Formula One History

赤旗・セーフティカーの出たレース

(2001.9.13)

2001年ベルギーGPはブルティの事故により赤旗中断となりました。これまで赤旗の出たレース、あるいはセーフティカーの出たレースはどれくらいあるでしょうか(記録は2001年ベルギーGPまで)。


赤旗、つまり本来の周回数終了以前に中断または打ち切りになったレースは、1971年カナダGPに初めて出てから、54レースになります。1950〜1970年の間は、たとえ死亡事故が起ころうとも、レースは続けられていました。今から考えると信じられないことですが、1958年から1977年の間、レース中に12人のドライバーが死亡事故をおこしたにもかかわらず、レース中断はありませんでした。たとえ猛火に包まれて救出が困難であってもです。

初めてレースが途中終了したのは、1971年カナダGPで、80周の予定でしたが、霧と雨のため64周で打ち切りとなりました。初めてレースが事故で赤旗中断したのは、1973年イギリスGP(シルバーストン)です。2周目に4位シェクターが最終コーナーでスピン。後続20台が巻き込まれました。レースが5台だけになってしまっては、中断せざるをえません。10台が再スタートできませんでした。

赤旗が年4レース出たのは、80年代に集中しています。

セーフティカーは1993年に初めて導入され、第2戦ブラジルGPで豪雨の中、出動しました。以来、16レースに出ています。2001年は第14戦時点で5レースと、1999年に並んでいます。

 

 


赤旗が出やすい時点は、1周目が半分近くを占めています。やはりスタート時の混乱が最も危険ということです。

 

 

赤旗多発サーキット

サーキット 回数
エステルライヒリング(オーストリア) 75,78,84,85,87
モントリオール 80,82,97,98,99
モンテカルロ 84,90,95,00
スパフランコルシャン 87,90,98,01
エストリル(ポルトガル) 87,90,95
シルバーストン 73,75,99
ブランズハッチ(イギリス) 76,84,86
モンツァ 78,90,95

エステルライヒリングはコース幅が狭いためスタート時に接触混乱がおきやすく、1987年に最後になりました。1997年に改修されてA1リングとして復活しています。モントリオールは97年パニスの骨折事故のように高速でエスケープゾーンがない危険を持っています。

 

 

セーフティカー多発サーキット

サーキット 回数
シルバーストン 93,97,98,99
スパフランコルシャン 95,96,97,00
A1リング 98,00,01
モントリオール 98,99,01
メルボルン 99,00,01

セーフティカーはスパと並んでシルバーストンが最多を記録し、危険なサーキットの伝統が続いています。

 

赤旗とセーフティカーの出現が最も多い危険なサーキットは、スパとモントリオールの8回です。A1リングは改修前を含めると並びます。シルバーストンの7回がこれに続きます。

バルセロナはいまだかって赤旗・セーフティカーが出ていないサーキットです。鈴鹿は94年に1回、赤旗があります。