1980年代以降の代表的なドライバーといえば、プロスト、セナ、シューマッハの3人といえましょう。この3人の記録から、戦い方のスタイルの違いを見ていきましょう。
(2001.8.21 Updated)
3人が活動した年と、得点の推移です。
3人の活動年は、プロストとセナが9年に渡って重なり、シューマッハがプロストと2年(91年プロスト不参加)、セナと4年重なっています。
セナの死後、シューマッハは偉大なライバルを失いました。
1985年から1995年までの11年間で、3人で9回の王座を独占しました。
チャンピオン回数の年目ごと積み上げです。
シューマッハは、3人の中では最も早く、4年目で初王座につきましたが、2度目のあとは4年間足踏みが続きましたが、3,4度目を連続して獲り、プロストに並びました。
セナは5年目の初王座から8年目までに3度王座につきました。
レース数ごとの累積の優勝回数の推移です。3人とも優勝回数では似たような積み上げ方になっています。近年、シューマッハのペースが上がり、ついにプロストと並びました。
セナVSプロスト−1988年ハンガリーGP
49周目、周回遅れに詰まった1位セナ(左)を2位プロスト(右、ともにマクラーレン)が1コーナーで抜く。しかしオーバースピードのプロストは外側にふくらむ。セナがインを差して1位を奪回。そのまま優勝する。セナとプロストのハイレベルのバトルだった。
セナ「すべてが事前に見えていた。プロストが抜くところも、アウトにふくらむところも。だから落ち着いて対処できた。」
ポールポジションでは、セナが圧倒的な回数となっています。
プロストはセナほど予選にこだわらず、レースに賭けたといえましょう。
シューマッハはプロストスタイルでしたが、最近は特にPPを量産しています。今のペースなら2004年に並びそうですが、そこまでハイペースが続くかどうかです。
レース中のファステストラップでは、シューマッハが抜きん出ており、プロストの最多記録を更新しました。
セナはPPから飛び出して差をつけ、後半は流すタイプだったため、FL数は多くありません。
シューマッハのFLペースは鈍ってきており、彼のキャリアの後半はPPが多かったセナに似てきました。
得点の累積では、プロストとセナが同じペースで、シューマッハがやや抜き出たペースです。
シューマッハは1997年に78点を上げましたが、選手権から除外されました。通算記録には加算されます。
完走回数では、驚いたことに3人がほとんど同じ線で並んでいます。70%前後の完走率は、歴代でもトップクラスです。完走率の高さも優秀なドライバーの条件といえましょう。
セナが無謀でプロストよりもリタイヤが多いというのは、誤った見方です。
プロストVSセナ−1990年メキシコGP
予選13位に沈んだフェラーリのプロストは決勝の低ダウンフォース・セッティングが決まり、次々に前車をパス。1位セナ(マクラーレン)はタイヤが限界だったが抜かれたくないためピットインせず。結局プロストに抜かれ、タイヤバーストしてリタイヤ。プロストが優勝。
予選順位ごとの回数と、レース結果の内訳です。
プロストは予選2位が最も多いのですが、一番多かった優勝はポールからでした。
しかしながらセナと比べて、ポールから予選6位まで、まんべんなく優勝する率を残しています。
プロストが最も悪い位置から優勝したのは1990年メキシコの予選13位でした。
セナはポールからの優勝が圧倒的に多くなっています。反面、予選2位や3位からの勝率はプロストほどではありません。また、予選4位以下になるとほとんど優勝の可能性がなくなっています。
セナが最も悪い位置から優勝したのは1990年アメリカの予選5位です。
シューマッハは1999年末時点では予選3位が最も多くかったのですが、現在ではPPが最も多くなっています。ポールから予選3位までの勝率がどれも安定して高くなっています。
ポールより予選2位の方が勝率が高くなっています。ただし、予選4位以下になると、セナ同様、勝つ可能性がなくなっていきます。
そんな中、1995年ベルギーでは予選16位から優勝しました。
予選での対チームメイト勝敗では、シューマッハがセナを上回る圧倒的な勝率を誇っています。
