GLN 宗教を読む

宗教を読む / 聖書の宗教

◆親族宗教 − 兄弟宗教
参考:新潮選書ひろさちや『キリスト教とイスラム教』
 
 次の三つの宗教は、『聖書(旧約聖書のこと)』から派生した宗教であるため、 親族宗教と云われている。
 このうち、キリスト教のイエス・キリストとイスラム教(回教)のマホメットは 何れも『聖書』の神の預言者とされている。イスラム教では、イエス・キリストは先輩預言者、 マホメットはその後をうけ、最後の預言者とし、前者を兄、後者を弟とみなし、 両宗教をいわゆる兄弟宗教と云うこともある。
 
* ユダヤ教
 『聖書』に基づき、神をヤーウェ(エホバ・ヤハウェ)と称え、 神の定める律法を絶対遵守とする人々=義人 (全ての人を信者の対象としない)をもって組織する。
* キリスト教
 『新約聖書』(『旧約聖書』を容認)に基づき、神をゴッドと称え、 『旧約聖書』の預言者イエス・キリストを神の子「=救世主」とし、人々=罪人 (全ての人を対象)は神の子の愛により救済される。
 なお、イエス・キリストのことを、ユダヤ教では人間(罪人)とみなし、 イスラム教では(単なる)預言者とみなしている。
* イスラム教
 『聖書』に基づき、神をアッラーと称え、神は最後の預言者マホメットを通じて コーランと云う聖典を啓示し、人々=善人(全ての人を対象)はコーランに絶対的に 帰依しなければならない。
 なお、『聖書』は聖書記者たち(人)によって記述されたものであるが、 コーラン(クルアーン)原本は、まず神が天に護持されている書板に記述され、 それを神が天使ガブリエルを通してマホメットに読み聞かせ、 後に教友が地上のコーランとして書上げたものとされている。
 
◆ジョーク
 ユダヤ人のあいだには、次のようなジョークがあります。
 ある男が、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)において、一所懸命神に祈っていました。 「神さま、お助けください。息子のアブラハムが、キリスト教の洗礼を受けて キリスト教徒になろうとしています。神さま、息子を思いとどまらせるには、 どうすればよいでしょうか……?」
 そこに神が現われて、男に言われました。
「そなたはあきらめるがよい。じつは、わしの息子もそうだったのだ」
 おわかりと思いますが、キリスト教というのは、ユダヤ教から出た宗教です。 キリスト教の開祖のイエス・キリストは、彼自身は最後までユダヤ教徒でした。 イエスには、新しい宗教を開くといった考えはありませんでした。 イエスの死後、イエスを「神の子」と信じた人々が創った宗教がキリスト教です。 そのため結果的には、神の息子であったイエスがユダヤ教を飛び出して、 新しくキリスト教を開いたことになります。このジョークは、そのことを言っています。
 
 ところが、もう一つのイスラム教のほうも、キリスト教と同じようにユダヤ教から出た宗教です。 キリスト教がユダヤ教から出たのは紀元二世紀、イスラム教がユダヤ教から出たのは 七世紀のことでした。ですから、キリスト教が長男で、イスラム教は次男の関係になります。 キリスト教とイスラム教は、兄弟宗教というわけです。
 とすれば、先程のジョークは、次のように書き変えたほうがよいでしょう。
 
 ユダヤ教の信者「神さま、お救いください。わたしの二人の息子は、長男はキリスト教徒に、 次男はイスラム教徒になりたいと言っています。どうしたら、 彼らを思いとどまらせることができますか……」
 「男よ、あきらめたほうがよい。じつはわしの長男もキリスト教徒に、 次男はイスラム教徒になったのだ」
 
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 − この三つの宗教を一口に定義づけるなら、
 − 契約宗教
といえるでしょう。これらの宗教では、神と人間とのあいだに「契約」が結ばれたと考えてい ます。
 その「契約」の基本になるものは、古代のイスラエル人(ユダヤ人の先祖)がシナイ山において、 預言者のモーゼ(モーセ)を仲介として神と結んだ「シナイ契約」です。 ユダヤ教の伝承によりますと、このとき人間は神からモーゼの十誠(戒)を核とした 「律法」を与えられました。ユダヤ教は、この「律法」にもとづいた宗教なのです。
 
 しかしながら、キリスト教では、このような「律法」を古い契約と考えています。 ユダヤ教では、「律法」を守る以外に罪からの救いはないのですが、 キリスト教徒は「律法」が守れなくても、罪からの救いがあると考えるのです。 なぜ、そのような罪からの救いがあるかといえば、 神の子であるイエスが全人類のためにみずからの身を十字架にかけて死んでくれたからです。 そこで、イエスの「贖罪(罪のあがない)の業(わざ)」が、 キリスト教では新しい契約と考えられています。
 キリス卜教では、「律法」の書であるユダヤ教の「聖書」を『旧約聖書』と呼び、 神の子イエスの「原罪の業」を記した新しい契約の書を『新約聖書』と呼んでいます。 旧約″新約″といった語は「旧い契約」「新しい契約」の意味です。 また、キリスト教では、『新約聖書』は神のよろこびのことばを伝えた書であるとして、 『福音書(ふくいんしょ)』とも呼んでいます。
 
 では、イスラム教はどうでしょうか……?
 イスラム教では、神は人類の救済のために多くの使徒をこの世に遣わして、 人間に呼びかけてこられたと考えています。 モーゼもイエスも神が遣わした使徒なのです。 そして、モーゼやイエスによって、人類に啓典が与えられました。ところが、ユダヤ教 徒やキリスト教徒は、神から与えられた啓典 − すなわち、『旧約聖書』や『新約聖書』  − を隠蔽(いんぺい)し、改竄(かいざん)し、 あるいは使徒を神格化するといった誤りを犯しました。 そこで神は、最後にマホメット(ムハンマド)という使徒を遣わしてこられ、 『コーラン』という正しい啓典を与えられたのです。 イスラム教では、そう考えています。つまり、マホメットこそ最後の使徒であり、 『コーラン』こそ正しい啓典だというのです。 その『コーラン』を正しく保持して行くのが、イスラム教徒の使命なのです。
 
* ムハンマド(マホメット)
 〔マホメットのアラビア語名〕(570頃-632) イスラム教の開祖。 アラビアのメッカの名門クライシュ族の出身。 四〇歳の頃から創造神アッラーの啓示を受けるようになり、メッカで布教。 特権階級から迫害を受け、622年ヤスリブ(メジナ)の町に逃れた。 この移住をヒジュラ(聖遷)という。630年メッカを占領しアラビア半島を統一。 メジナで没。マホメット。モハメット。(goo 辞書)

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