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MLB EXPRESS

MLB EXPRESS REVIEW

★2001.12.13〜12.18★ [MLB EXPRESS REVIEW]

■2001.12.18(現地12.17)
●インディアンズ、ロートンと4年契約、ギタレスと3年契約!
リッキー・ギタレス
インディアンズがこれまでのチームから大きく様変わりしようとしている。メッツから獲得したマット・ロートンと4年契約、FAで獲得したリッキー・ギタレスと3年契約とそれぞれ長期の契約となる。

ギタレスはショートが本来のポジションだが、インディアンズにはオマー・ビスケルがいるためにセカンドに回る。セカンドを守るのは、ギタレスがアストロズに在籍していた1997年、27試合だけ守って以来である。これまでは12回のオールスター出場を誇るロベルト・アロマーの後釜となるだけに注目が集まる。

●ヤンキース、ホワイトと正式契約!2年間で1000万ドル!
ロンデル・ホワイト
ヤンキースはFAになっていたロンデル・ホワイトと2年間の1000万ドルで正式に契約をした。ホワイトは過去9年間のメジャー生活で4年連続打率3割を記録しており、通算打率は.295である。しかしここ2年は足の怪我もあり、100試合以下の試合出場にとどまっている。ずっとナショナルリーグでプレーしてきたホワイトにとって、ヤンキースは初めてのアメリカンリーグのチームである。来季のヤンキースのレフトを守る予定である。

●カージナルス、スティーブンソンとカイロとそれぞれ1年契約!
ギャレット・スティーブンソン
カージナルスはギャレット・スティーブンソン投手、ミゲル・カイロ内野手とそれぞれ1年契約を結んだ。スティーブンソンは2000年に16勝(9敗)をマークしたが、今年は肘の手術のために1年を棒に振った。スプリングトレーニングには間に合うとされ、来季に再起をかける。カイロはカブスに解雇され、8月にウェーバーにかかったところで、カージナルスが獲得した選手である。

●37歳のビューナー、怪我に泣いて引退発表が近いか!?
ジェイ・ビューナー
マリナーズで14年間プレーしたジェイ・ビューナーが、今週中にも引退を発表するかもしれないと報じられた。メジャーリーグ史上10人目となる3年連続の40HR(1995〜97年)を記録するなどのパワーも見せつけた。チームのまとめ役としての役割も果たしており、人気者でもあったが、最近は怪我で十分な働きを見せられないでいたことも引退を決めた理由とされている。現在、ビューナーは37歳である。

●ベイカー、前立腺ガンの手術成功!春には間に合う!
San Francisco GIANTS
ジャイアンツ監督のダスティ・ベイカーが前立腺ガンの手術を受けた。シーズン終了後にガンが発見されたためである。手術は成功し、転移も見られなかったとのことである。52歳のベイカーはスプリングトレーニングには元気な姿を見せてくれることだろう。今季は90勝72敗の地区2位で、ポストシーズンに出場できなかった。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.043
ダリル・カイル★ダリル・カイル #57★ セントルイス・カージナルス

カージナルスのエースとして迎えた2001年のダリル・カイルは、4月に4勝、5月に3勝と序盤からチームを引っ張った。16勝11敗の防御率3.09をマークし、チームを2年連続でのポストシーズン進出へ導くことに一役買った。ダイヤモンドバックスとのディビジョンシリーズ第3戦に先発したカイルは、5回まで2安打無失点に抑える好投を見せたが、カイルが降板後に後続の投手が打たれ、勝利投手の権利を失った。

集中力が持続すれば、安心してみていられるカイル。1987年、アストロズからドラフト30位で指名されたカイル。正式に契約したのは翌年の5月のことであった。1989年は2Aコロンバスで11勝6敗の防御率2.58をマークし、終盤には3Aツーソンに昇格する。1990年はシーズン通して3Aで登板。26試合に登板し、5勝10敗の防御率6.64という記録で、壁にぶち当たる結果となった。

しかし、翌1991年は開幕をメジャーで迎え、そのままメジャーに残った。メジャー1年目は37試合に登板(先発は22試合)し、7勝11敗の成績を残すに終わった。元々、カイルは気の短い性格でこれがピッチングにも現れた。奪三振も記録するがその分四球も記録するという投球内容で、安定感を欠いていた。

そのカイルが飛躍のきっかけをつかんだと思われたのが1993年のことである。150キロを超える速球に加え、切れのあるカーブでシーズン15勝をマーク。しかも、9月8日の対メッツ戦では1点を奪われながらもノーヒッターに抑える好投を見せた。このシーズンは9連勝も記録し、オールスターゲームのメンバーにも名を連ねた(出場はなし)。

