初代ポケットモンスター、すなわち赤緑および、そのマイナーチェンジ版である青・ピカチュウ版。
それらのセリフやメッセージには、現実世界や他の作品において明確な元ネタが存在しているものも多い。
1965年生まれの田尻智氏を始めとする開発メンバーの少年時代の流行ものから、ごく近年のものまで分布しているのだが、
今日のプレイヤーがそれらの時代性を認識・区別することは難しい。
そこで、このページでは「明確な元ネタがある」ものについて、語れることを語ってみたいと思う。
僕自身は1983年生まれで、直接知っているわけでもないネタも少なくないため、的はずれなことを書いている可能性があるのはご容赦。
思いついたことを書いていくので適当に話は膨らんでいくかも。
基本的に『』で囲ったものは作品名である。
ナゾノクサの図鑑説明文において別名として登場している。大元のネタはギリシャの哲学者のアルキメデスであることは言うまでもないが、
直接的な元ネタとしては1985年に発売された大塚食品の即席麺「アルキメンデス」に由来すると思われる。
アルキメンデスは、その名の通り「歩き」ながらでも食べられることを売りにしていた。
そのまま食べられる皿うどん風の麺に、レトルトの具(あんかけ)を常温でかけて食べるというスタイルである。
ただし味が悪かったのか売り方が悪かったのか、商品としてはごく短命に終わったようだ。
しかしこの一発屋が、ゲーマーの間では結構な知名度を誇っている。
横スクロールシューティングの金字塔である『グラディウス』とのキャンペーンで、特別バージョンのファミコンカセットがプレゼントされたのだ。
アイテムのグラフィックが当商品に差し替わっているだけで特に面白いところはないのだが、その希少価値から好事家に高値で取引されている。
なお、グラディウスのファミコン版はアーケード版の移植を期待したユーザーを失望させたらしいが、単純にファミコンソフトとして非常に完成度が高い。
アーケードを知らない世代からは名作扱いされ、後に再評価されたような印象がある。
『ポケモン』以降はナゾノクサ経由でこの商品を知ったゲーマーも多いので、世代を超えて無駄に知名度が高くなっている。
2019年にはペヤングから、ほぼ同じコンセプトである「そのまま皿うどん」という商品が発売されて、やはり短命に終わった。
商品化を企画した人が何らかの形で「アルキメンデス」を知り、それを蘇らせようと思い立ったのだとしたら面白い。
1982年リリースのナムコットのアクションゲーム『ディグダグ』に由来。
その名のdig(掘る)・dag(dugの過去形)の通り、穴を掘って敵をかわしたり追い詰めたり、岩を落として潰したりする。
なおディグダ及びダグトリオの存在から誤解されるかも知れないが、主人公はモグラではないし敵にもモグラはいない。
また基本的な攻撃手段は「敵にポンプを刺して水(?)を注入して破裂させる」というエキセントリックなもので、『ポケモン』には反映されていない。
アーケードゲームとしては非常に有名だが、ファミコンへの移植(1985年)版はあまりパッとした印象はない。
固定画面という時点で、既に(少なくとも見た目は)時代遅れな存在になっていたかも知れない。
なおディグダ自体のキャラデザインは、アーケードのエレメカに見られた「モグラ叩き(商品名ではなくジャンルの総称)」のモグラそのものである。
ただ、モグラ叩きというゲームそのものは90年代以降急速に数を減らしており、『ポケモン』発売当時にはほとんど残っていなかったはずである。
(ゲーム性がほぼ同じで、よりエンターテイメント性に優れる『ワニワニパニック』に置き換わった印象)
ゲームメーカーとしてのゲームフリークのデビュー作。
いくつかの敵キャラクターのデザインがトレーナーの外見に反映されているように思える。
「ジャンパー」のモヒカンとオーバーオールは「鳥使い」に、
「プランプ」という大柄なハゲ男は「スキンヘッド」に、
