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MLB EXPRESS

MLB EXPRESS REVIEW

★2001.11.6〜11.11★ [MLB EXPRESS REVIEW]

■2001.11.11(現地11.10)
●ツインズ、不透明な先行きにもかかわらず、球団職員に待機を指示!
Minnesota TWINS
球団消滅が噂されているツインズだが、約70人もの球団職員たちに対し、待機を命じた。ひょっとすると、12月9日から14日の間にボストンで行われるウインターミーティングで正式に消滅などが決まるとされている。地元ミネソタの実業家グループもツインズ買収という動きはある。今年で19年目を迎えたメトロドームに代わる新球場を作るため、税率を上げては、という意見も出ている。

●ブルージェイズ、新GMにショーウォルターへ白羽の矢を立てる!
Toronto BLUE JAYS
GMを探しているブルージェイズは、かつてヤンキースとダイヤモンドバックスで監督を務めたバック・ショーウォルターに白羽の矢を立てていると報じられた。ショーウォルターは両チームの監督を退いた後、そのチームが世界一になるという不運にあっている。2000年シーズン後にダイヤモンドバックス監督を解任された後は、ESPNのキャスターをつとめていた。なお、ブルージェイズはショーウォルター以外の候補として、現ツインズGMのテリー・ライアン、フィリーズのGM補佐であるマーク・アルバックルらが挙げられている。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.006
ロビン・ベンチュラ★ロビン・ベンチュラ #4★ ニューヨーク・メッツ

<written by ロビン・ベンチュラ>

ロビン・ベンチュラがファンに認知されたのは、彼自身の血の気の多さによるものだった。シカゴ・ホワイトソックス時代の1993年8月4日、ブラッシュボールに怒ったベンチュラは、マウンドへ突進して行ったものの、ほんの一瞬ためらってしまい、あべこべにヘッドロックを喰らった挙げ句、思い切り殴られてしまったのだ。ベンチュラは出血、相手は無傷。しかし退場のコールを受けたのは、なぜか殴られたベンチュラの方だった。相手が悪かった。ノーヒット・ノーラン7回の記録を誇る不世出の奪三振王ノーラン・ライアンだったのである。この乱闘でベンチュラの顔と名前は、一躍、全米に知れ渡ることとなった。

人気・実力ともに抜群なベンチュラ。アマチュア時代からベンチュラの野球人生は栄光に彩られている。オクラホマ州立大学時代に達成した58試合連続安打記録。ソウル・オリンピックでの金メダル獲得。ソウルでは決勝で野茂英雄古田敦也のバッテリーと対戦している。

1990年、エリートの名をほしいままにし意気揚々とメジャーデビューを飾ったものの、ストレートには滅法強い典型的なローボールヒッターだったために、たちまち変化球攻めにあいスランプに陥ってしまった。よほど心機一転を図りたかったのだろう。その年の5月8日に背番号を21から23に変えてしまい、ルーキーらしからぬ大胆さで球団関係者を唖然とさせた。「もともと僕は23が好きだったんだ。マイケル・ジョーダンの番号と同じだからね」

背番号にご利益があったのか、やがてア・リーグを代表する三塁手に育ったベンチュラは、チャンスに強いクラッチヒッター、屈指のインフィールダーとして、1999年からニューヨーク・メッツの一員に加わる。

1999年はメジャーリーガー・ベンチュラにとってハイライトというべきシーズンだった。メッツには、ジョン・オルルッド一塁手、エドガー・アルフォンゾ二塁手、ベンチュラ、レイ・オルドニェス遊撃手と名手がそろい、その鉄壁さは、メジャー随一の内野陣と称えられた。打撃では主に4番・5番を打ち、打率.301、32本塁打、120打点という好成績を収め、メッツのプレイオフ進出に大きく貢献した。また、その活躍が認められナ・リーグMVP投票で多くの票を集めた年でもあった。

満塁での勝負強さには定評あり。満塁のチャンスにはとくに強く、通算14本の満塁本塁打は、ケン・グリフィーJr.と並び現役最多、歴代9位の記録である。

同じく1999年には、ダブルヘッダーの両試合で満塁本塁打を打つというメジャー初の離れ業をやってのけている。アトランタ・ブレーブスとのリーグ・チャンピオンシップ・シリーズ第5戦では、延長15回裏、満塁でサヨナラ本塁打を放ったが、一塁を回ったところで興奮したチームメイトに抱きつかれてしまい、走塁を放棄。記録はシングルヒットに。この“幻の満塁本塁打”はファンの間ではもう語り草になりつつあるようだ。

ベテランの域に達したいま、一見クールに黙々と仕事をこなす玄人好みのプレイヤーに見られがちだが「プロに入っていちばんうれしかったのは、もうユニフォームを自分で管理しなくてよくなったこと。高校や大学のときは、しょっちゅうユニフォームを忘れてチームメイトに借りて出場していたんだ」というウッカリ者の一面もある。

