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MLB EXPRESS

MLB EXPRESS REVIEW

★2002.1.14〜1.19★ [MLB EXPRESS REVIEW]

■2002.1.19(現地1.18)
●フィリーズ、ローレン、リー、パーソンとそれぞれ契約を1年延長!
スコット・ローレン
2002年オフにFAとなることから、その去就が注目されていたスコット・ローレンだが、フィリーズと1年間860万ドルで契約した。2001年のローレンは打率.289、25HR、107打点という数字にとどまっているが、シーズン終盤の大事な試合で勝負強い打撃を見せるなど、チームリーダーとしての役割を見事に果たした。サードの守備にも定評があり、3度のゴールドグラブ賞を獲得している。

フィリーズサイドもローレンに長期契約を求めていたが、いずれも拒否されていた。一時はローレン放出を決め、ウインターミーティングではマリナーズ、オリオールズと移籍交渉を行うなどということもあった。このため、2002年オフにはローレンがFAになる可能性が高い。

フィリーズはローレンの他にもトラビス・リーロバート・パーソンともそれぞれ1年契約を交わしている。リーはファーストに定着し、打撃の各部門でキャリア最高記録を作った。パーソンはチームトップの15勝(7敗)をマークし、特にオールスター後だけで9勝(2敗)をあげている。

●ウッド、調停前にカブスと1年契約を交わす!
ケリー・ウッド
カブスの若きエースであるケリー・ウッドは、1年間369万5000ドルで契約を交わし、調停による第3者の介入を防いだ。1998年にメジャータイ記録となる1試合20奪三振を記録したウッドが、1999年に肘にメスを入れてから3年目となる2001年は、肘手術の影響を感じさせないピッチングを見せた。28試合の先発で12勝6敗という記録に終わったものの、被打率.202、217奪三振という数字が24歳のウッドの完全復活を意味する。ドン・ベイラー監督も、ウッドが仮に35試合に先発すれば20勝できると太鼓判を押す。

●マリナーズ、エースのガルシアと契約を更新!
フレディ・ガルシア
アメリカンリーグの最優秀防御率のタイトルを手にしたフレディ・ガルシアが、マリナーズと1年間380万ドルで契約を交わした。すでにマリナーズのエースとなったガルシアは、2001年に18勝6敗、防御率3.05、163奪三振を記録している。まだ25歳であるが、チームのエースとしての活躍が2002年以降も求められる。

さらにジョン・ハラマも140万ドルでマリナーズと1年間、契約を延長した。既に29歳となるハラマだが、先発に中継ぎに投げ10勝(7敗)をマークしている。さらに3Aタコマで、7月7日にこのリーグ(パシフィックコーストリーグ)の99年の歴史上、初めての完全試合も記録している。さらに内野と外野の6つのポジションを守るユーティリティープレイヤーとして活躍したチャールズ・ギプソンも、1年間の契約を延長した。

●ウービナ、レッドソックスと1年間670万ドルで契約更新!
ウーゲット・ウービナ
2001年シーズン途中にエクスポズからレッドソックスに移籍したウーゲット・ウービナが、670万ドルで契約を交わした。オフの移籍の噂にも上がっていたウービナだが、これでレッドソックス残留が決まった。移籍後のウービナは19試合に登板し、9個のセーブを挙げている。さらにトロット・ニクソンとも契約を交わした。ニクソンは実質3年目となるメジャー生活で、打率.280、27HR、88打点という数字を残している。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.075
ブラッド・ラドキー★ブラッド・ラドキー #22★ ミネソタ・ツインズ

2001年の春の珍事の一つとして数えられたのがツインズの躍進である。そのツインズを引っ張ったエースがブラッド・ラドキーであり、球団の年俸総額が低いツインズの中で、一番の高給取りでもある。ストレートとスライダー、チェンジアップを中心に打たせて取るラドキーのピッチングが冴えわたったシーズンとなった。

若きツインズのエースとして活躍するラドキー。ラドキーは1972年、ウィスコンシン州に生まれた。高校時代は打撃も得意で、投手をやりながら内野手も兼任しており、野球と共にバスケットボールにも汗を流していた。そして、1991年のドラフトでツインズから8位指名を受け、プロ入りする。

1994年には2Aナシュビルで、28試合に先発し、12勝9敗の防御率2.66を記録した。しかし、制球力に定評のある投手とは言われていたが、当時はそれほど注目されていた投手という訳ではなかった。

1995年のメジャーリーグはストライキ明けということで、開幕が1ヶ月遅れる。先発投手不足に泣いていたツインズはラドキーをメジャーで開幕を迎えさせる。こうしてメジャーデビューを飾ったラドキーは、デビュー戦こそ中継ぎだったが、それ以後は常に先発ローテーションに入った。3Aを経験してないことから昇格が早すぎるとの声があったが、その中でラドキーは28試合に先発し、チームトップの11勝(14敗)をあげ、防御率5.32を記録し、メジャー1年目のシーズンを終えた。。

