2001.5.20
2001年は6戦を終えて、M・シューマッハ(42点)がトップですが、クルサード(38点)が僅差で追っています。今年のクルサードは安定しており、以前までのタコさが影をひそめています。クルサードはチャンピオンにふさわしいドライバーになったのでしょうか。チャンピオンをとるための課題は何でしょうか。
デビッド・クルサード 1971/3/27生まれ(イギリス) |
ミカ・ハッキネン 1968/9/28生まれ(フィンランド) |
ミハエル・シューマッハ 1969/1/3生まれ(ドイツ) |
ジャック・ビルヌーブ 1971/4/9生まれ(カナダ) |
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1987年 | (18歳)北欧FF1600:チャンピオン | (18歳)欧・独カートチャンピオン | ||
1988年 | (19歳)欧FOL:チャンピオン | (19歳)欧FF1600:シリーズ2位 | ||
1989年 | (18歳)英FF1600:チャンピオン | (20歳)英F3:シリーズ7位(1勝) | (20歳)独F3:シリーズ3位(2勝) | (18歳)伊F3:最高10位 |
1990年 | (19歳)英FOL:シリーズ4位(3勝) | (21歳)英F3:チャンピオン(9勝) 独F3:1戦1勝 |
(21歳)独F3:チャンピオン(5勝) マカオ優勝 |
(19歳)伊F3:1勝 |
1991年 | (20歳)英F3:シリーズ2位(5勝) マカオ優勝 |
(22歳)F1デビュー | (22歳)F1デビュー | (20歳)伊F3:最高2位 |
1992年 | (21歳)F3000:最高3位 | (21歳)日F3:3勝 | ||
1993年 | (22歳)F3000:1勝 | (22歳)米アトランティック:5勝 | ||
1994年 | (23歳)F1デビュー | (23歳)米CART:1勝 | ||
1995年 | (24歳)米CART:チャンピオン インディ500優勝 |
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1996年 | (25歳)F1デビュー |
クルサードは15〜17歳の時、スコットランドで無敵のカートチャンピオンでした。18歳になってフォーミュラマシンに乗り、いきなり勝ちまくります。20歳でF3に乗り5勝しますが、バリチェロにチャンピオンを取られます。F3000の3年目にセナが死んで急きょ、F1トップチームのウィリアムズに抜擢されます。
ハッキネンとシューマッハは同学年で、20歳の時、イギリスとドイツのF3でそれぞれチャンピオンになります。夏にハッキネンはホッケンハイムに乗り込み、シューマッハを完膚なきまでに叩きのめします。秋のマカオでは、ヒート1でハッキネンが完勝。しかしヒート2で両者は接触し、シューマッハが総合優勝します。
ビルヌーブは、クルサードと誕生日が近く友人ですが、レース歴は異なります。ビルヌーブはイタリアで芽が出ず、21歳のとき日本のF3で勝って自信をつけます。翌年アメリカに渡ってからは才能を開花。24歳でCART王者とインディ500覇者になります。そしてクルサードに代わってウィリアムズに入ったのでした。
クルサードは3人のチャンピオンに比べて、F1に上がる時の勢いに欠けます。F1で8年経験して、彼らをしのぐ力を身につけたでしょうか。
クルサードは1995年からレギュラードライバーになりました。これまで最も成績が良かったのは2000年です。2001年はさらに上回るペースでポイントを上げています(グラフは最近に近いほど黒い線です)。
クルサードは、1998年以降、チャンピオン争いに毎年顔を出しますが、連続ノーポイントを何度も喫してしまい、脱落することが多かったのでした。
それが2001年は、開幕以来全戦ポイントという安定ぶりです。苦手の雨でもスピンせず、ピット戦略でも勝つなど、人が違ったようです。
シューマッハ、ハッキネン、クルサードについて、1998年以降、各戦時点のポイントの累積状況です。
前半はシューマッハがリードし、ハッキネンとクルサードは互角です。ところが後半戦になり、ハッキネンがシューマッハと僅差の勝負をしているのに対し、クルサードは伸び悩み、2人に置いていかれます。
シューマッハ、ハッキネン、クルサードについて、GPごとの過去3年の平均得点です。
クルサードは終盤戦の成績が悪いのが問題です。ハッキネンも低下ぎみですが、鈴鹿での強さが2度の王者の原動力になりました。
マシンは後半、どんどん進化していきます。ドライバーはその力を最大限に引き出さなければなりません。クルサードは今年、それができるか未知数です。
今度はGPごと予選の平均順位です。クルサードはハッキネンとシューマッハに遅れをとっています。
クルサードは予選一発の速さが課題でしょう。レース中にじわり上がって行くスタイルは、追いつけないときもあります。ハッキネンが復活したら、そうなる可能性があります。
クルサードの予選でのチームメイトとの対戦成績は、33勝80敗、勝率29%と低いです。
デビュー年はヒルに全敗しましたが、翌年は8勝9敗と互角になりました。クルサードは1996年チャンピオンのヒルと同じ力を持ったのです。
1996年にマクラーレンに移ってからは、ハッキネンに25勝63敗、勝率28%とかないません。2001年はポイントでハッキネンを圧倒しているのに、予選では負け越しています。
過去10年のチャンピオンはチームメイトに対し、予選で圧倒的に勝っていました。138勝23敗、勝率86%です。
クルサードの予選成績は過去の傾向に反しています。チームがクルサード優先のレース戦略を立てにくくなります。
これより以前、1980年代は、予選で遅くてもレース運びのうまさで勝つ、ラウダ、ピケ、プロストらがいました。彼らのような老獪さがクルサードにあるでしょうか。
クルサードの完走率は向上し、2000年にチャンピオンよりも高い率を残しました。さらに、2001年は6戦すべて完走しています。クルサードはレースの鉄則である、「ゴールすること」を身に付けたと言えるでしょう。
クルサードのリタイヤ理由推移です。クルサードは1997年までマシン、ドライバー双方のリタイヤ理由が多いものでした。1998年からアクシデントやスピンが減りました。そして2000年はマシントラブルも激減したのです。
クルサードは1998年イギリスGPと1999年ヨーロッパGPで、雨の中スピンアウトしました。ところが2001年ブラジルGPでは雨でシューマッハを破りました。雨でコースアウトしないようになりました。
また、マシンをいたわる走りができるようになりました。クルサードは、今やハッキネンをしのぐ安定感を持っていると言えます。
過去10年の選手権上位3人とクルサードの年間優勝回数です。チャンピオンは年間平均7.7勝。これに対し2位は4.4勝、3位は1.8勝です。
クルサードは2000年に初めて3勝しました。まだ連勝したことはありません。クルサードは爆発することができるでしょうか。混戦の2001年は難しいかもしれません。しかしチャンピオンになるには6勝以上は必要と思われます。
最後に、クルサードは歴代チャンピオンと肩を並べているかどうかです。
クルサードは、ポールポジション、ファステストラップ、優勝のいずれの率も、全チャンピオンの平均より低くなっています。
しかし、表彰台に上がる率、入賞する率、完走率は、いずれも全チャンピオンの平均を上回っています。
これらの特徴は、「地味」と言えます。これから中盤、後半、終盤にかけて、皆をうならせる派手な活躍をすることができるでしょうか。