このままエース街道を歩んでいくと思われたが、その後2年間は制球難に苦しみ、9勝、4勝と成績は落ち込んでいく。1995年にはマイナー降格も経験した。しかし、カーブの制球を磨いたカイルは、翌1996年の後半から立ち直りを見せ、結局この年は12勝(11敗)を記録した。

制球難と言われたのも今は昔と言っていいのかな。こうして迎えた1997年は、スプリングキャンプからの調整がうまくいったこともあり、19勝7敗の防御率2.57と全ての面においてキャリア最高の年となった。これまで3年連続地区2位にとどまっていたアストロズに11年ぶりの地区優勝をもたらした。投手成績の全ての部門でベスト5に入る活躍で、サイヤング賞の候補にもあがった。

素晴らしい成績を残したカイルはFAでロッキーズへ移籍する。3年間で2400万ドルという、当時では投手として歴代5番目となる高額での移籍だった。ロッキーズは打者天国と言われるクアーズフィールドを本拠地としており、投手にとっては不利だが、カイルはこの球場で相性が良かったため、成功する可能性もあるのは、と思われていた。

しかし、ふたを開けてみればクアーズフィールドに苦しみ、2年続けて負け越し(1998年は13勝17敗、1999年は8勝13敗)と、結果を残せなかった。そして1999年オフ、契約を1年残した状態で総勢6選手の絡むトレードによりカージナルスへの移籍が決まった。

そして、カージナルスのユニフォームを着て臨んだ2000年、クアーズフィールドの呪縛から逃れたカイルは、開幕から絶好調。キャリア初のシーズン20勝(9敗)をマークした。この年のカージナルスは、カイルの他にギャレット・スティーブンソン(16勝9敗)、パット・ヘントゲン(15勝12敗)と3人の投手が15勝以上を記録。これは球団史上1985年以来のことであり、チームは4年ぶりの地区優勝を果たした。

リーグチャンピオンシップシリーズにまでコマを進めたカージナルス。エースであるカイルはメッツとのこのシリーズ、第1戦と第4戦に先発するが、共に序盤から崩れる内容でノックアウトされた。ワールドシリーズへは進めずに、カイルは戦犯の一人にも数えられた。しかし、シーズン中のカイルのピッチングを高く評価した球団は、カイルと3年間の契約延長を交わした。

打者の手元で鋭く変化するカーブを決め球としており、打たせて取る投球をすれば右に出る者はいない。メジャーリーグの投手の平均年齢が上がってきている今、33歳のカイルはまだまだ若い投手といえるだろう。

■2001.12.17(現地12.16)
●メッツ、エステスを獲得!交換に新庄とリラフォード!
新庄剛志シェーン・エステス
メッツはジャイアンツから28歳左腕のシェーン・エステスを獲得した。エステスは今季、左膝の怪我で約1ヶ月を棒に振ったが、27試合に先発し、9勝8敗の防御率4.02をマーク。通算記録は64勝50敗の防御率4.25であり、1997年にはシーズン19勝をあげ、オールスターにも選出されている。これにより、メッツの先発はアル・ライターグレンドン・ラッシュブルース・チェンにエステスと4人のサウスポーが並ぶことになり、この中でラッシュには移籍の噂がある。

交換でジャイアンツするのは新庄剛志外野手とデシー・リラフォード内野手の2人である。両選手も2001年のメッツには欠かせない選手として、要所要所で活躍した。メッツはさらにFAのホアン・ゴンザレスにも目を付けているという噂もある。

●パク、ドジャースとの調停を拒否!果たしてどうなる!?
パク・チャンホ
今季オフ、FAの目玉となっているパク・チャンホだが、ドジャースの年俸調停を拒否した。ドジャースのGM、ダン・エバンスはパクとの契約延長を臨んでいるが、先週行われたウインターミーティングでは、エバンスとパクの代理人のスコット・ボラスは会話を交わさなかった。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.042
リバン・ヘルナンデス★リバン・ヘルナンデス #61★ サンフランシスコ・ジャイアンツ

キューバのナショナルチームにリバン・ヘルナンデスが選ばれたのは1994年のことで、当時からエース候補として期待されていた。しかし、1995年の秋、遠征で訪れていたメキシコのホテルから姿を消し、そのままドミニカに亡命した。こうしてメジャーリーグの各球団で熾烈な争奪戦が繰り広げられた。

まだまだ老け込む歳ではリバン。ヤンキースやブレーブスからは非常に高額なオファーがあったが、その中でリバンが選んだのはマーリンズだった。マーリンズのあるマイアミは全米で最も多くのキューバ系移民が暮らしているからの決断だ。1993年に創立されたばかりのマーリンズはチーム強化に力を入れている最中で、リバンと4年間の250万ドルで正式に契約した。