翌1996年も先発ローテーションに入り、35試合に先発し、11勝16敗の防御率4.46を記録。この年に打たれたホームランはリーグトップの40本。前年も32本のホームランを打たれており、2年連続でホームラン配球王という不名誉な記録を手にした。もちろん、ホームランがよく出ると言われているメトロドームを本拠地にしていることも理由の一つなのだが。

1997年は6月の頭まで、13試合の先発で、4勝5敗の防御率5.00と前年までの内容とほぼ変わっていなかった。しかし、6月7日の対エンゼルス戦で6安打1失点の完投勝利を手にしてからは、勝利街道を突っ走る。6月は5勝1敗で終えたラドキーは、7月20日の対アスレティックス戦で完封勝利を演じ、7月は6試合6勝の防御率1.57と文句のつけようにない内容。

打たせて取るピッチングが信条である。勢いはとどまらず、8月の最初の登板でも勝利を飾り、12試合先発登板における連続勝利という記録を作った。この記録は1950年以降では、ボブ・ギブソン(1968年)、パット・ドブソン(1971年)に次ぐ3人目という快挙であった。ただ単に12連勝という記録にしても、スコット・エリクソン(1991年)と並ぶ球団記録である。ラドキーはこの12試合での防御率が1.87を記録している。この年のラドキーは35試合の先発で20勝10敗の防御率3.87を記録。チームがわずか68勝しか挙げられなかった中での20勝であり、打たれたホームランは28本に減っていた。

更なる飛躍が期待された1998年は、5月までの段階で7勝3敗の防御率3.43を記録し、昨年の好調を引き続けているかのようにみえたが、7月以降は1勝7敗の防御率6.85とスランプに陥った。結局、12勝14敗の防御率4.30でシーズンを終えた。翌1999年も同じ12勝14敗に終わるが、この年の防御率3.75はリーグ4位の記録であり、安定感を見せつけており、打線の援護の足りなさを示していた。

2000年のラドキーの大きな話題は、オフにFAになるということだったが、シーズン中に4年間3000万ドルで契約を更新。他球団に移れば、さらに白星を増やすことも十分に可能かもしれないが、それでもラドキーはツインズ残留を望んだ。この年のラドキーは12勝16敗、防御率4.45に終わっている。

こうして迎えた2001年は開幕から素晴らしい働きを見せる。ラドキーは4月に6試合に投げ5勝0敗で乗り切り、月間MVPを獲得。オールスター前の前半戦最後の試合となる7月8日の対レッズ戦では、3安打1失点に抑え、早くもシーズン10勝目を手にした。なお、この試合がラドキーにとって、シーズン5度目の完投勝利であり、チームも地区首位で前半戦を折り返すことになった。

8月に入り、折れたバットが右手薬指に当たり、急遽降板というアクシデントがあり、約2週間の離脱を経験する。ラドキーの離脱中に、チームは8連敗してしまうなど優勝戦線から脱落してしまった。8月後半にラドキーは戦線に復帰するが、チームの再浮上はなかった。結局、2001年のラドキーは15勝11敗、防御率3.94でシーズンを終えることになってしまた。しかし、7年連続の2桁勝利に加え、4年ぶりに白星が黒星を上回ったシーズンでもあった。

若手選手の台頭がチームの躍進につながったツインズ。その中でも、ラドキーはチーム内の信頼も熱く、投手陣のリーダーとしての更なる活躍が求められる。

■2002.1.18(現地1.17)
●フルマー、エンゼルスへの移籍が決定!
ブラッド・フルマー
エンゼルスは、ブルージェイズからブラッド・フルマーをトレードで手にした。フルマーは2000年シーズン、133試合に出場し、打率.295、32HR、104打点をマーク。ホームランと打点はDHとしての球団記録である。2001年は打率.274、18HR、83打点を記録しており、このトレードが決まったこの日は、フルマーにとって27歳の誕生日だった。

エンゼルスのDHは、2001年の間、15人もの選手が務めたが、トータルの打率が.212、8HR、56打点に終わっており、このDHの補強がオフの課題の一つとして挙がっていた。しかし、このフルマーの獲得でこの問題は解消されたかのように思われる。ファーストも守れるフルマーは、元々エクスポズでメジャーキャリアをスタートしており、2000年のシーズン開幕前にエクスポズ、ブルージェイズ、レンジャーズの3球団における3角トレードでブルージェイズ入りした選手である。

なお、このフルマーと交換でブルージェイズ入りするのがブライアン・クーパーである。主に先発を務めるクーパーだが、2001年は7試合の登板で先発はわずか1試合にとどまっている。15試合に先発した2000年には、1度だけ完封勝利を記録している、まだ27歳と若い右腕投手である。

