ドライコンディションは14周目から51周目の間で、最初の13周と最後の9周がウェットコンディションだった。ドライではマッサが36周目にアロンソに8.4秒の差をつけた。フェラーリはマクラーレンより一周平均で0.3〜0.4秒は速かった。グラフではハミルトンがマッサと互角に見えるがハミルトンはマッサより4周早めに給油に入った(軽かった)からである。
だがアロンソ37周目、マッサ38周目にタイヤ交換に入った後、両者の差は縮まり始める。50周目に4.4秒になった。
そして53周目、降り始めた雨に各車はウェットタイヤに交換する。54周目にアロンソは1秒差に迫り、55周目に0.1秒差となる。上のグラフはマッサが終盤に誰よりも遅いペースに落ち込んでいることを示す。マッサにとっては不運の雨となった。アロンソは千載一遇のチャンス、天候を味方につけた。だが、天候もF1の要素のひとつであることを忘れてはならない。
序盤、17位だったハミルトンは6周目にドライタイヤに交換するギャンブルに出たが、トップとの差はさらに広がり、9周目に2分8秒差になってしまった。12周目に上位陣が一斉にドライタイヤに履き替えたとき、16位ハミルトンはトップとまだ1分25秒差だった。ハミルトンは予選の事故、そして3周目のコースアウトは仕方なかったとして、このギャンブル失敗が最後に響き、8位コバライネンをとらえることができなかった。これもハミルトンの経験になるだろう。9/16の第14戦スパと9/30の第15戦富士は天候が懸念されるサーキットである。ここが今シーズンのヤマになるかもしれない。
ドライではフェラーリが速い。マッサは1分33秒台後半を誰よりも多く刻んだ。これからハンガリー、トルコ、イタリアと続く。マクラーレンとして勝負を挑むのは中低速コースの次戦(8/5)ハンガリーだろう。トルコとイタリアは厳しいかもしれないからだ。ここからが本当の勝負が始まる。
アロンソ乱戦制す
ハミルトン9位0点で一気に2点差
マッサ残り5周の雨で勝利逃す
ライコネン鬼門ニュルまたリタイヤ
ウェバー3位
スタートでライコネン・マッサのフェラーリ1-2。ハミルトンは混乱に乗じて10位から4位まで上がったがまた後退。スコールが来てバトン、ハミルトン、スーティル、ロズベルグ、リウッツイが餌食になる。ライコネンはピットインで滑ってコースに戻ってしまう。デビュー戦のヴィンケルホックが雨タイヤで1位。
赤旗中断、再開後はマッサ・アロンソ・ライコネンが上位3台。コースに戻ったハミルトンは17位。ハミルトンは早めにドライに履き替えたが早すぎた。
そしてライコネンは鬼門のニュルブルクリングでまたしてもリタイヤ。だがドライではフェラーリが速く、マッサがアロンソを突き放す。
終盤、再び雨が来る。今度はマクラーレンが速く、残り5周でアロンソはマッサを接触しながらオーバーテイク。アロンソが乱戦を制した。ハミルトンは必死に追い上げたが入賞一歩手前の9位。ウェバーは最終シケインでひるみながらもブルツを抑えて3位。ハミルトン70点、アロンソ68点、マッサ59点、ライコネン52点。
ライコネンPPアロンソ2番手
ハミルトン大事故で病院へ
ハミルトンがQ3の高速左コーナーで直進してクラッシュ。病院に運ばれたが骨折などの問題はない。
マクラーレンは車の問題でなく、ホイールガンの問題と言う。
チャンピオンシップリーダーが大事故に見舞われた例
年 |
ラウンド |
グランプリ |
サーキット |
リーダー |
チーム |
事故状況 |
選手権結果 |
1961 |
全8戦中7戦目 |
イタリア |
モンツァ |
V・トリップス(ドイツ) |
フェラーリ |
決勝の事故で死亡 |
僚友P・ヒルが王者 |
1968 |
全12戦中1戦終了時 |
(F2レース) |
ホッケンハイム |
J・クラーク(イギリス) |
ロータス |
決勝の事故で死亡 |
僚友G・ヒルが王者 |
1970 |
全13戦中10戦目 |
イタリア |
モンツァ |
J・リント(オーストリア) |
ロータス |
予選の事故で死亡 |
死後チャンピオン |
1976 |
全16戦中10戦目 |
ドイツ |
ニュルブルクリング |
N・ラウダ(オーストリア) |
フェラーリ |
決勝の事故で大火傷 |
J・ハントが逆転王者 |
1982 |
全16戦中12戦目 |
ドイツ |
ホッケンハイム |
D・ピローニ(フランス) |
フェラーリ |
予選の事故で両足骨折 |
K・ロズベルグが王者 |
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