@宇宙の王権とダラ・ハッパ
Zeb:
{以下も個人的に配布したWyrm's Footprintの部分訳:Cosmic Kingshipについての論議です。}

<<p.76 Cosmic Kingship: Orlanth vs Yelm
 宇宙の王権:オーランスとイェルム

 グローランサにおいて二柱の神が、宇宙における王権を主張し、その統治権のうちいくらかを行使している。両方が世界のいろいろな地域と定命の種族を支配している。双方が嫉妬ぶかい競争者であり、唯一正当な王権を主張してゆずらない。そしてその権限は実際のところ異なる源から出ていると述べている。この二柱の神は「時」以前の神話と、「時」が始まってからの歴史をつづけて、自分たちの主張を守り、そうし続けるために全存在をついやしてきた。彼らはどちらが正しいかということで永遠に対立しあうという真実の下で呪われているのだ。

 イェルムの統治権は究極の権威、「神性の光」の源、「宇宙の秩序」としての彼自身から生ずるものである。彼は世界の「正義」の具現化したものであり、彼なしでは希望や秩序が存在しない。すべての権力は彼から生じ、彼もしくは彼に任命された代理者が、個々人に及ぼす権限を認めることによって、彼からのみ得られるものなのである。義務は、主君に仕える臣下のものであり、そのことから臣下が得る利益はいかなるものであれ、彼がその一員である、権威ある組織への彼の支持に由来する当然のものなのである。臣下は、イェルム神徒の主君が支持し、体現する秩序の自然な組織にしたがう限り、天から与えられたものと考えられる権利をもつのである。

 オーランスの統治権は当然、イェルムのものほど集権化されていない。定義からしてオーランスの権威は秩序を持たず、階層的なものではない。その統治権は、力の強さに応じて、個人の自発的な要求から生じるものである。人々のもつ気質からしてそれを認め合うことが難しいのは生まれつきのことであり、この事実は大気の神々の吹きすさび、荒れ狂う性質を反映している。力と統治の権威は現世に属するものであり、指導者のおもな義務は支持する者たちの必要と要求に基づくものであり、支持者達の要求にたいして、世界が彼らに対して反発することを防ぐためにあるのである。

 これと対照的なのがイェルムであり、彼の僕である指導者たちは、宇宙にあるさまざまなパターンを保持し、世界の無慈悲な動きと彼らに従う従順な臣下の間に仲立ちとしてあるように義務付けられている。

「正義」はオーランスとイェルム、双方にとって理論体系をつくる主な動機づけとなるものだが、イェルム信者の指導者は正義に生命を与え、臣下に分け与える正義の源となることで正義を守るのに対して、オーランスの民の場合、武装した力で「正義」を強制するのであり、自分たちのやり方を世界に合うように変えるのではなく、むしろものごとを自分たちのやりかたに変えることができるという信念をもっているのだ。>>


{イェルムの統治権は究極の権威、「神性の光」の源、「宇宙の秩序」としての彼自身から生ずるものである。彼は世界の「正義」の具現化したものであり、彼なしでは希望や秩序が存在しない。すべての権力は彼から生じ、彼もしくは彼に任命された代理者が、個々人に及ぼす権限を認めることによって、彼からのみ得られるものなのである。}

*Efendi:
これだと、ダラ・ハッパ文明では王権の交代が起こり得ないような気がする。
といったところで、そういえばルナーの皇帝は第77代のダラ・ハッパ皇帝でしたね。継続してるんだ…。

まぁ、形式はともかくにしても、現実の歴史をみると、ダラ・ハッパはカルマニアに征服されているわけで、地球の歴史を参考に考えてみると内側から腐敗して弱体化していない国家が征服されるはずないので、やっぱりその時期にはダラ・ハッパ帝国は圧制によって弱体化していたと考えます。