●アスレティックス、ライドルと2年契約!
コーリー・ライドル
アスレティックスの先発陣の一人であるコーリー・ライドルが2年契約を結んだ。2001年1月にベン・グリーブとの交換でアスレティックス入りしたライドルは、7月以降のピッチングが素晴らしく、15試合の先発で12勝2敗の防御率2.74と抜群の成績を残した。ティム・ハドソン、マーク・マルダー、バリー・ジートという若い投手陣の中で、2001年のライドルは、トータルでは13勝6敗の防御率3.59という数字を残している。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.074
ジェイソン・シュミット★ジェイソン・シュミット #29★ サンフランシスコ・ジャイアンツ

2001年のトレード期限ギリギリにパイレーツからジャイアンツへ移籍したジェイソン・シュミット。移籍後7勝をマークし、チームに貢献したシュミットはシーズン終了後にFAとなるが、結局、ジャイアンツと4年間4100万ドルという契約内容で残留を決めた。

ジャイアンツ残留が正式決定。高校3年時に対戦した21人の打者から20個の三振を奪う凄まじいピッチングを見せたシュミット。この若者に強豪アリゾナ大学を始めとしていくつかの球団から奨学生として誘われるが、それらを辞退。1991年のドラフトで8位指名したブレーブスとあっさりと契約を交わした。

ルーキーリーグからスタートしたシュミットのプロ生活は、150キロ近い速球を中心に投球回数とほぼ同じくらいの奪三振を記録しながら、1年1年着実に階段を昇っていった。そして、1994年は2Aグリーンビルでフルシーズンを過ごし、24試合に登板し、8勝7敗の防御率3.65という数字を残すに至る。

そして、1995年はチャンスを生かし開幕メジャーの切符を手にする。当時からブレーブスはグレッグ・マダックストム・グラビンなどを中心とした投手王国であり、その中でシュミットは9試合に登板する(先発は2試合)が、2勝2敗の防御率5.76と結果を出せず、3Aリッチモンドへ降格となった。しかし、3Aでは19試合に登板し、8勝6敗の防御率2.25と活躍し、光明を見出す。

1996年は開幕こそはマイナーだったが、メジャーへ昇格すると、投手王国ブレーブスの第5先発投手に抜擢される。7月半ばの段階で13試合に登板し(先発は11試合)、3勝4敗という成績を残したところで故障者リスト入り。優勝を狙うブレーブスはパイレーツで14勝をあげていたデニー・ネイグルに狙いをつけるが、その交換相手にシュミットが指名され、8月末に急遽パイレーツへの移籍が決まった。

サンフランシスコにワールドシリーズを持ってくることができるか。パイレーツの一員となったシュミットは早速パイレーツの先発ローテーションに組み込まれ、移籍したこの年、6試合に先発し、2勝2敗という数字を残している。翌1997年は開幕からローテーションに入り、初めてのメジャーでのフルシーズンを経験。32試合の先発で10勝9敗の防御率4.60と初めての2桁勝利も記録した。1998年は33試合の先発で、11勝14敗、防御率4.07をマークした。

速球とスライダーを中心に投げるシュミットの欠点は、試合経過と共に集中力が散漫になり、単調なピッチングになるということだ。さらに投球後に体が1塁側に流れるのが、フィールディングにいい影響を及ぼさなかった。1999年は、33試合に先発し、自己最多の13勝(11敗)をマークし、3年連続2桁勝利を記録しながらも、チームからエースとしての信頼を得られなかったのは事実である。

2000年こそは更なる飛躍が求められたが、肩を痛め6月半ばに戦線離脱。結局、肩の手術を決め、残りのシーズンを棒に振る結果となってしまった。この年は2勝5敗の防御率5.40という成績に終わっている。

再起がかけられた2001年は5月からメジャーへ昇格し、先発ローテーションに入って投げたが、シーズン終了後にFAになることや、チームが優勝戦線から離れたこともあり、地区首位を狙える位置(首位へ4ゲーム差の3位)にいたジャイアンツへのトレードが決まる。移籍前はパイレーツで14試合に投げ、6勝6敗に終わっていたが、移籍後は11試合で7勝1敗と、移籍がいい意味で転機になった。

速球に威力があることは既に証明済みで、緩急をいかにうまく使えるようになるかが飛躍の鍵である。まだ29歳と若いシュミットだけに、大化けする可能性は持っている。そうすれば、サンフランシスコでのワールドシリーズが行われるという可能性もふくらんでくる。

■2002.1.17(現地1.16)
●アスレティックス、ダイと3年間の3200万ドルで契約更新!
ジャーメイン・ダイ
移籍の噂もあったアスレティックスのジャーメイン・ダイだが、3年契約の3200万ドルで契約を交わし、残留が確定した。2001年シーズン途中にロイヤルズから移籍してきたダイは、後半戦のチームの躍進に貢献した。ヤンキースとのディビジョンシリーズにおいて左足を痛めてしまい、目下リハビリ中だが、開幕には間に合う模様。ジェイソン・ジオンビーがFAで流出しただけにダイの2002年にかかる期待は大きい。

