体内書き付け(覚書)

御本尊様の体内から出てきた書き付け(覚書その1) 

                (覚書その2)

年号など見ると江戸時代前期の事がまずわかり、詳細には覚書その1に、恵心(慧心僧都)の御作で、長四尺座像の阿弥陀如来を光明寺客殿に奉安する旨書いてあり、寄進の施主は伊藤 次郎左右衛門(四十三歳)で當山の歴代和尚・第十一世證誉廓天上人(四十四歳)の代であった事がわかる。 また、覚書その2には、天和二年七月九日(1682年)に尾張の名家・伊藤 次郎左右衛門 祐蔵(松坂屋創業家)が當山の客殿(お内仏)として阿弥陀如来座像と金子(計十六両)を寄進され、永代にわたり(今の永代経)「一誉理貞比丘尼・願誉道智禅定門(伊藤家二代の夫婦戒名)」の菩提を弔う為に日牌回向と毎年七月十六日に「施餓鬼会」を厳修するようにと書いてあった。

おそらく、當山の本堂が延宝二年(1674年)に再建されているので、これに合わせて寄進されたのだろう。また、一誉理貞比丘尼の入寂年が延宝三年(1675年)であり、ちょうど寄進の年は七回忌にあたる事もあっての事だろうと推測される。

この他に体内からは「掛け軸(上記戒名が記されているもの)等が出てきた。

 


戻 る