「スイマー」はそのまま「海パン男」に、それぞれセルフパロディされていると思われる。
また外見上のつながりはないが、「ミミー」は主人公の動きを真似るので、ものまね娘の元ネタかも知れない。
余談だが「スイマー」に関しては、映画『泳ぐひと/The Swimmer』から着想を得たと田尻さんが語っていた。
ゲームフリーク開発のスーパーファミコンソフト。ものまね娘の部屋にある。
作中ではタイトルは直接登場せず「マリオがバケツをかぶって歩いていくゲーム」だけ紹介される。
任天堂から発売された自社開発のタイトルを伏せる必要はないので、ちょっとしたクイズのような意図だと思われる。
このメッセージを見たプレイヤーが「あ、これって『マリオとワリオ』のことだな」と気づいてちょっと得意な気分になれるという仕掛けだ。
個人的な評価だが、このゲームは良くも悪くも非常にゲームフリークらしいスタイルである。
序盤のステージこそ簡単にクリアできて純粋に操作を楽しむことができるが、先に進むにつれてシビアなタイミングでの操作やパターン構築が要求される。
全100コースで裏面まであるが、セーブやパスワードのようなものは存在せずぶっ続けでプレイしなければならない(同社の『クインティ』に似ている)。
初心者が軽く触っても楽しめる一方で、クリアのカタルシスを味わうにはかなりの技術が必要になる。僕自身はクリアを諦めたゲームである。
1986年のアメリカ映画。少年たちが好奇心から行方不明の死体を探しに行くという話。
物語の舞台は1950年代とさらに古いが、少年時代のノスタルジーという普遍的な感情を刺激する映画として評価されているらしい。
テレビなどで再放送される機会も多いので、当時の「現代」である90年代にテレビで流れているという描写も自然。
田尻智が影響を受けたという糸井重里によるRPG『MOTHER』においても、本作を彷彿とさせるセリフ(本作の登場人物であるかのような体験談を語る)がある。
ただしこの作品は、『ポケモン』や『MOTHER』のような「少年による心躍る冒険譚」では決して無い。
これに関しては以前ブログで長々と語ったので興味があるなら読んでみるといいかも。
(ポケモンやMOTHERのファンからはおしなべて好評なのが、個人的には不思議で仕方ないのだが感性が異なるのだろう)
元ネタである沢村忠と海老原博幸は、知名度にかなり差がある気がする(ボクシングや格闘技に詳しくないので断言する自信はないが)。
少なくとも沢村氏のほうは、本人を題材とした漫画がアニメ化されるほど親しまれていた。
むしろ沢村をもじった「サワムラー」に合わせて、「ラ」で終わるボクサーの名前を雑に当てはめたような印象を受ける。
そもそも「空手道場」なのに切り札がキックボクサーとボクサーというのはどうなの?という話である。
サワムラーも膝がないのに飛び膝蹴りなんていう専用技を与えられるほどのちぐはぐさなので、デザイン優先で後から適当に名前を付けたような印象が強い。
ノースリーブのランニングに短い半ズボンという虫取りの少年は典型的な「昔の子供」、すなわち少年時代の田尻氏のアバターである。
90年代前半もぎりぎりで生き残っていたような気はする(僕も幼少期は着ていた)のだが、野山で遊ぶならまだしもこの格好で街には行きにくい。
一方で、ダボダボのTシャツに膝丈の短パン(ハーフパンツ)というスタイルはいかにも当時の現代っ子といった格好。
口調も生意気だったり、流行歌を口ずさんでみたり(シャ乱Q 『ズルい女』。開発末期にねじ込んだと思われる)、
大人目線での「今どきの子供」らしさにあふれている。
こちらも短パン小僧と対を成す「今どき」ファッション。ただし小学生風の短パン小僧よりはやや年上の女子中高生といった印象。
ルーズソックス風の足元を見てもわかるように、明らかに90年代のコギャル文化の反映である。
余談だがミニスカートつながりで60〜70年代の「ミニスカートの女王」ツイッギーに結びつける考察を読んだ覚えがあるが、