●打点王ブーン、マリナーズ残留が正式決定!
ブレット・ブーン
アメリカンリーグの打点王に輝いたブレット・ブーンは、マリナーズと3年間の2500万ドルで正式に契約を結んだ。4年目となる2005年も800万ドルの契約を交わしそうで、結果的には4年間で3300万ドルという契約となりそうだ。32歳のブーンはここ4年間、毎年のようにチームを変わっていたが、ようやくマリナーズに腰を落ち着けそうだ。MVPはイチローに奪われたが、準MVPともいえる活躍をした2001年のブーン。2002年は真価が問われるシーズンとなりそうだ。

●チームの勝ち頭メイズ、ツインズと4年2000万ドルで契約更新!
ジョー・メイズ
2001年のツインズ躍進の立て役者の一人であるジョー・メイズが、4年間の2000万ドルで契約を交わした。メイズはローテーション投手としてフルシーズン戦い、チームトップの17勝(13敗)をマークし、大きく飛躍を果たした年にもなった。球団削減の噂もあったツインズだが、2002年の存続はほぼ確定的で、メイズ自身もツインズで投げられることに喜びを感じている。ツインズはすでにブラッド・ラドキーエリック・ミルトンとも2004年までの契約を完了させている。

●メッツ、アスタシオと1年契約を結ぶ!
ペドロ・アスタシオ
FAになっていたペドロ・アスタスオは、メッツと500万ドルの1年契約を交わした。2001年シーズン途中にロッキーズからアストロズに移籍したが、右肘を痛め、後半戦を棒に振ってしまったアスタシオだが、仮に180イニングを投げた場合は2003年は600万ドルで契約を交わすことになる。アスタシオはアル・ライターグレンドン・ラッシュブルース・チェンに、ジャイアンツから移籍してきたシェーン・エステスとともに先発ローテーションを形成することになりそうだ。

●オーナー会議でレッドソックス買収が正式承認!
Boston RED SOX
オーナー会議において、マーリンズのオーナーであったジョン・ヘンリーを中心とするグループのレッドソックスの買収が正式に承認された。全30球団のうち、棄権したヤンキースを除く29球団が合意した。オーナー会議は引き続き行われ、2球団の削減問題、マーリンズの買収問題、エクスポズの移転問題など問題は山積みである。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.073
スティーブ・スパークス★スティーブ・スパークス #37★ デトロイト・タイガース

いくつもある変化球の中で異彩を放っているボールがひとつある。それがナックルボールである。不規則な変化をするナックルボールは野球の歴史に確実にその足跡を残してきた。そのナックルボールの系譜を引き継ぐのがスティーブ・スパークスである。

ナックルボールがユラリユラリ。1987年、ブリュワーズにドラフト5位で指名され、プロ入り。1989年には1Aで13勝、翌1990年にも10勝をマークするが、なかなかその上のクラスには上がれずにいた。そこで1991年、コーチの薦めもあり、ナックルボールに挑戦することを決めた。しかし、実際にナックルボールを投げられる人間が身近にいないことから、トム・キャンディオッティに直接、電話で聞き、試合で実践した。ナックルボールをスパークス自身のものにするには非常に時間がかかった。こうしてスパークスが、メジャーへ初めて昇格したのは1995年のことである。

1995年4月にようやくメジャーデビュー。この年、33試合に登板し、202イニングを投げて、9勝(11敗)をマークした。しかし、翌1996年は4勝(7敗)にとどまる。さらに1997年は右肘を痛め1年を棒に振ってしまう結果に終わってしまい、シーズン終了後には自由契約となってしまった。

1998年の開幕直前にエンゼルスとマイナー契約を結んだスパークス。マイナーでは0勝8敗といいところがなかったが、ケン・ヒルの怪我があり、6月半ばにメジャー昇格を果たした。これが転機となり、22試合に登板し9勝4敗と、それまでとは生まれ変わったかのような素晴らしい内容のピッチングをみせる。翌1999年は期待をかけられて臨んだが、5勝11敗に終わり、シーズン後は再び自由契約になる。

これからがスパークスの全盛期。ナックルボーラーの特徴としては、コントロールを定めることができないため、ピッチング内容がひどいときには、暴投、四球が相次ぎ、目も当てられない。スパークスも例外ではなく、安定感はあまりないものの、時には素晴らしい内容のピッチングも披露する。エンゼルスを自由契約後、フィリーズと契約するが、スプリングトレーニングで結果を残せず、シーズン開幕を待たずして解雇されてしまった。

そして、2000年シーズン開幕前にタイガースとマイナー契約を結ぶ。開幕は3Aで迎えるが、6月後半にはメジャー昇格を果たし、チームの快進撃を象徴するような活躍を見せた。8月は5試合に先発して5勝をマーク。特に8月15日の対マリナーズ戦では5安打完封勝利も記録している。シーズン終盤は集中打も浴び連敗もしたが、20試合に投げ(先発は15試合)、7勝5敗1セーブの防御率4.07を記録した。

