以下はTales of the Reaching Moon13号の記事を原著者の許可の上で翻訳したものです。以下は公式設定ではありませんが、GAG(Generally Accepted Glorantha)と言ってさしつかえないと思います。

HQでエスロリアとセシュネラが設定された以上、この設定とシナリオ(Beyond the Building Wall、ノロス人とパソス人が聖王国とルナー帝国間の交易拠点を巡って争う)もRQからHQにコンバートしたいものですが、かなり時間がかかりそうです。




グローランサの休日
ワームの砦 Wyrm's Hold

Michael O'Brien著




歴史
ワームの砦の建設
太陽暦1535年の遅く、エスロリアの太母たちはランネル川の河岸にドラゴニュートの大規模な隊伍が現れたとの報告を受けた。当時、ランネル川は聖王国六国の北限であった。騎兵の大隊が調査のため派遣されて、到着したが、このドラゴニュート達が聖王国の領土内に入り、川を見降ろす高い山の峰に巨大な石の建築を建てるのに忙しいところを捕捉した。

ドラゴニュートたちは明らかにドラゴンパスから来た者たちで(騎兵隊の隊長のひとりがつけた)当時の記録には、非常に装飾的な骨製の鎧をまとった、巨大で翼の生えたドラゴニュートについて描写されていて、まず確実に希少で強大な「支配者」ドラゴニュートの一体がいたことを示している。このことはおそらく彼等の任務の重要性を暗に示していた。

ドラゴニュートたちは昼夜問わず熱心に働き、明らかに睡眠や食事のために休むことすらしなかった。前述のものより小さなニュートたちが多数、文字通り死ぬまで働いていた。彼らの死骸は非常に儀式的な正確さで、厚い石板の下に確実に埋葬された。これらのニュートたちは人間の扱いについては関心を持たず、しかし敵対しようともせずに、だんだん大胆な騎兵が建築作業場のなかまで乗り込んで、危害を受けることもなく、それどころか気付かれもしないことがわかった。ただ酔っぱらって無謀になった騎兵の二人組が高い礎のひとつによじ登った時だけ、ニュートたちは暴力的に反応したが、彼等の怒りも儀式を冒涜した者たちを火葬する段になって収まった。

龍族の魔術を恐れて、この騎兵隊はドラゴニュート達を攻撃したり、建築作業を邪魔したりすることに消極的だった。その代わり、彼らはファラオ自身からのそれ以上の指示を待機した。待たれていた指示は一季節の後に、増援の軍とともにやって来た。(命令はニュート達を攻撃し、建てたものを破壊せよというものだった。)その時にはニュート達は既に建造を完成させていて、帰路の旅がつとまらない、弱った仲間を殺して、埋葬するために留まっていただけだった。後に空になった列石を残して、彼らは荷物をまとめてドラゴンパスに向かっていた。

ドラゴニュートの夢
ファラオの部下達は建てられたものを取り壊すためにとりとめのない努力を払ったが、やや小さ目のブロックをいくつか取り除くことができただけだった。(原注)そして、ドラゴニュートたちの出発の後、二季節が過ぎたか過ぎない内の、より計画的な解体作業がなされる前に、「ドラゴニュートの夢」が始まった。

五年間の「夢」の間に、幽霊のようなドラゴニュートの幻像がジェナーテラ大陸じゅうに現れ、謎めいた儀式を催した。エスロリア人にとって、「ワームの砦」として知られるに至った例の列石は、ひとつの役割を「ドラゴニュートの夢」で果たした。多数の幻影のニュートがここで実体化して、複雑で静かな儀式を始めたのだった。儀式を邪魔しようとする試みは過激な魔術により報復された。

