@アーカットとSF

*Efendi:
ちょっとどうでもいいことですが、1621年現在のラリオスって十字軍以後トルコ以前のギリシャがモデルですかね? 「〜オン」という地名や、 Overlordship なんてのがそれっぽい。

*Zeb:
Nick Brooke氏は古代ギリシアの他にルネサンス期のイタリアやドイツ等もモデルにしていると言っていたことがあります。(いわく、暗黒同盟のアーカット派は新プラトン主義の秘密結社とか。){ルネッサンス期のイタリアは自分たちを古代ギリシアに見立てていたことも考えに入れる必要があるかも。}
そして、Gene Wolfe氏の「新しき太陽の書」というSFシリーズの舞台もモデルにしているそうです。(日本語訳がありましたが、今では絶版でしょう。)

「全てが試みられ、全てが失敗に帰した…。」(「独裁者の城塞」より。)

*Efendi:
またひどいことを。整然とした深みのない世界よりは、私は気に入ってますよ、グローランサ。


*Zeb:
全文はこうです。
(この小説は私が一番好きなSFのうちの一つです。なんでもルナー帝国はフランク・ハーバートの「デューン」の影響も受けているとか。SFの影響もあなどりがたいです。どちらも遠未来の、人間が宇宙に広がって、また退行した時代を舞台にしています。):


*Efendi:
ごめんなさい、SF はかなり疎いです。

でも未来の歴史を書く人は、文明の退行が好みみたいだけど、あまり成功した人はいないみたいですね。確かに想像しがたい。

相変わらず強引に歴史に話を持っていくと、何千キロの海を渡ってイースター島に住み着いた人々は、小豆島くらいの島で急速に文明を発達させ、渡来以来200年後の1400年頃には絶頂を向かえて巨石像などを作るに至るものの、過剰な人口と資源の枯渇から文明を維持できなくなり、島から逃げ出すことも出来ず、おそらくは過酷な生き残りの闘争の果てにプリミティブな生活に戻っていきました。


*Zeb:
昔の人にとってはそうなるほうが自然でした。近代が人間のかぎりない進歩という「幻想」を植えつけた、というのは悲観論ですが…

*Efendi:
この、文明の行き詰まりの絶望とか、大破門のフロネラやジルステラを舞台にシナリオが書ければ、とか思ってるんですが。
あ、そういえば前に、グローランサを知る前に、グリーンランドを舞台にこれやって失敗した気もする…。陰気で。

*Zeb:
アメリカ(ヴィンランド)に渡ったバイキングとか?


*Zeb:
<<独裁者Autarchの言葉:
「なぜなら、それ以外は、もっと悪いものばかりだからだ。〈新しい太陽〉がくるまでは、われわれは諸悪のうちから選択することしかできない。全てが試みられ、全てが失敗に帰した。共通の利益、人間の支配…何から何まで。君は進歩を望むか?アスキア人にはそれがある。(中略)〈自然〉の死により発狂し、結局、エレボスやそのほかのものを神として受け入れる寸前にきている。我々は人類として不動のものを保持している…野蛮性の中に。(中略)我々は社会秩序を麻痺させるために道路を閉鎖した…。」>>
{この文章のなかでの「新しい太陽」とはキリストのような超自然的かつ奇跡的な存在を意味しています。}

アーカッティズムとはナイサロールの理想のアンチテーゼと言えるのでは?またルナーとオーランスの対立(ローマと蛮族の対立)も結局はこれに、人間の進歩が「人間性」の進歩とどのように関わっているのかについての論争に行きつくのかもしれません。(ただのゲームですが。)

*Efendi:
「文明」と「人間性」の対立ですね?
歴史がつねに文明の側に立って書かれてきたのに対して、「野蛮」のそういうポジティブな面に目を向けさせたグローランサはやはり偉大な世界だ。(ただのゲームですが)


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