| ◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.098 |
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★ボブ・アブレウ #53★ フィラデルフィア・フィリーズ
2001年9月30日の対マーリンズ戦、終盤に2本のホームランを放ったボブ・アブレウはシーズンのホームラン数を30本の大台に乗せ、すでに36盗塁を記録していることから、ブラディミール・ゲレーロに続くシーズン2人目の「30−30」クラブ入りを果たした。アブレウはフィリーズの球団史上において、初めての「30−30」入り選手となったことになる。
サルサを好んで聴くベネズエラ出身のアブレウは、まだ16歳だった1990年にアストロズと契約し、プロ入り。マイナーの階段を順調に昇り、1994年には2Aジャクソンで118試合に出場し、打率.303、16HR、73打点、12盗塁を記録し、リーグ最高の長打率.530もマークした。翌1995年は3Aツーソンに昇格し、打率.304、10HR、75打点、16盗塁を記録。さらに3塁打を17本も放つなど、アストロズの将来の鍵を握る男と注目されていた。
1996年は開幕を3Aで迎えたが、132試合に出場し、打率.285、13HR、68打点、24盗塁をマーク。アストロズのマイナー球団全ての中で、最高の得点(86点)、四球(83個)、外野からの捕殺(15個)に加え、3塁打は16本も記録。メジャーの登録枠が広がる9月1日に、ようやくメジャー昇格のお呼びがかかる。メジャーでは15試合に出場し、初ヒット初打点も記録している。
期待されて迎えた1997年は、開幕からレギュラー候補に挙げられるが、右手首の故障がアブレウを苦しめた。開幕直後こそは好調だったが、徐々に調子を落とし、5月末から約1ヶ月の故障者リスト入り。3Aで復帰し、メジャーに再び戻ってきたのは8月31日のことである。結局この年は、アブレウにとって飛躍を果たすどころが、大きくつまずいてしまった年となってしまった。
アブレウの運命が一気に変わったのが、1997年のオフのことだった。翌年からメジャーリーグに新加入するダイヤモンドバックスとデビルレイズのためのエクスパンションドラフトが行われた。アブレウはこのドラフトでデビルレイズに3巡目に指名されてしまい、指名後すぐフィリーズへトレードされてしまった。
1998年はフィリーズで開幕を迎えることになった。開幕からレギュラーとして名を連ね、初めてメジャーでフルシーズン過ごしたことになる。開幕直後の4月7日のマーリンズ戦では4打数4安打と固め打ちを披露し、6月半ばには12試合連続ヒットも記録。結局、151試合に出場し、打率.312、17HR、74打点、19盗塁とメジャー定着1年目としては素晴らしい成績を残した。打率も出塁率(.409)もチームトップであり、得点圏打率.427はメジャートップである。
1999年、152試合に出場し、打率.335、20HR、93打点、27盗塁と全てにおいてキャリア最高の数字をマーク。打率はリーグ3位となるもので、球団史上で1967年のトニー・ゴンザレスが記録した.339に次ぐ高打率である。さらに出塁率(.446)もリーグ3位であり、球団史上でも1955年のリッチ・アシュバーンの.449に次ぐものである。もうひとつ、球団史上6人目となる「20−20」クラブ入りも果たし、ヒット数(183本)、2塁打数(35本)、3塁打数(11本:リーグ最多)とHR数と4つの部門で全て2桁以上の数字をマークするなど、全ての面において将来への更なるステップアップを感じさせる打棒を発揮した。
2000年も勢いはとどまらず、ヒット数(182本)、2塁打数(42本)、3塁打数(10本)、25HRと全部門で2桁以上を2年連続で続けた。盗塁数も28個で、球団史上マイク・シュミット(1974〜75年)以来の2年連続「20−20」クラブ入りを果たすなど、才能を充分に見せつけた。随所で見せる勝負強さで周囲からの信頼感も増すばかりだった。
こうして迎えた2001年は開幕からチームが好調で、地区首位を快走。最終的にはチームが失速し、ポストシーズンへコマを進めることは出来なかったが、アブレウは162試合全てに出場。打率.289、31HR、110打点、36盗塁をマークした。ベネズエラ出身の選手が「30−30」クラブ入り下のは史上初のことであり、シーズンで100打点と30盗塁を記録するというのは、球団史上で1910年のシェリー・マギーまで遡らなければならないだけの大記録である。
アブレウがポストシーズンを経験したのは、アストロズに在籍していた1997年のことで、この時は代打として3打席に立ったのみである。アブレウ自身にはポストシーズンの舞台に立つ準備はすでに整っており、あとはいかにチームがシーズンを勝ち抜くかである。条件が整えば、三冠王も夢ではない。
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