アンコニュの絶望
Despair of Inconnu
アンコニュの設定はいわば各Storytellerの自由設定に任せる形で(もちろん他の領域も広義には同様ですが)Whitewolf社が公式的に取り扱うことはない区域として考えられています。ヴァンパイアという存在がキリスト教と現在文明の兼ね合い、「人間性」と権力、暴力をも含む力の限界と、偽善や苦悩などを不死の身で定命の人間の何倍もの重荷を背負わねばならない以上、アンコニュの長老達という古代の叡智、肉体と精神を調和する術を現代の悲惨や一神教から逃れる道を模索する者の目に極めて魅力的なものに映る可能性については予想できます。
(勿論それだけではありませんが)Storytellerの源流といっても良いアン・ライスの著作はマリウスやレスタト、アルマンを扱う際に、官能性を重視する作家にふさわしく人間の努力と進歩、そして心の寛容さを称揚しています。
しかし全歴史の全ての人間の全ての時を挙げて見ることが不可能であるにしても、本当にそれに値するのでしょうか?
それは何千年もの間、ギリシアの理想が人間性の回帰と理性への信仰を常に促してきたとしても、それはかつていったんキリスト教の人間の慎ましい節度と傲慢さと盲目からくる悪、現世と物質の否定に取って変わられました。
トゥキディデスがペリクレスにアテネの美徳と強さについて演説した時に彼がそれを皮肉と諧謔の入り混じった目で見つめていたことは疑いありません。彼は疫病がアテネを襲い、愚か者たちが無謀なシチリアへの遠征へと向かうのを目の当たりにし、この世のどこに正義があるのか?という疑問を投げかけたのです。それはギリシア、ローマ、ビザンチンをかつて支配していた長老たちの「理想」に疑念を投げかける根幹になります。
最後にWhitewolf社の傾向と転換について:
「神話の排除」神話はいかなる意味でも人間の物語ではありません。
「地に足のついた」整合性と虚構の露呈の回避が改訂版ヴァンパイアとメイジの方針であり、「ゲヘナ=黙示録の始動」に必要な「不要資料の削除」であるにしても、また、アンコニュにゴルコンダ(どのような形であるにしてもヴァンパイアと「獣」の調和)の萌芽が見られるにしても、最善の血族であるはずのサウロットが「理解のできない」邪神であればあるだけ、信憑性を失うように見えます。やはり「暗闇の世界」に容易に希望を許すべきではなく、またアンコニュは解決となるべきではないような気がします。
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