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MLB EXPRESS

MLB EXPRESS REVIEW

★2001.11.12〜11.16★ [MLB EXPRESS REVIEW]

■2001.11.16(現地11.15)
●39歳クレメンス、通算6度目のサイヤング賞受賞へ!
ロジャー・クレメンス
混戦が予想されたアメリカンリーグのサイヤング賞投票は、ロジャー・クレメンスが1位票を21票も集め、トータル122ポイントを獲得し、ダントツでの受賞となった。クレメンスにとって通算6度目のサイヤング賞受賞であり、これはメジャーリーグ史上でも単独トップである。

▼American League
1st 2nd 3rd total
R・クレメンス
M・マルダー
F・ガルシア
J・モイヤー
M・ムシーナ
T・ハドソン

21
2
4
1
-
-

5
13
8
2
-
-

2
11
11
1
2
1

122
60
55
12
2
1

39歳と3ヶ月半のクレメンスは史上3番目の高齢でのサイヤング賞受賞となった。過去には1978年のゲイロード・ペリー(40歳と2ヶ月)、1959年のアーリー・ウイン(39歳と10ヶ月)に次ぐものである。1980年代、90年代、2000年代の3つのディケイドでの受賞である。クレメンスが初めてサイヤング賞を手にしたのは1986年のことで、今年、共にサイヤング賞候補とされたマーク・マルダーが9歳、フレディ・ガルシアが10歳の頃である。

今季のクレメンスは、開幕から味方打線の援護もあり、20勝1敗と史上初の高勝率をマーク。結局、20勝3敗の防御率3.51でシーズンを終えた。この防御率は過去のサイヤング賞受賞では2番目に高い防御率である。一番高い防御率でサイヤング賞を手にしたのは1983年のラマー・ホイトの3.66だが、この年に24勝をあげ最多勝をマークしている。

クレメンスには4人の息子がおり、最初の4回のサイヤング賞は息子たちに捧げ、5回目の受賞はクレメンス自身のもの。そして、今回の6回目は自らの母親に捧げるそうである。

●ネビン、パドレス史上最高額の4年間3400万ドルで契約更新!
フィル・ネビン
かつてはドラフトで全米1位の名誉を手にしたフィル・ネビン。プロに入り伸び悩んだが、1999年にパドレスに移籍後、ようやく花を咲かせ始めた。今季は打率.306、41ホームラン、126打点をマーク。来季オフにFAとなる30歳のネビンは、球団史上最高額となる4年間で3400万ドルという高額で契約を更新した。この契約は2003年からの4年間というもので、来季の年俸は260万ドルである。これまでのパドレスの最高額は1999年にトレバー・ホフマンが契約した4年間で3200万ドルというものだ。

●レッドソックス、エバレット放出より再契約の方向へ!
カール・エバレット
レッドソックスGMのダン・デュケットは、一時放出が噂されたカール・エバレットと契約を結ぼうとしている。チームの若手有望株を放出してまでアストロズから獲得したエバレットは2000年に打率3割、34ホームラン、128打点を記録したが、今季は監督とのゴタゴタもあり、期待を大きく裏切るきっかけになった。レッドソックスはこの他にもFAの野茂英雄との交渉、デレク・ロウの先発転句などを控えており、来季へ向けて着々と準備を始めている。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.011
ブレット・ブーン★ブレット・ブーン #29★ シアトル・マリナーズ

2001年、開幕からとんでもない快進撃を見せ、そのままシーズン116勝というメジャータイ記録を樹立したマリナーズ。そのマリナーズ快進撃の原動力のひとりにあげられるのがブレット・ブーンである。結局、シーズンが終わってみれば、141打点を記録し、アレックス・ロドリゲスらを抑え、打点王のタイトルを手中に収めた。

まさにうれしい誤算ともいえるブーンの大活躍。ブーンは生まれた頃から球場の芝の上やクラブハウス内を遊び場にしていた。というのも彼の父親であるボブ・ブーンはメジャーリーグで活躍していた捕手である。1980年、父ボブのいたフィリーズがワールドチャンピオンに輝いたとき、当時12歳のブーンは父と記念パレードに参加し、その感動を共有した。周りを見渡せば、マイク・シュミットピート・ローズスティーブ・カールトンという球史を飾る名選手もおり、ブーンにとってはまさに至福の時だった。

さらに祖父のレイもインディアンズやタイガースで活躍したオールスター内野手であるため、史上初の親子3代メジャーリーガーとなった。さらに弟のアーロンもレッズでサードを守っており、まさに野球一家に育ったということになる。当然のように野球を始めたブーンは1990年にマリナーズからドラフト5位で指名を受け、プロ入りを果たした。

