ヒーローウォーズにおける「啓発」 (ピーター・メトカルフ筆)

(Japanese Version: 06/28/2001 added)


メトカルフ氏のアイデアは以下の通り。日本語の「啓発の道」の翻訳は抄訳がよこやま氏のサイトにあります。しかし商目的の利用、翻訳、転用などをしないこと、かつ責任のある情報管理に同意する方がどうしても全訳をお望みならば考慮いたします。こちらにメールを下さい。十分に整理されていませんが、Glorantha Digestに掲載された原文はこちら。Nick Brooke氏のサイト内に整理された本文があります。

日本語で、神秘主義という言葉が適合しているとは言えないながらも、訳語として当てられるMysticismの説明については、英語ですがこちらにオリジナルの解釈がありますので確かめてください。Oriental Mysticism




 人間はヒーローウォーズでもルーンクエストとほとんど同じ方式―曖昧な謎として公式化された「逆説」の研究を通して「啓発」される。したがってわたしは啓発者が〈ナイサロールの謎〉と呼ばれる、いろいろなナイサロールの逆説に関する知識を示す技能を持つように提唱する。

 ルナーの帝国には「ルナーの神秘」や「白い太陽王White Sun Lords(イェルム信仰の神秘主義)」など、「啓発」として知られるのと同じくらい有名な、神秘主義的な知覚へと達する手法が他にも存在する。しかしこれらの形式は、ヒーローウォーズにおける「啓発」の説明のかたちよりも、より伝統的な神秘主義の流儀や啓蒙を旨とする神々への信仰に近い。


「帝国」の大部分の民は、(わたしの意見では)「ナイサロールの謎」を神秘的な意識へと至る道と解釈しているのだろう。ルナー信仰の民もまたそうすることが間違っていると考えはしない。自分達の女神が啓発されたということを知っていて、「謎」の研究はより速やかに目標へと到達する助けになると考えるからである。「啓発」とは一般的な宗教形態の外側をすれすれのやり口で通るか、それとも全くの自己充足的な手法で進むか、であると考えた方が良い。その人が公然とした「謎掛け師」であるわけではないのならば、啓発者とそうなりたいと望む志望者は、彼らの友人にだけ知られている、もしくは友人達にすら知られていない特別な日課の活動を行なっている時以外は、その他のペローリア人と同じように見えるわけである。

「日の教団Order of Day」という名称のカルトが存在し、ナイサロールの知恵の公式的な教育機関であると見なされている。その信奉者は市場の角で謎かけを行っているのかもしれないが、わたしの考えでは、教団はこのやり方を、白昼の太陽の下で啓発者を生み出すためというより、むしろその神秘主義的な手法へと民を引き入れる釣り針のようなものとして用いているということであろう。ルナーの宗教的な権力は、ナイサロールの謎が大部分の民にとって危険過ぎるという理由からこの方式をとるように取り計らっているのだろう。

 この問題についてより深くまで取り組むために、わたしはヒーローウォーズの神秘主義のルールにおけるさまざまな意味での構想について自分なりの理解を表現しなければならないと考える。


 神秘主義の謎

 ルールで「報輪」(訳注:カウンターCounter、日本語にあてはめると反射・転化?仏教的な雰囲気を出すために「法輪」の読みを当てはめた。)として呼称されるルールの数値は実際上、仏陀の開いた悟りや、覚醒したドラゴン(龍)の本性に相応するものである。タラルターラ・カルトの秘密(訳注:おそらくHero Wars Rulebook First Edition p. 86-87に相当する。)として描写されているものは実のところ涅槃(訳注:ニルヴァーナ、仏教でいう神秘的な精神的/霊的解放のこと)であり、神秘主義者はこの境地へ世界の事物に対するたゆみない反駁を通して到達するのである。

「正統派」Orthodoxの神秘主義者はただ「報輪」の力でのみ涅槃やヴィザラッシュ(訳注:ヴィゼラ神話で言う東方にあるという極楽もしくは天国)、「天界の夏の国Summerland Heaven」(訳注:同じくクラロレラで言う東方の祝福された死者の楽園)などに到達することができる。それに対して「顕在派」Manifestの神秘主義者は世界のありのままを認めることを強いられる。それは、彼らの「報輪」の力があるレベルで不完全なものである事を受け入れることを強いる。「顕在派」はある意味で自分達を涅槃に導く支えとして、この世界の神秘的な本質を認めなければならない。

