(2001.1.9)
2000年の全レギュラードライバー22人のラップチャートを集計しました。各ドライバーは何位を走っていることが多かったでしょうか。また、直前直後を走ったライバルは誰でしょうか。ドライバーごとに2000年のバトルをほうふつさせる結果になっています。
左上図のたて棒は各順位ごとの周回数、折れ線は決勝順位の回数を表します。両者が揃っているときは順当な結果です。
予選平均2.1位、ラップ平均1.7位、完走平均1.6位。チャンピオン、M・シューマッハは1位周回数でトップの548周を記録し、これが優勝9回につながりました。
全走行921周のうち、60%が1位を走っていました。1位と2位を合わせると811周で、88%にもなります。戦闘力のあるマシンを自在にあやつり、常に優勝を狙える位置に居続けたと言えます。
M・シューマッハの最大のライバルは当然ながらハッキネンで、2000年はシューマッハが248周先行、ハッキネンが232周先行と、互角の戦いをしていました。
クルサードに対しては273対58と、圧倒的(82%)にシューマッハが前を走っていました。チームメイトのバリチェロにも178対22(89%)です。シューマッハが唯一、先行の方を多く許したのはビルヌーブで、17対31でした。
シューマッハはマクラーレン勢との争いに専念でき、下位には悩まされていません。
予選平均3.6位、ラップ平均3.9位、完走平均2.9位。バリチェロは3位245周、4位256周が特に多く走っていた順位です。レース結果も同様になりました。
安定しているが、今ひとつレースを支配するには至らないといった感じでした。
バリチェロはシューマッハを抜かないようにしていると言うより、マクラーレン勢に抑えられていると言えます。
予選平均2.7位、ラップ平均2.8位、完走平均2.3位。ハッキネンは、周回数では1位の方が2位より多いのですが、レース結果は逆になりました。
先行逃げ切り(オーストリア)、または力づくの逆転(ハンガリー、ベルギー)というイメージですが、フェラーリの戦略にしてやられた感(サンマリノ、日本)があります。
ハッキネンが後方に下がったとき、予想外に抜くのに苦しんだことがこの図にあらわれています。フィジケラ、フレンツェン、サロにはかなり先行されています。ハイドフェルド、マッツァカーネにも数周にわたってブロックされました。
予選平均2.6位、ラップ平均3.6位、完走平均2.9位。予選の速さがレースで生かしきれませんでした。
3位が多いのは、シューマッハとハッキネンより遅れをとることが多いと言えます。
ただ、1位周回数でハッキネンの3分の1以下ですが、優勝3回はハッキネンの4回より効率的です。
クルサードの課題として、下位のドライバーともまんべんなくバトルをしていることで、余計な手間をかけています。
予選平均7.8位、ラップ平均7.2位、完走平均4.3位。予想以上の成績だったウィリアムズBMW。ラルフは3位から6位の入賞圏内をコンスタントに走り、結果にも結び付けています。
ミスで下位に沈むこともままあるのは、今後の課題と言えます。
予選平均13.1位、ラップ平均9.2位、完走平均6.4位。バトンが新人らしからぬ成績を残したことは、周回記録よりも、レース結果の方が良いということで明らかです。予選でトップ10から落ちても、レース途中では確実にトップ10を走り、入賞圏内に上がっていきます。
ベルギー、イタリア、アメリカでは3戦連続で若さで失敗しましたが、これらが糧になっていくかどうかが見ものです。
予選平均10.9位、ラップ平均10.0位、完走平均7.3位。波の多かった2000年でした。レース結果もそうですが、途中周回でもトップ10落ちの下位を走ることが多すぎます。これは期待外れと言えます。
レース中、他車を抜かず、完走で順位を上げる地味なスタイルになりました。予選平均15.0位、ラップ平均11.8位、完走平均9.0位。フィジケラはまだ入賞圏内を走ることが多かったのですが、ブルツはトップ10前後をうろつくことが多く、壁に当たってしまいました。
フィジケラは常に2台先を走り、チームメイト同士のバトルはあまりおきませんでした。予選平均9.1位、ラップ平均7.5位、完走平均6.0位。ビルヌーブはマシンの性能をフルに生かし、常に入賞圏内を走っていました。しかし表彰台に上がれなかったのもこのチームの2000年の限界でした。
