初代ポケットモンスター 通信対戦黎明期の記憶

1997年の公式ルール制定以前における通信対戦の歴史を、個人的な記憶と攻略本資料から振り返る。

はじめに

主に、1996年2月27日の赤緑発売から、97年の公式ルール制定までの流れを扱う。
攻略本という客観的な資料も参照にするが、あくまでも僕個人における体験がベースである。
「それは違う」「うちのあたりではこうだった」等と思う所も多いとは思うが、一つの視点として読んでいただきたい。

ポケモン以前の「通信対戦」

ゲームボーイのRPGで「通信ケーブルによる対戦モード」を実装したゲームはポケモンが最初ではない。
自分の知る限りでも『女神転生 ラストバイブル』や『ウィザードリィ外伝3』に存在するシステムである。

ポケモンが通信RPGとして大成功したのは、任天堂の力による宣伝効果と、
一緒に集まってゲームをするのが日常的である子供たちをターゲットにしたという部分がまず大きいだろう。
上に挙げた2作は根強いファン層はいるものの、ややコアでマニアックな人気であり、
対面で通信プレイを行うというシチュエーションが成立しにくかったという理由があると思われる。
ゲームシステムやバランス上の問題についてはここでは触れない。

関連記事:GBソフトにおける通信交換と通信対戦の歴史

1996年2月27日 ポケットモンスター赤緑発売

発売前から、夕方のアニメなどを対象としたCMを重点的に流していた。
このため、後世でよく言われるほどには発売当時の知名度が低い作品では無かったと思う。
既に低年齢層にも普及していたゲームボーイというハードを活かしたコンセプトに惹かれた人はそれなりにいたと思われる。

このゲームでまず注目されたのは「収集」という要素である。
RPGのフォーマットを利用しつつ、ここまで「収集」をフィーチャーしたゲームは過去に無かったかも知れない。
ポケモン集めの面白さについては別途ブログに記事を書いているので参考にして欲しい。
(かけるのブログ 「ポケモン図鑑完成」という目標設定の意味

2大通信要素のうち「交換」が、収集に必須であることはご存じの通り。
さらに他人のポケモンは取得経験値が1.5倍になるという、RPGとして非常にわかりやすいメリットも存在する。

一方で「対戦」のほうはどうか。はっきり言って人気が無かった。
収集や育成が良い意味で忙しいので、そんなことをしている余裕が無いというのが大抵のプレイヤーの本音。
通信対戦で勝っても経験値も金も入らないのである。そんな暇があったらポケモンリーグを回すわ、という話だ。
開発チームが当初、通信対戦の実装に消極的だったのは、システムやバランス上だけではなくモチベーションの問題もあったと思われる。
そう、相当やり込まない限りは、時間を犠牲にしてまで誰かと戦ってみようなんていう気は起こらないのだ。
逆に言えば、積極的に通信対戦を持ちかけてくる側は収集や育成に一区切りがついている、とも言える。
つまり、その時点で大抵のプレイヤーよりも強いポケモンが育っているのだ。自ら対戦を持ちかける余裕の無い側が勝てるわけがない。
このように、通信対戦ではしばしば初心者狩り的な構図が発生してしまったので、
対戦システム自体にネガティブなイメージを抱いたプレイヤーも少なくないかも知れない。

他にも、当時の大抵のプレイヤーは使い切りの乾電池でゲームボーイをプレイしていた。
スーパーファミコンで遊べるスーパーゲームボーイも普及していたが、当然プレイできる場所は限られる。
昨今の基本無料ゲームにおけるスタミナ性の如く「電池」という有限のリソースがのしかかるのだ。
自宅以外、あるいは自宅であっても家族がテレビを占有している限りは電池を使う。
まして通信プレイにスーパーゲームボーイは使えない(通信端子付きの2が出るのは1998年とずっと後のこと)。
「通信対戦なんかやってる余裕がない」というのはそういうことでもある。