ホワイトソックス時代から数えて計6回のゴールデン・グラブ賞に輝く堅実な守備と、手首とヒジを巧みに使ったバッティング・フォームの美しさは、一見の価値があるだろう。

■2001.11.10(現地11.9)
●メッツ、外野手補強へ、FAボンズの獲得へ名乗りをあげる!
バリー・ボンズ
FAになっているバリー・ボンズ獲得にメッツが名乗りを上げた。今季のボンズは37歳という年齢を感じさせない驚異的なホームラン量産を見せ、シーズン73ホームランという新記録を樹立した。1986年にパイレーツでメジャーデビューを果たし、FA取得後にジャイアンツへ移籍。ここまで積み上げたホームラン数は歴代6位にもなる567本である。メッツは来季に向けて外野手の補強を考えており、アストロズからFAになったモイゼス・アルーにも食指をのばしている。

●ドジャース、ショウとのオプション、行使せず!ショウはFAへ!
ジェフ・ショウ
ドジャースはクローザーのジェフ・ショウとの来季のオプション契約(705万ドル)を行使しなかった。このため、35歳のショウはFAとなった。今季、43セーブをマークしているショウだが、1998年途中にレッズから移籍後、ドジャースのクローザーとして球団最多となる129セーブを記録している。キャリア通算では203セーブをあげている。

●ダール、2人のマイナーリーガーと交換でドジャースへ移籍!
オマー・ダール
昨日、フィリーズと契約延長を果たしたばかりのオマー・ダールがドジャースへ移籍することが決まった。交換相手はマイナーリーガーのエリック・ジャングジェサス・コルデロという両投手である。ドジャースは、パク・チャンホがFAで移籍確実となり、ダレン・ドライフォートはシーズン半ばまで投げられないということで先発の絶対数が足りない状況でそれをダールで補強するという考えだ。一方のフィリーズは若い投手が多いため、ダールと交換でベテラン選手の獲得を考えていたが、うまくまとまらなかった。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.005
ランディ・ウルフ★ランディ・ウルフ #43★ フィラデルフィア・フィリーズ

<written by 3:16>

ランディ・ウルフのホームゲームは非常に楽しい。たくさんのウルフのマスクをかぶったファンや、体に字を書いたファン達が、リズムにあわせてウルフの踊りを激しく楽しく踊り、彼のピッチングを応援するのだ。それ以上に来シーズン以降、彼のピッチングを見るのはもっと楽しみだ。

まだ25歳と若いウルフ。カリフォルニア州のサンフェルナンド・バレー、カノガパーク(ビバリーヒルズの西北郊外)の出身。リトルのベーブルースリーグ時代は、強打のスラッガーでもあった。このリーグの偉大な先輩達には、 2001年ワールドシリーズでのMVP2人同時受賞の記憶にも新しい、カート・シリングランディ・ジョンソンがいるし、ノーラン・ライアンジョン・フランコも。ジュニア時代にはノーヒッターと完全試合を続けて達成したこともある。

1997年のドラフト2順目でフィリーズに指名された。AAリーディング、AAAスクラントンと駆け上り、99年メジャーデビュー後は、なんと5連勝。チームではマーティー・バイストロムのデビュー7連勝以来のことだ。

2000年シーズン、32ゲームに登板、左腕としてはダニー・ジャクソン以来の11勝をあげ、206.1/3イニングを投げ、チーム2位の奪三振106を記録するものの、リーグで下から2番目の得点力しか持たなかったチームの攻撃陣が災いし、彼自身も11勝9敗、登板ゲームでのチーム成績にいたっては、13勝19敗に終わってしまう。完投能力が課題となった。

ウルフのウイニングショットは、チェンジアップだ。速球の球速は90マイルがやっとだが、 ものすごく切れがいいし、まったく同じフォームで繰り出されるチェンジアップとは、落差が激しい。また、どのカウントからでも(アメリカでは珍しいことだが、たとえ3−2からでも)、このチェンジを投げることが出来る程、コントロールには自信がある。

大エースのシリングが抜けた2001年シーズン、その分プレッシャーも多く受け、DL入りも経験したが、シーズン終盤のチームの頑張りとともに成長し、効果的なブレイキングボールの使い方を覚え、まさに開眼、何かをつかんだようだ。

圧巻だったのは、9月に入ってから。9月8日にエキスポズ戦で6安打完封勝ちを収め、26日には地元フィラデルフィアでのレッズ戦では、なんとたったの1安打に抑えての完封劇。ウルフファンたちの踊りは、最高潮を極めた。

続くアトランタでは優勝争いの最終局面で、王者アトランタに対し8回を3安打1失点。優勝にはあと1歩届かなかったが、最終レッズ戦も、9回2アウトまでを7安打1失点で抑え、確かに何かをつかんでシーズンを終えた。デビュー以来たったの1つだった完投を終盤の活躍で4ゲーム達成し、本当の意味でフィリーズのエースに成長したといってもいいだろう。

