最多記録・タイヤ編(1950〜2001)

2002.2.25 Corrected
2001.10.31 Updated

世界のタイヤのシェアは、1位ミシュランと2位ブリヂストン(ファイアストン)が僅差で争い、3位グッドイヤーと合わせて市場の60%を占めています。F1でもこの3メーカーの存在が大きくなっています。1999年と2000年はブリヂストンのワンメイクですが、2001年からはミシュランとの戦いが始まりました。かつてはグッドイヤーのワンメイクが長かったタイヤの世界ですが、決して一筋縄ではありませんでした。それらを見ていきましょう。

●優勝

最多優勝、最多PP、最多FL

1963年から1998年まで長く参戦していたグッドイヤーが圧倒的です。ちなみに、グッドイヤーの初勝利は、1965年メキシコのホンダ車によるものです。最多勝率のコンチネンタルは、1954、55年を席巻したメルセデスに装着されていました。

  出走 優勝 勝率 PP FL
グッドイヤー 495 368 74% 358 361
ダンロップ 120 83 69% 75 83
ミシュラン 128 63 49% 61 67
ブリヂストン 85 55 64% 59 52
ファイアストン 121 49 40% 61 56
ピレリ 203 45 22% 47 57
コンチネンタル 13 10 77% 8 9
エングルベール 31 7 23% 11 12
エイボン 22 0 0% 0 0

 

 

●タイヤ戦争の歴史

年代ごとの優勝回数で見るタイヤ戦争の歴史を振り返ります。グッドイヤーは多くのライバルと激しい戦いをしていたことがわかります。

1950年代(細い溝つきタイヤとピレリ時代)

1950年代は多くのタイヤメーカーがあり、群雄割拠していました。イタリアのピレリが代表的です。しかしイギリスのダンロップが50年代終盤に抜け出し、60年代繁栄の基盤を築きます。このころのF1のタイヤは非常に細く、溝つきで市販車と大差ないものでした。

  エングルベール ピレリ ダンロップ エイボン コンチネンタル ファイアストン
1950   6       1
1951   7       1
1952   7       1
1953   8       1
1954 0 4     4 1
1955 0 1     5 1
1956 5 2 0     1
1957 0 7 0     1
1958 2 0 7   1 1
1959     8 0   1
合計 7 42 15 0 10 10

 

1960年代(王者ダンロップに挑むアメリカ勢、パワー増大から極太化へ)


1960年代はダンロップが制していました。60年代前半はダンロップのワンメイクに等しい状態です。しかし60年代後半はアメリカのグッドイヤーとファイアストンが台頭してきます。1966年にエンジンが1.5リッターから3リッターになり、パワーを受け止めるためにタイヤは急速に太くなっていきます。それまでほとんど同じだった前輪と後輪の大きさが違って行くのもこのころです。

  ダンロップ ファイアストン グッドイヤー
1960 9 1  
1961 8    
1962 9    
1963 10   0
1964 10   1
1965 9   4
1966 2 3 5
1967 0 6 3
1968 2 6 3
1969 6 2 1
合計 65 17 16

 

1970年代(スリック化とグッドイヤー時代の始まり)


パワーを有効に路面に伝えるため、スリックタイヤになったのは1971年からです。それと同時にダンロップが撤退しました。残ったアメリカ勢の対決はグッドイヤーが制し、ファイアストンは敗れ去ります。一方、70年代後半にフランスからミシュランが登場し、グッドイヤーと好勝負を演じるようになります。なお、1976、77年の富士での日本GPに、ダンロップとブリヂストンがスポット参戦していました。

  ダンロップ ファイアストン グッドイヤー ブリヂストン ミシュラン
1970 2 10 1    
1971   4 7    
1972   7 5    
1973   0 15    
1974   0 15    
1975   0 14    
1976 0   16 0  
1977 0   16 0 0
1978     11   5
1979     8   7
合計 2 21 108 0 12

 

1980年代(ミシュランの光芒、グッドイヤー再び覇権)

1980年代前半はミシュランの方が優勝回数が多いものでした。フェラーリやルノーが装着していました。しかしミシュランが突然1985年に撤退してから、再びグッドイヤーの時代が続いていきます。1989年からの3年間、ピレリと戦うために、予選専用タイヤが登場しました。ピレリは使用済みタイヤの皮むきでもう一度おいしい所が使えるという戦法を出しました。

  ピレリ エイボン グッドイヤー ミシュラン
1980     11 3
1981 0 0 2 13
1982 0 0 9 7
1983 0   6 9
1984 0   2 14
1985 1   15  
1986 1   15  
1987     16  
1988     16  
1989 0   16  
合計 2 0 108 46

 

1990年代(溝つき再開、グッドイヤー撤退してブリヂストン受け継ぐ)


ピレリは大きな成果が上げられず撤退します。1992年から1996年まではグッドイヤーのワンメイク状態になりました。しかし1997年に参戦した日本のブリヂストンが、1999年からグッドイヤーに替わってF1へタイヤ供給する時代になりました。1998年にブリヂストンが直接グッドイヤーに勝ったことは意義があります。また、1998年から溝つきタイヤというルールになりました。

  ピレリ グッドイヤー ブリヂストン
1990 0 16  
1991 1 15  
1992   16  
1993   16  
1994   16  
1995   17  
1996   16  
1997   17 0
1998   7 9
1999     16
合計 1 136 25

  ブリヂストン ミシュラン
2000 17  
2001 13 4
合計 30 4