1996年春 第一期攻略本発売

ここでお断りするが、各種攻略本の発行日は奥付にある出版日を参考にしている。
慣例上、実際に書店の棚に陳列されるのは奥付上の発行日よりも早い場合が一般的なのだが、
実際の販売開始日までは追えないのでご了承いただきたい。

なお通信対戦に限らない攻略本自体の評価については、別に「攻略本一覧」としてまとめてある。
興味のある方はぜひご覧いただきたい。

ポケットモンスター図鑑

アスペクトより出版された、96年4月5日発行の最初の攻略本である(Amazonで調べる)。
マップや出現データの他、ポケモンの覚える技や、タイプごとの相性表を、実際にゲーム上で調べなくとも確認できるようになった。
通信対戦をする上では最低限必要ともいえる情報である。

同様に、この本では通信システムの概要にも数ページを割いている。
その中で、対戦においてはお互いにルールを決めることが重要だとしている。
レベルをある程度揃える事は当然として、一方的な展開になる技を「禁じ手」としている。
後に公式ルールで制限される眠り状態はもちろん、「しめつける」等も該当するのは今となっては不自然だが、
対戦のテンポを悪くする技として忌避感は自然と形成されていたように思う。
97カップにおいても、唯一のカイリュー使いである今井君がカイリューに「まきつく」を覚えさせていない。

巻末にはゲームフリークスタッフへのインタビューがあり、通信対戦は土壇場で仕込んだものであることが明かされている。
戦闘システム全体を練り直したものの、未だに対人システムとしては未完成であるという自覚があるかどうかはインタビューでは直接言及されない。
しかし前述の通信対戦の解説を見る限り、プレイヤー側でのルール制定が必要であるという認識は関係者が共有していたようだ。

任天堂公式ガイドブック

上記とほぼ同時期(奥付では4月10日)に発行された(Amazonで調べる)。

通信対戦に関する記述はわずか1段落のみだが、「ノーマルタイプに色々な技を覚えさせる」テクニックに初めて言及している。
その一方で、対戦ルールを入れ替え/勝ち抜きから選べるという大嘘を書いているのはご愛敬として見逃すには酷い間違いである。
この本は全体的にエアプ疑惑というか、敢えて擁護するなら仕様確定前に書いた記述がそのままになっているとおぼしき部分が多いのが残念。

なお、この本はいわゆる「種族値」と呼ばれる、ポケモンごとの基本成長値が詳細に掲載されている。
とはいえ、その値が具体的にどのように能力に絡むのか不明なので、せいぜい参考程度に受け止められていたはずである。
タイプ相性や覚える技に関してのボロも明らかになるにつれ、この値の信用性も低下していった。
当時のトレーナーにとっては、実際に自分が育てたポケモンの能力こそが全てだったのである。

また、「使うポケモンと技のタイプが一致した場合はダメージ1.5倍」の情報はこの本が初出である。
ただしこの時点では、相性表の隅に小さく書かれているだけだったので気付かなかった人もいるかも知れない。

ポケットモンスターを遊びつくす本

上記の2冊からやや空いて6月頃に発売。(Amazonで調べる→ /
(手元にある第8版が9月10日発行だが、初版発行日は確認できず。抽選企画の締め切りは7月25日としている)
通信対戦にそれなりのページ数を割き、おすすめ技やパーティ紹介といった記事が初めて登場した本。
この本によって通信対戦に初めて具体的な興味を持ったプレイヤーも多いのではないだろうか。
そういう意味では、歴史上極めて重要な位置にある攻略本と言える。

冒頭のクイズにて「ポケモンのタイプと同じタイプの技を使った場合どうなる?」とある。
ここで初めてタイプ一致の1.5倍補正を知ったというプレイヤーも多いと思う。
ノーマルタイプの優秀さとして「破壊光線」をタイプ一致で使える点にもここで触れられている。
他にも様々なタイプの技を覚えさせると良いという攻略法も紹介しており、後のケンタロス台頭の下地は整ったと言える。
(自力で気付いたという人もいるだろうが、この当時に数少ない情報源である攻略本をスルーしてやり込むという発想はあまり無いだろう)