1996年、即メジャーで登板すると思われたが、まずは3Aシャーロットに送り込まれた。しかし、調整不足もあり、10試合に投げ、2勝4敗の防御率5.14に終わってしまい、2Aポートランドへ降格。2Aでは格の違いを見せ、15試合に投げ、9勝2敗の防御率4.34を記録し、この年の最後に1試合だけメジャーで登板した。

翌1997年は開幕こそ2Aだが、即3Aに昇格。シーズン前の調整もうまくいったことから、6月にはメジャー昇格を果たした。すぐに初勝利をあげると、150キロを超える速球を武器にそのまま9連勝を飾った。これは新人としては歴代4位となる記録である。チームはワイルドカードとして、球団創立初のポストシーズンへの進出を決めたが、リバンは終盤に3連敗してしまったことから、ポストシーズンの先発ローテーションからははずれてしまう。

ジャイアンツとのディビジョンシリーズでは、あっさり3連勝で退ける。リバンはこのシリーズで、中継ぎとして4イニングだけ投げた。続いてはブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズだが、このシリーズ中にエース格のアレックス・フェルナンデスが右肩筋肉断裂というアクシデントが降りかかり、これがリバンの出番の増やすことになる。

実兄オルランドとのワールドシリーズでの兄弟対決は見られるだろうか。第3戦では中継ぎとして1回2/3を投げて1勝を手にした後、第5戦では先発予定のケビン・ブラウンが風邪というアクシデントがあり、リバンに先発の機会が巡ってきた。この第5戦では、グレッグ・マダックスとの投げ合いだったが、3安打1失点に抑える完投勝利。ブレーブスは6人もの左打者を並べたが、リバンは毎回の15奪三振を記録し、これでマーリンズは流れをつかみ、このシリーズを4勝2敗で制した。当然、リバンはこのシリーズのMVPに輝いた。

続くインディアンズとのワールドシリーズでは第1戦の先発に抜擢。5回2/3で3失点とふるわないが、味方打線が大量点を奪ったこともあり、勝利投手となった。22歳7ヶ月での開幕戦勝利は、史上最年少という記録である。2勝2敗で迎えた第5戦にも先発し、9回途中まで投げ、8四球4失点と安定感に欠けたものの味方打線のおかげでまた勝利投手になった。

国交断絶のアメリカとキューバの間で特別に話し合いが進められ、リバンの母親を特別ビザで渡米。第7戦前に親子は2年ぶりの再開を果たした。チームは第7戦を制し、チーム創立5年目での世界一に輝き、ラッキーボーイ的な活躍をしたリバンはワールドシリーズのMVPにも輝いた。まさにリバンにとっては激動の1年となった。

しかし、翌年からはチームの財政難から主力選手を次々に放出。実質メジャー2年目のリバンにエースとしての働きが求められたが、この年は10勝12敗に終わってしまう。主力放出の波はリバンの身にも降りかかり、1999年7月24日にはジャイアンツへ籍を移した。移籍2年目となる2000年は17勝(11敗)をあげ、チームも地区優勝を飾った。

2001年は、序盤こそ勝ちになかなか恵まれなかったが、オールスター明けに5連勝を記録するなどでチームを引っ張ったが、ポストシーズンに進むことはできなかった。かつてのワールドシリーズMVPと過去の人になるには、まだまだ早すぎるリバンである。

■2001.12.16(現地12.15)
●マリナーズ、3投手との交換で、シリーロ獲得が正式決定!
ジェフ・シリーロ
マリナーズとロッキーズの間で正式にトレードがまとまった。このトレードのメインはマリナーズ入りするジェフ・シリーロである。シリーロは今季、打率.312、17HR、83打点を記録しており、デビッド・ベル(打率.260、15HR、64打点)の代わりにマリナーズのサードを守る。

1994年にブリュワーズでメジャーデビューを飾ったシリーロは、通算打率が.311と好打者である。さらにサードの守備にも定評があり、守備率.982を記録いる。現在、ナショナルリーグ記録である85試合連続ノーエラーを継続中である。ちなみにメジャーリーグにおいて、サードの連続試合ノーエラーの記録は、1992年から2000年までにジョン・ウェーナーの記録した99試合連続である。

交換でロッキーズ入りするのは、ホゼ・パニアグアデニー・スタークブライアン・フェンテスの3投手である。なお、ロッキーズはパニアグアとの契約が完了した後、タイガースのシェーン・ハルターと交換するつもりだという。

●ハーマンソン、1対3の交換トレードでレッドソックス入り!
ダスティ・ハーマンソン
レッドソックスはカージナルスから、ダスティン・ハーマンソンをトレードで獲得した。28歳のハーマンソンは今季、自己最多タイの14勝(13敗)をあげ、特に後半戦では14試合の先発で8勝をあげる活躍を見せた。今季33試合に先発し、そのうち22試合は6回以上を投げるタフさも魅力であり、レッドソックスが野茂英雄との契約に失敗した場合、ペドロ・マルチネスに次ぐ2番手の先発としての活躍が期待される。