翌2001年は開幕をメジャーで迎えた。先発ローテーションに名を連ねていたスパークスは、シーズン2試合目の先発となる4月14日の対インディアンズ戦では、ナックルボールが冴えわたり、散発4安打の完封勝利を演じた。さらに6月19日の対ヤンキース戦でも、3安打1失点に抑え、わずか85球での完投勝利を手にする。シーズン終盤に4連勝をマークし、結局、14勝9敗の防御率3.65でシーズンを終えた。スパークスはこの年、両リーグトップの8試合の完投勝利を記録している。

2002年にオフにFAとなるスパークスに対し、タイガースは2年間で800万ドルの契約を提示し、契約を更新。過去の歴史を見てもナックルボーラーの選手寿命は非常に長い。遅咲きのナックルボーラー、スパークスの全盛期はここから始まる。

■2002.1.16(現地1.15)
●シェフィールド、ブレーブスへの移籍が決定!
ゲーリー・シェフィールド
ドジャースの主砲、ゲーリー・シェフィールドのブレーブスへの移籍が決まった。交換相手はブライアン・ジョーダンオダリス・ペレス、マイナーのアンディ・ブラウンの3選手である。大砲が欲しいブレーブスにとって、3年にわたりチームに貢献してきたジョーダンを交換相手にするというのは相当苦しい決断だったのが実状だ。

シェフィールドは打率.295、36HR、100打点をマークしており、貧打に泣いたブレーブス打線を刺激するには格好の人材といえそうだ。一方のジョーダンは、毎年怪我を抱えてのシーズンでありながらも打率.295、25HR、97打点という数字を残し、そのプレーでチームを引っ張った。ペレスは2000年を肘の手術で全休し、再帰をかけたシーズンだったが、5番手の先発として7勝8敗、防御率4.91という数字にとどまったが、23歳左腕のパワーピッチャーという魅力を兼ね備えており、今後の飛躍が期待されている。

シェフィールドはトレードに出すか、契約満了の2004年まで残留か、ドジャースサイドに答えを求めていたがその答えはブレーブスへの移籍だったということになる。ブレーブスでのシェフィールドはライトを守ることになり、センターが名手のアンドリュー・ジョーンズ、レフトがコンバートしたてのチッパー・ジョーンズと豪華な外野陣となる。オフに強力な補強を繰り返した同地区のメッツとも互角に戦える布陣といえそうだ。

●アダムス、フィリーズと1年契約!
Philadelphia PHILLIES
ドジャースからFAになっていたテリー・アダムスは、フィリーズと1年間270万ドルで契約を交わした。2001年のアダムスは、シーズン当初はブルペンにいたが、先発投手の怪我による離脱が続くというチーム状態の中で途中から先発ローテーションに回る。結局、22試合に先発し、12勝8敗、防御率4.33という数字を残した。フィリーズはロバート・パーソンランディ・ウルフに次ぐ3番手の先発として起用するそうだ。4番手にはメジャーデビューを果たしたばかりの期待のブランドン・ダックワース、5番手はデビッド・コギンネルソン・フィゲロアらが争うことになりそうだ。

●レッドソックス、東北福祉大学の熊谷とマイナー契約!
Boston RED SOX
レッドソックスは東北福祉大学の熊谷陵投手とマイナー契約を結んだ。熊谷は22歳の下手投げの投手で、同大学のクローザーとして活躍。大学4年間で防御率は0.91と素晴らしい成績を残している。さらに熊谷はマリナーズの佐々木主浩の大学の後輩でもある。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.072
ノマー・ガルシアパーラ★ノマー・ガルシアパーラ #5★ ボストン・レッドソックス

打率4割に最も近い男として、イチロートッド・ヘルトンらと共に挙げられるのがノマー・ガルシアパーラである。走攻守全てを兼ね備えているガルシアパーラに、欠点を見出すのは難しい。打席で見せるせわしない動きも、もはやガルシアパーラの個性のひとつである。

レッドソックスを引っ張るガルシアパーラ。ノマーという名前は非常に珍しい名前である。というのも父がラモンということから、そのスペルをひっくり返してノマーとしたというユニークなエピソードを持つ。ノマーという名前をもらった少年は子供の頃から、野球にサッカー、フットボールに熱を上げ、その中で最も熱中したのがサッカーであった。

高校時代に野球の実力が認められ、卒業時にはブリュワーズから5位指名を受ける。しかし、これを蹴り、ジョージア工科大学へ進学を決める。大学進学後の1992年にはバルセロナオリンピックのアメリカ代表メンバーに選ばれ、銅メダルを手にしている。この時の代表メンバーには、ジェイソン・ジオンビーフィル・ネビンチャールズ・ジョンソンらがいた。

大学での3年間で通算記録は、打率.372、23HR、166打点という蒼々たるものである。3年時には、打率.427(274打数117安打)を記録。同大学で1シーズン100安打を達成したのはガルシアパーラで4人目である。輝かしい大学生活を経て、1994年のドラフトでレッドソックスから1位指名(全米12番目)を受け、晴れてプロ入りを果たした。

