Formula One History

逆転・再逆転−チャンピオン過去例

2000年は前半にシューマッハが独走しましたが、後半戦にもつれ、第12戦でハッキネンが逆転しました。F1の歴史で、逆転した方がそのまま王座につくのか、再逆転はどれくらいあったか、見ていきましょう。

50年の歴史で、中間点でトップだった者は,62%が抜かれずにチャンピオンになりました。12%が一度逆転を許しながらも、再逆転してチャンピオンになりました。中間点でトップだった者は約4分の3がチャンピオンになったわけです。

これに対し、逆転してチャンピオンになった者は約4分の1。しかしながら、一度逆転があると、再逆転の率は少ないとも言えます。

 

 

 


1958年 ホーソン対モス(逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10
ホーソン(FER) 成績 r 5位 2位 優勝 2位 r 2位 2位 2位
得点 4 5 7 14 23 30 30 36 40 42
モス(VAN) 成績 優勝 r 優勝 r 2位 r 6位 優勝 r 優勝
得点 8 8 17 17 23 23 24 32 32 41

4勝のモスに対しわずか1勝のホーソンに凱歌が上がりました。勝負を分けたのが表彰台の数で、モス5回に対しホーソン7回。この時代は優勝8点、2位6点と差がありません。また、1点がとれるFLはモス3回、ホーソン5回。現代の得点制度ならモス47点、ホーソン46点でモスが王座です。その後、優勝者のポイントは1961年に9点、1991年に10点になりました。

(※黄色枠はポイントリーダー)

 

 

1964年 サーティース対G・ヒル対クラーク(逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10
サーティース(FER) 成績 2位 r r 3位 優勝 r 優勝 2位 2位
得点 0 6 6 6 10 19 19 28 34 40
G・ヒル(BRM) 成績 優勝 4位 5位 2位 2位 2位 r r 優勝 11位
得点 9 12 14 20 26 32 32 32 39 39
クラーク(LOT) 成績 4位 優勝 優勝 r 優勝 r r r r 5位
得点 3 12 21 21 30 30 30 30 30 32

中間点の第5戦終了時でサーティースは20点差をつけられていました。ところが後半戦に速くなったフェラーリに対し、クラークのロータスは信頼性が低下して完走すらできなくなります。3人の争いになった最終戦、チームメイトの援護射撃を得たサーティースが最終ラップで2位に上がり、王座に就きます。

 

 

1973年 スチュワート対フィッティパルディ(逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15
スチュワート(TYR) 成績 3位 2位 優勝 r 優勝 優勝 5位 4位 10位 優勝 優勝 2位 4位 5位 ns
得点 4 10 19 19 28 37 39 42 42 51 60 66 69 71 71
フィッティパルディ(LOT) 成績 優勝 優勝 3位 優勝 3位 2位 12位 r r r 6位 11位 2位 2位 6位
得点 9 18 22 31 35 41 41 41 41 41 42 42 48 54 55
ペテルソン(LOT) 成績 r 11位 r r 3位 2位 優勝 2位 11位 r 優勝 優勝 r 優勝
得点 0 0 0 0 0 4 10 19 25 25 25 34 43 43 52

2年連続をめざすフィッティパルディと、3度目をめざすスチュワート。前半戦はともに3勝し互角の争い。しかし後半にフィッティパルディは失速。ロータスがペテルソンにチームオーダーを出さず、チーム内で競わせてしまいました。PP9回を記録したペテルソンは脅威で、フィッティパルディは無用の焦りを生じリタイヤを連発します。スチュワートが貫禄で王座に就きます。

 

 

1976年 ハント対ラウダ(逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15 R16
ハント(MCL) 成績 r 2位 r 優勝 r r 5位 優勝 dq 優勝 4位 優勝 r 優勝 優勝 3位
得点 0 6 6 15 15 15 17 26 26 35 38 47 47 56 65 69
ラウダ(FER) 成績 優勝 優勝 2位 2位 優勝 優勝 3位 r 優勝 r - - 4位 8位 3位 r
得点 9 18 24 30 39 48 52 52 61 61 61 61 64 64 68 68

F1史上最大の逆転劇の年。第9戦終了時点で、ハントはラウダに35点差をつけられていました。ラウダにとって悪夢の第10戦ドイツ、旧ニュルブルクリング。事故で大火傷を負い、2戦休場します。その第10戦に勝ったハントは、第12、14、15戦を勝ち、3点差を追って最終戦日本へ向かいます。豪雨の富士でラウダは棄権。ハントは3位に入り、王座を得ます。

 

 

1980年 ジョーンズ対ピケ(再逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14
ジョーンズ(WIL) 成績 優勝 3位 r r 2位 r 優勝 優勝 3位 2位 11位 2位 優勝 優勝
得点 9 13 13 13 19 19 28 37 41 47 47 53 62 67
ピケ(BRA) 成績 2位 4位 優勝 r 3位 4位 2位 4位 優勝 優勝 r r
得点 6 6 9 18 18 22 25 31 34 36 45 54 54 54

