印した至宝を解く事はできないって事だな」
至宝を得るにはその二つが必要……。
それは失われた歴史で破壊の神と戦った幻のギア数体、また全てのデータが隠されているとも言う。だが碧玉を護りぬくファティマ家当主にも、その至宝の在処は知らない。
「それをガングラーズが嗅ぎつけたって事だな。クソっ! 俺でも知らなかった事を!!」
「だから、司教を連れ去ったんだな」とラカン。
「ですが……」とメイソン。
「うん」バルトロメイは深く頷いて立ち止まる。
「だが、俺がそれらを知らなかったように、ビリーも知らない筈…だな? 爺」
「はい……司教殿も何も知らされていないかと」
メイソンが言葉を続ける前に、バルトロメイは舌打ちでそれを打ち消した。
「あいつ……」
ガングラーズへ連れ去られたビリーを助ける術はないのだ。エカテリーナ帝国は天空に存在し、地上との行き来は現時点では困難なのである。
バルトロメイは壁一面の窓を開け、バルコニーへと出る。
風に流される砂の最果てに広がる東雲。
混沌と悔しさの中、美しい色を放った流砂と流雲を見たバルトロメイは、ゆっくりと自身に課せられた運命と使命を受け入れるのであった。
−6−
カールはいつもそうするように眉間に皺を寄せ、小さく溜息をつく。
「アヴェの王と同じだ。彼等は全く何も知らされていない。あの少年司祭に至っては、碧玉のように自身の中に至宝を解く鍵を…その何かを握っている事すら知らない」
シグルドの声はいつになく弱々しい。彼の顔には生気がなく、やや疲れを残しているようだが、カールはあえてそれには触れない。
「ふりだしに戻ってしまった今となっては、彼を地上に戻すしかないだろう。奴が姿を現すかもしれぬ」
シグルドとは打って変わってカールは些か苛立ちが目立った。
「アヴェへ……あの少年を連れて行くのは、やはりお前に任せるとしよう」
「アヴェの動きを暫く止める…と言うことだな?」
カールが多くを語らずともシグルドは彼の思考を瞬時に理解する。それこそが信頼関係なのだとカールは常に思っていた。
「今度は一人で行くな。お前の部下二人を連れて行け」
解ったとシグルドは声に出さずに答えると踵を返し、部屋を後にした。
カールはシグルドが去った後、暫くして正面一面ガラスの壁に体を預け眼下に視線を落とす。やがて獅子のような
−裏切り者……−
カールは自身の脳裏で響いたその言葉に驚く。意識とは別の音。
しかしそれは正しく聞き慣れた自分の声である。
−せいぜいシグルドがここを去らないように、監視しておくことね、カール−
−塵−
(……塵……)
カールはミァンの声と共にその言葉が頭の中で木霊した。
やがて眼下のシグルドの姿が廊下から消えたと同時にカールは我に返った。そして出撃の準備にこの部屋を後にした。
バルコニーから部屋へ戻ったバルトロメイはゆっくりと三人へと視線をやった。
「こうしていても仕方がない。一先ずビリーが育った孤児院とやらへ行くとしよう」
今ここで焦ってもビリーを救出する事は不可能だ。メイソン、ヒュウガ、ラカンは腰を上げようとしたその時である。
ピー。
大理石のテーブルにあるインターフォンが鳴った。
「陛下、アヴェ東南上空に飛行物体確認」
「くそッ! 早ぇな!! こうなったら、さっさと奴等を片付けて、ついでに空飛ぶ艦も奪ってやろうぜ! それでビリーを助に行く!!」
バルトロメイの怒りは頂点に達していた。
「ユグドラ出撃の準備だ。ブレイダブリグとファティマ城周辺に警戒体制、メイソンの指揮を仰げ。敵は俺が何とか食い止める。奴等をアヴェに入れてたまるかッ!!」
バルトロメイは手短に指示すると、インターフォンを手荒に切る。
「陛下……」
主の負傷したばかりの左眼。傷を癒すどころか更なる襲撃に懸念するメイソン。
「心配するな、爺。城とブレイダブリグを頼んだぞ。ヒュウガ、お前は孤児院へ先に向っていてくれ」
「はい。陛下がご到着になるまで、私が何とか奴等を食い止めておきましょう」
「頼んだぞ、ヒュウガ。ラカン、行くぞ!!」
潜砂艦ユグドラシルはブレイダブリグの南でガングラーズの艦と向き合った。
激しく舞いあがった砂塵の中、果たしてバルトロメイの宿敵、銀の獅子シグルドの姿があった。
