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2007

2007 CHINA


富士と違った雨の状態
レースは状況の変化で3つに分割できる。最初は小雨のコンディション。次にシャワーが降った水びたしのコンディション。最後は乾いていったコンディション。
ハミルトンはチャンピオンになるためスタート時の混乱を避けたく、軽くしてPPをとり、レースでも狙い通りになる。ハミルトンは飛ばし、14周目で2位ライコネンに8.6秒の差をつけた。上位陣のピットストップ後も1位に戻り、勝ってチャンピオンという図式が出来上がったかに見えた。ライバルのアロンソはスタートでマッサと抜きつ抜かれつで4位変わらずである。
だが上海の天気は、富士がずっと雨だったのと違って降ったりやんだりとなり、タイヤ選択で難しい判断が求められることになった。このことがハミルトンをナーバスにさせてしまう。ハミルトンはわざと濡れた路面を走ってレインタイヤの磨耗を防いでいた。ハミルトンの15周目ピットインでのレインタイヤそのまま履き替えずの判断は、グラフ上横ばいだったタイムからは当然だった。だが皮肉にもタイヤ交換後に路面は乾いてきてタイムが上がり始める。フェラーリのライコネンは迷っただろうが、予報で雨が再び来ることからレインタイヤのままにした。ブルツとウェバーはドライタイヤに換えて速いタイムを出す。フェラーリは25周目、ライコネンのためにマッサにドライタイヤを履かせて試させた。
ここで問題のシャワーである。下図に25周目から35周目までのラップタイム推移を載せた。

ハミルトンに見えた必要以上の焦り
グラフ上では28周目がタイムの底になっている。1位ハミルトン、2位ライコネン、3位アロンソともにタイムが10秒近くもダウンした。ドライのマッサは27周目に2分25秒!という3人より30秒も遅いタイムだった。上位3人はシャワーをしのいだ。問題はその後だった。ドライタイヤに換えた連中が一気にタイムを上げるなど、路面は急速に乾いていった。ここでハミルトンのリアタイヤが変調をきたす。ライコネンとアロンソは30周目までタイムを上げたのと対照的だった。ハミルトンはトルコで露呈したタイヤに厳しい走りがここで危機を招く。マクラーレンの判断は1周遅かった。29周目でハミルトン1:55.381に対しアロンソ1:51.629、その差3.7秒も違った時点で入れるべきだった。ハミルトンはその周でライコネンに抜かれている。30周目でハミルトン1:56.885に対しアロンソ1:49.105と7秒も違った。マクラーレンはここで決断するが、とき既に遅し。ハミルトンはリアタイヤが破損しているにも関わらずピットレーンの進入速度をいつも通りに走ってグラベルにつかまってしまった。ハミルトンは、アロンソに追い抜かれてここでチャンピオンを決められなくなるという焦りがあったのだろう。ハミルトンは冷静に引いて4位でも良かった。最終戦に持ち越されても、アロンソに9点差という大差でのぞむことができたからだ。

マッサがアロンソを防げず
最後の乾いて行った状況での重要なポイントは、マッサがアロンソの後ろになったことだった。上の25-35周目グラフで、マッサはほかのドライタイヤ勢より遅かった。このためアロンソが32周目でドライタイヤに履き替えてピットアウトしたときにマッサは後ろになってしまった。ライコネンとアロンソのポイント差が1点でなく3点になるという結果につながった。マッサがこれを挽回するには、ブラジルでフェラーリが1-2を決めてアロンソを3位以下に追いやるしかない。

それにしてもウェットコンディションでF1は面白くなる。中盤でバトンやフィジケラがファステストラップを更新していくシーンは痛快だった。裏を返すと完璧なドライコンディションでいかにつまらないものになってしまったかである。それだけレースにおいてドライバーよりもマシンで決まる比率が高くなりすぎである。