代わりにカージナルス入りするのは、リック・アサドリアン外野手、ルイス・ガルシア一塁手、ダスティン・ブリッソン一塁手と3人のマイナーリーガーである。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.041
CC・サバシア★CC・サバシア #52★ クリーブランド・インディアンズ

2メートルを超える長身のCC・サバシア。まだ21歳の若者ながら、シーズンではチームトップの17勝(5敗)をマーク。マリナーズとのディビジョンシリーズ第3戦、先発のマウンドに立ったサバシアは6回を2失点に抑える好投でチームに勝利をもたらした。新人王こそイチローに譲ったが、十分に新人王受賞に値する活躍を見せたことはいうまでもない。

新人王をとってもおかしくなかったサバシア。1980年、カリフォルニア州に生まれたサバシア。高校時代は野球とフットボールに汗を流していたが、1998年6月のドラフトでインディアンズの1位指名(全米20番目)を受けると、そのまま野球を選択。契約金は130万ドルだった。160キロ近い速球を投げるサバシアは注目の的だった。

1999年は肘を痛め、開幕から2ヶ月半もの間を離脱。復帰後、1Aの3つのクラスで登板し、5勝3敗という成績ながらも投球回数よりも多い三振を奪った。翌2000年は1Aキンストンで開幕を迎える。1Aで10試合に登板した後、2Aアクロンへ昇格。17試合の登板で、3勝7敗とパッとしない成績ながら、フューチャーゲームや2Aのオールスターゲームにも選出されるなど、その潜在能力は周囲の誰もが認めていた。

さらにこの年の秋のシドニーオリンピックのアメリカ代表選手に選ばれていたが、その名誉を蹴ってメジャーのインディアンズに同行した。しかし、メジャーでマウンドに立つことはなかった。仮に代表メンバーに加わっていれば、ナンバー1の左投手であることは間違いなく、決勝のキューバ戦のマウンドは、ベン・シーツではなくこのサバシアが上がっていたかもしれない。

左腕から繰り出す剛速球。こうして迎えた2001年、開幕メジャーとして名を連ねる。しかし、若すぎる年齢からあと1年、マイナーリーグで鍛えようというチームの方針も垣間見えたが、現場の強い要請でローテーション投手としてメジャーに残った。そして4月8日、対オリオールズ戦でメジャーデビューを飾る。初回にジェフ・コーナインに3ランホームランを打たれるが、後続を160キロの速球で見事に抑えきる。5回2/3を投げ3安打3失点という内容に終わったサバシアだが、降板後にチームが逆転したため、黒星はつかなかった。

将来性のある投手ということから球数は必然的に100球前後、もしくはそれ未満に抑えられ、イニングにすれば、5回から6回、7回でマウンドに降りることが多かったサバシア。その中でオールスターまでの前半戦で7勝3敗を記録。

オールスター明けの後半戦、7月13日の対レッズ戦では、6回2/3を投げ4安打1失点に抑え、キャリア最多の11奪三振を記録。これはサバシアにとって初めてのメジャーにおける2桁奪三振であり、この三振の中には、サバシアが子供の頃からずっと憧れていたというケン・グリフィー・ジュニアから奪った三振も1つ入っている。さらにインディアンズの新人投手として1試合11奪三振というのは、1994年のアルビー・ロペスが記録して以来のものである

シーズン開幕前に母親と賭けをしていた。もし、サバシアがシーズン10勝をマークしたら、母親が禁煙するというものだ。サバシアは7月終わりの段階であっさりと10勝をマークし、その賭けに勝利した。さらにサバシアの勢いはとどまらず、8月にも4勝をあげる。

サバシアは、かつてインディアンズで1960年代に活躍し、5度もの奪三振王に輝いているサム・マクドウェル以来の逸材とも言われている。果たして2年目のジンクスはあるのか。来季以降の更なる飛躍を期待したい。

■2001.12.15(現地12.14)
●1週間で2度目のトレード!ジャスティス、アスレティックスへ!
デビッド・ジャスティス
正ヤンキースからメッツへのトレードが成立したばかりのデビッド・ジャスティスが、今度はアスレティックスへトレードされることが決まった。アスレティックスとの交換相手はマーク・ガスリー投手とマイナーのテイラー・イェイテス投手の2人である。ジャスティスはすでに35歳で、今季は2度の故障者リスト入りもあり、打率.241、18HR、51打点にとどまったが、すでに怪我も完治しているとのことで、FAで流出したジェイソン・ジオンビーの代役が求められる。これにより、メッツは来季の外野をロジャー・セデーニョ新庄剛志ジェイ・ペイトンベニー・アグバヤーニティモ・ペレスの5人体制で臨むことになりそうだ。