バルトロメイは腰にさげてある鞭に手をやりかけたが、シグルドの背後に気を取られその手が止まる。
「ビリー!」
何とビリーを連れ去った女軍人が彼を押さえ付けていた。
「まだ年端もゆかない少年だが、計り知れない叡智を兼ね備えた司教も貴方と同じく、何も知らないようですね」
バルトロメイにとっては平穏に包み込まれるようなシグルドの声。
「ドミニア」
シグルドの合図を受けたドミニアはビリーの背中を強く押した。
解き放たれたビリーは力なく一歩、二歩と踏み出す。やがて命尽き果てたかのように膝は折れ崩れ落ちた。
「ビリー!!」
バルトロメイは彼の元へと駆け寄る。抱き起こしたビリーの瞳は雲一つない空を映す。しかしその空と同じ色の水晶体には自我がなかった。異変に驚いたバルトロメイの隻眼はシグルドへ敵意を露にした。
「ビリーに何をしたッ!!」
「自白剤投与です。服用すると素晴らしく心地よいまどろみの世界へと
冷たい。
シグルドのバルトロメイとは対極にある同じ色をした隻眼。それはまるで恐ろしく冷たい月を映しているかのようであった。いや、
バルトロメイはその冷眼に失いかけた自我を手繰り寄せた。
「ちきしょう!! お前だけは許さねぇ!! 今日こそカタをつけてやるぜ!」
バルトロメイは鞭を手に取ると一振り、足もとの砂を舞い上がらせた。
「望むところです!」
シグルドもしなやかな鞭を手に取る。
「ラカン、ビリーを頼む」
ラカンは素早くビリーを彼等の戦場から遠ざけた。
「ドミニア、ケルビナ、下がっていなさい。君達の敵う相手ではない、この少年王は!」
「副指令……」
主をよく知る部下ケルビナは懸念する。嘗て見た事のない主の冷淡な瞳に。
「下がっていなさい!」
怒気を含んだ主の声が、武器を手にしたままの彼女達を後ろへと退かせた。
風がシグルドの銀の髪を背中で大きく波打たせる。そしてバルトロメイの金の髪は何度も彼の背中を叩いた。
灼熱の太陽が雲間から姿を現し、大地を焦がすのを合図に、二人の鞭は華麗なる大円舞を描いた。
ビリーを抱えたラカンを先頭にアヴェ軍、ドミニアとケルビナを先頭にシグルド率いるガングラーズ軍、この戦場にいた誰もが目を疑わずにはいられない。
主達は一定の距離を保ったままであった。エーテル追加攻撃といわれる特殊能力を巧みに操る二人。
対極の、または同じエレメントで相殺しあう技。ややバルトロメイはシグルドに圧され気味ではあるが、確実にその攻撃を打ち消す。
宙に舞う細く優美なウイップと砂煙は美しい色を放つ。
シグルドの冷艶な捌きは、焦す砂に舞い降りた白い花のよう、バルトロメイの灼熱の捌きは、焦す大地を抱く大輪のように輝く。
互いに宿敵ながら、その優美な姿に魅了されずにはいられない。
……何故に戦う?……
……何故に二人は戦う運命なのか?……
(シグ……。ひとりぼっちにしないで)
シグルドは見慣れた夢の中の声を聞く。
シグルドの足元にまるでとぐろを巻いているように投げ出された鈍色の鞭。小さな白い手がそれに伸びる。
(わ……か…)
「わ……か!!」
更に北ではキスレブ軍が敵国ガングラーズ軍に対する防壁をたてていた。キスレブはアヴェと同じく、至宝発掘作業に手荒な真似をするガングラーズに敵意はあるものの、同じ被害を受けるアヴェとは友好的ではない、完全に孤立した帝国であった。
小隊を率いたガングラーズ総司令官、カーラン・ラムサスが現われる。
十数年振りの再会である、カールとヒュウガ。
照り返す黄金の砂地を悠々と歩むカールは、まるで遥かな古代から言い伝わる神話に登場する神のような姿であった。
十数年という僅かな時が何の意味も持たないようにさえ思われる。ガングラーズの総司令官は、何も変わっていなかった。
陶器のように白い肌に、頬や項にかかる象牙色のきちんと切り揃えられた髪。西陽を跳ねつけた深い黄金の瞳は、どことなく憂いを帯びている。
「十数年経っても…貴方は変わりませんね……」
「お前は少し老けたな、ヒュウガ」
二人は瞬間敵同士であることを忘れ、再会に心を動かされた。
「出来れば、お前とは戦いたくない。だが、道を開けぬと言うのなら……」