少なくともキャラデザインから当時のファッションを連想するのは無理がある。
ニビ科学博物館に展示してある月の石とスペースシャトルだが、時代的な隔たりがあることを念のために指摘しておく。
まず、月の石が持ち帰られたアポロ計画は1961年から1972年にかけて実施されたもの。
今のところ、人類の月面探査はこの計画によるもの以外は行われていない。
対して、スペースシャトルが運用されていたのは1981年から2011年である(そう、現在はもう使われていないのだ!)。
つまり、同じような宇宙に関する展示でも、それぞれ「過去」と「現在」に位置づけられているのである。
作中に登場するスペースシャトルの模型はコロンビア号と明記されている。
コロンビア号には1994年に、日本人女性としては初めて向井千秋氏が搭乗したので話題となった。
残念ながら2003年に空中分解事故を起こして乗員が全員死亡する大惨事となったが、これより後に発売されたリメイク版でも特に変更はされていない。
ロケット団アジトなどにある黒い円形の物体は磁気テープのオープンリールで、コンピュータの記憶媒体である(今でいうハードディスクのような役割)。
70年代くらいまでの電子計算機のステレオタイプなイメージで、特撮モノでは背景でよく回っていたりしていた。
90年代にはすでに現役のアイテムではなくなっていた…と思う(磁気テープ自体は使われていたようだが)。
これに対して、オーキド研究所やシルフカンパニー社長室に置いてあるパソコンは当時としても現代的な姿で登場。
液晶モニタではなく四角いブラウン管というのは、当時としては全くレトロではなくリアルな描写である。
パソコンにおいて液晶モニタが当たり前になるのは2000年ごろからとなる。
インターネットではないことに要注意。ホストとなる「オーキドのパソコン」や「マサキのパソコン」と直接つないでやり取りしているイメージである。
アニメ版だとテレビ電話になっていたりするが、本来のパソコン通信だとすれば原則として文字によるやり取りだと思われる。
つまり、パソコンを通じたオーキドやマサキとの会話は、キーボード入力による文字チャットなのだ。
「自分のパソコン」と接続する描写については、冷静に考えるとかなり謎である。
アイテムを電送するということに関しては超常技術で片付けるとしても、出先から自宅にはアクセスできるのに、
自宅からパソコン通信に繋ぐことはできない(アイテムの出し入れしかできない)というのが不自然。
無理やり解釈するなら「データ管理をしている人にアクセスし、個人用のストレージに出し入れしてもらう」みたいな扱いになるのだろうか。
自宅からは(アクセス制限か何かで)オーキドやマサキに繋げないと考えれば納得できるかも知れない。
なお、開発中はさておき1996年はインターネットが急速に普及した時期(Win95発売が大きい)で、パソコン通信は次第に下火となっていった。
ただしまだ過渡期ではあり、初代『ポケモン』発売時点では任天堂の公式サイトすら存在していなかった(同年6月に開設、こちらも参照)。
次回作である金銀が発売する1999年には完全にインターネットが普及し、パソコン通信は完全に過去のものになった。
よって、基本的なシステムはそのままでありながら「パソコン通信」という用語はシリーズから急速に姿を消していく。
ポケモンにおいて「パソコン通信」という用語は、カードゲームくらいしか思いつかないというファンも少なくないのではなかろうか。
作中ではポケモンセンターのような公共施設に、無料で自由に使える通信端末が置いてあるのだが、
現実のパソコン通信において同様の公衆端末のようなものは、控えめに言って極めて珍しかったと思われる。
(公衆端末という点では、パソコン通信とは異なるが「キャプテンシステム」というものが、ポケセン設置のパソコンのイメージに比較的近いかも知れない)
アニメ版では、オーキド等とのやりとりをポケモンセンターにある公衆テレビ電話にしたのは翻案としては見事である。