2001.11.28 Updated
2002年はシューマッハが3年連続チャンピオンを目指します。過去に3年連続チャンピオンを目指した者は7人いましたが、達成したのは1956年のファンジオだけです。いかに難しい記録であるかがわかります。
アルベルト・アスカーリ(イタリア)は、1952,53年にフェラーリで9連勝を達成するなど無敵ぶりを発揮し、2年連続チャンピオンになりました。
迎えた1954年、アスカーリは新参のランチアに移籍しましたが、車が完成せず、シーズンをほとんど棒に振ります。ランチアで走ったのは最終戦で、1ポイントだけを記録しました。
アスカーリは翌1955年、モンツァでテスト中に事故死してしまいます。以降、イタリア人のチャンピオンは出ていません。
ファン・マヌエル・ファンジオ(アルゼンチン)は、1951年に続き、1954,55年にメルセデスで2年連続チャンピオンになりました。
1956年、メルセデスは前年のルマン事故で撤退し、ファンジオはフェラーリに移籍します。ファンジオにトラブルが多かったため、チャンピオン争いは最終戦イタリアGPまでもつれこみます。ファンジオはリタイアしますが、チャンピオン争いをしていたチームメイトのコリンズに車を譲られて、王座に就きました。
この年、ファンジオは乗り換えで優勝1回、2位2回をゲットしています。乗り換えが許された時代、自らのチャンスを捨てたコリンズ、この2つがファンジオの3年連続王座を達成させたと言えます。ちなみに、乗り換えは1958年から無効となりました。
ジャック・ブラバム(オーストラリア)は、1959,60年にミッドシップの先駆車クーパーで2年連続チャンピオンになりました。
迎えた1961年、F1は排気量2.5リッターから1.5リッターに規則が変わります。クーパーはエンジンで出遅れました。また、全車ミッドシップになり、優位性もなくなっていました。ブラバムはレースで最高4位、年間4ポイントに終わります。
ブラバムは翌年の自チーム創立を準備していました。そして4年後の1966年に3度目の王座に輝きます。ブラバムと言えば、バトル中の相手に対し、ミラーを投げて邪魔したという逸話が残っています。
アラン・プロスト(フランス)は、1985,86年にマクラーレンTAGポルシェで2年連続チャンピオンになりました。
迎えた1987年、プロストは開幕戦と第三戦に勝ち、ポイントリーダーに立ちます。だが勝負所の7月、フランスGPとイギリスGPでウィリアムズ・ホンダのパワーに歯が立たず、ドイツGPはレースをリードするも残り5周で止まってしまいます。
ポルシェが開発を止めたことが響きました。翌年にマクラーレンはホンダと組むことが決まっていました。1987年はウィリアムズのピケがプロストと同じ3勝で王座に輝きます。エンジンに信頼性があれば勝負はわからなかったと言えます。
アイルトン・セナ(ブラジル)は、1988年に続き、1990,91年にマクラーレン・ホンダで2年連続チャンピオンになりました。2年ともシャシーに優るライバルとの死闘を制したものでした。
迎えた1992年はハイテクがカギを握りました。保守的なマクラーレンが出遅れたのに対し、ウィリアムズはアクティブ・サスを搭載して無敵ぶりを発揮。マンセルが開幕から5連勝してしまいます。セナはモナコでマンセルの連勝を止め、カナダでPPなど逆襲に出ます。しかし7月のフランス、イギリス、ドイツでマンセルが3連勝し、勝負は決しました。
セナと6年間ともに戦ったホンダがこの年で撤退しました。エンジン・パワー第一の時代が終わり、シャシー性能が問われる時代が始まったと言えました。
ミハエル・シューマッハ(ドイツ)は、1994,95年にベネトンで2年連続チャンピオンになりました。当時最強のウィリアムズを腕と戦略で抑えたのです。
迎えた1996年、シューマッハはフェラーリに移籍します。タイトルに長年見放されたチームの救世主となるかが焦点でした。
しかしながら、フェラーリはまだ信頼性が乏しく、10戦消化の段階で1勝したものの5リタイヤという有様でした。PPを取ったフランスではフォーメーションラップ中にエンジンブローします。一方、ウィリアムズのヒルが年間8勝してチャンピオンになります。
フェラーリ1年目は手探りといった感のシューマッハでしたが、イタリアGPで勝ち、フェラーリ・ドライバーとしての地位を確立します。
ミカ・ハッキネン(フィンランド)は、1998,99年にマクラーレンで2年連続チャンピオンになりました。車両規定の変更を生かしたニューウェイによるシャシー、メルセデスエンジンのパワーを得て、埋もれたていたハッキネンの才能が開花しました。
迎えた2000年、ハッキネンは前半を苦戦し、8戦終了時にシューマッハに24点差をつけられました。しかし中盤に巻き返し、12戦ハンガリーで逆転、リーダに立ちます。3連覇かと思われました。
しかし、シューマッハが14戦イタリアから巻き返したのと、ハッキネンが15戦アメリカでリタイヤしたのが響きました。16戦日本でシューマッハと激戦の末、敗れて王座を逸しました。
とはいえ、3連覇を逃した6人の中では、もっとも惜しい成績でした。チャンピオン争いを3年も続けることは過酷なことです。ハッキネンが消耗し、休養を考えたのもうなずけます。
※2002年、シューマッハはふたたび3連覇をめざします。2001年の2連覇目が楽だったので、消耗はしていないかもしれません。しかし、マシンがこれまでの戦力を維持できるかどうか、それによってシューマッハが全力で王座を獲らなければならない場面も出てくるでしょう。もし達成すれば、ファンジオと並ぶ史上最多5回の王座にもなります。