(2001.9.5)
2001年はドライバーの途中交代が多い年になっています。アレジ、フレンツェン、ブルティ、デ・ラ・ロサ、ゾンタ、マッツァカーネなど。どうもドライバーをよく替えるチームと、そうでないチームに分かれそうです。各チームはどういう傾向があるでしょうか。
左図は各チームの10年ごとの在籍ドライバーの平均出走レース数です。
フェラーリは1950〜60年代に多数のドライバーを使いましたが、1970年代以降は、平均して一人に30レース前後を走らせています。つまり、2年間は在籍させて、実力を発揮させるようにしました。
マクラーレンも、1980年代以降、ロン・デニスの時代になってから、一人に30レース以上を走らせています。1980年代はマクラーレンが栄華を誇った時代で、ラウダ、プロスト、セナらが在籍し、5度のドライバーズタイトルを得ました。
ウィリアムズは、それに比べるとやや在籍時期が短くなっています。栄光の1990年代は30レース近く走らせていますが、それ以外の年代はドライバー変更が多くなっています。
中堅から下位チームはさらにドライバーの流動性が高くなっています。ジョーダンは3勝したチームですが、ミナルディと並んで、もっともドライバーを変更するチームとなっています。プロストは成績の下降と財政難とともに、ドライバー変更が多くなりました。
マクラーレンは1984,85,86,88,89年にドライバーズタイトルを獲りました。10年間でドライバーは7人しか使っていません。No.1ドライバーの軸がしっかりしています。最も長く、3度のタイトルで支えたのが、プロストです(太字はチャンピオン)。
1980 | ワトソン | プロスト | |
1981 | ワトソン | チェザリス | |
1982 | ラウダ | ワトソン | |
1983 | ラウダ | ワトソン | |
1984 | ラウダ | プロスト | |
1985 | ラウダ | プロスト | ワトソン |
1986 | プロスト | ロズベルグ | |
1987 | プロスト | ヨハンソン | |
1988 | プロスト | セナ | |
1989 | プロスト | セナ |
マクラーレンの90年代は10人が走りました。タイトルは90,91,98,99の4度。セナがいなくなった後に混乱しますが、96年以降はハッキネン&クルサードで落ち着きました。マクラーレンはドライバーを2人とも替えることはしないチームです。
1990 | セナ | ベルガー | ||
1991 | セナ | ベルガー | ||
1992 | セナ | ベルガー | ||
1993 | セナ | Mi・アンドレッティ | ハッキネン | |
1994 | ハッキネン | ブランドル | アリオー | |
1995 | ハッキネン | ブランデル | マンセル | マグヌッセン |
1996 | ハッキネン | クルサード | ||
1997 | ハッキネン | クルサード | ||
1998 | ハッキネン | クルサード | ||
1999 | ハッキネン | クルサード | ||
2000 | ハッキネン | クルサード | ||
2001 | ハッキネン | クルサード |
フェラーリの80年代は混迷していました。10人が出走。82年のG・ビルヌーブとピローニの確執と悲劇。88年総帥エンツォ死去。地元期待のアルボレートは大した成績を上げずに追い出されました。
1980 | シェクター | G・ビルヌーブ | ||
1981 | G・ビルヌーブ | ピローニ | ||
1982 | G・ビルヌーブ | ピローニ | タンベイ | Ma・アンドレッティ |
1983 | タンベイ | アルヌー | ||
1984 | アルボレート | アルヌー | ||
1985 | アルボレート | ヨハンソン | アルヌー | |
1986 | アルボレート | ヨハンソン | ||
1987 | アルボレート | ベルガー | ||
1988 | アルボレート | ベルガー | ||
1989 | マンセル | ベルガー |
フェラーリの90年代も10人が走りました。1996年にシューマッハを獲得した年が珍しくドライバーを一新。改革は2000年になって実を結び、タイトルを得ました。
1990 | プロスト | マンセル | |
1991 | プロスト | アレジ | モルビデリ |