「私も戦いたくはありませんよ、カール。ですが、道を譲ることはできません」
カールの溜息は風に流された。
「ならば仕方あるまい。今は…もう……エカテリーナで共に修練した時のようにはゆかん。お前をこの手で殺る事になるのは…」
「自信過剰なところも変わっていませんね。私もあの頃よりは相当技を磨いたつもりですよ。そう簡単には貴方に殺られないでしょう」
ヒュウガは鞘から片手で剣を抜き刃先を背後にかまえる。
一方カールは剣を抜くと、刃先を敵方へと向け、片手でかまえた。
「お待ちなさい」
二人が次の動きへ移行しようとしたその時、天高く透き通る母なる声がそれを止めた。
「また会ったわね、ヒュウガ」
ヒュウガの背後から単身無防備で現われるミァン。彼女はゆっくりと二人の間へ歩み寄る。
「貴方達が振る真剣を見てみたかったけど、まだ命を無駄にする事はないわ」
「ミァン!」
ヒュウガはその名を声に出さずに発したが、カールは明らかに彼女に嫌悪感を表した。
「先の孤児院を守っているお嬢さんから、情報を少しだけイメージで引き出せたわ。ジェサイアの行方をね!」
カールへと向けられた、ミァンの言葉は彼を傷つけるのに充分過ぎるほどであった。
ヒュウガは態勢を崩す事無く、しかし鋭い視線はミァンへと向けていた。
「ジェサイア殿の行方を追う……。なるほど、そうですか。
エカテリーナは……
ヒュウガの問いにミァンは風と共に笑い声を流した。小さな声であった。ヒュウガとカールの背中は戦慄が走る。
「さすが、ヒュウガね。貴方が
ヒュウガは意外にも微かに刀を後方へと引き、冷静な視線をミァンに向ける。
変わってカールは
「貴様……達は……何を……話して……いる……」
「カール、貴方の行動は
カールは両手で耳を塞ぐ。
「俺は……!」
砂地に破棄捨てるように叫ぶカール。
−塵ね。追いかけなさい、坊や。いくら求めても得られない愛を……−
遥か昔に聞いたような記憶。その声がカールの頭の中で響いた。
「塵……俺は塵なんかじゃないッ!!」
カールは無意識にそう叫ぶと、はっと現実に返る。
「大丈夫、カール? とにかく、引き上げましょう。貴方のシグルドが、また取り乱しているわよ」
「何だと!? ヒュウガ…勝負はこの次だッ! また会おう」
既に普段の彼に戻ったカールは颯爽と踵を返し艦へと向った。
「近々…またお会いしましょう、ヒュウガ……フフ…」
鈴のような笑い声を残し、ミァンはカールの後を追った。乾いた風に靡く、豊かな青紫の長い髪が揺れる。あまりにも美しいその後姿に、さすがの沈着なヒュウガも関心の眼差しを向けていた。
黄金の砂煙に二人の姿は影となる。
「わ……か!?」
シグルドは何度も夢に見た映像が、彼の脳裏を横切った。自身の声が鳴った。いや、それと同時に彼は、
バルトロメイが振った鞭が放つ強風の刃。
「副司令官ッ!!」
ケルビナは意識を手放した主の前に踊り出る。
彼女の構えた剣はあっけなく風の刃に破壊され、儚く舞い散る。
「!!」
声を出す事さえも出来ぬ。目にも止まらぬ早さで風の刃は、ケルビナの白い首を直撃した。
「ケルビナ!!」
自身の血飛沫を浴びながら、大地を抱くようにゆっくりと崩れ折るケルビナの身体。ドミニアは誰よりも早く彼女を支える。
ケルビナの細い首を押さえたドミニアの両手の指間から溢れ出でる鮮血。
その光景に思わず頭を抱えそうになったシグルドは、変わりに鞭を握り締める手に力が入る。変わってバルトロメイの表情は痛みに歪んだ。
シグルドの蒼い瞳が憎悪に満ち、バルトロメイを射貫く。
「ケルビナ……ケルビナ……!!」
ドミニアの慟哭が砂塵とともに掻き消された。
失われた過去、多くの同胞を失い、その憎悪の復讐に戦い、更なる犠牲をだす。
失われた過去。それを知らない少年。だが使命を果たす為に戦う。
……何故に戦う?……
……失われた過去への決別に戦うのか!?……
また一人……罪のない人の血が大地を紅く染めた。
誰も姿を見た事のない
失われた歴史を取り戻せば、彼等を救う事が出来るのだろうか? 戦いがなくなるのだろうか?
争いが、死が、悲しみが消えるのだろうか?
誰にも解らぬ。
だが彼等は、多くの犠牲を出しても、それを探す旅を止める事は出来ないのであった。