ウィリアムズ、ベネトンとは互角の勝負をし、ジョーダンよりも速さを見せました。はたして2001年はさらに上へ行けるでしょうか。
予選平均15.2位、ラップ平均11.2位、完走平均9.0位。ゾンタはトップ10前後か、それ以下が多く、空回りした感があります。ただ、入賞3回はデビュー時よりしぶとさを見せたと言えるでしょう。
予選平均6.1位、ラップ平均5.7位、完走平均5.2位。1999年2勝、選手権3位を記録したフレンツェンは、2000年もフェラーリ、マクラーレン以外で唯一トップを走ったドライバーで実力を見せました。
入賞圏内を走る率が高いのですが、完走率の低さから結果に結びつきませんでした。
予選平均7.6位、ラップ平均8.4位、完走平均9.0位。レース中、順位が低下していく傾向が見られます。
予選ではフレンツェンを上回るパフォーマンスを見せたトゥルーリは、才能は認められるところです。しかしながら不用意なミスで下位に落ちる事が多く、安定感に欠きました。
予選平均15.0位、ラップ平均10.1位、完走平均7.6位。サロがザウバーの得点を1人で上げました。サロは予選が遅いながらも、レースで着実にポジションアップし、安定した成績を残しました。
1年を通じると上位陣には歯が立たなかったものの、レースをしぶとく走り抜く実力は光りました。
もっともバトルした相手はゾンタです。
予選平均16.3位、ラップ平均12.5位、完走平均9.5位。サロの真後ろからスタートしながら、レース中は置いていかれるパターンが定着。F1ドライバーとして限界を見せました。
ディニスがもっともバトルした相手も、ゾンタです。
予選平均13.9位、ラップ平均11.2位、完走平均9.7位。安定してないが、入賞圏内に入ればつかんで話さない走りをしました。
フェルスタッペンがもっともバトルしたのは、ここでもゾンタ。BARの実力はザウバーやアロウズといい勝負だったのかも知れません。
予選平均13.2位、ラップ平均11.6位、完走平均10.7位。フェルスタッペンに比べるとレースでの戦いがやや劣ります。
予選平均8.8位、ラップ平均10.3位、完走平均9.2位。レースでは予選より下がって戦うことが多い1年でした。
アーバインはモナコでたった1度の4位のチャンスをものにしました。彼らしいところです。予選ではポテンシャルを見せたので、いかにレースをまとめるかが課題です。
予選平均14.8位、ラップ平均11.4位、完走平均9.6位。予選ではアーバインに大きく遅れましたが、レースではベテランらしくしぶとい走りを見せました。
オーストリアやドイツなど荒れたレースでは入賞圏内に顔を出しましたが、結果には至らず、限界を感じさせました。
フィジケラとは10レースもバトルしました。サンマリノではレースのほとんどをフィジケラを抑えて走りました。アーバインとは61対68といい勝負していました。
予選平均20.2位、ラップ平均14.9位、完走平均12.1位。入賞圏内を走ることがなかったのはジェネとハイドフェルドだけです。
ミナルディは燃料を多く積み、ピットストップを遅らせる戦法をとっていました。
7位を走ったのはオーストリアとアメリカ。オーストリアでは予選20位から1周目の混乱で10位にアップ。ブルツを抑えきりました。
1年を通すと、どうしてもチームメイトの前を走ることが最も多かったのでした。
予選平均21.7位、ラップ平均16.2位、完走平均12.6位。他車を抜くことはなく、ひたすら完走を目指したといった感があります。
ミナルディもそれなりに前年より速くなっているのですが、他チームの向上度についていけません。予選平均17.9位、ラップ平均14.7位、完走平均11.0位。目立ったのは走りよりもチームメイト同士の事故(フランス、オーストリア)でした。
1999年F3000チャンピオンの光は見えず。1998年は2位でしたが、その年チャンピオンのモントーヤが2001年にF1参戦します。この二人がどういう成績になるか見ものです。
予選平均15.6位、ラップ平均12.9位、完走平均11.2位。2001年ドライバーランキングの最下位になってしまいました。
しかし雨のベルギーでの4位走行、モナコ予選7位などやるときはやる存在感を見せました。