ポケモンプレイ記2001

年ごとの、自分を取り巻くポケモンたち

 

1996年 すべてはここから始まった

ポケモンが発売された年である。
かくいう僕も、発売日にはすでにゲームを体験していた。
もっとも、初めは弟が買ってきたもので、その時は「例の変なCMやってたゲームか」としか思ってなかった。
しかし、弟のポケモンをちょっとやったりするうちに、このゲームの魅力にどっぷり浸ってしまった。
何が自分をここまで引きつけたのかは、今となっては良く覚えていない。
それからしばらくは、弟と共同で赤バージョンを遊んでいた。
小学校の卒業式が終わったあと、ピジョットに進化させるべくピジョンのレベルを、
ハナダの洞窟にて頭出しで上げていた事をなぜか鮮明に覚えている。

春になると、自分の周りにもポケモンが流行りだした。
その時はまだ相変わらず弟と共用で進めていたのだが、やがて友人Kから緑バージョンを借りた。
カモネギの魅力にとりつかれたのも確かこのころだ。借り物にもかかわらず最後まで進めた。
確か、シナリオ中にミニリュウを育てていたことを覚えている。
このころ、友人Iとバグ技をいろいろ研究していたが、このことはあまりふれないでおく。
雑誌のミュウの抽選の募集や、続編(当時は名称未定)の発表などにわくわくしていた。

その後、6月頃に弟の赤の図鑑が完成。最後のピースはサンダースだった。
周りの友人達が次々と図鑑を完成させている中、なかなかサンダースを貸してもらえなかったことを覚えている。

そして、夏。初めて自分のポケモンとして緑を買った。
すでにシナリオは2回ほどクリアしていたが、それでも引きつけてしまう何かがこのゲームにはあった。
夏休み中を使ってひたすら遊び倒した記憶がある。

また、このころ、PP増やしやミュウ作成などのバグが横行しはじめたが、
これについては深く語らないでおく。

秋頃には限定(当時)の青バージョンの受付が開始された。
もちろん僕は買うことにしたが、弟と共用で1個にするか、2個買うかでもめた。
結局2個買うことにしたが、今思うとこれは正解だったのだろう。
今となってはその青は、前作のメインカートリッジにまでなった。
年末年始のゲームはもちろんポケモン青!4度目となっても、やはりゲームをするのが楽しかった。
ただ、この年の暮れ、初めて買ったポケモン緑を紛失してしまった。
ひたすら探したが、結局見つからなかった。
ちなみに、このとき緑で育てていたポケモン達は、後に青で再現することになる。

 

1997年 ポケモン黄金時代

年が明けてもポケモン人気はとどまることを知らない。
部活(理科部)内でも、このゲームが流行りはじめていた。
通信大戦に燃えたのもこの時期である。
対戦でバグを使う輩や、インチキデマ情報(ホウオウだのアジア村だの)に強い嫌悪感を抱くようになる。

また、この年はアニメが放送され、それに伴うキャラクターグッズとともに、
ポケモンが一般に有名になっていった時期でもあった。
僕はこのころ塾に通いはじめたので、アニメはビデオで見ることになった。
いつも楽しみにしていたのだが、スペシャルの時(確かミュウだかロコンだかの話だったな)、
通常と同じ時間で録画をしてしまい、当然前半30分しかとれなかった。
弟からは文句を言われ、その後しばらくはアニメと無縁の日々を送る。
例のポリゴン事件が起こったのもこの年だが、その時自分はアニメから離れていたので別に気にもとめなかった。

ちなみに、自分がインターネットにふれたのもこの時期で、塾のパソコンから
「だいすきクラブ」や、そこからリンクされているページを見たりしていた。
やはり、デマの出所の一つはインターネットにあるようだった。

 

1998年 ブームの陰り?

そろそろ、自分の周りでポケモンをやる人が減った来た時期。
一部の友人とは、未だに対戦などをしていたが…。
この年、ポケモンスタジアムやピカチュウバージョンが発売される頃になるが、
周りの人はほとんど買わなかった。自分も、買うのは来年となる。

雑誌などで、ポケモンの育て方が紹介されるようになる。
「たくさん戦った方がレベルアップ時に強くなる」
「倒した相手によって能力の上がり型が変わる」などの情報を見て、
ポケモンの奥深さを改めて実感した反面、
「今まで育てたポケモン達は何だったんだ」みたいな身持ちに陥る。

 

1999年 広がり、深まる。

この年は高校受験があったのだが、年明け直後にピカ版とポケスタを買う。
ピカ版をピカチュウだけでクリアしたり、ポケスタで波ピカを手に入れたりと、
受験勉強そっちのけでやりこむ(ちなみに、高校は無事合格した)。
受験も終わったので、アニメも見ることに。
このころやってた「オレンジ諸島編」は、自分が唯一まともに見ていた時期である。
しかしこのころになると、しばらくゲームから離れていた。

中学卒業後、インターネットをはじめる。
いろんなページを調べている結果、様々なポケモンのページと出会う。
やがて自分でも作りたいと思い、翔のページ開設。
このころの詳しい話はページ製作裏話を見ていただきたい。

しばらくして、解析系ページを発見、
最初のうちはバグ、改造系のページだと思って敬遠していたのだが、
よく見ると自分が今まで聞いたこともないような情報がぎっしり。
「努力値」や「個体値」などの用語を知る。
これにより、自分が雑誌で見てきた情報は非常にいい加減だと言うことがわかり、
早速今まで育ててきたLv100ポケモンを鍛え直すことにする。
よく、「ポケモンの詳しい情報を知りすぎて、ゲームがつまらなくなった」と言う話を聞くが、
僕の場合は全く逆で、「今まで育ててきたポケモンも鍛え直して戦力になるのか」
「雑誌の情報に踊らされなくて良かった」と喜んでいた。

