◆「戦う神」のパレスチナ侵入 このようにみてくると、契約は第一義的に、神との平和の契約でありながら、 一方、部族相互の政治的、軍事的同盟を意味していたことがわかる。 この後者の性格が明瞭になるのは、モーセに続くヨシュアの時代である。 そこでは神は「戦う神」となり、シャーロームは、 戦闘による勝利の状態とほとんど区別がつかなくなる。 ヨシュアによるカナン侵入と、十二部族宗教連合 (アンフィクチオニー、紀元前一二五〇年ごろ)がそれである。 それは、本質において、戦う神を頭とするイスラエル解放軍の誕生を意味していた。 注:アンフィクチオニー(Amphiktyonie)とは、まだ強固な政治的、 国家的結合にいたる以前の部族間宗教連合をさしている。 古代ギリシアの類似の現象にちなんで、そのように呼ばれる。 マックスウェーバー『古代ユダヤ教』、他に、A・AIT・Israel,in R.G.G.2参照。 モーセの死後、その従者である若いヨシュアが、後継者として立ったとき、 主なる神は、こう言われた。 「あなたが足の裏で踏むところはみな、わたしがモーセに約束したように、 あなたがたにあたえるであろう。 あなたがたの領域は、荒野からレバノンにおよび、 大川ユフラテからへテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう」(ヨシュア記一・三−四)。 ヨシュアは、主の言葉にしたがって、ヨルダンの高い台地から低い渓谷にむかって、 一斉に進撃を開始し、怒涛のようにエリコの城塞をおとしいれ、町を占領する。 このエリコの攻防は、その後の戦闘の趨勢を決定した。 イスラエルは、山を越え、谷を渡り、次々に砦を手中におさめながら、 地中海の海岸にひろがるシャロンの平野をめざして、まっしぐらに進撃したのである。 戦果は赫々たるものがあった。イスラエルは、カナンの地の大半を占領し、 和睦を申し入れてきた敵は、これを捕えて「たきぎをとり、水をくむ奴隷」(ヨシュア記九・ニ七)とし、 抵抗する敵は、容赦なくこれを打ち破って、ひとり残らず息の根をとめ、家に火を放って焼き払い、 町中を焼け野原にした。 旧約聖書ヨシュア記は、ヨシュアが徹底した焼土戦術と殲滅(せんめつ)作戦によって滅ぼした ヨルダン川東西の国王の数を詳細に列挙している。 それは、西側だけでも三一にのぼったという(ヨシュア記一二・一−二四)。 ヨシュア記は、イスラエルが、エリコの城塞を足掛りに、いわゆる十二部族宗教連合を結成し、 いかにして神の「約束の土地」への組織的侵入を達成したか、 その詳細な記録、しかも戦勝の記録であった。 注:ヨシュア ヨシュアは旧約聖書の民数記やヨシュア記に登場するユダヤ人の指導者。聖書の記述どおりならばカナンを侵略しカナーン人の大量虐殺を行った末、カナンを征服してユダヤ人の領土とした人物となる。 エジプトを出て放浪するユダヤの民。その一だったヌンの子ホシェアはモーセによってヨシュアと呼ばれるようになる。彼はカレブたちと共に、モーセに命じられて自分たちの目指す約束の地カナンを偵察する。ヨシュアとカレブはカナンのすばらしさを伝えるが、それ以外の者たちはカナンの地に入ることの困難を強調する。そのため、民は動揺し、モーセに向かって不平を言うが、ヨシュアとカレブだけは不平を言わなかった。このため、ヨシュアとカレブだけは約束の地に入ることをゆるされるが、他の成人たちには許されなかった。(民数記) モーセによるヨシュアの任命(民数記 27章18-23節) モーセは120歳になると、自分の後継者としてヨシュアをたてて亡くなった。(申命記) ヨシュアは指導者として約束の地に入るべくヨルダン川を渡ってエリコを攻める。エリコの城壁は祭司たちが吹く角笛と民の叫びの前に崩壊した。ヨシュアはエリコの人民を全て虐殺する。ヨシュアは民を率いてカナンの各地を侵略、抵抗運動を粉砕して全カナーンを制圧した後にレビ族を除くイスラエルの十二族にくじびきによって分配した。 ヨシュアは死の床で民の代表者たちに神への信頼をとき、この世を去った。110歳であった。その遺体はティムナト・セラに埋葬された(Wikipedia)。 |
[次へ進む] [バック] [前画面へ戻る] |