本当に来シーズンが楽しみな25歳エース左腕である。

■2001.11.9(現地11.8)
●佐々木、マリナーズと2003年以降の契約延長を交渉!
佐々木主浩
メジャーリーグ史上トップタイの116勝をあげ、西地区制覇を果たしたマリナーズは契約問題に揺れている。昨年、今年と2年連続でセーブのチーム記録を更新した佐々木主浩が来季後にFAになるため、契約延長のための交渉を始めている。佐々木は2年合わせて81セーブを記録している。さらに今季はセカンドを守るブレット・ブーンと5つのポジションを守ったマーク・マクレモアなどがFAであり、そちらの交渉も続いている。

●フィリーズ、ダールとの契約を450万ドルで更新!
オマー・ダール
フィリーズはオマー・ダールとのオプションを行使し、450万ドルで来季の契約を交わした。この29歳の左腕は今季、13勝7敗の防御率4.46を記録したが、この中でもオールスター後は4勝5敗にとどまった。シーズン開幕直後は、チームのローテーションで1番目だったが、シーズン終盤はローテーションの後ろに回っていた。ダールはダイヤモンドバックスに在籍していた1999年には16勝9敗の防御率3.65を記録している。通算記録は52勝57敗の防御率4.50であるる。

●クーパーズタウンが全米を回る!4年間で10都市!
Major League Baseball
ニューヨーク州にある殿堂博物館「クーパーズタウン」が来年4月から4年間にわたって10都市を巡回することが決まった。展示品は約500点にものぼり、その中にはジョー・ジャクソンが使用したスパイクなども含まれる。

●レンジャーズ前監督、オーツが脳腫瘍で今月末に手術!

今季の5月までレンジャーズの監督を務めていたジョニー・オーツが脳腫瘍であることがわかった。今月下旬に手術を行うそうである。1995年からレンジャーズの監督を務め、在籍期間に3度の地区優勝を果たし、1996年には最優秀監督賞も受賞している。今季は開幕前に大型補強を行ったにもかかわらず、結果を出せず辞任という形で身を引いた。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.004
カルロス・デルガド★カルロス・デルガド #25★ トロント・ブルージェイズ

<written by 3:16>

ブルージェイズの若き主砲にしてチームリーダーの1塁手。オールラウンドにバランスのよい柔軟なバッティングに加えて、底知れない破壊力と、固め打ちが魅力のカルロス・デルガド

三冠王に近いとも言われるデルガド。2000年シーズン、打率(.344)、ホームラン(41)、打点(137)と3冠部門すべてにおいて4位、トータルベース(378)、2塁打(57)ではア・リーグトップの成績を残し、オールスターにも初出場、ハンク・アーロン賞を受賞した他、シルバースラッガー賞を2年連続受賞。“プレイヤー同士”の投票で選出される両リーグ通じてのプレーヤーオブザイヤー、および、アメリカンリーグのアウトスタンディングプレイヤーに選出されたことからも分かるように、非常に穴の少ないバッティングは、玄人も認めるところ。また、故郷のプエルトリコでは優れた陸上選手でもあったように、潜在的運動能力の高さを感じさせる。

メジャー入り当初はキャッチャーおよび外野手での登録だったが、ルーキーイヤーの94年4月、チームの先輩フレッド・マグリフ以来二人目となる、スカイドームのレストラン席のガラスを打ち破る特大ホームランを放つ。さらに98年7月には、スカイドームの“ライト”スタンド5階席に超特大のホームランを放った初めてのプレイヤーとなる(89年ホゼ・カンセコ、96年マーク・マグワイアがスカイドームレフト5階席に、超特大HRを放っている)。

豪快な打撃がチームを引っ張る。デルガドのバッティングの特徴は、実はこの計り知れないパワーを秘めているにもかかわらず、極めて広角に長打を放つ点だ。機会があったらヒッティングチャートをお見せしたいところだが、長打、短打、ホームランにいたるまで、フィールドのどこへでも満遍なく打ち分けている。また、22ゲーム連続ヒットや、5打数5安打ゲーム、月間12HR、32打点など、固め打ち出来るのも特徴で、およそ従来のパワーヒッターとは様相が異なる。

6フィート3インチの均整の取れた体に、人懐こい笑顔。実に魅力的なプレイヤーだ。彼の描く美しいラインドライブの弾道は、しなやかで強引なところがない。

2001年シーズンは、各チームから徹底マークに合い、やや成績を落としたものの、チームの通算ホームラン数であのジョー・カーターを抜き、チーム生え抜きプレイヤーとして、名実ともにブルージェイズの顔となった。

4年契約2年目の来シーズン、前後を打つ顔ぶれがどうなるかまだ分からないが、4年連続3位に甘んじたチームを、どう引っ張っていくのか、更なるリーダーシップに期待しよう。

■2001.11.8(現地11.7)
●将来のスター候補生のマウアー、ツインズの行く末次第では・・・!
大きな可能性を秘める18歳のマウアー。
今年6月のドラフトで、ツインズから全米1番目に指名されたジョー・マウアーが、もしツインズが消滅ということになれば、フットボールの世界に本格的に身を投じることになるかもしれない。スポーツ万能で知られるマウアーは、ミネソタで少年時代を過ごし、ツインズの選手を自らのアイドルとして育っただけに、今回のメジャーリーグの決定には大変失望しているらしい(まだ、ツインズ消滅と成績発表されたわけではないが)。すでにフロリダ州立大学のクォーターバックとして、名を連ねている。