「ワームの砦」の下にあったエスロリア人の野営跡は何もなくなるまで焼き焦がされて、いまだに草一本生えない。総力を挙げて、建造物に攻撃をかけようとした後のことだった。この後は、ドラゴニュートたちは邪魔されずに放置され、距離を置いて監視された。静かな儀式は昼夜を問わずに五年間続けられ、現れたときと同様に、ある日、亡霊のようなニュート達は跡を残さずに姿を消した。「ワームの砦」は放置され、避けられたまま残された。

(原注:このブロックの一つは、今ではノチェットの「競技場」の中央直線走路で展示されている。他の石の所在は明らかになっていないが、単にランネル川の崖から放り捨てられたというのもありそうなことだ。)

ド・テュマーリン家のガース伯爵
半世紀の後、ルナー帝国が侵攻し、聖王国の北東にあるサーター王国をついに占領した。ファラオはルナー帝国に抵抗するサーターを支援していたし、サーターが陥落すれば、遠からずルナーが自分の領土まで進軍してくるというのは弁えていた。彼は配下のひとりの将軍に北の国境を強化して侵略に備えるように命じた。

ランネル川を見下ろす有利な地点を占めていて、さらにドラゴンパスに向かう(確実にルナー軍が降りて来るはずの)北東への街道と、南のライソス川流域の肥沃な地域双方を見渡すことができる場所にあって、「ワームの砦」はその不気味な評判にも関わらず、軍隊を配備するのに理想的かつ重要な地点だった。

迷信深いエスロリア人を、ここの守備を固めるように導くことができないとわかると、ファラオは「太母」たちの抗議を押し切って、「ワームの砦」の領主権をテュマーリン家のガースという、エスロリア人ほどは迷信深くない男に与えた。彼は領土を持たないパソス人で、家族はノチェットの港にある、レラという西方人の交易王一族が牛耳っている飛び領土の一つを支配していた。ロカール派の騎士として、ガースはこの建物の管理を引き受け、一方的に「ワームの砦の伯爵」と自称した。この厚かましさにエスロリア人たちは激怒したが、この怒りをファラオは無視した。彼はこのように不安な時期には、もっと他に心配するべきことがあったのである。(原注)

(原注:ガースの成功の話を伝え聞いて、もうひとりのロカール派の傭兵、ロインバルドのリチャードもヒョルトランドの王に仕えることを決めた。そして彼はついには自分の王国を建国した。マルコンウォル王国の「虎心王」リチャードは、後にガース伯爵の権威を保証したが、「ワームの砦」が彼の勢力の及ぶ土地のはるかに遠くにあったことを考えると、これは空虚なはったりで、いずれにせよ、その後、ガースが自分の領土を見捨てねばならない事態に陥ってから長い時間が経ったわけである。(訳注:これはシナリオにつながる話なので、この記事だけに限ればそれほど意味をなしません。))

ガース伯は西方から来た多くの騎士を含む、多数の戦士を自分の配下に集めた。人口過剰のエスロリアから来た多くの農民の家族も、彼のもとに来て、「砦」の周りのまばらにしか住んでいない土地に小作人として定住した。もしドラゴニュートたちが伯爵の占拠に反対していたにしても、彼らがそうと示すことはなかった。

ビルディング・ウォールの戦い
「ワームの砦」はガース伯に1592年から占拠され、砦に備えつけられたきらめく日照反射信号機が、ルナー軍の到来をついに最初に告げたのは1605年のことだった。皮肉なことに、聖王国の勢力がルナー軍を撃退するために使った恐るべき魔術的な道具が、「ワームの砦」の失墜を招くことになった。

ルナー軍が南に向かうのと同時に、ターシュ属領地軍の騎兵大隊が、「ワームの砦」を奪うために派遣されたが、攻め手、守り手両方に大きな被害をもたらした戦いの後、撃退された。強襲で「砦」を奪うことに失敗したターシュ軍の残余は、それを包囲しようとはせずに、本軍に合流して、きたる勝ちいくさに加わるべく急いだ。