1995年は2Aトレントンで1年間プレーし、125試合の出場で、打率.267、8HR、47打点、35盗塁を記録。翌1996年は、3Aポータケットで、43試合に出場し、打率.343をマークするや、シーズン後半にはメジャーへ昇格した。昇格後もジョン・バレンティンというショートのレギュラーがいながら、ショートのポジションを任された。

1997年は開幕からレッドソックスの1番打者として定着。新人らしからぬ活躍を見せ、打率.306、30HR、98打点という素晴らしい成績を残し、シーズンオフの新人王投票では、満票で文句なしの新人王に輝いた。この年放った209安打というのはリーグトップの記録で、さらに新人としては54年ぶりとなる30試合連続ヒットも記録した。1番打者としては史上最高となる98打点を記録し、さらにリーグトップの11本の3塁打を記録している。さらに7月24日の対アスレティックス戦ではサイクルヒットも記録した。

弟のマイケルもマリナーズからドラフト1位指名を受ける。翌1998年は、新人王受賞の翌シーズンということで2年目のジンクスということが話題にあがったが、ガルシアパーラには関係なかった。5月半ばに肩を痛めたことから一時、故障者リスト入りするが、シーズントータルの数字としては、前年を上回った。前年より10試合少ない143試合の出場ながら、打率.323、35HR、122打点という凄まじさである。

オフにはワイルドカードで初のポストシーズンを経験。インディアンズとのディビジョンシリーズでは、1勝3敗と敗れ去ってしまうが、ガルシアパーラはこの4試合で3本のホームランを放ち、シリーズ新記録となる11打点をマーク。名選手に必要な条件である「大試合に強い」という一面を見事に見せつけた。

1999年は怪我もあり、135試合の出場にとどまったが、打率.357で首位打者を獲得。27HR、104打点という数字も十分なもので、チームは2年連続でワイルドカードとしてポストシーズン進出。前年に引き続き、インディアンズとディビジョンシリーズを戦い、2連敗後の3連勝でひとつの壁を乗り越えた。続くヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝4敗で敗れ、1986年以来のワールドシリーズ進出は果たせなかった。そんな中でもガルシアパーラは、ポストシーズン10試合で打率.406(32打数12安打)、4HR、9打点をマークしている。さらにこの年は本拠地ボストンでオールスターゲームが行われ、初めてのファン投票での選出を果たしている。

2000年のガルシアパーラは、5月に一時故障者リストに入るが、復活後は好調な打撃を見せ、貧打に苦しむチームの中で火を噴き、7月には打率が4割を越えることもあった。結局、打率.372でシーズンを終えたが、2年連続で首位打者のタイトルを獲得した。しかし、チームは勢いに乗れず、投手陣においてはペドロ・マルチネスの孤軍奮闘もむなしく、3年連続ポストシーズン進出は逃した。

マニー・ラミレス野茂英雄を獲得し、打倒ヤンキースの一番手としてあげられて臨んだ2001年だったが、開幕前にガルシアパーラは手首の手術に踏み切り、前半戦を棒に振ることになってしまった。そして、戦線復帰は7月29日の対ホワイトソックス戦にまでもつれ込んだ。ガルシアパーラ自身の「2001年開幕戦」において、ホームランを含む4打数2安打3打点を記録し、その存在感を十分にアピールした。しかし、再び故障者リスト入りし、この年はわずか21試合の出場にとどまり、チームも失速した。

ガルシアパーラは、仮に自分が素晴らしい成績を残してもワールドチャンピオンになれなければ意味がないと言い切る勝利主義者である。レッドソックスは1918年に世界一に輝いて以降、その名誉を手にしていない。「バンビーノの呪い」といわれる忌まわしい呪いを振り払うにはガルシアパーラの打棒爆発なしには考えられない。

■2002.1.15(現地1.14)
●若手有望株を交換!強打の一塁手ペーニャがアスレティックスへ!
ジオンビーの代役が求められるペーニャ。
レンジャーズとアスレティックスとの間でマイナーリーガーの6選手による交換トレードが成立した。この中の目玉はレンジャーズからアスレティックス入りが決まったカルロス・ペーニャである。1998年のドラフト1位選手で昨年、メジャーデビューを果たしたばかりの強打の一塁手だ。ファーストの守備には定評があり、足も速い。2001年は3Aで打率.288、23HR、74打点を記録している。ペーニャがレンジャーズにいた場合、ラファエル・パルメイロという存在がいるため、試合の出場が減る可能性があるが、アスレティックスの場合だと、ジェイソン・ジオンビーが抜けたばかりということで必然的に出場機会が増えることが予想される。