高校生捕手として高い評価を受けているマウアーは、指名後にツインズと即契約。夏の間には早くもプロとしてルーキーリーグでプレーを経験。ここで打率4割を記録するなど大物の片鱗を見せていた。果たして、将来のスター候補生はどこへ行くのか。

●来年のヤンキースのファーストは誰?ジオンビー?マルチネス?
ティノ・マルチネスジェイソン・ジオンビー
4年連続世界一を逃したヤンキースがファーストを捜している。候補に挙がっているのが、アスレティックスからFAになったジェイソン・ジオンビーである。今年、ファーストを守っていたティノ・マルチネスは34ホームランに113打点を記録している。33歳という年齢を考えても、再契約となった場合、3年契約で済むかもしれない。しかし、仮にジオンビーと契約を交わすとなれば、6年から7年の長期契約が予想され、1年当たり1800万ドルは下らないとされる高額が必要となってくる。ポール・オニールの引退もあり、打撃力の低下が予想されるヤンキース。果たしてどちらを選ぶことになるだろうか。

●34歳ベンチュラ、古巣ホワイトソックスへ出戻りの噂!
ロビン・ベンチュラ
メッツは34歳のベテラン選手、ロビン・ベンチュラが古巣のホワイトソックスに戻るのでは、という話が出ている。ベンチュラにとって、13年間のメジャー生活で最初の10年間をホワイトソックスで過ごした。ホワイトソックスとしては、来季の年俸825万ドルがネックだが、若い選手への影響、またベンチュラ自身が非常に人気のある選手であるということが理由とされている。今季のベンチュラは4月こそ良かったものの、結果は打率.237、21ホームラン、61打点とキャリア最低の年となった。

●ブーン、要求額は1年当たり1000万ドル!交渉は難航か?
ブレット・ブーン
今年、MVPの候補に挙がっているブレット・ブーンに対して、マリナーズ側は3年契約で4年目はオプションとなる、金額としては総額で2000万ドルから2400万ドルを提示する予定らしい。しかし、ブーン側は4年から5年の複数年で、1年当たり1000万ドルという契約を要求するとされているため、交渉は難航しそうだ。32歳のブーンは今年、打率.331、37ホームラン、118打点とキャリア最高の数字をマークした。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.003
チャック・ノブロック★チャック・ノブロック #11★ ニューヨーク・ヤンキース

<written by チャックノブロック>

打席に入るまでにせわしない動作と、バットのヘッドを水平に構える独特な打撃スタイルから左右にヒットを打ち分ける俊足巧打のバッターである。

今オフ、FAになったノブロック。1989年ドラフト1位で、ミネソタ・ツインズに入団したチャック・ノブロックは、1991年にメジャーに昇格。この年、打率.281、25盗塁の成績を残し、新人王に輝くとともに、アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでも打率.308の成績を残し、ツインズのワールドチャンピョンに大きく貢献した。

このワールドシリーズでのノブロックのプレイを触れる上で欠かせないのは、第7戦でのトリックプレイであろう。0対0の行き詰まる投手戦が続く8回表、ノーアウトランナー1塁の場面で、ブレーブスベンチはヒットエンドランをかけた。打球は左中間を深々と破り、1塁ランナーのロニー・スミスは既にホームを駆け抜けたと思われた。ところが、である。スミスは3塁ベース上に留まっていたのだ。実は、セカンドの守備位置に打球が来ていないのにも関わらず、ノブロックはセカンドベースに目掛けて送球する格好を見せていたのだ。ノブロックのこの動作に幻惑されたスミスは既に左中間に飛んだ打球のゆくえを確認していたはずなのに、改めて打球の行方を確認し直してから3塁に進んだため、ホームベースに行くことができなかったのだ。もし、このノブロックのトリックプレイがなければ、ブレーブスは確実に1点をものにしており、ワールドチャンピョンはブレーブスの手に落ちていたであろう。

その後、ノブロックは年々成績を伸ばしていき、盗塁数は1993年の29個を除き、毎年30盗塁以上をコンスタンスに重ね、シルバースラッガー賞2回(95年、97年)ゴールデングラブ賞1回(97年)に輝くなどリーグを代表する2塁手に成長した。

危ない守備もノブロックの魅力の一つ。これらの実績を引さげて、1998年、ノブロックは、エリック・ミルトンクリスチャン・グーズマンを初めとする4選手+金銭トレードによりヤンキースでプレイすることとなった。

この年は、ヤンキースが記録的なシーズン114勝と記録的な強さを発揮し、ノブロックもこれに貢献したのだが、アメリカンリーグ・チャンピョンシップ第2戦のひとつのプレイをめぐってヤンキースファンから酷評を受けることになった。