ルナーの侵攻軍に反撃するために、ファラオは凄まじい魔術の壁を作り出した。その壁は影の高原からはるか摩天峰の背骨まで身をくねらせて伸びた。このビルディング・ウォールはルナー軍が肥沃なエスロリアの中部まで進軍するのを妨げ、聖王国の軍は決定的な合戦にここで勝利した。ルナー軍を完敗させ、屈辱を与えたのである。ガース伯と配下の騎士たちは自分たちの拠点から乗り出して来て撤退していくルナー軍を悩まし、多くの戦利品と名誉を勝ち得た。しかし「ワームの砦」にとって不幸なことに、この砦はビルディング・ウォールの間違った側にあったのである。

勝利にも関わらず、ビルディング・ウォールは聖王国の歴史にとって非常に不安定な時代の始まりでもあり、今日までその時代は続いている。他の場所に起こった事件に気を取られて、ファラオは自分の兵力をビルディング・ウォールで作り出した自然の障壁の後で強化することを選んだ。ビルディング・ウォールより向こうの領域は自衛するように放置され、「ワームの砦」は防衛線から外れてしまい、孤立した。

ガース伯が野盗やグレイズランド人の襲撃隊の増加していく略奪から、もはや小作農たちの安全を保障できない事態になると、大部分が壁の向こうに戻ってしまった。最後には、自分の権利を支えるだけの経済的基盤を失い、重い負債を負って、1612年までには伯爵は、最後まで彼に忠実な百人の同志たちとともに、撤退することを強いられ、「ワームの砦」は見捨てられた。

(伯爵と彼の支持者たちは後にヒョルトランドへの国境を越え、マルコンウォルの王となろうとする「虎の心の」リチャード卿の闘争に参加した。1620年のリチャード王の敗北に伴い、ガース伯はルナーの地下牢の虜囚となっているとの噂である。)




建築仕様
ノチェットのニヒーロの調査
1609年の遅くの、ガース伯爵と配下の男達が砦を永久に放棄するたった一季節前に、ノチェットの灰色の賢者ニヒーロが「ワームの砦」まで旅して、この場所の調査を行った。彼の発見の成果はノチェット大選集の29巻に後に掲載された。そして良い立場にあるカルトの入信者になら閲覧できる。これには、デラクロスがした「ワームの砦」の天文観測台としてのなんらかの役割についての仮説が含まれているが、彼の主張を裏付ける証拠はない。

青い石
ワームの砦は数百もの長方形の玄武岩ブロックで成立していて、この石は特別、黒く、木目細かく、非常に固いので、巷では「青い石」として知られている。ニヒーロは4,747立方メートルの「青い石」がドラゴニュートたちの建物の建設のために、「ワームの砦」の下にある崖から採掘されていたと算出している。これらのブロックは高さが1メートルから10メートルあった。大部分の石は垂直に立てられて、その他の石は立てられた石の上に水平に桁のように横たえられて、ドラゴン・パスのドラゴニュート都市によく見られる、浮き上がった累壁を形作っている。

「ワームの砦」の外壁は外周が250メートル、内面積はだいたい5000平方メートルある輪を作っている。(訳注:半径は約40メートル)この外壁とは実のところ勾配のつよい土塁で、前方に掘られた溝によって高さが険しくなっている。この土塁には高さは1メートルから3メートルとさまざまだが、(中にはいくつか6メートルもあったり、斜面にある大きな一本は8メートルもあったが、)立石でできた輪によって柱をちりばめられている。

それぞれのブロックには1メートルくらい間隔が空けられていたが、ガース伯爵はこれらの隙間に石工を使って塞がせ、壁がとぎれないようにした。崖の側だけ、ブロックはまだ隙間をあけて立っていて、巨大な、曲がった歯ならびのように見せている。