対してレンジャーズが必要としているのが投手であり、ペーニャと交換になった目玉選手はマリオ・ラモス投手である。2001年は2Aで28試合に先発し、16勝4敗、防御率3.10という数字を残している若手左腕であり、仮にアスレティックスに残った場合、ティム・ハドソンマーク・マルダーバリー・ジートに次ぐ投手になると予想されていた。投手力に不安のあるレンジャーズにとって、ラモスの加入は将来的に考えて非常に大きいだろう。

ラモスと共にレンジャーズ入りするのは、1999年にドラフト6位で入団したジェイソン・ハート一塁手である。24歳のハートは、コンパクトなスイングが売りで、2000年には2Aでシーズン30ホームランを記録するというパワーも合わせ持っている。さらにライアン・ラドウィック外野手、ジェラルド・ライルド捕手もレンジャーズ入りする。ペーニャと共にアスレティックス入りするのは、メジャー3年のキャリアを持つマイク・ベナフロ投手である。

●37歳ボンズ、5年間で9000万ドルという破格の大型契約!
バリー・ボンズ
シーズン73HR、長打率.863、177四球というメジャー記録を打ち立てたバリー・ボンズが、37歳という年齢でジャイアンツと5年間9000万ドルという破格の契約を結んだ。これによりボンズは残りの現役生活をジャイアンツで過ごすことになりそうだ。1年当たりの金額としては、アレックス・ロドリゲス(2520万ドル)、マニー・ラミレス(2000万ドル)、デレク・ジーター(1890万ドル)に次ぎ、サミー・ソーサと並ぶ1800万ドルで、メジャー史上4番目の高額となった。金額が非常に高額であるため、ボンズが引退後も分割して払われる契約となっている。

●F・ロビンソン、エクスポズの監督、もしくはGM就任へ!
フランク・ロビンソン
球団削減、、買収、本拠地移転などの問題に揺れているエクスポズだが、その再興にフランク・ロビンソンが立ち上がりそうだ。選手時代に両リーグでMVPを獲得した史上初の選手として活躍し、1975年には黒人初の監督(正確にはプレーイングマネージャー)となった。インディアンズ、ジャイアンツ、オリオールズでそれぞれ監督をつとめ、殿堂入りも果たしている。このロビンソンがエクスポズの監督、もしくはGMになるという。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.071
アンドリュー・ジョーンズ★アンドリュー・ジョーンズ #25★ アトランタ・ブレーブス

<written by アル中オヤジ>

メジャーを代表するトップアスリートとして、そのスピードでファンを魅了することのできる選手、それがアンドリュー・ジョーンズである。

打撃にはまだまだ可能性を秘めるアンドリュー。1996年、ワールドシリーズでアンディ・ペティートから2打席連続ホームランを放ちその名を知らしめたアンドリュー。翌年からレギュラーに定着し着実にスターへの道を歩み続けている。

彼の最大の魅力は今やメジャーNO.1と称されるその守備だろう。膨大な守備範囲を誇り、ギャップの打球に対しても決してあきらめずダイビングキャッチを敢行する彼のプレーぶりはどこまでもワイルドである。言葉は悪いが洗練された感じがしないアグレッシブなプレー振りがまた彼の魅力ではないだろうか。彼の守備の特長は打球判断の速さにつきる。

メジャーの常識として「a ball hung in the air for seven seconds should be caught」(7秒間空中にあるフライは守備範囲の打球であるとでも訳すべきなのだろうか。)というものがあるのだがアンドリューの打球判断の速さは5秒前後空中にあるフライまで捕球可能な範囲ではないかと思わせるほど素晴らしい。 1998年守備機会435、補殺数20の数字を残して初のゴールドグラブを獲得したアンドリュー、1999年以降の守備機会511、448、477という数字からも守備範囲の広さが窺える。

当然のように98年以降4年連続でゴールドグラブを獲得、もはや完璧に常連の座に収まった。ただ、そんな彼も98年シーズン中に、センター前のハーフライナーをダイビングもせずにヒットにしてしまい即座に交代させられた苦い経験を持っている。よく言われる「若さゆえの集中力のなさ」が顔を出した瞬間である。

才能が完全に開花するのはいつか。とかく守備にばかり目が行きがちだが、バッティングの方でも2000年には打率.303、36HR、104打点を記録するほど攻撃においてもブレーブスの中心選手に育ってきた。2001年シーズンも2年連続キャリアハイタイの104打点をマークするも悪癖である「振りすぎ」が顔を出し、ストライクゾーンの変更も影響したとは思うが、これまたキャリアハイの142個の三振を喫することとなる。常にフルスイング、ほとんどの打球がセンターから左という典型的なプルヒッターであるアンドリューらしいといえばそれまでだが、まだまだ伸びる要素を秘めている証拠だろう。

また出塁時には誰よりも貪欲に次の塁を狙う超一流の走者と化すアンドリュー。1A時代に56盗塁を記録した足は健在で、1998〜2000年シーズンにかけてハンク・アーロン以来チーム史上2人目となる3年連続20−20(31HR−27盗塁、26−24、36−21)を記録した。