●FAのシュミット、4年間3100万ドルでジャイアンツ残留決定!
ジェイソン・シュミット
今季途中、パイレーツからジャイアンツ入りし、オフにFAとなっていたジェイソン・シュミットがジャイアンツと4年間で3100万ドルの契約を結び、残留が決まった。5年目の2006年は球団のオプションである。ジャイアンツへ移籍後は、7勝1敗と大活躍した。来季のジャイアンツは、シュミットとラス・オーティスリバン・ヘルナンデスカーク・ルーターの4人がローテーションに入ることが予想される。この4人は2003年までの契約を既に結んでいる。

●マリナーズ、トレードでシリーロを獲得寸前!
ジェフ・シリーロ
マリナーズは、ロッキーズからジェフ・シリーロをトレードで獲得することをほぼ確実とした。マリナーズではデビッド・ベルに代わるサードとしての活躍が期待される。マリナーズはこれでセカンドのブレット・ブーンとの交渉が待たれるところだ。シリーロは今季、138試合に出場し、打率.312、17HR、83打点を記録している好打者であり、サードの守備にも定評がある。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.040
ウェイド・ミラー★ウェイド・ミラー #52★ ヒューストン・アストロズ

弱冠24歳のウェイド・ミラーが150キロの速球をひっさげ、名実共にアストロズのエースとしてシーズンを乗り切った。シーズン16勝(8敗)、212イニング、183奪三振はそれぞれチームトップの記録である。終盤、カージナルスの猛烈な追い上げがあったが、ミラーは9月以降の防御率が1点台という安定感を見せ、チームを支えた。

150キロの速球が武器のミラー。高校時代はショートとサードを主に守っており、マウンドに上がったのはわずか4回程度だった。球速は140キロくらいはあったが、それだけではドラフト指名されることはない。野球をやるために大学へ進学するが、レベルに満足できずに約1年で中退。こうして、ゴルフのキャディーなどをして働きながら、野球への道を求めた。

入団テストにも参加したミラーは現在のようなピッチングを見せるわけではなく、球速は140キロ前後にとどまっていた。この時で、本格的にピッチングを開始してからわずか9ヶ月しか経っていないのである。このミラーにいくつかの球団が興味を持ったものの1996年のドラフトでは、19位指名が終わった段階でミラーの名前はなく、これにはミラーが非常に落ち込んだという。結局、アストロズが20位で指名し、プロの道に進むことになった。

マイナーではイニング数に近いだけの三振を奪って、順調に階段を登っていく。1997年は1Aの2つのクラスで合わせて15勝をマーク。翌1998年は怪我に泣くが、1999年は3Aニューオーリンズで11勝9敗を記録。この年には初めてメジャー昇格を果たしたが、わずか3イニングで3本のホームラン含む7失点など大きく壁にぶち当たり、マイナーへ降格させられた。

こうしてミラーは2000年の開幕を3Aで迎える。そんな中、1997年から3年連続地区優勝を果たしていたアストロズが開幕から低迷し、優勝戦線から大きくはずれていた。この年から新本拠地としているエンロンフィールドは打者天国と呼ばれ、打者に恩恵を与えるが投手には非常につらい球場で、特にホゼ・リマなどは、13連敗をするなどチーム低迷のひとつの要因となっていた。

打者天国と言われるエンロンフィールドが本拠地。そんな7月のこと、クローザーのビリー・ワグナーが怪我をしたことにより、それまで先発だったオクタビオ・ドーテルがブルペンに回ることになった。チームはそこで3Aにいたミラーに白羽の矢を立て、ローテーション投手としてメジャーのマウンドに戻ってくることになる。チームが優勝争いから脱落していたため、ミラーへ再びチャンスが巡ってきた。

昇格後も防御率6点台のピッチングが続いたが、ローテーションからははずれることはなかった。ひとつのきっかけをつかんだのは8月29日の対メッツ戦であった。この年、リーグチャンピオンになるメッツを5安打1失点に抑え、メジャー初完投勝利を記録した。このメッツ戦以降は4勝1敗をマークし、結局、この年は6勝6敗の防御率5.14でシーズンを終えることになる。

こうして迎えた2001年はスコット・エラートン、リマに続く3番手のローテーション投手として開幕を迎えた。4月は4勝1敗の好成績で、その月の最優秀投手に選ばれている。さらに5月4日の対エクスポズ戦でも、5回までパーフェクトに抑える好投を見せた。その後も安定した投球でチームを引っ張った。