「育て屋でLvを上げると能力の上がりが悪い」という情報の初出。ただしそれ以外は能力成長に関する説明は無い。
(ドーピングによる上昇がランダムであるかのような飛ばし記事はあるのだが)
一度にLvを複数上げると良くないとは書いているが、あくまで技修得タイミングを飛ばす可能性からである。
Lv100を最終目標とし、いかに効率よくLvアップするかという特集もあるが、
「なるべく多く戦おう」なんて情報が出回るのは遥かに後の話である。

ここまでのまとめ

攻略本によって必要最低限の情報が揃った。だが、通信対戦に関してはまだ時期が早すぎると言える。
ゲーム内の強敵と戦うために、またクリア後のやり込みのためにメンバーを育てるのは当然としても、
プレイヤーのうちどのくらいが通信対戦を意識していたか、また意識したとして実際に対等な相手と対戦する機会があったのかは疑問。
ただし同時期の雑誌記事(具体的には覚えていないが)で
「通信対戦の存在によって、従来のRPGでは無意味だったクリア後の経験値稼ぎに意味が出た」というような内容の評価があったのを覚えている。
実際に行う機会の有無を問わず、通信対戦というシステムの存在そのものがプレイ継続の動機になっていた例もあるだろう。

1996年夏 ゲームボーイポケット発売

ゲームボーイの新型が発売。
御存じのようにゲームボーイは非常に耐久性の高いハードウェアである。
扱いの雑な子供が数年間が使い倒してもそうそう壊れることはない。
一度「ゲームボーイブロス」という本体カラーのバリエーションが発売されたことがあるが、中身は同じなので買う人は少なかった。
それがここにきて大幅モデルチェンジ、それもポケモンブームに合わせたかのようなタイミングで発売された。
平たく言えば、多くの家庭にとって初めての「2台目のゲームボーイ」がやってきたのである。

初期型とポケットは、端子が違うので通信ケーブルはそのままでは使えない。しかし同時に変換コネクタが発売された。
むしろモデルチェンジを機に、通信ケーブルが改めて販売されるケースも多かったように記憶している。
ポケモンブーム以前、通信ケーブルはマイナーな周辺機器だったのである。

ポケット発売をきっかけとして、家族や友人と初めて通信プレイを行った人も少なくないと思われる。

1996年末 青バージョン発売

当時は通販限定だったこと、そしてマイナーチェンジ版の走りであることは有名である。
しかし、青版には忘れられがちなもう一つの顔がある。それは事実上の廉価版であったという点だ。

青版は税込みかつ送料込みで3000円で発売された。
これは当時、大抵の店舗において赤緑版(定価3900円)よりも安価だった。
中古価格ですら3000円を超えていた例も決して少なくなかったと記憶している。
地域によっては、ゲーム屋までの交通費もかかるので、自宅に届けられる青版は余計に安く感じられたはずだ。

青版によって、いわゆる「サブロム」として予備のデータを持つ人が大幅に増えたと思われる。
もちろんそれまでも、赤と緑を両方そろえていた人は決して少なくなかっただろうが、
青版によって「せっかくだからもう一つ買ってみるか」と考えた層はかなり多かったのではないかと思っている。

自由に使えるサブロムを手に入れれば、今までは1つしか取れなかったポケモンや技マシンも使い放題になる。
今まで諦めていたものを取り返して、理想のパーティの構築に手を出した人は少数ではないはずだ。

1997年春 アニメ放送・第一次ブーム絶頂期

子供たちを中心とした口コミでブレイクしたポケモンは、アニメ放送(及びそれに伴うメディアミックス)という形で一つの花を咲かせた。
おもちゃ屋や町中にポケモン達があふれた、第一次ポケモンブームの幕開けである。