3年目となる1992年にメジャー昇格を果たすが、思うような成績は残せないでいた。そこでレッズへの移籍話が浮上する。これが転機となり、1994年は108試合の出場ながら、打率.320を記録し上昇のきっかけをつかむ。しかし、翌年以降はセカンドのレギュラーを獲得するものの打率は徐々に降下していった。

1997年は打率が.223にまで落ちてしまい、マイナー降格まで経験する屈辱を味わう。しかし、セカンドの守備は堅実を極め、守備率.997という年間記録まで樹立した。この時までは打撃の人と言うよりは、守備の人と言った方がいい印象だ。こうして迎えたオフは必死にトレーニングにつとめ、翌1998年はインサイドのボールを叩きつけるイメージを持つことで、自己最多記録の24ホームラン、95打点をマークし、一躍注目を浴びる。

真価が問われるのは来年以降。1999年はブレーブスとレッズの間で移籍話が持ち上がった。ブレーブスの交換要員の中にはデニー・ネイグルマイケル・タッカーが含まれており、周囲からは大型トレードと騒がれた。ブレーブスも「史上最高のセカンドを得た」と喜んだが、思うような成績を残せずに終わってしまう。そんな中で、ブーンが活躍したのは、始めて体験するワールドシリーズであった。チームは4連敗であっさりとヤンキースの軍門に下ったものの、4打席連続2塁打を含む打率.538を記録し、孤軍奮闘した。

そのオフのブーンは再び移籍の渦中に巻き込まれる。ブレーブスの次はパドレスのユニフォームに袖を通すことになった。パドレスにいくのはブーンとライアン・クレスコであり、その交換要員にはキルビオ・ベラスレジー・サンダースウォーリー・ジョイナーがいた。ブーンは堅実な守備こそ評価が高いが、大振りが目立つバッティングでは出塁率も必然的に低くなり、チームが求める働きはできていなかった。

パドレスで1年だけプレーした後でFAとなり、古巣のマリナーズと契約。マリナーズはA・ロドリゲスが抜けた後として、チーム力の低下が叫ばれていた。しかし、ふたを開けてみれば投打のバランス、若手とベテランのバランスがそれぞれうまくかみ合って、開幕から独走態勢を築く。

また、ロベルト・アロマーの指定席のようになっていたオールスターゲームにおけるアメリカンリーグのセカンドの座も奪い取った。しかも、地元シアトルのセーフコフィールドで行われたオールスターゲームで、蒼々たる強打者を差し置いて、アメリカンリーグの4番打者として先発出場した。ヒットは打てなかったが、ブーンにとっては最も輝いた瞬間のひとつに数えられることだろう。

結局、ブーンは打率.331(リーグ5位)、37ホームラン、141打点を記録し、すべてが自己新記録である。さらに打ったホームラン37本のうち、セカンドとして打ったのは36本あるが(代打ホームランが1本)、これはリーグ記録である。

シーズン中はチームの人気者でもあるブーンがその打撃でチームを牽引したが、ポストシーズンに入ってからは打撃のスランプに悩まされた。ブーンの不振もあってから、インディアンズとのディビジョンシリーズではマリナーズは非常に苦しんだものの、かろうじて最終戦で勝利を収めた。続くヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2連敗で迎えた第3戦にようやく、ブーンは5打数3安打5打点と大当たりするが、時はすでに遅かった。来季以降、どのような活躍をみせるかが非常に楽しみな選手である。

■2001.11.15(現地11.14)
●最優秀監督決定!昨年まで同じチームにいたピネラとボーワが受賞!
共に気性が激しいことで有名なピネラ(左)とボーワ。
両リーグの最優秀監督賞が決まった。ナショナルリーグはフィリーズのラリー・ボーワ、アメリカンリーグはマリナーズのルー・ピネラがそれぞれ選ばれた。

ピネラはレッズ監督を経て、マリナーズを指揮し、監督生活15年目である。マリナーズ監督としては9年目にして、公式戦でメジャータイ記録となる116勝をマーク。惜しくもワールドシリーズへの進出は果たせなかったが、1位票を22票も集め、トータル128ポイントとなり、ダントツでの受賞となった。

▼National League
1st 2nd 3rd total
L・ボーワ
J・トレイシー
T・ラルーサ
B・ブレンリー
L・ダーカー
D・ベイラー
B・コックス
D・ベイカー
18
4
4
3
1
-
2
-
6
8
5
4
4
3
-
2
5
4
3
6
4
4
2
4
113
48
38
43
21
13
12
10