ミラーがカモとしたのはブリュワーズである。ブリュワーズ戦に5試合登板し、5勝0敗の防御率1.13と抜群の強さを見せた。1シーズンで同一チームから5勝をマークしたのは、サイヤング賞を獲得した1988年のオーレル・ハーシハイザー以来である。ミラーは前年の成績を加えれば、7勝0敗と完全にブリュワーズをカモにしている。

カージナルスと同率でアストロズは2年ぶりのポストシーズン進出を果たす。ブレーブスとのディビジョンシリーズ第1戦に先発したミラーは7回まで7安打2失点に抑え、勝ち投手の権利を残してマウンドを降りるが、終盤、味方のエラーなどが重なり、逆転負け。こうして、ミラーの2001年は終わった。

ミラーの一本立ちに加え、新人のロイ・オズワルトティム・レディングらの台頭もあり、この3人でオールスター前に19勝(4敗)をあげる活躍を見せ、チームを引っ張った。若手投手の踏ん張りもあり、チームのエースとして期待されていたエラートンをロッキーズへ放出ということもあった。アストロズは若手3人の他にも注目すべき若い投手は山ほど抱えており、来年以降も非常に注目である。その中で、エースとしての活躍が期待されるのがミラーである。

■2001.12.14(現地12.13)
●ジオンビー、ヤンキースと正式契約!7年で1億2000万ドル!
ピンストライブに袖を通すジオンビー。
正式契約直前とかねてから報道のあったジェイソン・ジオンビーがついにヤンキースと正式契約を果たした。契約内容は7年間の1億2000万ドルというものである。アスレティックス時代につけていた背番号16番はすでにヤンキースの永久欠番のため、新しい背番号として25番を選んだ。というのも2と5を足すと、尊敬するミッキー・マントルの7番になるということからだ。

2000年にMVPを獲得したジオンビーは、今季も打率.342、38HR、120打点とチームを牽引する大活躍。イチローと激しくMVPを争った。出塁率.477、長打率.660は共にリーグトップである。今季、34HRを記録したティノ・マルチネスの代わりにヤンキースのファーストを守ることになる。

ヤンキースは世界一奪回に対し、ジオンビーに加えてロビン・ベンチュラ三塁手、ジョン・バンダーウォル外野手、スティーブ・カーセイ投手と契約。ロンデル・ホワイト外野手、スターリング・ヒッチコック投手とも契約を交わすなど、地盤を固めつつある。

●弟ジェレミーはマリファナ所持で逮捕されてしまう!
ジェレミー・ジオンビー
兄のジェイソン・ジオンビーがヤンキース入りを正式発表した日、実弟のジェレミー・ジオンビーが自らのバッグの中にマリファナを所持していたことが空港で見つかり、逮捕された。27歳のジェレミーは1998年、ロイヤルズでメジャーデビューを飾る。2000年から兄のいるアスレティックスへ移籍し、今季は124試合に出場し、打率.283、12HR、57打点を記録していた。

●インディアンズ、FAのギタレスと契約!アロマーの後釜へ!
Cleveland INDIANS
インディアンズは、ロベルト・アロマーの抜けたセカンドの穴を埋めるべく、FAのリッキー・ギタレスと契約することが確実となった。内容は3年間で1100万ドルから1200万ドルの間である。ギタレスはずっとショートを守ってきていたが、インディアンズにはオマー・ビスケルがいるため、必然的にセカンドに回ることになりそうだ。

●ルール5ドラフト!マグリンチーがデビルレイズから指名される!
Tampa Bay DEVIL RAYS
ルール5ドラフトが行われた。メジャーリーグの40人の選手枠から漏れた選手の中で、プロ経験の少ない選手を除いて行われるのがこのルール5ドラフトである。対象選手を他球団が欲しい場合、その選手を指名し5万ドルを払えば、その選手と契約を結ぶことができる。しかし、このドラフトで指名された選手は翌シーズン常にメジャーにおいておかねばならず、仮にマイナー降格となれば、元の球団が2万5000ドルを支払って取り返すということができるというものである。

メジャーでは12人の選手が指名された。1番目に指名されたのは、ブレーブス傘下に所属するケビン・マグリンチー投手である。ここ2年は怪我に泣いてきたが、そろそろ本調士を発揮したいところだ。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.039
バド・スミス★バド・スミス #52★ セントルイス・カージナルス

21歳の新人、バド・スミスが2001年9月3日の対パドレス戦、素晴らしい記録(ノーヒッター)を達成した。ちょうどこの日の前日、マイク・ムシーナがあと1球で完全試合を逃したばかりで、他にも将来の殿堂入りが確実視されているロジャー・クレメンスも、グレッグ・マダックスもいまだ達成できていない記録を新人投手があっさりと記録してしまった。