ウィリアムズのエース、ジョーンズ(5年目)と、ブラバムのエース、ピケ(3年目)の一騎打ち。中盤をリードしたジョーンズだが、ピケが終盤に追い上げ逆転。第13戦カナダで両雄は接触事故をおこします。再スタート後トップに立ったピケは無念のエンジンブロー。ジョーンズに栄冠が輝きます。ウィリアムズがウィングカーの空力技術を発展させました。

 

 

1983年 ピケ対プロスト(再逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15
ピケ(BRA) 成績 優勝 r 2位 2位 4位 4位 2位 13位 3位 優勝 優勝 3位
得点 9 9 15 15 21 24 27 27 33 33 37 37 46 55 59
プロスト(REN) 成績 7位 11位 優勝 2位 3位 優勝 8位 5位 優勝 4位 優勝 2位
得点 0 0 9 15 19 28 28 30 39 42 51 51 51 57 57

ルノー・ターボとBMWターボの開発争いは、中盤でルノーのプロストが優位に立ちます。しかし第12戦オランダ、ザンドフールドの難所1コーナー(タルザン)でプロストとピケが接触。両者リタイヤとなります。14点リードのプロストは無理する必要がありませんでした。ここで流れが変わりました。BMWの急発展とともに第13、14戦をピケが連勝。最終戦はプロストがピケを追うことが出来ず、リタイヤ。これを知ったピケが流して3位に入り、王座を仕留めます。

 

 

 

1986年 プロスト対マンセル対ピケ(再逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15 R16
プロスト(MCL) 成績 3位 優勝 優勝 6位 2位 3位 2位 3位 6位 優勝 dq 2位 2位 優勝
得点 0 4 13 22 23 29 33 39 43 44 44 53 53 59 64 72
マンセル(WIL) 成績 2位 4位 優勝 優勝 5位 優勝 優勝 3位 3位 2位 優勝 5位
得点 0 6 6 9 18 27 29 38 47 51 55 55 61 70 70 70
ピケ(WIL) 成績 優勝 2位 7位 3位 3位 2位 優勝 優勝 優勝 3位 4位 2位
得点 9 9 15 15 15 19 19 23 29 38 47 47 56 60 63 69

マシン性能はウィリアムズ・ホンダが上。序盤はプロストがさらいますが、中盤にマンセルが5戦4勝と圧倒。プロストは表彰台確保で防戦します。第14戦でマンセルが優勝して11点差と突き放しますが、第15戦メキシコをタイヤで失い、プロストがじわり接近。最終戦はまたもタイヤで泣いたマンセル。プロストが見事にうっちゃりました。終盤のプレッシャーのかかる場面で真価を発揮できる者の違いが出たと言えます。もうひとつ言えるのは、ウィリアムズがマンセルとピケの二人にオーダーを出さなかったことが敗因のひとつということです。

 

 

1997年 ビルヌーブ対シューマッハ(再逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15 R16 R17
ビルヌーブ(WIL) 成績 r 優勝 優勝 r r 優勝 r 4位 優勝 優勝 5位 5位 優勝 優勝 dq 3位
得点 0 10 20 20 20 30 30 33 43 43 53 55 57 67 77 77 81
シューマッハ(FER) 成績 2位 5位 2位 優勝 4位 優勝 優勝 2位 4位 優勝 6位 6位 優勝
得点 6 8 8 14 24 27 37 47 47 53 56 66 67 68 68 78 78

マシン性能はウィリアムズ・ルノーが上。しかしシューマッハは腕と戦略、ポイント蓄積でリードします。ビルヌーブは優勝か事故かという、落ち着かないレースが続きます。第8戦でシューマッハに14点差をつけられますが、サバイバルの第14、15戦をしぶとく生き残って優勝し、王座を引き寄せます。最終戦はシューマッハが先行するものの、マシン性能で苦しいシューマッハはビルヌーブの追い抜きにイチかバチかの接触をしかけます。結果はビルヌーブの勝ち。インディでつちかったバトルでの強さ・天性を見せつけました。

 

 

1999年 ハッキネン対アーバイン(再逆転)

    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 R12 R13 R14 R15 R16
ハッキネン(MCL) 成績 優勝 3位 優勝 優勝 2位 3位 優勝 2位 5位 3位 優勝
得点 0 10 10 14 24 34 40 40 44 44 54 60 60 62 66 76
アーバイン(FER) 成績 優勝 5位 2位 4位 3位 6位 2位 優勝 優勝 3位 4位 6位 7位 優勝 3位
得点 10 12 12 18 21 25 26 32 42 52 56 59 60 60 70 74

マシン性能で劣るシューマッハが第5戦までリードするものの、第8戦イギリスGPで重傷を負ったとき、誰しもが今年はハッキネンで決まりと見ました。ところがハッキネンが必要以上にもたつき、No.1に昇格したアーバインがスキをついて逆転しました。最終的には、マシン・ドライバーともに勝るハッキネンが制したのですが、綱渡りの王座でした。もし鈴鹿でロケットスタートを決めなければアーバインに転んでいたし、そうなるとクルサードとの2度の接触や、モンツァのスピンなどを後悔したことになったでしょう。

 

こうしてみると、マシン性能が上回る場合、逆転されても再逆転のケースが多いようです。しかし、1973年や1986年のように同一チームの二人が争うと、そのスキを突かれるケースもあるのです。