▼American League
1st 2nd 3rd total
L・ピネラ
A・ハウ
T・ケリー
J・ウイリアムス
J・トーレ
C・マニュエル
M・ソーシア

22
5
1
-
-
-
-

6
17
4
-
1
-
-

-
1
8
12
5
1
1

128
77
25
12
8
1
1

一方のボーワは昨年までピネラと同じマリナーズのユニフォームを着て、サードベースコーチをつとめていた。今年から若い選手の多いフィリーズの指揮をとり、最終的にはブレーブスの前に地区優勝の座は逃してしまったが、最後の最後まで苦しめた。これにより契約を2年延長し、2004年までフィリーズの指揮をとることが決まっている。ボーワは1987年から約2年弱、パドレスの監督をつとめ、この時は81勝127敗と失敗に終わっていた。

新人監督ではドジャースのジム・トレイシーがトータルで48ポイントを集め、ベテラン監督のトニー・ラルーサを抑え、ナリーグで2位の座につけている。

アリーグでリーグ2位につけたのはアスレティックス監督のアート・ハウで、3年連続のリーグ2位である。続く3位が15年間もツインズの監督をつとめ続けたトム・ケリーであった。ケリーは今季限りでユニフォームを脱ぐことがすでに決まっている。さらに8月16日にチーム不振を理由にレッドソックス監督を解任されたジミー・ウイリアムスは3位票を12票も集め、リーグ4位の評価を受けた。

●ジオンビーは?デーモンは?アスレティックスの抱えるFA問題!
ジョニー・デーモン
アスレティックスは2人のFA選手、ジェイソン・ジオンビージョニー・デーモンの扱いに頭を悩ませている。チームにとってはジオンビーとの契約が先決だが、共に失ってしまう可能性もあり楽観視できない。昨年、かつて新人王をとったこともある期待のベン・グリーブをデビルレイズに放出する3角トレードでロイヤルズからデーモンを獲得。大きな期待を受けての今季だったが、開幕からの絶不調で打率.256、9ホームランの49打点、27盗塁と本来のデーモンからすれば物足りない成績となった。デーモンサイドとしてはジオンビーとの契約は関係ないとしている。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.010
マーク・マルダー★マーク・マルダー #20★ オークランド・アスレティックス

メジャー2年目のマーク・マルダーにとって、2001年は周囲の大きな期待に応えるだけの投球内容を見事に披露し、持っている才能をいかんなく発揮した素晴らしいシーズンとなった。圧巻だったのが7月であり、この月だけで3度も完封勝利を記録している。

超大物ルーキーも今やメジャーを代表する左腕になった。今でこそメジャーを代表する若き左腕として注目されているマルダーだが、高校時代は球速も平凡なもので、投手としては注目されず、一塁手としての打撃力が注目されていた。高校卒業時にはタイガースからドラフト55位で指名されるが、これは一塁手としてのものだった。

その後、名門ミシガン州立大学へ進学したマルダーは、学業において数学で落第点をとるというへまをしてしまい、試合にでることができなかった。この間にウェイトトレーニングに汗を流したマルダーは、投手としての体力が身に付き、球速も驚くほど速くなった。いわゆる人生の分岐点となった落第点であった。

試合に出場できるようになってからは投打にフル回転の活躍を見せる。打ってはチームトップの打率を記録し、投手としても大学球界を代表する投手の一人として数えられていた。この年の夏から投手に専念することになり、多くのスカウトがマルダーを見るために駆けつけた。

198センチという長身から繰り出される150キロ台の速球に加え、大きく曲がるカーブにチェンジアップを加えた投球はマウンドに立つたびにその評価を高めていった。そして迎えた1998年のドラフト、マルダーは全米2番目にアスレティックスから指名を受けた。ちなみにこの年の全米1番目は現在、フィリーズのレフトを守るパット・バールである。

毎年、背番号ほどの勝ち星をあげる可能性あり。しかし、アスレティックスとマルダーの交渉は困難を極め、ようやく交渉がまとまった時、季節はすでに秋になっていた。アスレティックスがこの時、マルダーに支払った契約金はチーム史上最高額の320万ドルである。契約後にアリゾナの秋季リーグに5試合だけ登板したのがプロとしてのデビューであった。

1999年シーズンは開幕3Aバンクーバーでのスタート。即メジャーということも考えられたが、マルダーの将来を考え、チームはマイナー経験させる道を選んだ。しかし、3Aでは故障もあり、思うような成績が残せないでいた。そうでありながらもオールスターゲームの前座であるフューチャーゲームのアメリカ代表に選出される。3番手としてマウンドに上がったマルダーはアルフォンゾ・ソリアーノにホームランを打たれるなど、5安打5失点という散々な内容で2つのアウトしかとれず、負け投手となってしまった。