1992 | アレジ | カペリ | ラリーニ |
1993 | アレジ | ベルガー | |
1994 | アレジ | ベルガー | ラリーニ |
1995 | アレジ | ベルガー | |
1996 | M・シューマッハ | アーバイン | |
1997 | M・シューマッハ | アーバイン | |
1998 | M・シューマッハ | アーバイン | |
1999 | M・シューマッハ | アーバイン | サロ |
2000 | M・シューマッハ | バリチェロ | |
2001 | M・シューマッハ | バリチェロ |
各チームの同一ドライバー平均出走レース数を、過去10年と過去5年で表しました。ミカ・デビのマクラーレンが過去5年で突出して長くなっています。
ベネトンはウィリアムズより少し長い方。
中堅・下位チームはひとりのドライバーに2年以上走らせない傾向は変わりません。
ウィリアムズの80年代はタイトルを80,82,87の3度。このチームはロズベルグやマンセルなど豪腕タイプのドライバーが好みです。ジョーンズとロイテマン、ピケとマンセルが確執をおこしました。放任主義にもなっています。
1980 | ジョーンズ | ロイテマン | ||
1981 | ジョーンズ | ロイテマン | ||
1982 | ロズベルグ | デイリー | ロイテマン | Ma・アンドレッティ |
1983 | ロズベルグ | ラフィー | パーマー | |
1984 | ロズベルグ | ラフィー | ||
1985 | ロズベルグ | マンセル | ||
1986 | ピケ | マンセル | ||
1987 | ピケ | マンセル | パトレーゼ | |
1988 | マンセル | パトレーゼ | ブランドル | シュレッサー |
1989 | ブーツェン | パトレーゼ |
ウィリアムズの90年代は12人が走りました。前半はNo.1ドライバーが1〜2年で変わるという不安定さ。それでも92,93,96,97の4度タイトルを獲りました。そのうち3度はチャンピオンが翌年いなくなりました。ミスが多いとされてクビになったのは、ブーツェン、クルサード、フレンツェン、ザナルディ。また、マンセルとヒルに大金出すより放出。93年と99年にドライバーを2人とも替えています。
1990 | ブーツェン | パトレーゼ | ||
1991 | マンセル | パトレーゼ | ||
1992 | マンセル | パトレーゼ | ||
1993 | プロスト | ヒル | ||
1994 | セナ | ヒル | クルサード | マンセル |
1995 | ヒル | クルサード | ||
1996 | ヒル | J・ビルヌーブ | ||
1997 | J・ビルヌーブ | フレンツェン | ||
1998 | J・ビルヌーブ | フレンツェン | ||
1999 | R・シューマッハ | ザナルディ | ||
2000 | R・シューマッハ | バトン | ||
2001 | R・シューマッハ | モントーヤ |
1991年参戦のジョーダンは、ドライバーをころころ替える傾向が大きいです。バリチェロの4年が長いですが、大体2年でドライバーは出て行きます。93年はNo.2不在で、とっかえひっかえ試しました。ドライバーを2人とも替えた年は92,93,97です。この落ち着かないチームでドライバーは長期展望しにくく、ステップアップと考えた方がよいかもしれません。
1991 | チェザリス | ガショー | M・シューマッハ | モレノ | ザナルディ | |
1992 | モデナ | グージェルミン | ||||
1993 | バリチェロ | カペリ | ブーツェン | アピチェラ | ナスペッティ | アーバイン |
1994 | バリチェロ | アーバイン | 鈴木亜久里 | チェザリス | ||
1995 | バリチェロ | アーバイン | ||||
1996 | バリチェロ | ブランドル | ||||
1997 | フィジケラ | R・シューマッハ | ||||
1998 | ヒル | R・シューマッハ | ||||
1999 | フレンツェン | ヒル | ||||
2000 | フレンツェン | トゥルーリ | ||||
2001 | トゥルーリ | フレンツェン | アレジ | ゾンタ |