壁の内側は、「ワームの砦」は草の茂った丘陵によって占められていて、だいたい20メートルくらい急勾配で持ち上がっている。大きな柱の台座が頂部にあり、2番目に高い柱にはガース伯爵の時代に日照反射信号機が置かれていた。この丘陵の頂上はあたかも展望台であるかのように、周辺地域全体を見渡すことのできる眺望がある。北方の広い草地のグレイズランドから、東の「獣の谷」とドラゴン・パス、南方の荒涼とした影の国に、西方のビルディングウォールを越えたライソス峡谷の豊かな農地に至るまで。

門がないことから、ガース伯爵は土を盛った塚を一箇所、壁が低くなったところで作らせ、その斜面は今でも残っている。伯爵に仕えていた魔道師が外周の石のブロックそのものに防御魔道呪文の焦点を作っていたのに影響されて、多くの伯爵配下の騎士達にも部署に自分の名前を刻みつけるのが流行っていた。

生活環境
元々は、ガース伯配下の男達は石のブロックの上に張り巡らされた帆布の雨よけの下で暮らしていた。これらは後に外壁の内外を覆う、より凝った天蓋に置き換えられた。いずれにせよ、「ワームの砦」における生活は常に過酷なものだった。劣悪な下水設備が主な問題で、ドラゴニュート達は雨が流れていく所について、何の配慮も加えなかったので、冬の季節には床に溜まった水が時には膝上を越えてしまった。ある冬には極端な湿気のせいで苔の成長が砦を荒らし、その後、騎士達は熱湯をかけてこすり取ることを続けなければならなかった。

逆に、夏期には水の補給が大きな問題で、川から汲み上げなければならなかった。伯爵は巻き上げウィンチと桶で川から崖を汲み上げる工夫をしたが、この方法だと限られた時間では少しの量しか汲めず、飛び道具に対して汲み手が無防備で格好の的になってしまい、この方法は実際的でなかった。代わりに、ガースは多額の財を費やして、崖に開いている空洞の一つを水槽にするように努力しなければならなかった。この努力は部分的にしか実らず、もしターシュ属領地軍がこのことを知っていたら「ワームの砦」の中の防衛隊を一週間の内に、降伏させることに成功していたかも知れない。

日照反射信号機
ガース伯がルナー軍進軍の警告に用いた日照反射信号機は、もはや砦には存在しない。しかしそれの支持具は、まだ元の二番目に高い柱に据え付けられている。迷信深い男ではなかったが、ガース伯は一番高い台座に信号機をつけることは思いとどまった。半世紀前にニュート達の魔術が人間の冒涜者たちを火葬した焼け焦げがありありと残っていたからである。事実、伯爵はこの台座に接触するようなことは慎重に避けるように命じていた。夜間には、信号は火が使われていた。

崖下の鉱道
ドラゴニュートたちは「ワームの砦」を建てるために下の崖を採掘し、この鉱道にガース伯は戦死した同胞を埋葬した。加えて、鉱掘でできた空洞とトンネルは食糧の備蓄に使われ、ひとつの洞穴を飲料水のために水槽に変える作業が始められていた。鉱道には崖から、木で足場に組まれた階段を4メートル下ったところに最初の口が開いていた。多くのトンネルが内部でつながっていたが、そうでない洞穴は縄梯子で入れるようになっていた。

今の「ワームの砦」の状況
撤退
いつもまばらにしか住民はいなかったにせよ、10年前のガース伯爵の撤退に続いて、ビルディング・ウォールの向こうの土地は荒野になり、危険で、事実上農民は住まない土地になった。聖王国と「獣の谷」の公式な境界は東北75キロメートル先にある「十字架線」だったが、エスロリアの領土は実際のところ、ビルディング・ウォールで終わっていた。グレイズランドの牧夫はランネル川の両岸を放牧に用いて、夏季にはビルディング・ウォールが見えるところまで南下することがあった。

「ワームの砦」は最近、「獣の谷」の掟を破った無法者たちの一団に占領されていて、彼らの首領である、「素早い蹄の」トワングが「ワームの砦」の伯爵を自称している。



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