1対1の同点で迎えた延長12回表ノーアウト1塁の場面で、バントをしたバッターランナーに、バント処理をしたファーストからの送球がバッターランナーに当たり、セーフと判定された。この判定をめぐって、1塁のベースカバーに入ったノブロックはボールを追うことを忘れ、審判にバッターランナーが3フィートラインの内側を走った守備妨害だと猛抗議をしたのだ。しかし、その間にランナーがホームに駆け込み、これが決勝点となってしまったのだ。このプレイをめぐりノブロックはヤンキースファンから「ミネソタに帰れ!!」の罵声を浴びることになる。しかし、パドレスとのワールドシリーズ第1戦、2対5とヤンキース敗色濃厚となっていた7回裏1アウト1、2塁の場面で、ノブロックは起死回生の同点ホームランを放ったのである。これをきっかけに、ヤンキースはこの試合に勝利。ノブロックは自分自身の力でファンの評価を一変させたのだ。

しかし、翌1999年、ノブロックに信じられない新たな苦悩が訪れた。ファーストへの悪送球を連発するようになったのだ。この年、ノブロックは、26個もの失策を演じ、アメリカンリーグの2塁手として最多の記録を喫してしまったのである。その多くが、悪送球によるものであった。送球難は、翌2000年シーズンまで続き、このシーズン終盤からポストシーズンにかけて、2塁手としてではなく指名打者として出場することとなる。

そして、2001年はシーズン開始直前になってノブロックはレフトにコンバートされた。慣れない守備もあってか、2001年シーズンのノブロックの打撃に往年の輝きが見られないのが寂しい。

■2001.11.7(現地11.6)
●2002年開幕は28球団でのスタートが正式決定!2球団が消滅!
メジャーリーグは大きな節目を迎えている。
3時間半にわたるオーナー会議で下された決断は、来年2002年の開幕を現在の30球団より2球団少ない28球団で迎えることが正式に決まった。30球団の投票のうち、球団削減に関しての投票の結果は、28対2で削減賛成という結果。削減に反対したのは、消滅が噂されるエクスポズとツインズの両球団である。しかし、水面下で進めなければ行けない問題もあり、削減球団名は正式には公表されていない。

コミッショナーのバド・セリグは「削減される球団は、チームを運営していくだけの充分な収入を得ることが出来ない」と言う。噂されていた球団移転に関しても、状況を悪化させるだけだと一蹴した。1960年の時点では両リーグ合わせて16球団しか存在しなかったが、エクスパンションを繰り返した結果、1998年からは30球団とまで増えてしまっていた。まさに今日の決定は、今後のメジャーリーグを考える上での苦汁の選択になった。選手会の反発はすでに起こっており、目が離せない状況が続きそうだ。

エクスポズは1969年に誕生。いまだかつてリーグ優勝を果たしたことが一度もない。今季のエクスポズは1試合平均7,648人という少ない観客もネックになった。一方のツインズは1991年に世界一に輝いて以降、低迷を続けていたが、今季は若手選手の活躍で地区2位でシーズンを終えたばかりだった。消滅することが正式決定したわけではない両球団だが念のため。

●2001年のゴールドグラブ賞発表!マダックス、12年連続受賞!
10年連続のゴールドグラブ賞はベンチに並んだ。
両リーグのゴールドグラブ賞が発表された。グレッグ・マダックスが1990年から続けて、12年連続の受賞となった。なお、怪我でわずか106試合の出場にとどまったイバン・ロドリゲスも10年連続の受賞を決めた。この他にもロベルト・アロマーオマー・ビスケルアンドリュー・ジョーンズなどこのタイトルの常連も顔を並べた。

両リーグの受賞選手は以下の表の通り(カッコ内の数字は受賞回数)。初受賞の選手が目立つが、消滅予定のエクスポズ、ツインズから合わせて3選手が選出されている。

▼National League ▼American League
PICTHER
CATCHER
1st BASEMAN
2nd BASEMAN
3rd BASEMAN
SHORTSTOP
OUTFIELD
OUTFIELD
OUTFIELD
Greg MADDUX(12)
Brad AUSMUS(1)
Todd HELTON(1)
Fernando VINA(1)
Scott ROLEN(3)
Orlando CABRERA(1)
Larry WALKER(6)
Jim EDMONDS(4)
Andruw JONES(4)
BRAVES
ASTROS
ROCKIES
CARDINALS
PHILLIES
EXPOS
ROCKIES
CARDINALS
BRAVES
Mike MUSSINA(5)
Ivan RODRIGUEZ(10)
Doug MIENTKIEWICZ(1)
Roberto ALOMAR(10)
Eric CHAVEZ(1)
Omar VIZQUEL(9)
Mike CAMERON(1)
ICHIRO Suzuki(1)
Torii HUNTER(1)
YANKEES
RANGERS
TWINS
INDIANS
ATHLETICS
INDIANS
MARINERS
MARINERS
TWINS