結局、シーズンでは6勝7敗の防御率4.06と不本意な成績に終わったが、マルダーの実力が発揮されたのは、3Aのワールドシリーズだった。このシリーズで2試合に先発したマルダーは計16回を投げ、1勝0敗の防御率2.87という成績を残し、チームの世界一に貢献した。このシリーズでMVPとなったのは、翌2000年、アメリカンリーグの新人王次点だったテレンス・ロングである。

2000年シーズンも3Aでのスタートだったが、2試合に投げただけで、ついにメジャーへ昇格を果たす。メジャー初登板となった4月18日の対インディアンズ戦では、6回を投げ5安打4失点という内容ながらも、初勝利を手にした。結局、メジャー1年目のシーズンは終盤に腰を痛めたこともあり、9勝10敗の防御率5.44という成績に終わった。

満を持して迎えた2001年は、前年に20勝をあげたティム・ハドソン、マルダーと同じ左腕のバリー・ジートと共に若手の3人で開幕からローテーションを形成する。マルダーは5月2日の対ブルージェイズ戦において、メジャー初完封を記録。さらに5月19日のホワイトソックス戦では、7回2死までノーヒッターに抑える好投を見せた。

開幕ダッシュに失敗したアスレティックスだが、後半戦に入ってからは破竹の連勝街道を走り、ダントツでワイルドカードの座を奪い、ポストシーズンへと駒を進めた。マルダーはシーズンが終わってみれば、21勝8敗という成績で最多勝のタイトルを手にしていた。

ヤンキースとのディビジョンシリーズでは、マルダーは第1戦に先発。6回1/3を投げ7安打1失点に抑え、勝利投手となった。しかし、土壇場でのヤンキースの勢いに押され、2連勝2連敗で迎えた第5戦、先発のマルダーは5回途中までで4点を奪われノックアウト。こうしてマルダーの2001年シーズンは終わった。しかし、前途は非常に有望な若手左腕であることは間違いないことである。

■2001.11.14(現地11.13)
●ジョンソン、3年連続4度目となるサイヤング賞受賞決定!
ランディ・ジョンソン
世界一の栄誉を手にしたランディ・ジョンソンが3年連続4度目となるサイヤング賞の受賞が決まった。有効票32票のうち、1位票30票を集め、トータル156ポイントを獲得しての受賞である。ワールドシリーズでジョンソンとMVPを分け合ったチームメイトのカート・シリングは2位票29票を集め、トータル98ポイントを獲得し、ダイヤモンドバックス左右のエースが1,2位を独占した。

▼National League
1st 2nd 3rd total
R・ジョンソン
C・シリング
M・モリス
J・リーバー
R・オズワルト

30
2
-
-
-

2
29
1
-
-

-
1
28
2
1

156
98
31
2
1

ジョンソンはマリナーズ在籍時の1995年に初めてサイヤング賞を受賞。その後、ナショナルリーグに移り、1999年から3年連続での受賞である。3年連続というのは1992年から95年まで4年連続受賞したグレッグ・マダックス以来である。通算4度の受賞というのもロジャー・クレメンスの5度に次ぎ、マダックス、スティーブ・カールトンに並ぶ大記録である。

今季、21勝6敗をマークし、防御率2.49の372奪三振を記録したジョンソン。防御率と奪三振数はリーグトップである。一方のシリングは最多勝の22勝6敗、防御率が2.98に加え、293個の三振を奪っている。

●A・ジョーンズ、契約延長!2007年までブレーブスのセンターを守る!
アンドリュー・ジョーンズ
来季オフにFAとなるアンドリュー・ジョーンズがブレーブスとの契約を延長した。契約は2007年までの6年契約で、金額は7500万ドルである。昨年、打率3割を越えたアンドリューも今季は打率.251の142三振とスランプに苦しんだ。しかし、34ホームランの104打点を記録し、4年連続のゴールドグラブ賞も受賞している。

昨年オフ、調停で820万ドルを得たアンドリュー。FA史上で更なる高額契約を結ぶことも可能だったが、10季連続ポストシーズンへの出場を果たしているブレーブスで、今後もプレーしていくことを選んだ。ジョン・スモルツジョン・バーケットハビア・ロペスら他、9選手もFAになったブレーブスにとって、24歳のアンドリューの契約延長は吉報となった。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.009
フレディ・ガルシア★フレディ・ガルシア #34★ シアトル・マリナーズ