最終戦の舞台はインテルラゴス。1990年以来の17年間でウェットになったのは1991,1993,1996,2001,2003の5回。ただしいずれも春先に組まれていたときだった。雨よりも心配なことは、左回りがイスタンブール以来ということである。ハミルトンはそのレースでタイヤトラブルに見舞われた。インテルラゴスとイスタンブールは、どちらも数少ない高速コーナーと多くの低速コーナーからなり、平均速度も似通っている。フェラーリが速そうだし、前年勝者のマッサもいる。ハミルトンが1周を速く走ることと長丁場を持たせることを両立できるかがカギになりそうである。

21年前のロズベルグ父の役はマッサ
チャンピオンシップの観点に立ってみよう。もしフェラーリが速すぎればハミルトンは3位アロンソの後ろの4位でも良い。アロンソは3位の場合、ハミルトンが8位以下というトラブル頼み、かつライコネンが2位ということで可能性がなきに等しい。フェラーリはライコネンを勝たせたい。マッサがハミルトンに対しリスク覚悟のバトルを行った場合、相討ちになればアロンソを利することになる。
フェラーリとマクラーレンが互角だった場合、アロンソに勝機が出てくる。自身が勝ってハミルトン3位以下が考えられる。予選からスタートでハミルトンの勢いを抑えられるかどうか。レース戦略とピット前後の走りというもともとアロンソが得意としながら今季あまり出せなかった強みが出るかどうか。気になるのはアロンソがチームで浮いていることが最後に効くかもしれないことだが。
もうひとつ、歴史上は3人による戦いがすんなり行かないことを示している。若く突っ走るイギリス人のハミルトンは必要以上のプレッシャーに悩まされるだろう。それに打ち勝つことが出来るか。1986年、3位でチャンピオンになれた猪突猛進のイギリス人マンセルは、めまぐるしく変わるレース展開でいったん4位に落ち、再び3位に浮上したがタイヤバーストで敗れた。このときプロストを支援するためにレースをかく乱して1位を走ったのが選手権で脱落していたロズベルグの父だった。2007年、その役はマッサとなるか。

最終戦で3人にチャンスがあった例

ポイントリーダーがチャンピオンになる率は50%と低い

最終戦前 最終戦結果
1950 ファンジオ(26点)、ファジオーリ(24点)、ファリーナ(22点) ファンジオR(27点)、ファジオーリ3位(24点)、ファリーナ優勝(30点)
1951 ファンジオ(27点)、アスカーリ(25点)、ゴンザレス(21点) ファンジオ優勝(31点)、アスカーリ4位(25点)、ゴンザレス2位(24点)
1959 ブラバム(31点)、モス(25.5点)、ブルックス(23点) ブラバム4位(31点)、モスR(25.5点)、ブルックス3位(27点)
1964 G・ヒル(39点)、サーティース(34点)、クラーク(30点) G・ヒル11位(39点)、サーティース2位(40点)、クラーク5位(32点)
1968 G・ヒル(39点)、スチュワート(36点)、ハルム(33点) G・ヒル優勝(48点)、スチュワート7位(36点)、ハルムR(33点)
1974 フィッティパルディ(52点)、レガッツォーニ(52点)、シェクター(45点) フィッティパルディ4位(55点)、レガ11位(52点)、シェクターR(45点)
1981 ロイテマン(49点)、ピケ(48点)、ラフィー(43点) ロイテマン8位(49点)、ピケ5位(50点)、ラフィー6位(44点)
1986 マンセル(70点)、プロスト(64点)、ピケ(63点) マンセルR(70点)、プロスト優勝(72点)、ピケ2位(69点)

ライコネン優勝アロンソ2位
ハミルトンリタイヤ

ハミルトン107点、アロンソ103点、ライコネン100点で最終戦ブラジルへ。ハミルトンは2位でもチャンピオンになれるが、わからなくなってきた。

勝てばチャンピオン決定だったハミルトンはウェットコンディションのレースをPPからリードするが、その走りはタイヤに厳しかった。路面が乾いてきてリアタイヤを破損。ピットインでグラベルにつかまりリタイヤ。今度はクレーン車が助けてくれなかった。ライコネンはアロンソの追い上げをかわし優勝。

アロンソがチャンピオンになるには、アロンソ優勝ハミルトン3位以下
ライコネンがチャンピオンになるには、ライコネン優勝アロンソ3位以下ハミルトン6位以下
 

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