一方でゲームのほうは、新作どころかスピンアウトすら発売されていない。相変わらず赤緑青のみである。
早いうちからプレイしていれば、さすがにやることがなくなってきたという人も少なくない。
ゲーム内で遊ぼうにも煮詰まってきて、初めて外向きの「通信対戦」に興味を抱き始めた人もいるはずである。

5月に、史上初のポケモン対戦の全国大会が告知され、ルールが発表された。
後に97カップと呼ばれるこのルールだが、筆者の経験では非常に不評であった。
それもそのはず、プレイヤーたちは上限であるLv100を目指して育てていたのに、今更レベル制限のあるルールとは何事か。
ポケモンのレベルを下げる手段はないし、フラットルールが導入されるのは遥か第五世代を待たねばならない。
頑張って育てたLv100のポケモンは使えず、改めてLv50〜55で育てなおすという手間を受け入れた人はどれだけいるのだろうか。
さらに学年誌や、全国ネットではないテレビ東京系の番組(64マリオスタジアム)を中心に告知されたので、
そもそもそんなルールがあったことすら知らない(後から知った)というファンも少なからず存在した。

青版の発売をきっかけに、本年は年始から攻略本が多数出版されている。
調べてみた限り、なんと1997年中だけでも20種類のポケモン攻略本が新規に出版されている。
(実質再販である「遊びつくす本」カラー版3冊を除いてもこの数字である)
それらの中には「ポケットモンスターを極める本」「強いポケモンの育て方」のように通信対戦を強く意識した本もあるが、
上述の任天堂公式ルールに基づくものはほとんどない。確認した限りでは10月に発売された「ポケットモンスター冒険セット」くらいである。
(初代ポケモンの攻略本に関しては、別ページにて特集しているので参考までに)

ここまでのまとめ

サブ本体やサブロムによる育成環境が整い、公式ルールも整備された。
しかし、同じルールを共有して対人戦を行うには未だに高いハードルがあったのは間違いない。
それでも多数のポケモンファンが大会にエントリーしたのは、当時のポケモンブームもさることながら、
「劣悪な環境の中で、ユーザー目線に欠けたルールに挑戦する」気になる程度にはゲームをやりこむ余力があった、
つまり「暇」なプレイヤーが多かったためだと個人的には思っている。
対戦ありきで作られた後の世代とは異なり、対戦しかやることがなくなったが故に無茶なルールにも付いてこられたのである。

1998年 ポケモンスタジアム発売

公式ルールを受け入れて、実際にそれに適合したポケモンを育てていたとしても、対戦の機会があるとは限らない。
プレイヤーの母数が多いから錯覚しがちだが、ゲーム内では提示されない条件に基づいてポケモンを育成して用意できるプレイヤーは、
控えめに言ってもかなりの少数派であったことは疑う余地はないと思われる。
まして大会は開催地が限られ、トーナメントの規定人数(各256人だったはず)を上回れば抽選制である。

やる気はあっても機会に恵まれなかったプレイヤーに用意された新たな戦場がポケモンスタジアムである。
1作目であるポケモンスタジアムは、使用できるポケモンが大幅に限られていた。
しかし当時の定番ポケモンばかりでなく、明らかに使い勝手の悪いポケモンも混じっているのでいろいろと楽しめる。
各トーナメントをクリアした後は、今まで使ったことないポケモンで優勝を目指すのである。

対戦以外にも、ポケモンの整理や一覧といったユーティリティ機能もヘビーユーザーにはうれしい。
通信ケーブルよりもはるかに効率的にポケモンを移動できるし、膨大なポケモンたちの管理も容易にできるようになった。
当時の雑誌や攻略本ではシークレット扱いだった「ドードリオのゲームボーイ(倍速モード)」はとんでもないサプライズだ。

ポケモンスタジアムシリーズは、世代をまたいで3作発売された。
ゲームボーイのシリーズに対する、ニンテンドー64の拡張パックのような扱いで、マニアックなファンを取り込んでいった。
ルールによって制限されたスタジアムは、ゲーム本編とは別の高難易度モードとして受け入れられたのだ。


メニューへ戻る