まだ21歳と若いスミス。スミスは今季6月半ばにメジャーデビューを果たしたばかりで、この試合が先発としては11試合目(プラス中継ぎで2試合登板)である。前回の登板では3回1/3までで5安打7失点でノックアウトされたばかりのスミスだが、この試合のスミスは違った。ちょうどこの試合には母親や義理の父親を始めとして14人の親族、さらに学生時代の友人10人がスタンドで見守っていた。

初回に同じ新人でチームメイトのアルバート・プホルスに2ランホームランが飛び出し、2点をプレゼントしてもらったスミス。マウンドに上がったスミスは2回裏にレイ・ランクフォードに四球を与え、初めてのランナーを背負う。さらに3回裏と6回裏にはメジャーリーグで最も四球を多く選んでいる男、リッキー・ヘンダーソンに2つの四球を与えてしまう。しかし、7回まで投げたところで、四球で3人の出塁を許してはいるが、被安打はゼロ。ノーヒッターの期待が高まる中、8回裏にかつての安打製造器、トニー・グウィンが代打で登場するが、ショートゴロに打ち取った。

そして迎えた9回裏。先頭のヘンダーソンをショートゴロに打ち取り、1アウト。ここでダンジェロ・ヒメネスにこの試合4個目の四球を与えてしまう。しかし、続くライアン・クレスコをショートゴロ、フィル・ネビンをピッチャーゴロに打ち取り、ノーヒッターを達成。メジャーリーグ史上、新人投手のノーヒッターというのはスミスで16人目の快挙である。なお、カージナルスとしては1999年6月25日にホゼ・ヒメネス(現ロッキーズ)が達成して以来、のべ10人目である。さらに2001年のメジャーリーグでは野茂英雄AJ・バーネットに続く3人目のノーヒッター達成者となった。

アンキールとの左腕コンビは今から期待大。スミスは高校時代、外野手として活躍した。ノマー・ガルシアパーラの持つ打撃記録を抜いたということでそのセンスの良さが伺える。高校2年時にはマウンドに上がりノーヒッターも達成した。大学時代に本格的に投手となったスミスは、1998年にドラフト4位でカージナルスに指名され、プロ入りする。

一気に飛躍を果たしたのが、2000年のこと。2Aアーカンサスで、18試合に先発して2試合のノーヒッターを含む12勝1敗の防御率2.32を記録する。そして、3Aメンフィスに昇格すると、9試合の登板で5勝1敗の防御率2.15で、チームを3Aのワールドシリーズに導く大活躍。20歳のスミスがエースとなり、見事に3Aのワールドチャンピオンに導いた。この年、スミスが2つのクラスで記録した17勝2敗とは、この年のマイナーリーグトップの記録である。

2001年のスプリングキャンプでは、即メジャーリーグのローテーションに入れるかもしれないだけのピッチングを見せたが、まだ若いということで開幕は3Aに送り込まれた。メジャーリーグのマウンドに立ったのは6月10日の対ロッキーズ戦のことで、敗戦処理としての登板だった。この年の3Aのオールスターゲームではパシフィックコーストリーグの先発投手としてマウンドに上がった(ちなみに相手のインターナショナルリーグの先発はブランドン・ダックワースだった)。結局、3Aでは、17試合に先発し、8勝5敗を記録した。

メジャーでは16試合に登板(先発は14試合)し、6勝3敗の防御率3.83に終わった。そして、メジャー1年目にしてポストシーズンのマウンドにも立った。この年世界一になるダイヤモンドバックス相手のディビジョンシリーズ第4戦に登板し、5回まで1失点に抑え、見事勝ち投手になっている。

球速は140キロ前後だが、カーブとチェンジアップを組み合わせて、ピッチングを組み立てるスミスの姿はトム・グラビンジェイミー・モイヤーを連想させる。マイナーリーグでくすぶっているリック・アンキールと共にカージナルスの将来を握る左腕となりそうだ。

■2001.12.13(現地12.12)
●エバレット、レンジャーズへ移籍決定!交換相手はオリバー!
カール・エバレット
レッドソックスのカール・エバレット外野手とレンジャーズのダレン・オリバー投手との交換トレードが決まった。エバレットは監督との不和が原因で前から放出が噂されていた。レッドソックスに移籍してきて1年目の2000年は打率3割、34HR、108打点と好成績を残したが、今年はわずか打率.257、14HR、58打点と成績が下落。膝の怪我のため、9月8日でシーズンを終えていた。一方のオリバーは現在31歳の左腕で、今季は11勝11敗の防御率6.02を記録している。