そして特筆すべきはそのタフさである。2001年はカルロス・デルガドにトップの座を譲ったが、過去3年で他の誰よりも多くの試合、イニングに出場してきた。3年連続で出場イニング1400以上の数字を残しているのはアンドリューだけである。

今年新たにブレーブスと6年契約を結んだアンドリュー、豊富な投手陣を支えるキープレーヤーとして今後も輝き続ける選手であることは間違いない。弱冠24歳にして名声を手に入れただけに、残るはチャンピオンリングを手にすることだけだ。

■2002.1.14(現地1.13)
●3代目セネタース誕生か!?ワシントンD.C.が新球場建設へ!
Major League Baseball
首都ワシントンD.C.がメジャー球団誘致に動き出した。1971年に2代目ワシントン・セネタースがテキサスに移転し、レンジャーズとなって以降、ワシントンD.C.にメジャー球団はない(初代セネタースは現在のツインズ)。すでに新球場建設に4億ドルを用意することに合意したという話もあり、早ければ2003年末には、ワシントンD.C.にメジャーリーグの球団が復活ということになりそうだ。移転候補は球団削減の候補であるエクスポズとされており、一部の関係者からは、オーナーサイドがこの計画にゴーサインを出せば、球団削減というメジャーリーグに取り巻く問題は解決されるという声も聞かれる。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.070
ボビー・ヒギンソン★ボビー・ヒギンソン #4★ デトロイト・タイガース

2001年のシーズン開幕前にタイガースと新たに4年契約を結んだボビー・ヒギンソン。数字的には期待通りの数字を残しているとは言い切れないヒギンソンだが、彼がタイガースのチームリーダーであるということは、本拠地コメリカパークでの声援を聞けばわかる。

タイガースを引っ張るヒギンソン。ペンシルベニア州のフィラデルフィアに生まれたヒギンソンは、同州のテンプル大学へ進学。大学の3年間での通算打率が.377をマークし、通算ホームランの30本は同大学でトップとなる記録である。そして、1992年のドラフトでタイガースにドラフト12位でプロ入りを果たした。

1993年、1Aレイクランドで開幕を迎えると61試合に出場し、打率.300をマーク。シーズン途中に2Aロンドンに昇格し、63試合の出場で打率.308を記録するという素晴らしい成績を残した。翌1994年は3Aトレドでフルシーズンプレーし、打率.275、23HR、67打点を記録した。

こうして1995年にメジャーデビューを果たすが、131試合の出場で、打率.224、14HR、43打点に終わり、メジャーとマイナーの壁に苦しんだ。しかし、当時のタイガースの監督をつとめていたスパーキー・アンダーソンはヒギンソンの将来には太鼓判を押したという。将来のタイガースの主砲としての期待がヒギンソンにはかかっていた。

メジャー2年目の1996年、ヒギンソンは大きく飛躍を果たした。一時、故障者リストに入ったため130試合の出場にとどまってしまったが、リーグ12位となる打率.320を記録し、26HR、81打点という数字を残し、2年目のジンクスなるものを吹っ飛ばした。

翌1997年は146試合に出場し、打率.299、27HR、101打点と数字を伸ばした。この年はトニー・クラークトラビス・フライマンとともに球団史上47年ぶりの100打点トリオを形成。ヒギンソンは打撃だけでなく守備でもハッスルプレーを見せており、20個の捕殺を記録している。オフには調停の結果、タイガースと4年間の1600万ドルで再契約を果たす。ヒギンソンへの期待はますます高まりばかりである。

タイガース一筋で未だワールドシリーズの経験がない。1998年は157試合の出場で、打率.299、27HR、101打点と前年とあまり変わらない数字。さらに翌1999年は開幕から絶不調で、オールスター後には怪我をしてしまい、打率.239、12HR、46打点に終わる。決して長期契約の上にあぐらをかいたわけではないだろうが、周囲の期待を大きく裏切る結果に終わってしまった。

2000年はホアン・ゴンザレスの加入もあり、それまでのライトからレフトへ守備位置を変更。開幕こそ不調だったが、徐々に調子をとり戻し、6月には1試合7打点をあげる試合や、1試合3ホームランという試合もあった。そして、4年ぶりの打率3割(.300)、初めての30HR、3年ぶりの100打点(102打点)をマークするキャリア最高の年とした。

しかし、新たに4年契約を結んだばかりの2001年は、打率.277、17HR、71打点という数字に終わり、チームも地区4位に終わった。前年と比べて、主砲のゴンザレスが抜け、正捕手のブラッド・オースマスの離脱が大きく響いてしまった。

闘志あふれる選手で審判のストライク、ボールの判定に食いつくヒギンソンだが、未だポストシーズンとは無縁の位置にいる。チームが激しい優勝争いを繰り広げたときのヒギンソンが、どのようなプレーを見せるかが非常に注目である。2000年から新開場したコメリカパークでポストシーズンを戦う日が来るのだろうか。

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