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「大湯環状列石」とは

 
△環状列石の構造とその周囲
 
 大湯環状列石を作った人々は、どこに住んでいたのであろうか。最も興味のある問題 である。環状列石が一度にできあがったものでないにしても、これだけ大規模で規則的 なものを作りあげた背景には、統制のとれた、かなり大きな『ムラ』の存在が推測され る。
 
 水野正好氏は南堀遺跡、出口遺跡等の調査結果や、万座環状列石の周囲から1軒の住 居と1基の炉跡が検出されていることから、環状列石の周囲には、環状に巡る住居跡群 があり、それらは内側に所在する環状組石墓群(環状列石)と密接な関係にあることを 指摘している。
 氏は、縄文時代中期より後期にいたる時期の『ムラ』は、2軒を単位とする3小群か らなり、そうした原則的構成は、貝塚の形成や墓域の設定にも及んでいることを予期し ている。
 
 大湯環状列石についても、「集落の2軒単位3小群と云う構造に規制されて、組石墓群 も2小塊よりなる3小群と云う形態をとり、併せて各家(各小塊)を代表する1基の組 石墓(家長墓か)を内帯に設けている。これが居住帯の大きな移転と云う現象に基づい て、墓域もそのまま同一構造で移転している」と云う見解を示している。
 
 環状列石の周囲に居住施設(住居跡)、貯蔵施設、調理施設等が、馬蹄形或いは環状に 巡ることは、これまでに発掘されたほとんどの部分から、これらの遺構が検出されてい ることや、環状列石近傍から多量の遺物が出土することから予想される。
 
 また、岩手県西田遺跡、長野県阿久遺跡、東京都神谷原遺跡などの類例も、環状列石 の周囲に居住区域が一巡する可能性が高いことを物語っている。
大湯環状列石
方形配石遺構
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