2001年のマリナーズの開幕投手に選ばれたのは24歳のフレディ・ガルシア。開幕戦こそは4回も持たずにノックアウトという結果に終わったが、味方の逆転劇で黒星は免れる。チームの絶好調にも支えられ、5月が終わるまで負けなしの5連勝。シーズンを通してローテーションを守り、マリナーズの地区制覇に貢献したガルシアは、キャリア最高の18勝6敗という記録を残し、リーグトップの防御率3.05をマークして最優秀防御率のタイトルを手にした。

力強くてタフな投手であるガルシア。ベネズエラの首都カラカスで生まれたガルシアは、高校生の頃の1993年に州選抜チームに入り、才能の片鱗を見せる。翌1994年には17歳という若さでアストロズと契約。ルーキーリーグで2シーズンを過ごした後、1996年から1Aに昇格。しかし、この年は6月に右肘を故障し、後半戦を棒に振ってしまう。

再起を掛ける翌1997年はシーズン通してローテーションを守り、27試合に先発し、チームトップの10勝8敗という記録をあげた。179回を投げ、防御率2.56を記録するなど、その将来に大きな希望を抱かせるだけの大活躍を見せた。

そして迎えた1998年は開幕を2Aジャクソンで迎えた。開幕早々から、8回までノーヒッターに抑える素晴らしい投球を見せる。7月まで、6勝7敗と負け越してはいるが、150キロ台の速球を中心に力強いピッチングで、防御率3.24を記録し、3Aニューオーリンズへ昇格が決まった。順調に成長を続けるガルシアに、転機が訪れたのが、この年の7月31日のことだった。

トレード期限最終日にアストロズとマリナーズのトレードが成立し、ガルシアがマリナーズへ移籍することが決まった。しかもこのガルシアとの交換相手が、メジャー最高の左投手といわれるランディ・ジョンソンだった。(この時、ガルシアとともにマリナーズ入りしたのはジョン・ハラマ投手とカルロス・ギーエン遊撃手。この3人の活躍が2001年のマリナーズ地区制覇に大きく貢献することになる)

マリナーズの頼れる若きエース。迎えた1999年はシーズン前のエキシビジョンゲームで4勝をマークし、開幕メジャーを決めた。新人でありながら開幕からローテーションに入り、1度も先発からはずれることなく、1年間メジャーリーガーであり続け、17勝8敗の防御率4.07という成績を残した。新人王こそ、カルロス・ベルトランに譲ったものの、33試合の先発のうち、29試合は5イニング以上投げるタフさを見せ、先発投手としての役割を十分に果たした。

2年目となる2000年は開幕4試合目に頸骨を痛め、そのまま約2ヶ月半の離脱。7月から復帰したガルシアが4月以来の勝利を手にするのは、7月28日のことだった。苦しんでいたガルシアは9月に入ってから、6試合に先発し、5勝1敗の防御率2.97を記録し、チームのワイルドカードでのプレーオフ進出に大きく貢献した。

この年のディビジョンシリーズでは思うようなピッチングができなかったが、ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズにおいて、1人で2勝をマークする大活躍を見せた。惜しくもチームは敗れたが、大舞台に強いという証明を見せた。

2001年は昨年の怪我のこともあり、1月からアリゾナ州ピオリアでトレーニングを開始。その成果もあり、オールスターまでに10勝1敗と好成績を残す。圧巻なのは7月に入ってからすぐ、2試合連続完封勝利を記録。さらに、地元セーフコフィールドでのオールスターゲームに選出され、1イニングだけの登板だったが、運良く勝利投手の名誉も手にした。

マリナーズはメジャーリーグ史上タイ記録となるリーグ116勝をマークし、満を持してポストシーズンに臨んだ。ディビジョンシリーズの第1戦では、相手インディアンズ先発のバートロ・コロンとのパワーピッチャー同士の対戦。ガルシアは6回途中までで4失点という内容で降板となり、初戦を落とすが、1勝2敗と追いつめられて迎えた第4戦、再びコロンとの投げ合いで6回まで1失点に抑える粘り強いピッチングで打線の奮起を促した。こうして、マリナーズは2年連続でリーグチャンピオンシップシリーズへ駒を進めることになる。

惜しくもヤンキースの前に2年連続で敗れ去ったマリナーズだが、来季以降もガルシアの右腕にかかる期待は非常に大きいといえる。150キロをコンスタントに出すタフさと、打者の手元で鋭く曲がるカーブにチェンジアップで、マリナーズ投手陣を引っ張る。今後、毎年のようにサイヤング賞の候補として挙がることになるのだろう。

■2001.11.13(現地11.12)
●両リーグ新人王はプホルスとイチロー!プホルスは満票選出!
イチローアルバート・プホルス
今年のメジャーリーグの新人王が決まった。ナショナルリーグはアルバート・プホルス、アメリカンリーグはイチローがそれぞれ選出された。

