アナバシスAnabasis
「千人の十倍(つまり一万人)」の行軍


(訳注:元々は「遠征」を意味する。アテネのクセノフォンがギリシアの傭兵部隊を率いてペルシアの内乱に介入し、敗北して遠征軍をペルシアを縦断して脱出した時の記録に一般には用いられる。)原文はこちら
 中部海洋帝国に対する異端の賛同者達に、ロスカルム宗教的内戦で敗北した後、「先陣」サイランティール、ジョ−リ公爵(原註1)にして「アケム国王軍将軍」は、千人の十倍の手勢を率いてフロネラの辺境地帯を行軍した。彼等はマルキオン教会の首長、サウスポイントの教父を護衛していたのである。この教父のためにサイランティールは戦い、敗北したのであった。「千人の十倍」の行軍は基本的に美しく蒼いジャニューヴ河の流れに沿って進んでいたのであり、ときおりの流域から離れた戦術的離脱を交えて、最終的に「淡水海」に達するまでこのような行軍は続いた。

 彼の軍勢は「狼の民」(概して言えば実際的に人狼であるテルモリ族というより、狼の血を引くと主張する支配者達か、それとも狼と呼ばれている山賊達として姿を現している)に何度も衝突した。彼等は「千人の十倍」がロスカルムを離れてから数日か数週間しか腰を落ち着けることが出来なかった主な理由の一つに数えられる。彼等が自分の運命を賭けようとした時はいつでも、その地方の支配者である「狼」達が揉め事を引き起こして、その場を離れざるを得ないようにした。(原註2)

 詩的な描写の上ではサイランティールに対して「西方の妖術師」達に「放たれた者」達に多くの場面が裂かれている:サイランティールを追跡し、殺すために彼を裏切った妻と兄弟達が送ってよこした彼の殺された子供達の精霊である。鉄の刃で自分自身を過去から切断して訣別することによってのみ、サイランティールは彼等の攻撃を撃退することが出来た。しかしこの事で彼は根無し草になり、戻ることが出来ないようになった。(原註3)
 
 ある冬の「氷上の戦い」で「一万人」は危うく溺死する所を脱出した。サイランティールの伝令達の英雄的努力がなければ、ポルロースPorlos沼沢地で「歌う蛇」達が彼等全員を死へと誘惑することに成功していただろう。狼の公子がスラドヴァンSladvan高地の森で彼の軍隊を不意打ちした時にもっとも有名なテルモリ族の手になる攻撃があった。「狼の公子」のこの襲撃で後詰めの軍勢は三分の一しか生き残らなかった。
 
 この逃避行の後、彼等は「淡水海」の海岸にあったベーダという港に到着した。この地で彼等は歩く熊達Bearwalkersと小競り合いを起こして、勇敢な功業を森の中に進み、「熊の王」の子供を盗むことで達成した。そして彼等は船に乗り、「淡水海」を横断して東のペローリアにたどり着いた。(原註4)
 
「一万人」はオローニン湖でペーランダの最後の自由都市が「薄闇の帝国」に包囲している時に丁度来合わせた。サイランティールは配下の「百人の将官」達をあつめて自分たちが包囲されている側としている側のいずれに加担するかについて尋ねた。彼の直感はもし自分たちが傍観するだけならば、包囲する側が勝利するだろうと告げていた。したがって彼等に「一万人」が加勢するのなら、包囲する側が得るものは何もないわけである。しかし自分たちの介入によって守り手の側に味方して形勢を変えることが出来るし、そうすることで防御する陣営は自分たちに借りを作ることになり、自分たちが望むいかなるものも提供する気になるだろう。この形の直感による統率力は、今日のカルマニア人の子供達に模範として示されている。この種の伝説はこのように作られたのだ!

 スポル帝国を相手取ったサイランティールの戦いは少なくとも二種類の次元で捉えることが出来る。額面どおりの意味で軍事的な歴史の一幕であり、神秘的なヒーロークエストでもあって、この場合は解放された都市は魔術的な城に変えられ、ペーランダの民に喜んで提供され、謎めいた女神カーマインCharmain、「青の城」の貴婦人の姿で顕在化した。(原註5)
全ての昔の物語はサイランティールがペーランダの敵に殺害されたのであれ、聖者もしくは神性として神聖化されたのであれ、自分の愛人を探しに「青の城」に戻ったのであれ、異なる形の物語が結末において一致することはないが、いずれにせよ彼が謎めいた失踪を遂げたことを認めている。


ノート
原註
1:「先陣」サイランティールは前ジョーリJorri公爵であった。ペーランダの同盟者達に領有権を認められた最初の土地は真鍮山脈に面した岩がちの東の斜面で、彼は自分の故郷の名前を付けた。この土地の名前は今ではジョールJhorの国であり、過酷な土地における典型的なカルマニア人の生き延びるための美徳を生み出す母地となった。

(詩)
偉大なるジョールの年老いた公爵は、
彼は千の十倍を率い、
彼は丘のてっぺんに彼等を登らせて進軍し・・・

2:サイアノール(ジャニューヴ川南岸フロネラ)は第一期にテルモリアの北半分の地で、狼の民の故郷だった。ニーダン山脈を通るハイ・ラーマ峠(以前には「狼達の峠」として知られていた)はテルモリ族の力の中枢だった。テルモリ族とサイランティール軍に加わっていたバスモル族―後に、黄金のシャア(大王)達の親衛隊となったバシュカールBashkar族―の間の敵意はグローランサにおける宿敵の間柄の一つとして知られる。

3:この行為はある種の蛮族達の間における、フマクト信者の「別離divorces」と類似している。

4:歴史家達は「一万人」はスポルの抑圧に対抗してペーランダの最後の諸都市を守るために、ベーダで徴兵されたと考えている。しかし歴史家というものはなんでも信じるものだ。

5:これらの描写のほとんどは十世紀カルマニアの詩歌に由来し、「アナバシス」と呼ばれている。この詩は「一万人」の行軍について我々の最も良くまとめられたものの一つであるが、学者の意見は「報復者」ナダール・シャアのイーストポイントへの有名な遠征に先立って作られたものかどうかによって二分されている。フロネラの各地の描写はこの遠征に参加したことで記録された可能性があるし、この遠征を成功させるために調査が軍勢の出発前に行われたということもありうる。確かに、この王はこの時、自分の軍が進撃した通り道のある種の都市や人々を意図して潰していった。そしてこの彼の行動は自分の祖先の苦難に報復するためであったのかもしれない。もしくはこの事は後代の「うわべの物語cover story」を飾る事実となったのかもしれない―「すまない、諸君。しかし君たちの都市を破壊し畑に塩を撒くことは、我々にとって神話的に意義のあることなのだ。」
宝物庫に戻る
カルマニア大王の表に戻る