他に面白かったのは、ポケモンのプレイ日記を載せているサイト。
このゲームは人によっていろいろな進め方があるので、
人の日記を読むのはとても楽しかった。

とにかく、いろんな意味でインターネットはポケモンの世界を非常に大きく広げてくれた。

また、もう一つの大きな出来事は、なんと言っても金銀の発売だ。
中一の頃からずっと待ち続け、ついに正式発表された発売日。
スペースワールドで体験版をプレイした人の感想が掲示板に書き込まれていくのを、
食い入るように見ていた。その日から11月21日までは、まさに「一日千秋」だった。
発売日は朝一番でとりに行った。

ストーリー、BGM、システム、どれを取っても良かった。
思い出の中で多少美化されている部分もあるかも知れないが、それほど印象が強かった。
なんと言っても驚いた&嬉しかったのは、ゲームクリア後にカントーに行けたことである。
セキエイ高原だけだと思っていたのに、まさかカントー全域まで行けるとは思わなかった。

ところで、ネットで初めて知ったのだが、この年のはじめに、
ポケモンをネタにエロ同人誌を書いたバカが逮捕され、
それによってポケモンの著作権問題が話題になったらしい。
あるポケモンサイト管理人が任天堂だか小学館だかにメールを送って詳細を訪ねてみたところ、
web上で個人がポケモンを題材にした動画や小説(創作ストーリー)を公開することはは、
たとえ営利を目的としていなくても禁止
だという回答が返ってきたとか。
何でも、見た人のポケモン観を損ねてしまう恐れがあるとか。
(それでいて評論や、普通のイラストはOKという基準はよくわからないが)
まぁ、今さら上のようなことを気にしている人はほとんどいないし、
むこうもほとんど野放しという状態である。

 

2000年 金銀やりこみの日々

今だからこそ言える話だが、この年の初め、某会員制掲示板から
ポケモンの遺伝技リストの情報が漏れるという事件が起こった。
一部のトレーナーはその情報をいち早くキャッチして、バトルに活かしたりしたものだ。
この情報が公開されたのはしばらくしてからだったので、優位に立てたものである。
(念のため言うが、当サイトの「目指せトップブリーダー」は、自分で調べた情報オンリー)

そんなこんなで、この年はポケモンの対戦に燃えた。
初回プレイ時のメインメンバーを中心をしてとにかくレベル100のポケモンを育てまくり、
後輩Zことマサヒロ氏とよく対戦していた。
技の効果などを深く知ったりしたのもこのころだ。

そういえばこの年の夏ごろ、公式サイドがようやく遺伝に関するデータを公開した。
これに関する情報はゲーム中では全くと言っていいほど出てこないうえ、
攻略本でもほとんどふれられなかったので、
「この情報を公開することで、ポケモンの世界を時間差でより深めよう」と言う魂胆だったのだろう。
その試みは面白いと思うが、ネットを使えるトレーナーは、そんな物はとっくに知っていた。

年末にはポケモンスタジアム金銀と、ポケモンクリスタルも発売され、
ポケモンファン達の間にも金銀の対戦が広がりはじめた時期だろう。
その一方、ポケスタ1,2などの前作の対戦を扱うページがほとんどなくなってしまったのも事実だが…

 

2001 ポケモン新世紀

前世紀末に発売されたクリスタル版とポケスタ金銀で、
ポケモンサイト、特に対戦系は活気づいていた。
かくいう自分も、2月にポケスタ金銀を購入。
昨年末から密か(?)に育てていたレベル50,5のメンバーを駆使して、
チャレンジカップ以外は特に苦労することもなくクリアした。
そういえば、今回は一度もレンタルポケモンを使っていない。

ポケモン自体の人気は、このころから世間では薄くなっていくような。
しかし、ネット上での加熱はとどまることを知らない

 

2002 いくつもの出会い

5月頃、モバイルサービスが今年でうち切られるということが発表される。
ひねくれ者の自分は、そのニュースを見てからモバイルアダプタを探しまくった。
そして、新規加入締め切り直前に5月に、晴れてモバイルトレーナーとなる。
ランキングによる交流、バトルタワーでのやりとり、全く新しい世界が広がっていた。
なぜ自分は早くからこの世界に入らなかったのだろう、と強い後悔。

そして、自分にとって大きな転機が訪れる。9月に東京は晴海埠頭で開かれた同人イベント(健全系)、
「めざせポケモン」に参加したことだ。
初めは、同人に興味はないけど暇だから行ってみるか、程度の気持ちだったのだが、
そこで某所のオフ会に遭遇してしまった。
既にモバイルのバトルタワー用に、新しい対戦用ポケモンを育てていた自分。
このような本格的なバトルは始めてのことで、本当の対戦の面白さ、そしてオフ会の良さに気付いてしまった。

それから、対戦系のオフ会を見つけては参加するようになった。
ルビーサファイア版の発売を目前にしたこの時期。
旧作との互換性が無いという次回作。金銀の対戦に遅ればせながらはまってしまった自分は、
これの発売が延期することを不謹慎ながらも願っていた。

そしてルビー、サファイア版の発売。前は買うつもりはなかったが、
オフ会の楽しさを知った以上、その楽しさに乗り遅れることなんてできない。
中古のアドバンストともに、ルビー版を購入。
通信による仕掛けが多数用意されており、オフ会は何倍にも楽しくなった。
定期券を生かし、毎週のようにポケモンセンターに行き、仲間と通信。
そぷして、ポケモンの世界はどんどん広がっていった。