プホルスはリーグ歴代9人目の満票選出となった。過去、ナリーグで満票での新人王選出の名誉を手にしたのが、フランク・ロビンソン(1956年)、オーランド・セペダ(1958年)、ウイリー・マッコビー(1959年)、ビンス・コールマン(1985年)、ベニト・サンチアゴ(1987年)、マイク・ピアザ(1993年)、ラウル・モンデシー(1994年)、スコット・ローレン(1997年)らである。

▼National League
1st 2nd 3rd total
A・プホルス
R・オズワルト
J・ロリンズ
B・スミス
A・ダン
32
-
-
-
-
-
25
7
-
-
-
7
23
1
1
160
82
44
1
1

▼American League
1st 2nd 3rd total
イチロー
CC・サバシア
A・ソリアーノ
D・エクスタイン

27
1
-
-

1
21
6
-

-
5
17
6

138
73
35
6

21歳の新人でありながら、打率.329に加え、37ホームラン、112打点はいずれもチームトップである。ポジションが固定しなかったため、外野手として78試合、サードとして55試合、ファーストとして43試合にそれぞれ出場している。チームメイトであるマグワイアの引退が発表された翌日に、チームにもたらされた吉報である。カージナルスとしては球団史上6人目の新人王受賞である。過去にはウォーリー・ムーン(1954年)、ビル・バードン(1955年)、ベイク・マクブライド(1974年)、コールマン、トッド・ウォーレル(1986年)らが受賞している。

一方のイチローは、日本のプロ野球で7年連続首位打者のタイトルを獲得しており、27歳でのメジャー挑戦だった。周囲の期待に沿った素晴らしい成績で、打率.350と56盗塁で2つのタイトルを受賞している。新人王と首位打者を同時に受賞したのは、1964年のトニー・オリバ以来である。

日本プロ野球とメジャーリーグの両方で新人王を獲得したイチローは、今季242安打という新人最多安打記録をマークした。この記録に匹敵する記録を探そうとすれば、1930年のビル・テリーの254安打までさかのぼらなければならない。マリナーズの選手としても、日本人選手としても昨年の佐々木主浩に続き、2年連続である。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.008
ケリー・ウッド★ケリー・ウッド #34★ シカゴ・カブス

<written by 3:16>

カブスがケリー・ウッドにかけている期待は大きい。1995年ドラフト1巡目の4人目でカブスに指名され、チーム過去最高額の契約金で入団したことでも明らかだ。

ルーキー1年目の1998年5月6日、メジャーデビューからわずか5戦目にして、1ゲーム20奪三振という、ロジャー・クレメンスに並ぶメジャーリーグ記録タイ、ナ・リーグ記録(19)更新、カブスのクラブレコード(15)更新の大記録をうち立てたことは、あまりにも有名だ。

ネクスト・ライアンといわれる若きウッド。この時のピッチングでは、コンスタントに球速100マイルを連発、たったの1安打完封で、ヒューストン・アストロズを退けた。この日3三振に切って取られたジェフ・バグウエルが、「俺があれほど牛耳られたゲームは、生まれて初めての経験だった。」と、賛辞を送っている。また、エイジシュット、つまり自分の年齢と同じだけ三振を奪ったのは、ボブ・フェラーの17以来史上二人目のことだった。

ウッドの投球には、いつもワクワクする。うなる速球、そしてまた豪速球。ボールが指先からリリースされた次の瞬間、もうキャッチャーミットが音をたてている。

カントリー好きのテキサスブロンコ。同じテキサス出身のノーラン・ライアンをこよなく尊敬し、背番号もテキサス時代の彼と同じ34を付けているが、好きなアスリートはマイケル・ジョーダンだ。

1ゲーム19奪三振の記録を持っていた、この偉大な奪三振王の先輩ライアンも、この記録を20奪三振で抜いたクレメンスも、同郷のテキサン、誇り高く、一徹、速球にこだわる。

13勝6敗の成績で、カブス投手初のルーキーオブザイヤー、プレイヤー同士で選ばれるアウトスタンディングルーキーなど、数々の賞に輝いたルーキーシーズン終盤の8月末、超人的な速球投手故の故障に泣き、肘の靭帯を伸ばしてしまい、残りシーズンを棒に振る。にもかかわらず奪った三振数はカブスルーキー最高の233で、リーグ3位だった。ワイルドカードでプレイオフ進出をしたチームに間に合い、10月対アトランタ第3戦に登板するものの、グレッグ・マダックスとの投げ合いに破れ、チームも3連敗し98年シーズンを終える。

