(2002.5.9)
佐藤琢磨はデビュー5戦を終え、予選でチームメイトのフィジケラに1勝4敗でした。1980年以降にデビューしたチャンピオンの最初の5戦の成績はどうだったでしょうか。弱小チーム・強豪チームにいたかよりも、チームメイトとの予選対戦成績に注目です。
ミカ・ハッキネンは、1991年開幕戦アメリカGPで弱小チーム、ロータスでデビューしました。予選下位を苦闘しますが、チームメイトのベイリーに対しては4連勝、不振でクビになったベイリーに代わって、実力者のハーバートにも初戦で勝ち、5勝0敗でした。3戦目に5位入賞を果たしたのは特筆できます。1998,99年チャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | ロータス・ジャッド | 13位○ | リタイヤ | ベイリー | 30位 | 予選落ち |
2 | ロータス・ジャッド | 22位○ | 9位 | ベイリー | 30位 | 予選落ち |
3 | ロータス・ジャッド | 25位○ | 5位○ | ベイリー | 26位 | 6位 |
4 | ロータス・ジャッド | 26位○ | リタイヤ | ベイリー | 27位 | 予選落ち |
5 | ロータス・ジャッド | 24位○ | リタイヤ | ハーバート | 30位 | 予選落ち |
5勝0敗 | 2点対1点 |
ジャック・ビルヌーブは、1996年開幕戦オーストラリアGPで最強ウィリアムズでデビューしました。初戦でいきなりPP、4戦目に初優勝し、5戦で22点をあげます。しかしながら、チームメイトのD・ヒルに1勝4敗と苦戦しました。1年を通しては3勝13敗でしたが、最終戦までチャンピオン争いを演じました。翌1997年チャンピオンになります。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | ウィリアムズ・ルノー | PP○ | 2位● | D・ヒル | 2位 | 優勝 |
2 | ウィリアムズ・ルノー | 3位● | リタイヤ● | D・ヒル | PP | 優勝 |
3 | ウィリアムズ・ルノー | 3位● | 2位● | D・ヒル | PP | 優勝 |
4 | ウィリアムズ・ルノー | 2位● | 優勝○ | D・ヒル | PP | 4位 |
5 | ウィリアムズ・ルノー | 3位● | 11位● | D・ヒル | 2位 | 優勝 |
1勝4敗 | 22点対43点 |
デーモン・ヒルは、1992年第4戦スペインGPで弱小ブラバムからデビューしました。5戦すべて予選落ちと最悪のスタートでした。チームメイトのバン・デ・ポールに対しても1勝4敗と苦戦。ヒルは6戦目にやっと決勝進出を果たしました。ウィリアムズのテストドライバーをこなし、翌年の大抜擢となります。1996年チャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | ブラバム・ジャッド | 30位● | 予選落ち | バン・デ・ポール | 28位 | 予選落ち |
2 | ブラバム・ジャッド | 29位○ | 予選落ち | バン・デ・ポール | 30位 | 予選落ち |
3 | ブラバム・ジャッド | 28位● | 予選落ち | バン・デ・ポール | 27位 | 予選落ち |
4 | ブラバム・ジャッド | 30位● | 予選落ち | バン・デ・ポール | 28位 | 予選落ち |
5 | ブラバム・ジャッド | 30位● | 予選落ち | バン・デ・ポール | 29位 | 予選落ち |
1勝4敗 | 0点対0点 |
ミヒャエル・シューマッハは、1991年第11戦ベルギーGPで中堅ジョーダンからデビュー。難所スパでいきなり予選7位と脚光を浴びます。2戦目から強豪ベネトンへ移籍。元チャンピオンのピケに予選で4連勝して強烈な印象を残します。1994,95,2000,2001年チャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | ジョーダン・フォード | 7位○ | リタイヤ | チェザリス | 11位 | 13位 |
2 | ベネトン・フォード | 7位○ | 5位○ | ピケ | 8位 | 6位 |
3 | ベネトン・フォード | 10位○ | 6位● | ピケ | 11位 | 5位 |
4 | ベネトン・フォード | 5位○ | 6位○ | ピケ | 10位 | 11位 |
5 | ベネトン・フォード | 9位○ | リタイヤ | ピケ | 10位 | 7位 |
5勝0敗 | 4点対3点 |
ナイジェル・マンセルは、1980年第10戦オーストリアGPで名門ロータスからデビュー。1980年は3戦のみ出走。3台体制の有力チームメイト2人に歯が立たず。翌1981年の開幕戦で予選7位と健闘し、初めてチームメイトに勝ちます。長い苦闘の末、13年目の1992年にチャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | ロータス・フォード | 24位●● | リタイヤ● | アンジェリス | 9位 | 6位 | アンドレッティ | 17位 | リタイヤ |
2 | ロータス・フォード | 16位●● | リタイヤ● | アンジェリス | 11位 | リタイヤ | アンドレッティ | 10位 | 8位 |
3 | ロータス・フォード | 25位●● | 予選落ち | アンジェリス | 18位 | 4位 | アンドレッティ | 10位 | リタイヤ |
4 | ロータス・フォード | 7位○ | リタイヤ | アンジェリス | 13位 | リタイヤ | |||
5 | ロータス・フォード | 13位● | 11位● | アンジェリス | 10位 | 5位 | |||
1勝7敗 | 0点対6点 |
アイルトン・セナは、1984年開幕戦ブラジルGPで弱小トールマンからデビュー。元二輪チャンピオンのチェコットに予選で3勝2敗と勝ち越しました。2戦目で入賞も果たしています。6戦目には2位表彰台。1988,90,91年チャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | トールマン・ハート | 16位○ | リタイヤ | チェコット | 17位 | リタイヤ |
2 | トールマン・ハート | 13位○ | 6位○ | チェコット | 19位 | リタイヤ |
3 | トールマン・ハート | 19位● | 6位○ | チェコット | 16位 | リタイヤ |
4 | トールマン・ハート | 28位● | 予選落ち | チェコット | 19位 | 非完走 |
5 | トールマン・ハート | 13位○ | リタイヤ | チェコット | 18位 | リタイヤ |
3勝2敗 | 2点対0点 |
アラン・プロストは、1980年開幕戦アルゼンチンGPで中堅マクラーレンからデビュー。初戦でいきなり6位入賞を果たします。通算5回優勝の実力者ワトソンに4勝1敗と勝ち越し。1985,86,89,93年チャンピオン。
チーム | 予選 | 決勝 | チームメイト | 予選 | 決勝 | |
1 | マクラーレン・フォード | 12位○ | 6位○ | ワトソン | 17位 | リタイヤ |
2 | マクラーレン・フォード | 13位○ | 5位○ | ワトソン | 23位 | 11位 |
3 | マクラーレン・フォード | 22位● | 予選落ち | ワトソン | 21位 | 11位 |
4 | マクラーレン・フォード | 19位○ | リタイヤ | ワトソン | 20位 | 非完走 |
5 | マクラーレン・フォード | 10位○ | リタイヤ | ワトソン | 21位 | 予選落ち |
4勝1敗 | 3点対0点 |
2回以上チャンピオンになった4人は、デビュー5戦から天賦の才を発揮。チームメイトに勝ち越し、入賞も果たしています。1回だけのチャンピオン3人は、デビュー5戦でチームメイトに大きく負け越しました。佐藤琢磨はシューマッハにはなれないが、ヒルにはなれる可能性を残しています。