 この認識をヒーローウォーズのルールでは「化勁」(訳注:ストライクStrike、日本語では打撃、中国語拳法で言う功夫?など?)として示す。この力は実際のところ世界(と他の人々)の実在性を証明する「宇宙の真理」である。化勁の背景としてのいわゆる真理の一例としては、「万人が「宇宙の龍Cosmic Dragon」の本質を持っている。」ということである。「化勁」が世界に対して建設的な姿勢をもって用いられるように考えられている一方では、この力がニルヴァーナに対する覚悟がない存在に神秘的な真理を顕在化させるために用いられることが考えられ、ゆえに民人にまじわる糞ったれどもを蹴っ飛ばす魔法の術のような粗野な形で現れるわけである。(訳注:仏教で言ういわゆる大乗と小乗(上座部)の違い)

「啓発」はある者の価値観を神秘的なものに、意図されないうちに転換してしまうものとしてルールでは表現されていた。この状況についてわたしが把握することは、「啓発」が深遠な宇宙の真理、すなわち「化勁」として現れ、この境地がいかなる神秘主義的な精神の平安、すなわち「報輪Counter」からも切り離されたものになってしまうということである。

「啓発者」になるということはおそらくその者の、適切な時期における謎に関する知識と「宇宙」との争いになる。(障壁は「支配のルーン」2つ程度のものと推測できる)(ルーンクエスト第三版では、この判定は聖祝季に行われていたが、他の機会にもこの判定が行われる可能性はあった。)成功はあなたが「啓発」の「化勁Strike」を得たことを意味するし、この力を強化する事を可能にさせる。


どうやって正気を維持するか

 啓発された結果として、あなたは誰もが間違っているという認識に達する。真の神秘主義者たちは啓発者たちを呪われた存在だと考えるが、そのわけは彼らが涅槃を見出すためのこれらの偽りに反駁する方法を知らないからである。

 ヒーローウォーズの場合、心の安定には彼らが何らかの哲学すなわち「報輪Counter」を見つけるか創り出さなければならないことを意味する。ある者はこれをルナーの神秘もしくは「日の教団」の教えから学び取ることが出来るのだろうが、(わたしの意見では)これらの哲学は「啓発」の状態とぴったりとかみ合うようなことはないし、依然としていくらかの狂気へと堕ちる危険性を孕んでいる。もちろんもっとも適合する哲学はナイサロールのものだったのだろうが、彼はいなくなってしまった。ルナーの民は自分達が「啓発者」であると言っているが、彼らの「七つの段階の道sevenfold path」は構造化されていて、彼らは均衡を内包している神秘的な知覚へと到達できる―この道によって定められた均衡がナイサロールの「啓発」によって崩壊させられてしまうわけである。


啓発者の能力

 他の能力と同じように、「啓発者」は依然として複数のカルトに入信する能力を持っていて、それらの提供する力を学ぶことができると推測する。(しかしそうする上で、神性のカルトなどに対して帰依devoteを行う必要はない。)しかし彼らはカルトの奥義secretを学ぶことを妨げられている。(逆もまた真である。カルトの奥義を学んだ者はナイサロールの謎で啓発されることはない。なぜなら「啓発者」はすでに神秘主義の異界に関係を持っているからである―わたしはこの解釈をヒーローウォーズルールブック(訳注:第一版)のp.166、第四節を典拠にしている。)(訳注:アーカットは生涯の各時期を占めたカルトのそれぞれに熱狂的なまでの精力を傾けたというが…彼にもフマクトの「死」の奥義は学べなかったのか?)

 わたしの意見では、昔どおりの啓発の能力は啓発の「報輪counter」というよりも「化勁strike」の力によって得られるものであると思われる。わたしはこの能力の行使が単にあるカルトに入信して、あなたが無料で貰える神儀featを寺院の権力に見咎められることなしに買い物かごに入れていくようなものであるとは思わない。むしろあなたは自分の「啓発」を魔術的な能力か、哲学的な論題に対して、それが真であるか虚であるか弁えるために適用するのである。