ウッドにはリグレーフィールドがよく似合う。この年のオフ、結局いわゆるトミー・ジョン手術を受けることになり、翌99年シーズンを完全に棒に振ってしまう。その後は、数々の故障との戦いが続いている。

2000年5月にようやく復帰したシーズン、明らかにややスピードを失い、自分の肘に対してこわごわと投げている感が否めなかった。チームの不振も手伝い、8勝7敗に終わり、防御率も大幅に落とした。もうウッドは終わってしまったのか?答えはノーだ。

2001年シーズン、故障に苦しみながらも12勝6敗、防御率3.36と、1.47ポイントも改善。スピードもかなり戻った。そして一番の証拠は何よりも実際に対戦する相手がよく知っている。ウッドは今でも“メジャーで一番ヒットを打ちにくいピッチャー”なのだ。実はウッドの過去3シーズンの被打率は、今年延長戦にはなったが、9イニングで20奪三振を記録し、372もの三振を記録し、チームをワールドチャンピオンに導いたもっとも打てないピッチャーの、ランディ・ジョンソンをも上回る。カート・シリング、クレメンスらを遙かに凌ぐ。(もちろん彼らはトップ中のトップのスターターだが。)ウッドを上回ることができるのは、短いイニングだけを集中して投げる、ほんのごく一部の超一流クローザーにしか存在しないのだ。

これら、被打率の低いスターターに対しては、アメリカでは単なるwin(勝つ)ではなく、Dominate(支配する)という動詞が使われる。まさに牛耳っているのだ。打てるチャンスがあるのは失投だけ。

彼のピッチングは芸術的ですらある。今年は、がむしゃらに三振を獲りにはいかない。下位打線にはスピードを抜き、92マイル前後の速球を多投。上位打線に対しては、97マイル前後の速球を中心に速球自体のスピードに緩急を付けている。ホームランを打たれた時でさえ、ウッドの回転の美しい超速球は、選ばれたバッターの優れたスイングにのみ打ち返され、本当に綺麗な弾道を描き彼方へ飛んでゆく。

課題となるのは、フォアボールを減らすことと、クリティカルな場面での失投の確率を限りなく下げていくことだろう。

経験を積むに連れ、まだまだ進化を遂げるであろうウッドのピッチング。自身の故障との戦いにさえ勝利していくことができれば、彼は間違いなくさらなる伝説を築きあげることだろう。来シーズンの活躍に期待したい。

■2001.11.12(現地11.11)
●ホームランキング、マグワイア引退へ!通算583HRでピリオド!
この豪快なバッティングは忘れません。お疲れさま。
メジャーリーグを代表するホームランバッター、マーク・マグワイアが現役引退を決意した。1998年にサミー・ソーサとの激烈なホームラン王争いで、ロジャー・マリスのシーズン61本の記録を大きく破る70本を打って、37年ぶりに記録を更新したのは記憶に新しい。翌1999年にも65本のホームランを放ち、2年連続の60本越えも果たした。ハンク・アーロンの通算ホームラン記録(755本)も抜くのではと思われたが、右膝の状態がおもわしくなく、手術にも踏み切ったが、全盛期の状態は戻ってこなかった。

今季のマグワイアは、6月から本格的に戦線に戻り、ホームラン29本を打ったのはさすがだが、打率が2割に満たない.187と苦しんだ。マグワイアは昨年オフに2年間で3000万ドルという契約を結んでいたが、その契約を1年残しての引退となる。マグワイアは古巣アスレティックスからFAになっているジェイソン・ジオンビーにカージナルス入りを薦めていると報じられてからすぐの引退発表だった。

1986年にアスレティックスで、メジャーリーグでのキャリアをスタートしたマグワイア。1988年からのアスレティックスのリーグ3連覇に大きく貢献。1989年には世界一も経験した。ここまで積み上げたホームラン数は583本を数え、史上4人目の通算600本まであと17本と迫っての引退となった。

●ダイヤモンドバックス、来季はチケット値上げの方向へ!
Arizona DIAMONDBACKS
創立4年目にして世界一に輝いたダイヤモンドバックスだが、資金のやりくりが難しく、来季は球場のチケットを値上げする方向で進んでいる。ここ2年間で合わせて4150万ドルの赤字だったダイヤモンドバックスは、開幕前から今季は2400万ドルの赤字になるだろうとオーナーのジェリー・コランジェロが話していたが、チームの世界一で一時的には解消された。しかし、一部の選手には支払いを2004年まで据え置いてもらっていることもあり、これにかかる金額は1億2000万ドルを越えている。