●メッツ、新庄と来季も契約!年俸は今年の約7倍!
新庄剛志
メッツは新庄剛志と来季も契約を結ぶことを発表した。年俸は135万ドルと今年の7倍以上の高額である。今季の新庄は、怪我で離脱したこともあったが、終盤は持ち前の勝負強さを発揮し、メッツを引っ張った。118試合に出場し、打率.268、10ホームラン、56打点という数字を残した。なお、守備面でもリーグトップの12捕殺を記録した。

●貧打に泣いたブレーブス、ペンドルトンを打撃コーチとして招聘!
テリー・ペンドルトン
かつてブレーブスに在籍したテリー・ペンドルトンが打撃コーチとして戻ってくる。1991年にチームがリーグ優勝を果たしたとき、ブレーブスのサードを守っていたのがペンドルトンで、この年のMVPに輝いている。現役中に多くの球団を渡り歩いたペンドルトンは、キャリア通算で打率.270、140ホームラン、946打点を記録している。ブレーブスの黄金時代を築いたペンドルトンが戻ってくるが、チームは数多くのFA選手を抱えており、今後の動向が注目されている。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.002
アレックス・ロドリゲス★アレックス・ロドリゲス #3★ テキサス・レンジャーズ

A−ROD(エイロッド)という愛称で親しまれているアレックス・ロドリゲスとは現在、最も人気がある選手の一人であり、その将来を最も期待されている選手の一人でもある。さらに最もお金を稼いでる選手でもある。

最も三冠王に近い男、アレックス・ロドリゲス。両親がドミニカ人であるため、彼の体にはドミニカの血が流れている。現在のメジャーリーグを語る上で中南米、特にドミニカ共和国を抜きに語ることはできない。それだけドミニカ共和国はメジャーリーガーの人材の宝庫という役割を果たしている。彼は幼くして父親が家から出ていってしまい、母子家庭に育った。非常に貧しい環境に育った彼が野球に出会ったのは5歳の頃。ポジションはそのころからショートだった。

そんな彼のあこがれの選手は同じショートを守っているカル・リプケン・ジュニア(ボルチモア・オリオールズ)だった。2632試合連続出場記録を樹立したスーパースターである。リプケンからサインをもらったのは14歳の時、キャンプ地でのことだ。マイアミで育ったロドリゲスの部屋には、このときにもらったサインボールとリプケンのポスターが貼ってあったそうである。

マイアミのウエストミンスター高校時代には、高校全米選抜チームに選ばれるほどの実力を持った彼をメジャーリーグは放っておくわけがない。1993年のドラフトでは高校生野手として全米1位でシアトル・マリナーズに指名された。

高校生野手として全米1位で評価されることがいかに凄いことか。1987年にはケン・グリフィー・ジュニア(現レッズ)、1990年にはチッパー・ジョーンズ(ブレーブス)が同じくその名誉を手にしたが、この2人の現在の活躍を見てもその凄さが十分にわかることと思う。

しかし、マリナーズから全米1位という名誉を受けたロドリゲスだが、ドラフト前にはドジャース希望を打ち出していた。というのは彼が住んでいたマイアミにはフロリダ・マーリンズというナショナルリーグのチームがあり、その中でもベロビーチをキャンプ地にするドジャースこそが彼の希望を満たすものだったからである。

もし、希望が満たされなければマイアミ大学に進学すると言っていた彼も、結局はマリナーズと契約。背番号は彼がリプケンと同様に尊敬してやまないデール・マーフィー(ブレーブスで活躍)の3番を選んだ。

その後の彼は順調に実力を発揮。マイナーリーグでは3割を越える打率を記録し、プロの世界に足を踏み入れたばかりの1994年にはメジャー昇格を果たしている。そして、メジャーリーグに完全に定着した1996年には21歳3ヶ月で打率.358を記録し首位打者となる。この年齢での首位打者は歴代3位という最速記録であり、この年の215安打、141得点はショートストップとしての新記録でもあった。しかもそれだけではなく、36本塁打に123打点と全く文句のつけようのない成績を残した。この年の日米野球ではあこがれのリプケンとともにメジャー代表選手として来日も果たしている。

チームリーダーとして、目指すはワールドチャンピオンリング。翌1997年は多少かべにぶつかった感もあったが、1998年には42本塁打、46盗塁を記録し、史上3人目の「40−40」クラブ入りを果たす。当時マリナーズでチームメイトだったグリフィーが本塁打数を伸ばし注目を浴びていたが、将来性という面ではロドリゲスの方が上でないかと思っていた人は多いはずだ。

1999年には開幕2試合目で左膝のじん帯を痛め、早々と離脱。約1ヶ月も戦列を離れたものの終わってみれば42本塁打、111打点。シーズン途中には長いスランプを経験したものの、怪我での離脱を考えても十分に合格点をあげられる成績だ。しかも、前年より出場試合数が減っているにも関わらず、四球数が増えているのも注目である。

2000年はチームリーダーとしてチームをプレーオフへ導く。惜しくもワールドシリーズへの進出は果たせなかった。リーグチャンピオンシップシリーズでの最終戦のプレーがマリナーズのユニフォームを着ての最後のプレーになった。