 したがって「啓発者」は自分の属するカルトの復讐精霊が恐れを抱くべき相手かそうでないかを確かめるために自分の「啓発」の力を用いる。もし彼が試みに勝てば、(その者の「啓発」をその者が精霊に対して抱いている恐怖と対抗させる。おそらくこの恐怖はその精霊のもつ霊力mightと等価だろう。)その者は精霊に対する全ての恐怖を拭い去っている自分を見出すことになる。(もしその者が敗れれば、ヒーローウォーズルールブックp.225にある通り、「啓発」能力において「化勁」における敗北の通常の損失を蒙ることになる。)単なる魔術能力としての解釈においては、この問いかけは精霊の力が真にその者の神から由来するものかそうでないかというものなのかもしれない。(訳注:「雷鳴の叛徒Thunder Rebels」に記述されている「復讐の使徒Agent of Reprisal」たちは霊力の代わりにアビリティを持っているが、おそらく扱いは同じだろう。これにかかわるルールは第一版から第二版に変更される上でどのように代わるか不明だが(2001年夏)、おそらく若干「精霊崇拝」や「神秘主義」の変更の兼ね合いで解釈が変わると思われる。)

 これらの問いかけは個人的な瞑想の時間のあいだに試される。わたしはある啓発者の能力を、ある謎かけ師riddlerにとって、もう一人の啓発者が、あるたしかな能力を得るために思考の訓練の条件をしつらえることが出来るようなものであったとは考えていない。

 ある草案には意見として、どのようにして啓発者が日常の世界mundane worldで(訳注:ある能力を得るために)「英雄探索HeroQuest」の挑戦を行うことが出来るかについて書かれていたが、この意見が発展に向かうことはなかったし、わたしはそのように考える論拠を知らない―この考えは根本的に間違っている可能性がある。


暗黒面への転向

 あなたが啓発されたルナーの悪者達を手がけようとする決定には、あなたが彼らを暗黒の啓発者とするか、単に狂った存在とするかによって対応が異なる。邪悪な神秘主義者は自分の悟りから得た偉大な自己認識self(わたしの意見ではこれは彼の哲学、すなわち「報輪counter」である。)を現世の力にひきかえるために破壊してしまう。そしてこの行為は啓発者がそうすることをためらうものであり、一方で狂った啓発者は目的のある邪悪に向かうには狂い過ぎている。(彼らは理性的に行動することは出来る。要するに彼らは道徳的な平衡感覚をあまりにも失ってしまっているので、彼らはもはや赤ん坊を食べることが悪いことかどうか確信が持てないのである。)

 この二つの状態の違いは以下の通り:Cult of Terror(訳注:未訳)で描写されている上では、「暗黒面」への転落とは、ある者にとって個人的な倫理と欲望の間に違いはないという誤った結論を導くことである。(それは単にこの意見を口にするだけでなく、その者は心からこの意見を信じなければならない。)、その一方で狂った啓発者は依然として倫理と欲望の間に違いはあると考えているかもしれないが、自分の行動は目的があるものだと考えられるだけおかしくなってしまっているというわけである。

 暗黒の啓発者になる方法は、啓発された者が自分の「啓発」の力を、自分の欲望と倫理から来る問いかけを顧みることで、自覚していない自分の「大いなる自己」に対抗して用いることである。その者が自分自身に対して力を用いることは悪いことであるという警告はどこからも出てこないし、悲劇的にもその者は涅槃(ニルヴァーナ)の実在を理解することなしに暗黒の主人へと変化してしまうのだろう。

 わたしの意見では、この闘争は他の場合に見られる、ある啓発者が質問を考慮し、それを解決する形の試練ではない。それはその者の注意を求める対象がその時点で不完全で自覚が行われていないという理由から、非常に厳しい試練となる。しかしある啓発者が自分に部分的にでも安定を与えるなんらかの意義のある哲学を発見しないことには、その者はすぐに自分の他の将来の可能性を枯渇させてしまい、自分自身の魂の防壁に攻撃を始めてしまう。


 あなたは「暗黒の啓発者」たちにこの誤った真実への認識を反映した(つまりその者の「啓発」の力に応じて)「化勁strike」を与えることを考慮するかもしれない。これは彼らの深く根ざした欲望の顕現であるべきであり、同時に民人に恐怖を与えるに十分なだけ歪みが加えられているだろう。

 したがってある「暗黒の啓発者」が永遠に生きたいと望むのなら、その者は自分の能力を他者から生命を奪うために用いようとするかもしれない。その者が知識を追い求めるのなら、その者は他の者の技能の一部を盗んでその断片を自分のものに加えようとすることができる。富が望みなら、その者は人々を取り引きで騙すことができる。その者はまた民を傷つけることを望むかもしれないが、このことに関しては歪められた「化勁」を設定する上であまり強力なものにするべきではない。

 これらの「化勁strike」の能力は他の暗黒の啓発者たちに教えることのできるたぐいのものではない。これらの力が直接暗黒の啓発者自身の欲求自体に根ざした現れだからである。


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