●セデーニョ、古巣メッツと4年間1800万ドルで契約!
ロジャー・セデーニョ
タイガースからFAになっていたロジャー・セデーニョが古巣のメッツと4年間の1800万ドルで契約した。27歳のスイッチヒッターであるセデーニョは、1999年メッツに在籍。盗塁の通算記録を持っているリッキー・ヘンダーソンと共にプレーし、チーム記録である66盗塁を記録している。その年のオフにマイク・ハンプトンを獲得するためのトレードにより、アストロズに移籍した。2001年はタイガースでプレーし、イチローと盗塁王を争ったが、チーム内の揉め事で試合出場のチャンスを失い、タイトルを手にすることができなかった。

●アースタッド、ホワイトソックス入りが一転して白紙!
ダリン・アースタッド
エンゼルスのダリン・アースタッドをホワイトソックスへ放出するというトレードがGM同士では合意に至ったものの球団サイドからストップがかかり、破棄された。アースタッドの代わりにエンゼルスに入る予定だったのは、クリス・シングルトン外野手、ジョン・ギャーランド投手と2人のマイナーリーガーという4人であった。

●メジャーリーガーの平均年俸が初めて200万ドルを超えた!
Major League Baseball
メジャーリーガー1人当たりの平均年俸が初めて200万ドルを越えた。2001年の平均年棒は213万8896ドルであり、これは昨年の平均189万5630ドルから12.8パーセント増となるものである。今から9年前に100万ドルを超えたばかりで、さらにFAが導入される前の25年前の平均年俸は5万1501ドルだった。

特にヤンキースに至っては平均年俸が400万ドルを超えており、今季ポストシーズンに進出した8チームのうち7チームは、チーム別の平均年俸の12位以内に入っており、ペナントを金で買っていると言っても過言ではない。なお、唯一アスレティックスのみが全球団中23位(131万0084ドル)でポストシーズンに進んでいる。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.038
ジョシュ・ベケット★ジョシュ・ベケット #61★ フロリダ・マーリンズ

2001年9月4日、マーリンズ期待の星、ジョシュ・ベケットがメジャーデビューを飾った。対カブス戦に先発したベケットは6回まで投げ、1安打無失点に抑える好投を見せ、初登板初勝利をマークした。特に注目されたサミー・ソーサとの対決では、三振1個を含む3打数無安打と完全に抑えきった。

ついにベールを脱いだ右腕、ベケット。1980年、テキサス州に生まれたベケット。高校2年の時には13勝2敗の防御率0.39を記録。この年は89イニングを投げ、178個もの三振を奪った。さらに高校3年になると10勝1敗の防御率0.46、75イニングを投げて奪った三振は155個と、誰もが認める高校ナンバー1投手となった。

1999年のドラフトではマーリンズから、全米2番目のドラフト1位で指名される。高校生右腕が全米2番目でドラフト指名されるというのは、1977年にビル・ガリクソンが指名されて以来という名誉なことである。この年の9月1日、4年間の700万ドルでマーリンズと契約を交わした。ちなみにこの年の全米1番目はジョシュ・ハミルトン(デビルレイズ)である。万が一、全米1番目の指名権を持つデビルレイズがベケット指名に踏み切っていたなら、ドラフト史上初めての高校生右腕投手が全米1位という栄誉を手にするところだった。

プロとしてマウンドに立ったのは2000年になってから。この年は1Aケーンカウンティで開幕を迎え、13試合に登板(先発が12試合)し、2勝3敗の防御率2.12を記した録。勝ち星こそ伸びなかったが、この年アトランタで行われたフューチャーゲームに選抜され、1イニングを無失点に抑えた。しかし、この年は肘を痛めてしまい、1年の半分を故障者リストで過ごすこととなってしまった。

10年後のベケットに期待。翌2001年は、1Aブレーバードカウンティで開幕を迎える。いきなり、35イニング連続無失点というとんでもない記録を作ったバケット。13試合に登板(先発が12試合)し、6勝0敗の防御率1.23ととんでもない数字を残した。しかも被打率はわずかに.145である。

その後2Aポートランドへ昇格したベケットはここでも桁違いの実力を発揮した。8月半ばに登板した試合では7回までノーヒッターに抑える素晴らしいピッチングを見せるなど、13試合に登板(全て先発)し、8勝1敗の防御率1.82と周囲から頭一つ飛び出していた。

2桁奪三振も9試合を数え、2つのクラスで奪った総奪三振数は203個(1Aで101奪三振、2Aで102奪三振)である。155キロを越える速球に加えて、カーブとチェンジアップを武器にプロ入り前からの評判をさらに高めていった。9月4日にメジャー昇格し、結局4試合に登板し2勝2敗の防御率1.50という成績で1年目のメジャー生活を終えた。

21歳の若さながら、同じテキサス州を故郷とするノーラン・ライアンロジャー・クレメンスケリー・ウッドが比較として出されるのは、非常に名誉なことである。シーズン20勝、ノーヒッター、1試合20奪三振などと、今後数々の大記録を打ち立てていくことであろう。

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