●チーム削減問題は12月15日までに決着か!?
Major League Baseball
メジャーリーグ全体で大きな話題になっているチーム削減問題だが、決着は12月15日にはでるだろうとされている。各方面から批判の声が相次ぎ、削減の候補になっているミネソタでは、反対の署名を集める運動も始まっている。様々な出来事があった2001年シーズンを締めくくる素晴らしいワールドシリーズが終わった後、48時間以内にオーナー会議で決まったこの決断。果たしてどのような結末を迎えるか。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.007
アルバート・プホルス★アルバート・プホルス #5★ セントルイス・カージナルス

メジャーリーグに昇格したばかりの新人が、今季161試合に出場し、チームトップとなる打率.329に加え、37ホームラン、130打点という文句のつけようない成績を残した。その選手の名はアルバート・プホルス。地元では「ネクスト・ミュージアル(かつてカージナルスに在籍した大選手、スタン・ミュージアルの後継者)」という重々しい名前も付けられたが、この21歳の若者は周囲から「プー」という愛称で親しまれている。

まさに末恐ろしい21歳、プホルス。ドミニカ共和国出身で12人兄弟の末っ子として生まれる。16歳の頃に父親とともにカンザスシティに移住。子供の頃から学習能力が高く、たった1年で英語をマスター。高校からその野球の才能が注目され、州の優秀選手に選ばれるなどし、奨学生として短大へ進学。在学中の1999年にカージナルスにドラフト13位で指名され、プロの世界へ足を踏み入れることとなった。

1年目となる2000年は1Aピオリアでスタート。109試合に出場し、打率.324(395打数128安打)、17ホームラン、84打点を記録し、このチームが所属するミッドウエストリーグのMVPを獲得した。32本の2塁打を含む55本もの長打を放ち、長打率.565を記録。誰もがこのプホルスの将来に大きな希望を抱かせた。

この年の終盤には1Aポトマック、3Aメンフィスにまで昇格した。3Aのメンフィスが所属するパシフィックコーストリーグでのリーグチャンピオンシップシリーズで、延長13回にサヨナラホームランを放ち、チームを3Aワールドシリーズへ導いた。なお、プホルスはプレーオフ11試合で打率.302を記録し、プレーオフのMVPにも輝いている。

誰もがプホルスの将来に期待はしているものの、2001年シーズン開幕前から、プホルツがすぐにこれほどまで活躍すると予想した人間は、ほとんどといっていいほどいなかった。

球史に残る選手になる可能性、十分にあり。スプリングキャンプでは招待選手として参加。昨年、フェルナンド・タティースがエクスポズへ移籍したこともあり、サードは空いていた。ボビー・ボニーヤを後釜にと考えていたが、そのボニーヤが怪我。さらにファーストが確定しているマーク・マグワイアも怪我で思うようなバッティングができないため、プホルスはファースト、サードに加え、外野も守り、自らをアピールする機会が多く巡ってきた。打撃面では打率.349に三振はわずか8個というすばらしい成績を残し、開幕ロースター入りを決めた。

4月6日からのダイヤモンドバックス3連戦で、14打数7安打の8打点を記録し、メジャーデビューを華々しく飾る。開幕は外野を守っていたが、1週間もたたないうちにサードの定位置を確保する。さらに勢いは止まらず、メジャーリーグの新人タイ記録となる4月月間8本のホームランを記録した(1982年のケント・ハーベック、1994年のカルロス・デルガドがそれぞれ記録している)。また打率も.370であり、この年から制定された4月の月間最優秀新人賞も受賞した。

オールスターまでに打率.323の21ホームラン、66打点の長打率.594を記録し、オールスターゲームへの出場も決めた。途中からサードの守備に入り、打席には1度立ったが、四球に終わり、ヒットは打つことができなかった。

後半戦も前半戦同様のペースで打ちまくり、ナショナルリーグの新人王をほぼ手中に収めた。1980年生まれのプホルスは、マイナーをわずか1年だけ経験しただけでメジャーリーグで大きな花を咲かせた。少ないマイナー経験で1980年生まれということでは、昨年の新人王、ラファエル・ファーカルと同じである。ファーカルとは同じドミニカ共和国出身である。

メジャー初めてのシーズンでチームはポストシーズンへ出場。カージナルスのディビジョンシリーズ第2戦では、ランディ・ジョンソンから先制2ランホームランを放ち、メジャーを代表する左腕を苦しめた。しかし、このシリーズはこのホームランを合わせても2安打しか記録できず、課題が残った。チームも2勝3敗で敗れ、プホルスのメジャー初シーズンは終わりを告げた。近い将来、プホルスのバットがワールドシリーズで大爆発という日もそう遠くはないだろう。

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