*Zeb:
いや、圧制というより内部抗争のせいのような気もします。それから腐敗というものについて述べるのは貴方のような歴史の専門家にいうのはおこがましいかもしれませんが、魔術的な世界では、腐敗そのものが魔術の源である可能性もあります。(「混沌」を呼びこむ現代のルナー帝国など。まあ、確かに軍隊は弱体化しているようですが。)Martin Laurieが赤の皇帝の千日の饗宴について興味深い意見を述べていました。体制の疲労と腐敗は一致していないのでは?(オスマントルコなどでも。たしか
「最盛期」について興味深い意見を述べておられたような…)

http://www.glorantha.com/greg/q-and-a/east-emperor.html

*Efendi:
うん、一致はしてないけど密接な関係にあるね。結局腐敗していく素質、言い換えると楽して利を得ようとする素質は人間が本質的に持っているわけで、人間がこういうものであるという認識があって初めて歴史学が成立するし、異世界の歴史も想像できるのだけれど。
体制の疲労というのは、そういう人間の本性に隙を見せているわけですね。

で、魔術の源、というけれど、人間のルーンが人間性を表しているのなら、善・美・真を求めて向上する性向と、楽をしようというエゴイスティックな性向の矛盾を内包する力が人間のルーンなのかもしれない。
ただこれをモスタリに当てはめるのは無理か?

圧制、despotism は西欧人の好きなフレーズだけど、何を圧制というかは難しいですよね。議会を持っていれば圧制じゃないのか、というものでもないし。
基本的には税(血税も含む)を取りすぎる、というところにあって、なぜ税金を取りすぎるかというと、軍への支出が大きいのと収税率が悪いのが2大問題。

私はね、ルナーはいつも東洋専制君主で圧制者のように描かれているけど、瓦解した聖王国の17世紀前半の様相はまさに圧制であったろうと想像します。
逆に、ルナーは地形に守られているのと、意外と戦略的に二正面作戦を取ったりしない(フロネラへの不干渉)、征服に時間をかけるなどの史実から、あまり軍事偏重に思われない。奴隷制がしかれていても、49%以下に奴隷を抑えていれば問題ないし。アーグラスの軍事的成功は長続きするのか? と心配します。
やはり、バットの血税が大きいのか?


*Efendi:
でも、代理者たる皇帝はグローランサにおいては文字通り「世界の「正義」の具現化」で、そうでなければ皇帝たりえないはず。であるとすれば、イェルムの正義には民衆にとっての不正義が内包されているとしか考えようがない。

*Zeb:
悪いのはみんなオーランシーだ(笑)。君側の奸を除け!ユダヤ人は殺せ!(グローランサとは少数を除けばこういう世界です。)

*Efendi:
偉大なダラ・ハッパ文明がそんな偏狭とも思わないんですが…。なんといっても世界の中心を自認しているだけに、華夷思想があると思う。哀れな蛮族を指導してやらねば、と。
むしろオーランシーにそういう傾向が強そう。悪いのはダックだ! ローストチキンにしてやれ、みたいな。


*Zeb:
{オーランスの民の場合、武装した力で「正義」を強制するのであり、自分たちのやり方を世界に合うように変えるのではなく、むしろものごとを自分たちのやりかたに変えることができるという信念をもっているのだ。}

*Efendi:
つまり、イェルムはそうではないとすれば、いかなグローランサといえど、生産力の向上は必然で、それに応じた社会変化もまた必然であろうから、イェルム文化は相対的な弱体化を宿命付けられている、と考えられる。

え? あるいはグローランサにおいては社会変化は必然じゃないのか? ブリソスにははじめから都市があったというし…。でもそれなら、グローランサ人(ブリソス人を除く)は何を求めて生きているのだろう? という気もする。

*Zeb:
わたしが思うに、ごく少数(ハレックなど)をのぞけば、神々の教えに従って良い生活を送り、天国に行くことです。もちろん少々の娯楽は必要ですが。

*Efendi:
中世ヨーロッパでもそうだったとは思うんですが、それでも生産力は向上し、医学は発展したわけです。その背景にあるのは現実世界の、私たちの子供はもっとましな世界に生きてほしい、という心情でしょう。これも人間性の一つだと思います。こう思わない「人間」たちの歴史を理解するのは難しい。


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