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2007

2007 BRAZIL


最大26点差をはね返したライコネン
ライコネンは第7戦アメリカGP後にハミルトンと26点差まで開かれてしまっていた。第13戦イタリアGPで18点差まで縮まっていたが、ハミルトンの超・安定性から逆転は不可能と思われた。だがライコネンはどのレース後も必ず「あきらめない」と言い続けてきた。そのことが自分を、チームを鼓舞した。
ライコネンは第5戦モナコGPの予選Q2でクラッシュし、致命的な16番手に落ちた。だがあきらめずに走り、8位1点を得た。全17戦を終えて、ライコネンはライバルに1点差で上回った。モナコの1点が意味を持ったのだ。どんなに絶望的な状況でもあきらめない気持ちを持つことが、どれだけ大事なことかライコネンは示した。

抑えて走ったマッサ
マッサはブラジルGPの土曜フリー走行と予選のQ1とQ3でトップ。 前年勝者は今年もインテルラゴスで最速ぶりをアピールした。だがマッサは自由に走れない。チームの方針で1-2で完走しなければならない。二人が戦ってリタイヤは絶対にできない。マッサはレースでライコネンを引き離さない程度に走った。1回目のストップでライコネンを逆転させなかったのはフェラーリがマクラーレンにもしやと思わせる作戦か、それともマッサの意地か。2回目のストップもライコネンが3周も後だったに関わらずきわどかった。マッサはピットアウト後の52-53周目に1:12秒台をマーク。ところがライコネンがピットアウトする54周目に1:15秒台に落とした。
マッサは今シーズン中盤にライコネンをリードし、開幕前の予想を上回る成績となった。第11戦ハンガリーGPで0点と情けなかったが、第12戦トルコGPで勝ってライコネンより1点上回っていた。だがマッサは第13戦イタリアGPでまたしても0点だったのが痛かった。第14戦ベルギーGPでライコネンに次ぐ2位となり、ここでライコネンをサポートする立場が明確になった。

アロンソは序盤で戦意喪失
アロンソは予選後に4番手では難しいと語ったが、レースがスタートするやハミルトンをオーバーテイクするなど闘志がまだあった。だが4周目以降にフェラーリがあまりに速いことを思い知らされる。アロンソは第1スティントこそ懸命に走ったが、第2スティントは悟ったかのように平凡なペースになってしまった。アロンソの心境としてはフェラーリのどちらかがリタイヤしてくれることしか希望は無かった。その可能性を増すには自分が追い上げてこそだったのだが。
アロンソの今シーズンはここぞというレースで出る火事場のクソ力がなかった。チーム内で問題化してしまったこともその要因としてあげられるだろう。アロンソはハミルトンの王座を阻止したことはフェラーリによくやったと思われるだろう。だがマッサが仕事した以上、アロンソがフェラーリに行ける事は2年後でも難しくなった。アロンソはルノーで2度チャンピオンになったが、ほかのチームで3度目のチャンピオンを獲ることが彼のキャリアをさらに光るものにする。アロンソには今年それができなかった課題が残った。

フェラーリについていけたはずのハミルトン
ハミルトンは第2スティントを短くしてスーパーソフトタイヤを履いた。だがハミルトンはバリチェロやベッテルを抜くことに苦労し、前が開けても速いペースで走れなかった。ハミルトンは後半の2つのスティントでソフトタイヤに戻したが、クルサードとトゥルーリを抜くのが精一杯だった。レースペースはフェラーリに劣らないポテンシャルがあったのが返す返す残念な結果にもなった。
ハミルトンはなぜ必要以上に焦ったのだろう。トルコや中国でタイヤバーストしたことは彼の走りに影響を及ぼしたかもしれない。その心理的な負担がチャンピオン争いの終盤というただでさえプレッシャーのかかる場面で増幅した可能性がある。
ともあれ、新人がチャンピオンになるということが避けられ、F1の権威は保たれた。新人が獲れるほど簡単なものなら、シューマッハやアロンソが必死な思いで獲ったのは何だったのかということになりかねない。
さて、マクラーレンはロズベルグとBMW2台が燃料違反だとアピールしている。だがハミルトンが4位に繰り上がってチャンピオンが入れ替わることはないだろう。今年マクラーレンはもっと重大な違反をおかしてポイントを剥奪されたが、ハミルトンは剥奪されず、生かされた身である。