FAとなったロドリゲスの元には多くのチームが獲得に動いた。マリナーズ残留も考えていたロドリゲスは、セーフコフィールドの外野フェンスをもっと前にして欲しいなどの理不尽な要求を突きつけるなどし、決裂。そして他球団との交渉。ブレーブスと契約直前まで行くが、契約にノートレード条項が含まれていないということから破談。その中で選んだのがオーナーが直々迎えるなど、ロドリゲスにとって誠意の感じられる対応をしたレンジャーズであった。しかもその契約内容というのは、10年間で総額2億5200万ドルという破格のものである。この契約には、ロドリゲスの高い将来性を考えても、批判の声が多く聞かれた。

レンジャーズの一員として迎えた2001年は、スプリングキャンプから注目の的。シーズンに入っても常に注目されていた。古巣シアトルに戻ったときは、ブーイングが浴びせられた。チームは開幕から低空飛行を続け、古巣のマリナーズが独走するという皮肉な結果となったが、ロドリゲス個人としては、ショートストップとしては史上最多の52ホームランを記録するなど、個人の打撃成績は申し分がなかった。問題はチームの成績である。今後はロドリゲスのリーダーシップが問われる事になるだろう。

2001年のロドリゲスにとってのハイライトの一つとしてオールスターゲームが挙げられるだろう。あこがれのリプケンと同じフィールドに立ち、初回の守備では、サードに転向したリプケンに古巣のショートを守らせるという心憎い演出で、大選手の花道を飾った。

■2001.11.6(現地11.5)
●MLB、30球団から28球団になるのか!?注目、オーナー会議!
Major League Baseball
オーナー会議が行われる。ここでの一番の話題はチーム縮小に関してのこと。もし、チーム削減ということになれば、1899年にナショナルリーグがそれまでの12球団から8球団に削減されて以来ということになる。エクスパンションを続けてきたメジャーリーグが、21世紀に入り大きく変わろうとしている。

現在、一番の候補になっているのが、エクスポズとツインズの両チームの削減である。この場合、ナショナルリーグが15球団、アメリカンリーグが13球団となるため、今年世界一になったダイヤモンドバックスをアメリカンリーグに移動させるという案も出ている。そして、東地区と中地区がそれぞれ5球団、西地区が4球団となるそうである。ちなみに以下のように変わることが予想されている。(太字が移動チーム)

▼National League
■EAST Div.
Atlanta BRAVES
Florida MARLINS
New York METS
Philadelphia PHILLIES
Pittsburgh PIRATES
■CENTRAL Div.
Chicago CUBS
Cincinnati REDS
Houston ASTROS
Milwaukee BREWERS
St. Louis CARDINALS
■WEST Div.
Colorado ROCKIES
Los Angeles DODGERS
San Diego PADRES
San Francisco GIANTS
▼American League
■EAST Div.
Baltimore ORIOLES
Boston RED SOX
New York YANKEES
Tampa Bay DEVIL RAYS
Toronto BLUE JAYS
■CENTRAL Div.
Cleveland INDIANS
Chicago WHITE SOX
Detroit TIGERS
Kansas City ROYALS
Texas RANGERS
■WEST Div.
Anaheim ANGELS
Arizona DIAMONDBACKS
Oakland ATHLETICS
Seattle MARINERS

この他にもマーリンズがエンゼルスを合併、エクスポズをデビルレイズに合併するという案も挙がっており、予断を許さない。他にもマーリンズをワシントンに移転するという案もあり、メジャーリーグに激震が起こることは避けられない模様だ。仮にチームが解散となった場合、契約していた選手はどうなるのか、残された球場は、ファンは、さらに労使協定は、など問題は山積みだ。

●ペドロ、チームに不満!改革されなければ、チームを去るつもり!?
ペドロ・マルチネス
1997年オフにレッドソックスと6年間の7750万ドルで契約を交わしているペドロ・マルチネス。ペドロはレッドソックスのエースとして、ここ数年は投手タイトルを独占するほどの素晴らしい成績を残していたが、今季は肩を痛めたこともあり、わずか18試合の登板で7勝3敗の成績に終わった。シーズン終盤にはチームの首脳部と揉めたことがあり、ペドロはチーム内の改革を訴えた。もし改革が行われなければ、チームを去るつもりだ、ということも発言している。

●インディアンズ、ウィックマンと契約延長!ロッカーは放出か!?
ボブ・ウィックマン
インディアンズはクローザーのボブ・ウィックマンと3年間の1590万ドルで契約を延長した。今季オフ、FAになるはずのウィックマンだが、来季以降もインディアンズのユニフォームを着ることが決まった。今季途中、移籍してきたジョン・ロッカーにクローザーの座を奪われる形になったが、見事に取り返し、最後の18試合の登板では12連続セーブを含む2勝0敗と抜群の安定を見せた。なお、ロッカーは移籍が濃厚である。