プロスト:135勝65敗(勝率67.5%)
セナ:141勝18敗(勝率88.7%)
シューマッハ:122勝6敗(勝率95.3%)
シューマッハVSプロスト−1993年ポルトガルGP
この年最強のウィリアムズに対し、ベネトンのシューマッハは絶妙のタイミングでタイヤ交換を行い、トップに立つ。後半、プロストを抑え切ったシューマッハが2回目の優勝。
シューマッハはベルギーでもタイヤ交換の間にセナを抜いた。タイヤ戦略で王座を取った翌年の前兆と言えた。
レース中の1位周回数の累積です。2001年、シューマッハがついにセナを抜きました。
セナが飛び出したのは1988〜91年にマクラーレン・ホンダで圧倒的なLL数を記録したことが効いています。
レースの途中時点でトップだった回数です。(この図のみ2000年開幕戦まで)
プロストとシューマッハが後半にじわじわと上がってトップに立つタイプなのに対し、セナは序盤にトップに立つ戦法であることがわかります。
レースで1位周回を占有した割合を段階ごとに分け、その中で優勝した割合を出しました。
プロストは25%以下しかトップを走っていなくても優勝する率が高くなっています。
1987年ポルトガル、1990年メキシコでは残り3周で逆転優勝しました。
セナの特徴は、優勝回数が最も多いのが、全周回1位というところです。
セナのスタイルとして、逆転勝ちや途中でいったん引くという戦法がないことがうかがえます。
セナはレースの4分の3以上をトップで走っていても、6割以上は勝てませんでした。
シューマッハの特徴は、レースの過半数をトップで走った時、ほとんど勝つという安定感です。これにはプロストも脱帽でしょう。
シューマッハVSセナ−1994年ブラジルGP
1位セナ(ウィリアムズ)は2位シューマッハ(ベネトン)に迫られ、引き離せない。シューマッハのタイヤ交換を知ってピットインしたセナだが、作戦を仕掛けた方と、緊急に決めた方の差が出て逆転される。以後、シューマッハを追うセナはスピンしてリタイヤ。シューマッハの優勝。
前年までよく見られた追い抜きが減り、この年以降はピットストップによる順位変動という時代になっていく。
事故(アクシデント、スピンによるリタイヤ)の累積回数です。
興味深いことに、若い時はプロストが多く、セナは少ないことです。
やがてプロストは落ち着いていきましたが、セナは1989年に事故を多発しました。そして1994年に事故を連発し、イモラで死んでしまいます。
シューマッハも事故が多くなってきました。
3人に共通するのは、マシンがままならない時、選手権争いで追い詰められた時に事故が多くなることです。
マシンが速く、選手権で優位に立てば、事故は少ないのです。
失格の発生時期は、3人がチャンピオンを最初に取った時期と、偶然にも一致しています。「出る杭は打たれる」でしょうか。それを乗り越えてチャンピオンになったのがこの3人なのです。
プロストの失格
1985年サンマリノGP1位取消(最低重量違反)→この年に初のチャンピオン
1986年イタリアGP(フォーメーションラップ後の車交換)
セナの失格
1987年オーストラリアGP2位取消(ブレーキダクト違反)
1988年ブラジルGP(フォーメーションラップ後の車交換)→この年に初のチャンピオン
1989年日本GP1位取消(押し掛け)
シューマッハの失格
1994年イギリスGP2位取消(フォーメーションラップ中の追い越し)→この年に初のチャンピオン
1994年ベルギーGP1位取消(スキッドブロック磨耗)
シューマッハは近年、こう語っています。
「自分はこのスポーツをこよなく愛しているが、同時にこれには危険が隣り合わせであることも知っている。これまで大きな金額を手にしたことも事実だが、それは自分の第1の目的ではない。もしも本当にそういうアクシデントが起きたなら、最悪、死に至ることもあるだろう。自分にはその覚悟はできているつもりだ。」(2000年3月)
シューマッハはこうも言っています。
「自分よりも速いドライバーが現れたら、引退する。自分かセナほどのドライバーは、いつかきっと現れるだろう。」(1999年12月)