2000.7.23 updated
2001.8.25 corrected
リーダラップ数、すなわちレース中の各周回で1位をとった数について調べました。面白いレースというのは、1位が頻繁に変わる場合です。50年間の歴史でどうだったでしょうか。
F1の50年の通算で、1位周回の各ポイントと優勝する率をグラフに表しました。ポイントとは、1周目、10%消化ごと、残り1周、最終周です。
1周目で1位の場合、勝率は40%に過ぎません。勝率はレースが進むにつれて、ゆるやかに向上していきます。
50%経過時点、レースの半分の時点でトップのとき、勝率は60%。まだ安心はできない状態です。
90%経過時点、レース終盤でも1割近くが勝利を逃しています。
最後の1周で逆転された例は、3%ほどあります。上の図を年代ごとに分けました。
傾向としては、昔に比べて、前半にトップに立っても優勝する率が低くなっていると言えます。
最近の1990年代では、レース20%〜40%経過時点の勝率が最も低くなっています。今は前半戦に1位でも、最も安心できない時代と言えます。
1レースあたりのリーダ変更回数と、リーダ数を年別に出してみました。
水色は変更回数で、50〜60年代が激しく変わっています。
最近では、1986年、95年、97年が平均4回を越えており、面白い年だったと言えます。
逆に平均1回台のつまらない年は1952年と88年でした。
薄い青色はリーダの人数で、これは50年間でほとんど変わっていません。
激動の50〜60年代も、限られた人数で抜き合いが行われていたと言えます。
上の図とは逆に、全周回ひとりで1位を走るレースの率です。1952年と88年は50%を越えています。
1963年と65年も50%を越えていますが、これはクラークが絶好調だった年です。クラークは優勝かリタイヤというスタイルでした。上の図では65年のリーダ変更数が多いので、クラークがいなくなったら激しいレースだったといえます。
現代では全周回1位(つまんない度)が減っています。
このグラフは、レースで何番目のリーダが勝率が高いかを表しています。
第1リーダ、つまり1周目から1位の者は、全レースに出現し、1位周回の占有率も高いですが、勝率は40%と高くありません。2番目のリーダも同様です。
3番目のリーダが勝率50%を越えています。
7番目のリーダは過去3人出現し、2人が勝っています。
8番目のリーダは1人だけいて、勝ちました。
順位 | 年 | GP | サーキット | リーダ変更数 | リーダ数 |
1 | 1965 | イタリア | モンツァ | 42回 | 3人 |
2 | 1970 | イタリア | モンツァ | 29回 | 6人 |
3 | 1964 | イタリア | モンツァ | 28回 | 2人 |
4 | 1971 | イタリア | モンツァ | 26回 | 8人 |
5 | 1963 | イタリア | モンツァ | 26回 | 4人 |
6 | 1959 | ドイツ | アブス | 23回 | 4人 |
7 | 1953 | イタリア | モンツァ | 19回 | 3人 |
8 | 1968 | イタリア | モンツァ | 16回 | 4人 |
9 | 1969 | イタリア | モンツァ | 15回 | 4人 |
10 | 1961 | ベルギー | スパ | 15回 | 3人 |
昔のモンツァはシケインがなく、トップが集団のまま最終ラップまで続き、スリップストリーム抜きつ抜かれつ合戦がありました。
1965年のイタリアGPは76周のうち、42回もトップが入れ替わりました。サーティースは予選2位から1周目13位に落ちますが猛然と追い上げ、15周目に1位。しかし34周目リタイヤします。クラーク、G・ヒル、スチュワートの激しい抜き合いは58周目まで続きます。63周目にクラークがリタイヤし、終盤はスチュワートとG・ヒルの戦いになります。スチュワートが逃げ切ってGP初優勝しました。
モンツァにシケインが設置された1972年以降は、このようなことはなくなりました。50〜60年代のリーダ交替数増加はモンツァに一因があるようです。
順位 | 年 | GP | サーキット | リーダ変更数 | リーダ数 |
1 | 1971 | イタリア | モンツァ | 26 | 8 |
2 | 1975 | イギリス | シルバーストン | 9 | 8 |
3 | 1973 | カナダ | モスポートパーク | 7 | 7 |
4 | 1970 | イタリア | モンツァ | 29 | 6 |
5 | 1961 | フランス | ランス | 13 | 6 |
6 | 1967 | イタリア | モンツァ | 13 | 6 |
7 | 1966 | イタリア | モンツァ | 10 | 6 |
8 | 1975 | スペイン | モンジュイッヒ | 8 | 6 |
9 | 1995 | イタリア | モンツァ | 7 | 6 |
10 | 1990 | フランス | ポールリカール | 6 | 6 |
1975年のシルバーストンは豪雨の中、トップが次々にアクシデントに見舞われます。50〜55周に13台が事故で消え、56周目に赤旗終了になりました。 フィッティパルディが優勝しましたが、2位から5位はアクシデントでリタイヤになっています。
1995年のモンツァはPPクルサードのスピン、アレジとベルガーのフェラーリ勢をトラブルが襲うなどめまぐるしく変わる中、ハーバートが優勝しました。ハッキネンとバリチェロもリーダになっています。
1990年のポールリカールはプロストとカペリの争いで有名ですが、ベルガー、セナのマクラーレン勢や、マンセル、パトレーゼもリーダに名を連ねています。
赤はポールポジションが1周目で1位となり優勝する率、薄い赤は1周目1位で優勝できなかった率です。両方合わせてPPが1周目で1位になる率になります。
50年間の平均で53%、約半分です。年代ごとに上がって行きます。
昔はスターティンググリッドに3〜4台が横に並んでいました。これではPPも優位とは言えません。現在のようにスタッガード(互い違い)が確立したのは1980年からです。
しかし、PPが1周目1位で優勝を失う度合は、昔より今の方が下がっていると言えます。
レースはスタートですべてが決まるわけではないことがわかります。