●ホワイトソックス、38歳左腕ウェルズとは契約せず!
デビッド・ウェルズ
ホワイトソックスはデビッド・ウェルズとの契約を更新しないことを発表した。ウェルズは今季、ブルージェイズからマイク・シロトカとの交換でホワイトソックス入りした。移籍成立後にシロトカの肩の問題が発覚するなど、いろいろと話題になった移籍だったが、元気なはずだったウェルズも腰の痛みに苦しみ、わずか16試合の先発で5勝7敗の防御率4.47と期待に応えられなかった。キャリア通算で166勝114敗(現役投手では9位)を記録している38歳のウェルズだが、もう一度ウェルズの勇姿を見ることは出来るだろうか。

◆MLB Player's Profiles 2001-2002 Vol.001
カート・シリング★カート・シリング #38★ アリゾナ・ダイヤモンドバックス

2001年ワールドシリーズで第1戦、第4戦、第7戦に登板。中3日での登板が2回続いたが見事な熱投を見せたカート・シリング。ポストシーズンでは6試合に登板し、4勝0敗の防御率1.12に抑え、ダイヤモンドバックスを創立4年目にして初の世界一に導いた。しかも、チームメイトであるランディ・ジョンソンと共にワールドシリーズMVPを分け合うなど、シリングにとって2001年はキャリア最高のシーズンになった。

シリングにとって、2001年は最高のシーズンとなった。シリングが野球を始めたのはリトルリーグ時代のこと。今でこそメジャーリーグを代表する投手となったが、高校の途中までは三塁を守っていた。彼の持ち味はその強肩だった。本人は三塁手を続けたかったものの、強肩を生かすため投手へコンバート。こうして投手としてのシリングの野球人生がスタートした。

1986年にレッドソックスに2位指名された後、メジャーリーグを経験せずに1988年にオリオールズへ移籍。この年、4試合に先発し、0勝3敗と散々なる成績に終わった。翌年もチャンスをもらうもののそれを生かせない(ちなみに1990年にはオリオールズの3Aチームで、後の2001年ワールドシリーズ第1戦で投げ合うマイク・ムシーナとチームメイトとしてプレーしている)。

1991年にはアストロズへ。元々は投手志望ではないシリングは練習に身が入らない。ストレートは速いが、速いだけでは、マイナーリーグでは通用してもメジャーリーグでは通用しない。まさに生まれ持った身体能力だけでプレーしていた。そんな時、アストロドームのロッカールームでロジャー・クレメンス(当時レッドソックス、現ヤンキース)に会い、説教される。シリングが目覚めたのはそれからだった。

1992年からフィリーズへ移り、14勝11敗。翌年は16勝7敗でチームを地区優勝へ導く。当時はまだ東地区と西地区の2地区制。東地区制覇のフィリーズは、西地区を制覇したブレーブス(当時は西地区)とリーグチャンピオンシリーズで2試合に先発し、勝ち星はなかったものの、16イニングを投げ、防御率1.69の成績が評価されシリーズMVPに輝いた。ワールドシリーズではブルージェイズと戦い敗れはしたが、第5戦に先発したシリングは見事に完封勝利をあげている。

この2人のコンビはまさに無敵。その後上昇曲線を描いていくと思われた彼の野球人生は、右肩回線筋の断裂という思いも寄らぬ事態で手術を余儀なくされた。ストレートとスライダーだけのピッチングのままだけでは駄目だ。そう思った彼はカットファストボールを覚え、1997年には17勝11敗、319奪三振を記録し、復活を大きくアピールした。翌1998年には35試合に登板し15勝14敗。驚くべきことに、完投が15試合を数えている。分業化が進み、セットアップ、クローザーの重要性が説かれる昨今ではまさに奇跡といってもいい数字である。さらにこの年、300奪三振を記録し、史上5人目となる2年連続300奪三振も達成した。

本人が優勝をねらえるチームへの移籍を希望していたため、移籍の噂が絶えなかったが、古傷の右肘痛が再発し手術。移籍問題は一時棚上げとなった。

1999年シーズン途中で復活し、わずか24試合の登板に関わらず、15勝6敗。そして2000年、フィリーズが優勝戦線を脱落するや、ダイヤモンドバックスへ移籍。こうして、ジョンソンとシリングという左と右の大エースが同じユニフォームを着ることになった。

2001年シーズンは開幕から絶好調。5月26日の対パドレス戦では8回裏までパーフェクトに抑える快投も演じた(結局、大記録は達成できなかった)。つねにハーラーダービーのトップを走り、自己最多の22勝をマークし、最多勝も手にした。

ワールドシリーズ第7戦では、自らを目覚めさせた師匠クレメンスとの師弟対決。終盤に集中打を浴び、クレメンスとの対決は互角に終わったかもしれないが、チームは最終回に劇的な逆転劇を演じ、最高のチームメイトと世界一の美酒を味わった。

シリングは寄付活動にも熱心であり、2001年、社会貢献活動に熱心だった選手に送られるロベルト・クレメント賞も受賞した。

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