2001.11.11
2001年のシーズンサマリー、決勝の6回目は、全17戦ラップチャートから、ドライバーがどの順位圏を走ることが多かったかを示します。
ドライバーごとに周回数を順位ごとに色分けしました。
M・シューマッハは1位が537周でダントツ。全1009周の過半数を1位で過ごしました。90%が表彰台圏内です。
1位周回数ではモントーヤとラルフのウィリアムズ勢が、バリチェロより多くなっています。バリチェロは2位が最多の264周を記録しましたが、1位が81周とすくなかったため、目立たず、優勝0回に終わってしまいました。
マクラーレン勢は1位周回数で2人が互角ですが、2位以下はクルサードが圧倒的に多くなっています。
トゥルーリは今季3強以外で唯一1位周回を記録(マレーシア)。入賞圏内を多く走っていましたが、結果には結びつきませんでした。
赤から黄色までが入賞圏内です。中団はしれつな争いが繰り広げられていました。
アレジは各順位をまんべんなくカバーしており、安定感で群を抜いていました。
表彰台圏内の周回数シェアでは、フェラーリが1−2で半分近くを占めました。マクラーレンとウィリアムズが互角。
3強以外は入るスキがなく、3強の誰かが倒れたおこぼれを頂戴するしかありませんでした。
4〜6位、入賞圏内の周回数では、3強を差し置いてトゥルーリが最多。3強は6台ですから、トゥルーリががんばっていたことがわかります。
M・シューマッハはここを走ることがごくわずかでした。
BARとザウバーが3強崩れの椅子を狙って争っていました。
7〜10位のベスト10圏内では、ザウバーとBARの争いにアレジが加わっていました。
ジャガー、アロウズ、ベネトンもこの近辺が目標だったといってよいでしょう。うまくいけば入賞もありえる位置でした。3強の完走率が高かったのでここ止まりということも多かったですが。
11〜15位になると、下位集団の混戦になります。ベネトン、プロスト、アロウズ、ミナルディがひしめきあいます。完走してもこの辺で終わることが多いものでした。
BARがこの辺をうろついており、当初の上位進出目標どころではない不調さがうかがえます。
16〜22位はミナルディの"縄張り"でしたが、ベネトン(前半戦)とアロウズ(後半戦)がおちおちしてると食われかねない雰囲気もありました。
つづく