ライコネン大逆転タイトル
アロンソ3位、ハミルトン7位

ライコネン優勝(110点)、アロンソ3位(109点)、ハミルトン7位(109点)でライコネンが7点差を逆転して初タイトルを獲得した。
スタートでライコネンがハミルトンを抜いて2位に上がる。ハミルトンは2コーナーでアロンソにも抜かれて4位。ハミルトンはこれでもチャンピオンになれた。だがハミルトンは逆上したかストレートでアロンソを抜こうとしてコースオフ。ハミルトンは8位から追い上げをはかるが焦りが見られる。その走りがハミルトンのマシンに変調をきたしたかギヤが入らなくなるトラブルがおこりハミルトンは18位に落ちる。ハミルトンはマシンを立て直して再び追い上げる。
1ストップ目で1位マッサ2位ライコネンの逆転はなし。だがライコネンはマッサより長いスティントを得る。3位アロンソは引き離されるどころかクビサに一時抜かれるなどパッとしない。ハミルトンは3ストップに切り替える。だがハミルトンは周回遅れになる。
2ストップ目でライコネンがマッサを逆転。ハミルトンは7位まで追い上げるがチャンピオン条件の5位まで届かず。3人の争いでポイントリーダーがチャンピオンになれない確率は生きていた。
そしてライコネンが優勝してフェラーリ移籍1年目でシューマッハの後を継ぐ王座に就いた。

マッサPP
ハミルトン2番手ライコネン3番手アロンソ4番手

 
史上11組目の親子F1出場
2007年最終戦ブラジルGPで中嶋悟の息子・中嶋一貴がウィリアムズから出場。中嶋家はF1史上11組目の親子出場。過去5組はチャンピオンを輩出。明らかに父を上回った子はジャックぐらいしかいない。※ハンス・シュトックは戦前の名ドライバー(1934ドイツGP優勝、1935イタリアGP優勝)。
シーズン 最高成績 シーズン 最高成績
ヒル グラハム 1958-75 チャンピオン(62,68) デーモン 1992-99 チャンピオン(96)
ビルヌーブ ジル CAN 1977-82 優勝6回 ジャック CAN 1996-06 チャンピオン(97)
アンドレッティ マリオ 1968-82 チャンピオン(78) マイケル 1993 3位1回
ロズベルグ ケケ FIN 1978-86 チャンピオン(82) ニコ 2006- 6位3回
ブラバム ジャック 1955-70 チャンピオン
(59,60,66)
デビッド 1990-94 10位1回
ゲイリー 1990 予選落ち
シュトック ハンス 1951-53 14位1回※ ハンス−ヨアヒム 1974-79 3位2回
パーネル レグ 1950-54 3位1回 ティム 1959-63 10位1回
フィッティパルディ ウィルソン BRA 1972-75 5位1回 クリスチャン BRA 1992-94 4位3回
中嶋 1987-91 4位2回 一貴 2007 -
ピレット アンドレ 1951-64 5位1回 テディ 1974-77 17位1回
ヴィンケルホック マンフレッド 1980-85 5位1回 マルクス 2007 リタイヤ

12年ぶり日本人3人出場
2007年最終戦ブラジルGPには佐藤琢磨(アグリ)・山本左近(スパイカー)・中嶋一貴(ウィリアムズ)の日本人3人が出場。
日本人がF1GPに3人出場するのは、1995年日本GP(鈴鹿)の片山右京(ティレル)・井上隆智穂(フットワーク)・鈴木亜久里(リジェ)以来12年ぶり。ただし鈴木は予選で負傷して決勝を欠場した。グランプリレース出場となると1995日本GPの前の週に開催されたパシフィックGP(TI英田)以来。
過去最多出場は1976年富士の4人。高原敬武(サーティース)・長谷見昌弘(コジマ)・星野一義(ティレル)・桑島正美(ウィリアムズ)。
 

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